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降り注ぐ言の葉の花は束ね得ぬ想いに似て  作者: 深海聡
第1章 光の芽吹き

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深山嫁菜は名残の花を供える

「エオル様、もうお体はよろしいのですか? まだ、安静になさっていた方が……」


 入室の許可を得て顔を覗かせたミランダの表情が、体をほぐしていたエオルの姿を捉えて曇る。


「あまり寝ていても、回復しないですからね。実際問題、筋力が落ちていてそのままでは剣が握れないのでしょう?」


 娘をたしなめるようにエオルに問い掛けるメルカルトに、エオルは小さく頷きを返した。


「ええ、師父(せんせい)。ここまで衰えていると、防御のための術式の維持すら、満足に出来ないかと」


 手を握ったり開いたりしながら応じるエオルの表情には、焦りなどないようにミランダには見えた。


「そう焦ってもすぐには無理でしょうね。第一、死ぬところだった人間がそこまで回復したのも、十分目覚ましい回復というものなのですから」


 ミランダの印象を打ち消すように、メルカルトは弟子をたしなめる。

 その言葉に、エオルは唇を引き結ぶ。

 どことなく不満そうにも見えるその表情に、ミランダは父の言葉が正しいことを知る。

 驚きを隠せず、じっと見つめるミランダの視線に居心地が悪い様子で、エオルは視線を彷徨わせる。


「分かっているつもりなのですが、術の行使すら不安定な状態ではどうにも不安が拭えないのです」


 ひとつ息を吐くと、エオルは手近な椅子を引き寄せ、メルカルトとミランダにも手振りで椅子を勧めた。

 その表情には、僅かに疲労の色が伺えるようだった。


「この状態を放置しておけないと判断したからこそ、私がここに留まっているのですがねぇ」


 弟子の様子に、分かり易くため息をつき、メルカルトは首を振る。


「え?」


 メルカルトの言葉に、ミランダは思わずスカートをギュッと掴む。


「父さまは、またどこかに行ってしまうの、ですか?」


 言葉が震えて細切れになる。

 何で気づかなかったのだろうと、ミランダは思った。

 当然だ。

 忙しい父が、ミランダを残してどこか必要とされる場所に旅立っていくことなど、当たり前のことのはずなのに。

 その当たり前に、思い至らなかった。

 それだからこそミランダにとって父親という存在は馴染み薄かったというのに、何の根拠もなくずっと傍にいてくれるものだと思い込んでいた自分が嫌になる。

 母でさえも引き留められない人を、自分が引き留められるはずなんてないのに。


「あ、いや、今はここにいますよ? しばらくは私の手も必要ないはずですし、ね」


 目に涙をためて自分を見上げて来る娘の様子に、メルカルトは顔をしかめる。

 父の表情に、ミランダの頬を涙が滑り落ちていく。

 そんな2人を見比べて、エオルはため息をついた。


「師父、それでは言葉が足りなくて、リラが誤解します。もう少し分かりやすく説明してください」


 呆れを多分に含んだ弟子の声音に、メルカルトは分かりやすく肩を落とした。


「分かりづらいですか?」


「今まで何をしていたかすら、リラに説明なさっていないのでは?」


「……あ」


「それすらも、忘れていらしたんですね。状況的に無理もありませんし、ご迷惑とご心配をお掛けした身で、私が申し上げることでもないかとは思いますが、リラの誤解だけでも解いてあげてください」


 頭が痛い、とでも言いたそうに蟀谷をもみほぐすエオルにメルカルトは、ミランダの表情を伺う。

 静かに泣いている様子に、たじろいだ。

 グッと覚悟を決めた様子で顎を引き、屈み込んでミランダに視線を合わせる。


「私はこの状況が落ち着いたなら、また旅立たなければならない。サフィラも聞いているとおり、私はスラーイイから一時的に抜けてきた状況なんですよ。この不詳の弟子が死に掛けていると、地の精霊スラーイイに泣きつかれて、全部放り投げてきてしまったから、戻らなければカーティスが潰れますからね」


