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沈丁花が香る窓辺で

 扉を開けて室内を見回し、マノリアはあらまぁと、呟いた。

 部屋の中に満ちているのは宵闇の気配。闇の司る眠りの術が空間を支配している。


「ルナリアの娘を迎えにやったら成り行きで従者を選定したとは聞いていたけど、これはどうしたことかしらね」


 子供が2人、すやすやと実に気持ち良さそうに寝ている。

 状況から見て、術を行使したのはルナリアの娘の方で間違いないだろう。

 幼子の母であるルナリアも早熟な娘ではあったが、その娘はその上を行くらしい。

 ルナリアの娘は来月には6歳を迎えるという話しだが、それにしたってこの年齢の子供が一端に術を行使したのだから、それも制御の難しい闇系統の術を扱うのだから驚きだ。

 あの人でなしの親族に先んじて保護して正解というものだろう。この才能を、良からぬ方向に利用されたら大事になっていただろう。


「あの子の娘だから、お昼寝がしたかったからという理由じゃないわね」


 マノリアは寝台へと歩み寄り、少年に目を留める。

 ミルクを入れたコーヒーの色の肌に、今は閉じられている目は綺麗なアーモンド型。漆黒に近い大地の色の髪はうねるような癖があり、恐らく髪と同じ色の少年の瞳の虹彩は、最悪の想定だと金が混じっている筈だ。


「ペレジャか、スラーイイか。可能性としては、スラーイイの生き残りかしらね」


 子供らしい丸みのある頬を、そっと撫でる。

 先頃行われたペレジャの侵略では、スラーイイが犠牲になったと聞く。傭兵上がりの王が興した小国だったスラーイイの王族は、戦える者は成人前の王女に至るまで民を守るために皆壮絶な最期を遂げたと聞いている。戦えぬ王族と、僅かな民だけが逃げ延びて各地に散ったそうだが、主要な王族は皆戦死するか既にペレジャに処刑されている。

 彼の地は、奪われ尽くされ、焼き尽くされてこの先数十年は草一つ生えない不毛の大地と成り果てているとか。

 ペレジャは大国だが、その王は代々残忍な性質で、闇の神を信仰し、他者から奪うことによって富み栄える国だ。今代の王は特にその苛烈さは類を見ず、周辺の小国は次の侵略こそは自国の番かと怯え、やや離れた位置にある国々は、ペレジャの破滅の日も近いと噂し合っている。

 国のありようはまさに熟れきった果実の様相で、貴族や官吏が汚職によって財貨を溜め込み享楽に耽り、民衆から搾取し、民衆は更に低い立場の被征服民から搾取する歪みきった繁栄を極めている。近頃は、どうやら麻薬が支配者層に蔓延しているらしく、熟れきった果実が落ちて千々に潰れるのも近いと言われている。

 それを願っているのは、マノリアも言わずもがなだ。

 逃げ延びて来た僅かな民の痩せた体に残された傷跡に、笑顔を失った子どもの、虚ろな眼差しに。

 この国の気候に耐えかねた人たちの、物言わぬ骸に。

 願わずにはいられない。せめて自分自身の手の届く範囲だけでも、救いたいと。

 祈るような気持ちで、マノリアは少年の頬を撫でる。

 やや癖のある大地の色の髪は褐色の肌に汗を含んで貼り付き、身に付けている従者のお仕着せも汗を吸って湿っている。

 どうやら少年の方には、相当な不調があったらしい。


「そう、このおチビさんは、訳ありということね。まぁ、あの子の実家の使用人は大抵そんなものだったわね。……わかっていて従者にしたなら、この子も大したものだわ」


 そしてその選択は、両者にとって運命とでもいうべき選択だろう。

 あそこで出会わなければ、ルナリアの娘はともかく、少年の方は遠からず命が危うくなっていた可能性が高い。そして、ルナリアの娘は、少年の命を救ったことにより決して裏切らない最高の剣を手に入れたに等しい。

 スラーイイの王、かつて獅子王と呼ばれた男は、優れた焔の使い手であり、名の知れた剣豪でもあったという。仮にこの少年が戦いに向かないと見なされたとしても、この国の同年代の騎士候補生たちに遅れを取るはずもないだろう。

 世界を救えるほどの武勇を持つ父親と、母親もその父親に釣り合った女性だったのだろう。この少年はどれ程の能力を秘めているのか、未知数だ。

 もしも、あの王が生かすためだけにこの少年を逃し、この少年にそれだけの力が眠っているのだとしたら、ここで保護出来たのは最高の幸運だろう。この世に生きる者にとっての宝である可能性が高い。


「ルナリアも割と引きの強いところがあったけれど、さすがはルナリアの娘と言うべきかしら」


 笑みを浮かべたマノリアは、少年がいつの間にか目覚めて、自分のことをじっと見つめていることに気がついた。

 考えに没頭していたらしい自分に、マノリアは笑みをこぼす。


「わたくしはマノリア・プカサス=ストレイタス。その子の後見人で、この館の長よ。あなたのことは何とお呼びすればよろしいのかしら?」


 状況がまだ上手く飲み込めていない様子で瞬きを繰り返す少年 の瞳を覗き込んで、マノリアは心の中で呟いた。

 何てことかしら、と。

 少年の瞳は、一見すると深い茶色に見える瞳は、ほのかな暗赤色と、闇を切り取ったような深い黒。

 それは、失われた血統と呼ばれる古の一族の特徴。

 窓から不意に吹き込んで来た風に運ばれて来た沈丁花の香りに、目眩がする。

 かの獅子王が守ったのは、古い誓約。誇りと栄光。そして彼らが生き、人々を生かす未来。

 マノリアは全ての動揺を飲み込んで、少年にただ静かに微笑み掛けた。


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