烏頭は天雄を育む
「……そうか。全く、どこまで愚かなのか」
ため息をついたソスランは、思わず眉間に寄ってしまったしわを揉み解すかのように、眉間を揉む。
その様子をみて、ラリクスもため息をついた。
「全く、私も我が耳を疑いましたよ」
ひょいと肩をすくめておどけた仕草をし、やれやれと首を振る。
そんなラリクスを見るともなしに見つめながら、ソスランは頭の中で忙しなく考えを巡らせていた。
「この国の貴族でありながら、術者の事情を斟酌できない者は生き残れないと、そろそろ理解してほしいものなんだが。最悪、誓約に違反しているとみなされる状況であれば族滅の危機だが、……分からないの、だろうなぁ」
ソスランは頭を振りながら、再度深々とため息をつく。
このリュフェスタという国は、良くも悪くも“精霊の国”なのだ。
精霊をその身に宿した力で使役し、術を行使する術者によって成り立っている国、リュフェスタの歴史は長い。
歴史は長いが、歴代の王の在位期間が長いため、代自体はそれほど重ねていない。
しかし、力を持たない者がこの国の根幹を担うことはその性質上、非常に難しいのだ。
国の要である王家自体が術者で構成されている以上、その性質が理解出来ない者は国政に参画出来ない。
術者という性質を抜きにして政ありきで王家を動かそうとすれば、その歪みによって王家自体が崩壊しかねないのだ。
現に近頃、新興の貴族からソスランの婚姻についての奏上が頻繁に上がって来る。
煩わしいことこの上ないし、ソスランとしては取り合う価値すらないその内容に、考えただけで頭痛がしてくる。
術者ほど、政略結婚というものが向かない存在はいない。
世界によってあらかじめ決められた相手としか、添うことが出来ないと言われているからだ。
術者は伴侶と、ある日突然出会うのだ。
そして一度出会えば、その相手以外は受け付けない。
術者を絆を結んだ伴侶と引き離せば、力の制御を失い、狂うか弱るか、いずれにしろ双方が死に至る。
術者にとって伴侶とは、得た瞬間から己の半身となる存在としか説明出来ない。
特別で、神聖不可侵な領域で、ある意味残酷な定めだ。
そこには国としての利益だとか、そういう小さな枠組みなど何の意味もなくなる。
そういうものなのだと、苦笑交じりに伴侶を得た術者は口々に言う。
「父上の施策が裏目に出たか。リュフェスタの将来を見据えれば、閉鎖的になるよりも開かれた国とする妙案だと私も感じてはいたのだが、これは……教訓とすることが出来るか、だな」
報告書をめくりながら、ソスランは憂鬱そうに呟く。
「ヴェレーノ男爵、アクセル・ルードゥス。優れた商人かと思ったが、情報が足りていないようだな。下手に手出しされる前に、徹底的に潰すべきか?」
もしも前例を作ってしまった場合を考えると、ゾッとする。
術者について理解していない貴族に、王家の婚姻について口出しされる。
交易の利を説かれ、政略結婚を推し進められる。
国を名乗る以上、外交は重要だから、周到に計画された上で外堀を埋められれば王家誰かが犠牲になる可能性も出て来るだろう。
術者としての力が弱く、価値が低い者ほど、あるいは立場的に逃れられない者ほど将来的には危険な立場に置かれる可能性がある。
「今のうちに、芽を摘むべきか。……コイツ、最悪だ。俺だけではなく、愛し子にも目をつけたのか。それも、術者の血を身内に取り込むために、か? 愚かなことを。術者の血は、家門の地位を安定させるための道具とするには、いささか代償が高くつく。それが……分かれば、手出しなどせんか」
目元を覆い、心底疲れ切った様子でソスランは行儀悪く椅子の背もたれにダラリと体を預け、深々とため息をつく。
「父上もすでにご存じだとは思うが、ラリクス、報告に上がるぞ」
「それしかなさそうですよねぇ」