「どう考えても、内政面で問題が山積していますよね」


「ええ、無駄に年は食ってますから経験だけは豊富なので、生き字引としては実に使い勝手がいいんですよ、私という存在は」


 自虐なのか事実だと思っているのか分からない、実にひねくれたことを堂々と爽やかな笑顔付きで言い切って胸を張るメルカルトに、エオルは呆れた視線を送る。

 心の中で、食っているのは年じゃなくて人だろうと、メルカルトの言いっぷりにツッコミを入れる。

 現に、ミランダは反応に困ってメルカルトとエオルの間に視線を彷徨わせている。


「リラ、こういう困った大人にならないように私は精進するから」


 ミランダの手を取り、重々しく頷くエオルに、メルカルトは顔をしかめる。


「そもそもあなたがあんな無茶をしなければ、私は残務をきっちり片付けてから来られたんですから、スラーイイに戻って再度崩れた諸々の再構築から手を付けるような追加業務なんて発生しなかったはずなんですがねぇ」


 メルカルトの言葉に顔を上げたエオルと、メルカルトはしばらく無言で見つめ合う。

 ピリピリとした空気が漂い、逸らされることなくぶつかり合う視線が切り結び合う刃の鋭さを感じさせてミランダは首をすくめた。


「……失言でした」


「ご理解いただけて、何よりです」


 やがて折れたのは意外なことにメルカルトで、エオルは感情を全て押し込んだような、深くて暗い目をメルカルトに向けていた。


「私は、確かに今のままでは力不足です。でも、だからこそ、次はないように修練を絶やしたくないとも思うのです」


「そうですね。情けないことに、私たちはつい忘れるのですよ。あなたがまだほんの子供でしかないことを」


「重責を担えるほどの力を持たないことなど、自分自身が一番分かっているつもりです」


 グッと拳を握り締めるエオルの肩を軽く叩いて、メルカルトはミランダに微笑み掛ける。


「サフィラ。父は、このアハサの国をもう一度栄えさせるために、皆が笑顔で生きていける国にするために旅立つんだよ」


 屈み込み、視線を合わせて立ち尽くすミランダを抱き寄せる。


「だから、待っていて。必ず帰ってくるから」


 ミランダは、言葉もなく、ただ一度頷いた。

 そのミランダの頭を、メルカルトはそっと撫でる。

 その手の温もりに、ミランダは俯くことしか出来なかった。




 紫色の小さな花を、墓前に手向ける。


「君が好きだったこの花も、もう名残になってしまっていたよ」


 誰にも告げずに訪れた墓所は、こじんまりとした場所ながら、日当たりもよく手入れも行き届いて好ましい場所にあって、メルカルトはそっと息を吐いた。

 マノリアは、その立場も使って抜かりなく全てを整えてくれたようだ。

 それに比べて己の、なんと不甲斐ないことか。

 不安がる娘を残して、未だ不安定な状況の彼の国に戻らなければならない。


「駄目だな、男親というものは。気の利いたことひとつしてやれない」


 思わず口をついて出た愚痴に、苦笑する。


「君のいない世界なんて、思い描いたこともなかったのに。それでも私は生きているし、生きていく」


 世界の無常を呪っても、全ては移ろって何事もなかったかのように時は流れる。

 最愛の人を失っても、日々は流れ去るのだ。


「どれほどの力を持ち、それを行使しようと、君のいない世界に生きる事実は、何ひとつ変わることなんてないのだから嫌になるよ。……それでも、私は。いつか君に私の歩んだ道について語るまで、定められた道を踏みしめて、しっかりと歩き続けるだろう。これまでも、そしてこれからも。君がいなくなっても、それが果てしなく遠く感じても」


 訥々と、静かに語り掛ける言葉を、墓石だけが聞いている。

 涙は流さなかった。


「また、来るよ」


 失われた事実と向き合う時間は、僅かばかりの慰めで。

 抱えきれないほどの痛みを押し隠して、メルカルトは妻が愛した笑みを浮かべた。

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