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閑話 ブルーマロウにレモンを添えて

 きっと、わたしはどこかで終わりを求めていたのだろうと思う。

 だから目の前に、青い衣を翻してその人が立った時、信じられない気持ちの方が大きかった。


「そなたはもう少し、己の欲を持っても良いのではないか?」


 立ち姿まで美しいその人は、わたしたちとは明らかに違う次元の存在だと肌で分かった。

 これが、古い血を引く者なのかと。

 リュフェスタの王族を前にした時と似た、しかしそれ以上に存在感の重みを感じる。


「フレア……永遠の灯を名に持つ者よ。そなたの犠牲と献身に、幸あれ」


 穏やかな笑みを浮かべる彼の髪は、夜の闇のごとき紺青。瞳は、水底の深藍。

 生まれながらに精霊と高い親和性を持ち、世界の理を書き換えるほどの力を持つ存在。

 これが古き血を引く守護者という存在。

 年齢をというものを感じさせない生命力に満ちた外見と、長い年月を経て深い英知をたたえる瞳と。

 こういう存在の前では、自分自身がひどくちっぽけで、どんな嘘も見透かされてしまいそうな気持ちになる。

 人は皆、嘘つきだ。

 それはわたしが冬の女王の力を受け継ぎ、半人半霊、つまり半分精霊になる前から思い続けていたことだけど。

 でも、その嘘には種類があることをわたしは知っている。

 わたしに力の使い方を教えてくれた師匠は、常々言っていた。

 正直者よりも、優しい嘘がつける大人になりなさいと。

 優しい嘘は、時として真実を語ることよりも自分以外の他者を守る力になるのだと、そう言って微笑んだあの人の瞳も深い青をしていた。

 その身に宿す力を示す色を持つのは、よほど強い力を持っている証だ。

 髪と瞳の両方にその色が現れるのは、近頃では稀だ。

 特に水の形質は受け継がれにくいと言われているせいか、本来なら水の力を持つ乙女が集められる冬の愛し子の中にさえ、ほとんど水の力を表す青を持つ乙女は現れなくなってきている。


「その瞳の色は力の影響ではなく、ご両親のいずれかから受け継いだものだろう?」


 やはり、気づかれていたか。

 黒髪に、瑠璃藍の瞳。

 青みがかった白銀の髪に藤色の瞳の王女ウィスタリアよりも、見た目ではわたしの方が水の形質を強く受け継いでいるように見えることまで、好都合だった。

 誰にとっても優しい嘘だったと、わたしは今でも思っている。


「やはり、ホンモノは欺けませんね。……どうか、お見逃しくださいませ」


 長い年月で身に着けた所作で、出来るだけ優雅に見えるように礼をほどこす。

 たとえ嘘で塗り固められた張りぼてでも、いや、だからこそ相応に見えるように磨き上げられるものは極力磨いた。

 立ち居振る舞い、表情、話術。

 つくと決めた嘘を守るために。

 ウィスタリアの人生が、決して貶められないように。


「そなたは良くやった。そなた自身の力は弱くとも、広めた心は、これまでも、これからもこの国を守るだろう」


 掛けられた意外な言葉に、フレアは思わず瞬きをする。


「この国の民は、祈ることを知っている。祈り願う心は力であり、小さき力でも、数が揃えばそれは大きなうねりとなる。そなたの存在は、長らくそのうねりの起点だった」


「そんなことが……」


「そなたの想いは、確かに人を動かしたのだ。真摯に国を思い、民を思い、友を思うそなたの姿に嘘がないことを、そなたに触れた者は皆知っている。フレアよ、己を貶めてはならない。そなたの人を思う心には、嘘がなかった。それが人々を動かしたのだ。だから、私がここにいる」


 そこまで言われて、フレアは初めて辺りを見回した。

 そこは何もない場所で、その状況に目の前の人物をまじまじと見る。


「少しばかり時をたわめ、そなたを世界から切り取った。あまり長くは保たない術式だが、祈りをつなげるのに少しばかり時間が必要だったのでな」


「祈り?」


「ああ、祈りだ」


 不意に、沢山の声が聞こえた。

 耳を澄まさなければ聞こえないような小さな声が、沢山の言葉を口々に呟いているようだった。

 その言葉は、どれもずっと触れていたいと思うような温かな力を帯びてフレアを包み込んだ。


「これは、そなたに捧げられた祈り。人々の感謝、だ」


 ボロボロにひび割れて零れ落ちていく存在が、包み込まれる。

 その様子に、彼は眩しいものを見るかのように目を細め、笑みを浮かべた。


「間に合って良かった。善良なる魂よ、再び生れ落ち、今度こそ幸せに」


「……わたくしは、課された役目を果たせたのでしょうか?」


「ああ。そなたの守った願いが、祈りが、命が、大いなる助けとなり私もまた、己の使命を果たすことが出来た。ありがとう、冬の女王、フレア・ストロベリーフィールズ」


 夜明け前の深い闇のような、暗い青に沈んだ世界に光が差す。

 青かった世界が、薄紅色へと変わっていく。


『ねぇ、フレア。このお茶に、こうしてレモンを絞ると。……ね? 夜が、明けたわ』


 ずっと昔、楽し気にコロコロと弾む声で笑うウィスタリアの手元で、真っ青なお茶が薄紅色へと色を変えていった、あの夢のような光景が、美しい色彩が目の前に広がっている。

 長い夜が、ようやく明けようとしている。

 自然と涙がこぼれた。

 それはあまりにも穏やかで、希望に満ちた美しさで。

 胸に色褪せない追憶さえも、柔らかく包み込んでくれるような、そんな気配がした。


「次代は、既に定まっている。そなたはもう、自由だ」


 その言葉に、フレアを縛っていた制約が解ける。

 解き放たれた身も心も、羽のように軽やかで、どこまでも飛べそうだとフレアは思った。

 人々は、世界は、時として残酷に全てを奪い踏みにじった。

 だけど。


「それでも世界は、美しい」


 時に怒り、憎み、嫌悪したけれど。

 それでも、わたしは。

 この世界を、この世界に生きる命を、愛している。

 沢山の祈りが、願いが、感謝がこの胸を温め続けるから。


「ああ、良かった。良かった…良かった!」


 感情が込み上げて、言葉にできない。

 複雑で、込み入った感情は、それでも暗くて淀んだ部分から、光にさらされて溶けて消えていくようだった。

 深い闇を背にして、彼は光を指し示すから。

 わたしは涙をぬぐって、光の方へと歩き出した。

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