「放置したら、メルカルトとエオル殿が暴発しかねない内容を含んでいるからな」
ソスランは回廊を歩きながら、手近にあった葉をむしり、その葉を検分する。
「どうにも嫌な予感が拭えない。……何だか、背筋の辺りがチリチリする」
顔を歪めたソスランが、水を集めて念入りに手を洗う様子に、ラリクスもその葉を手に取り、ハッとした様子で近くにいた下働きを呼んでその鉢植えを別室に下げさせた。
「奇遇ですね、殿下。私も何だか先ほどから全身がゾワゾワしています」
にっこりと作り笑いを浮かべて答えたラリクスを、ソスランはじっと見つめる。
「仮にも俺たちは、この国の中枢を担えるだけの術者だ。揃いも揃って、気のせいなどとはあり得ないということだな」
ソスランのその言葉が終わるか終わらないかで、不意に氷交じりの突風が吹いた。
いくら冬が長いリュフェスタでも、まだ吹雪の季節には程遠い。
それに、明らかな力の名残を感じる。
「これは……冬の館の方角からだな?」
「そうですね。うーん、私としては、特に問題がない状態であることを希望します」
「俺もそうは思いたいが、王城のど真ん中を過剰な力が垂れ流されて吹き抜けた行く状態で、確認もせずに放置は無理だろう?」
「ソウデスネー」
明らかに面倒臭さを隠そうともせずに答えるラリクスに、ソスランは小さく首を振る。
「どこぞの新興貴族が現在進行形で問題を起こしている現場に駆け付けるのよりは、よほど面倒と心労と苦労が少ないと思う。俺は、怒り狂ったメルカルトとエオル殿を相手に事態の収拾に奔走するのは御免被る」
「早めに警告だけでもしておきますか」
「あちらも何某かの情報を掴んだ上で、既に警戒に当たっているのなら、この状況も説明がつくだろうからなぁ」
「私、喉は弱いんですがこれだけ寒風が吹いている中に入って風邪ひきませんかね?」
「さてな」
ラリクスの弱音に、心底嫌そうに顔をしかめたソスランは再度首を振る。
「それよりも、俺は血の雨とか粛清の嵐とか、おおよそ不穏当な天候のような何かが起きる方がよっぽど憂鬱だ」
「ああ……。メルカルトですか」
「ラリー。あの御仁は、見かけ通りの存在じゃあない。この世界によって何重にも制約が掛けられていて、国ひとつ滅ぼす複雑に絡み合った力を打ち破れるだけの術者で、そんな存在が、自らの力不足で伴侶を失った直後。……この上、息女に害を成す存在が現れたら、うっかりこのリュフェスタごと粉みじんになるんじゃないかと、な」
言葉を重ねるごとに顔色が悪くなっていき、胃の辺りをさするソスランにラリクスは足元に視線を落とした。
「それって天災級の禍ではありませんか」
「知らぬとは、そういう恐ろしいことだということだ。他者からの忠告を受け、机上の論理を目にし、それでも実際に起こってみて、初めてその爪痕の凄まじさに恐怖するのが人間という生き物らしい」
前を歩いていたソスランが、不意に振り向いてラリクスの目を覗き込む。
頭半分ほど長身の主にじっと見つめられて、その瞳の色のいつにない昏さにラリクスもじっと見つめ返す。
「俺は、王族だ。いつだって1よりも10を、10よりも100を取る。……それで、彼は話が出来そうか?」
「はい。今回の不始末と、騒動を未然に防ぐことでその罪は当人とその手足となった者たちに限ると確約いただけるなら、と」
「そうか。では、冬の館から戻り次第、アスリンと連絡をつけてくれ。くれぐれも父君を伴って王城に参上せよ、と」
表情を読ませないロイヤルブルーの瞳に、底の見えない闇が揺れている。
ラリクスは、長い付き合いになる主の表情に、アクセルの結末を思った。
「それがとんだ毒草でも、良い時期に刈り取れば強壮剤ぐらいにはなるかもしれん」
ソスランの引き結ばれた唇の端がわずかに上がり、酷薄な笑みになる。
「せいぜい上手く用いて見せるさ」
主の表情に、ラリクスも目を細めた。




