アベリアは緑の葉陰に香る
「ミランダ、お呼び立てして申し訳ありません。本来ならばわたくしの方から出向くところを、お越しいただいてありがとうございます」
あれから数日。ファルファラは相変わらずベッドの上で、柔和な笑みを浮かべている。
改まった様子のファルファラに促されるままに、ミランダはベッドの傍らに置かれた椅子に腰掛けた。
「それで、決めたということで良いですか?」
ミランダが口を開くより早く、同行してきたメルカルトがファルファラの言葉を促す。
その言葉に、ファルファラはメルカルトに視線を合わせ、しっかりと頷いた。
「はい。是非に、お話を受けさせていただきたいと存じます。すでに夫の了承も得ております」
決然とした様子のファルファラに、ミランダは思わず背後に立つメルカルトを仰ぎ見る。
頭越しに決まっていく重要な何かに、ミランダはメルカルトをじっと見つめ、そしてファルファラに視線を戻す。
困惑しきったその様子に、ファルファラは安心させようと笑みを浮かべた。
表情を引き締め、姿勢を正して改まって口を開く。
その表情の変化に、ミランダも自然と背筋を伸ばしてファルファラを見つめた。
「わたくしファルファラ・イーレクス=ラシットは、誠を捧げ、身命を賭してサフィラ様の剣となり、盾となります。主よりも後に倒れることなく、その身心を損なうことなくお守りすることを我が名に賭けて誓います」
ファルファラの言葉に応じて、光が舞う。
言葉が力を帯びて見えない鎖となり、ファルファラを縛る。
向かう先を探して迫って来る力に、サフィラは目を見開いて身を引きそうになった。
その肩を、メルカルトが強く抑える。
「サフィラ、お前はこの誓いを受けなければならない。お前に誓いを立てれば、ファルファラはお前の力を受けることが出来る。そうすればファルファラは、失われた力を得ることで回復出来る希望が見える」
「でも、父さま。わたし、わたしは、ファル姉さまの命を預かるのは……」
「これしか、方法がない。それともサフィラは、ファルファラがこのまま弱っていくのを仕方がないと見放すのですか?」
メルカルトの言葉に、ミランダは言葉を継げなくなって黙り込む。
込み上げてきた涙を飲み下して、ミランダはファルファラを見つめ返して頷いた。
「わたくしサフィラ=ミモサ・アスル・プルイーナは、ファルファラ・イーレクス=ラシットの誓いを受け、我が剣、我が盾とする。この誓約は我が名に賭けて成される」
光が、ミランダの言葉に従ってミランダに吸い込まれる。
その瞬間、2人は互いの間に切れない何かが繋がったのを感じた。
「臣従の誓約、確かにこのメルカルトが見届けた。……ファルファラ、立ってみなさい」
メルカルトに促されるままに、ファルファラは足を下ろし、ソロソロと立ち上がる。
何の問題もない様子で立ち上がった自分自身に驚いた様子で、呆然と立ち尽くしたファルファラは、ふと我に返った様子でミランダの足元に跪き、その手を取る。
「私はこれで、ミランダの騎士となりました。これ以降、私はありとあらゆる危険からあなたを守り、何かあればこの身に代えてあなたを守ります」
おっとりとした女性らしい口調が、きびきびとした口調に変わって、ミランダはじっとファルファラを見つめた。
「ねぇ、ファル姉さま。ひとつだけ教えてください」
「何なりと」
「もし、私が死んだら。その時は、ファル姉さまも死ぬのですか?」
真剣なミランダの表情に、ファルファラはその目を覗き込むようにして視線を合わせ、頷いた。
「はい。そういう誓いですから。……それに私は、あなたから力を受けることによって生き永らえることになるので、誓いがなくても、力の供給が経たれれば恐らく長くは持たないでしょう」
何でもないことのように穏やかに告げ、微笑むファルファラに、ミランダは涙ぐむ。
「自分自身で決めたことです。あなたには、何の責任もない。……それに、私はまだこうしてあなたの傍にいられることが嬉しいのです」
語り掛けるように、噛みしめるようにファルファラは言葉を紡ぐ。
「私はこれで、一番近くであなたを守っていける。使い物にならなくなった残りかすではなく、哀れな病人でもなく、あなたの騎士として、まだあなたを守れる。普通の生活をし、役目を与えられ、私はこれからも生きていける。……死んでない人間ではなく、生きている人間として。この喜びは、失われることを味わった者にしか分からないことかもしれませんが」
ミランダの手を優しく撫でて、ファルファラは明るい表情で笑った。
「こんな機会を与えられた私は、本当に、誰が何と言おうと、幸せ者なのです」
その笑顔を見て、ミランダの顔にもようやく笑みが戻る。
「良かった」
「はい」
笑みを交わして、ふと何かに気付いた様子のミランダは視線を落とし、スカートを握り締める。
少しだけ迷って、自分を見つめたままのファルファラに視線を戻し、意を決した様子で話し始めた。
「わがままを、言っても良いですか?」
「どんなことですか?」
無条件ではない問い掛けに、今までとの違いを感じてミランダの表情が曇る。
「時々で良いです。騎士のお仕事の必要がない時だけで良いです。今までみたいに、“姉さま”として、わたしとお話しをしてください。……寂しいから」
そのやり取りに、メルカルトは動揺を抑え込む。
ファルファラとメルカルトの表情を伺って揺れるミランダの瞳に、胸が痛む。
それでも、必要なことだったと皆分かっている。
今回の事情がなくても、いずれ必要に迫られて同じように誓いは立てられただろう。
ミランダを守るため、ファルファラは同じように進んで誓いを立てただろう。
それでも、ミランダにとっては“姉”が臣下になってしまったことはすぐに慣れることが出来ることでもないのだから。
「守りの強固なミランダの自室で、他の人がいない時なら良いわ」
ファルファラの答えに、ミランダの表情が、ぱぁっと明るくなる。
「大好き」
抱き着いて来るミランダを抱き留めて、ファルファラはその背をポンポンと叩いてあやす。
「ええ、わたくしもよ」
生き生きと生い茂るアベリアのように、緑の葉に甘く香り立つ花を隠すように。
ファルファラは翌日から騎士の服に身を包み、ミランダの護衛についた。
背後にひっそりと立ち続けるその姿は、影のようでありながらミランダにとっては変わらず安らぐ存在で。
むしろ今までよりもずっと一緒にいられることを、傍にいてくれることが嬉しくて。
護衛騎士がつけられる意味を、ミランダはまだ良く理解していなかった。




