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降り注ぐ言の葉の花は束ね得ぬ想いに似て  作者: 深海聡
第2章 光ある場所へ
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それはやがて散るだけの浜梨でも

「ファル姉さま」


 ミランダが部屋を訪れると、ファルファラはベッドに身を起こした状態で、静かに刺繍を刺していたようだった。


「こんにちは、いらっしゃい。元気そうね、ミランダ」


 おっとり微笑んでいるその頬は少しやつれた様子があるが、あれからひと月が経とうとしているここ数日は、ようやく普通の顔色が戻りつつあった。

 静かで穏やかな空気を纏うその様子は、あの日凛々しく武装していた人物と同一人物とは思えない。


「ファル姉さまも、お元気になられたようで良かったです」


 ミランダの言葉に、柔らかな笑みを浮かべるファルファラの髪にミランダは何気なく目をやって、思わず釘付けになった。

 その様子に、ファルファラは苦笑を浮かべる。

 そこには、色がなかった。

 豊かな黒髪は色を失い、新雪のような白になっていた。


「そんな顔をしないで? わたくしの家系は、大した力を持たないのだけれど、力を受け止め、安定させる能力に長けているようなのよね。正直あれはかなり分の悪い賭けだったから、あれほど大きな力を扱いきって生き残れたのは、奇跡に近いとメルカルト様にも叱られてしまったわ」


 力の足りない未熟者が、揃いも揃って分不相応な力に手を出してと、怒り心頭だったメルカルトの様子に苦い笑みが浮かぶ。

 責任ということ、自分の力量の見極めについても、分かっていたつもりだっただけだと、突きつけられた。


「あの時安全を取って力の出力を弱めていれば、反動は最小限だったかもしれない。ただ、浄化が不十分で相当数の死者が術師にも騎士にも出ていたというお見立ては聞いたでしょう? もしも加減していたら、犠牲になっていたのはわたくしの夫だったかもしれないわ。わたくしは、全て分かった上で選んだの……だから、謝らないで」


 変わらず笑みを浮かべたままのファルファラの指先が、小刻みに震えている。

 自分が行ったことの結果として、ミランダはメルカルトからファルファラには重い後遺症が残ることを聞かされた。

 元々強い力を扱いきれるだけの能力を持ったミランダの無茶を、最も近くで補正することになったファルファラ。

 命すら危ういほどの力を、経験と才覚で補ったことで、ようやく最悪の事態を避けられたのだと。

 力が尽き掛けていた冬の女王では、半ば暴走しかけたミランダの力の制御が覚束ず、浄化どころか辺り一帯消し飛ばす大爆発になる危険性が高かったこと。

 それを回避するために、ファルファラは自分の力を使い切り、術師としては再起不能なこと。

 エオルの状態があまりにも悪かったせいで、治療自体も後回しにされた結果、ファルファラには普通の生活を送ることが難しいほどの後遺症が残った。

 辛抱強く治療を続けても、改善が望めるか分からない状態。


 ――子は、望めないだろう。


 メルカルトが低く、重々しく告げた言葉が耳の奥で響いているようだった。

 幼い子供としてではなく、ひとりの術者として知らなければならないことを、メルカルトは包み隠さず全てミランダに語り聞かせた。

 力の代償は、時に計り知れず大きくなること。

 自分以外の誰かの命を、人生を、犠牲にすることもあること。

 たったひとつの判断の間違いで、状況の見落としで、最悪の状況を招くこと。

 ただ強い言葉で叱られるよりも、ミランダにはよほど堪えた。


「行けば最悪命を落とす覚悟だってしていたのに、誰の命も失われなかった。これ以上の結果はないわ。それにね、わたくしは何も諦めるつもりなどないのよ。治療は続けるし、絶対にまた走れるようにだってなるのだから」


 背筋を伸ばして、微笑むファルファラの手は、もう震えてなどいなかった。


「だから、後悔しては駄目よ」


 サイドテーブルに刺繍を置いて、ミランダに向かって手を伸ばす。


「あなたはあの時、確かにわたくしの唯一の希望だったわ。これからは、もっとずっと沢山の人たちの希望にだってなれる。わたくしには見えないものを見て、望みえないものだって望める。その手には、沢山の人の命を、幸福を、未来を守れるだけの力がある」


 ミランダの背中に回された腕が、ギュッと抱き寄せる。


「目指しなさい、もっと強いあなたを、守りたいものを守れる力を、取りこぼさずに拾い切るだけの知恵を技術を。ありとあらゆるものを、貪欲に身につけなさい。あなたなら出来るわ」


 顔を上げて見つければ、光を失わない強い瞳が見つめ返して、しっかりと頷いてくれる。

 強くて、折れない人。

 今の状況は間違いなく絶望的で、悲劇的で、嘆き悲しんだって良いような状況だ。


「わたくし、何もせずに嘆くだけなんて性に合わないの。だから、わたくしのために泣いたりしたら許さないわ。哀れみなんて、いらない」


「はい」


「次に会う時は、必ずまた笑顔でって約束してちょうだい」


「はい、必ず」


 笑みを浮かべて頷くミランダの背を、ファルファラは優しく押す。


「さぁ、行きなさい」


 振り向いたミランダが退出するまで、ファルファラは明るい笑みを浮かべ続けた。





「上手く、笑えていたかしら」


 ミランダが来ると聞いてから、ずっとこらえていた涙が頬を滑り落ちていく。

 もう術師としては再起不能だと言われた。

 それは、仕方がないとあきらめていた。

 それだけの大規模術式の制御を行った。

 あの時は成否がそのままあの場にいた全ての人の生死を分ける状況だったから、ファルファラにとって自分自身がその後、術師を続けられるかどうかなど些末な事だった。

 だけど。

 負ったダメージが大き過ぎて、ほとんど起きていることすら難しい体になってしまったことはなかなか受け入れられなかった。

 子を望むことすら出来ないと、顔色を失ったマノリア様に教えらえれたことは、なかなか受け入れ難かった。

 死んでしまうよりも、ある意味残酷だと思った。


「ミハイル……ハイル。ごめんなさい、ごめんなさい……」


 術師にとって、伴侶とは自分自身の半身だから、どんな不都合が起きても見捨てることが出来ない。

 だからファルファラがずっと眠り続けるだけの状態になったとしても、ミハイルは他の妻を娶ったりしないし、出来ない。

 それを分かった上で、勝手をした。

 分不相応なものに、自ら望んで巻き込まれた。

 そんなファルファラを、責めもせず、起きた不幸について一緒に悲しんでくれた優しい人。

 ファルファラは、ギュッと上掛けを握り込む。

 このままでは日常生活すら覚束ないファルファラに、メルカルトはひとつだけ選択肢を用意した。

 それを選べば、ファルファラは支障なく日常生活を送れるだろう。

 条件さえ飲めば、メルカルトの知る最上の薬師に話しを通して、可能な限り効果の高い薬を融通するとさえ申し出てもらった。


「可能性があるなら、賭けるべきよね?」


 涙をぬぐい、ファルファラは何かを決心した様子で顔を上げる。

 その目の前で、サイドテーブルの上の花瓶に生けられた浜梨の花弁が散る。

 それは美しい紅で。

 儚く散る様は、憐れみを誘う。

 しかしファルファラは、その花弁を拾い集めてそっと笑みを浮かべた。

 人も花も、やがては枯れて散る。

 それでも。


「私は簡単に諦めたりなんかしない」


 儚く美しくなどなくてもいい。悲しい終わり方は、嫌いだから。

 決意を秘めて、ファルファラはじっと前を見据えた。

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