閑話 千日紅を抱く
わたしには、大切なものがあった。
優美で、優雅で、陽だまりのような友だち。
そして、その友だちを陰に日向に守る、若木のような恋人。
2人はわたしの夢見る幸せそのもののような、寄り添う2人のいる光景を切り取って絵に閉じ込めておけたらそれはどんなにか美しい絵画だろうと、いつもそう思っていた。
わたしにとってそれは眺めているものでしかなかったけれど。
それでも、ずっと変わらないと思っていた。
ずっと、その美しい光景を少しだけ遠巻きに、でも見守っていられると思っていた。
「何ですって? ウィスタリア……本当に?」
「ええ。わたくしのお役目ですから、何があろうと全う致しますわ」
カップがソーサーに当たって耳障りな音を立てる。
口元に笑みを浮かべた彼女の指先が細かく震えていたのを、昨日のことのように覚えている。
「お役目を務めるに当たって、護衛の騎士を1名任命できるそうですもの。特に何も変わることなどありませんわ」
背筋を伸ばし、優雅な笑みを浮かべてゆっくりお茶を飲んだウィスタリアの頬にも唇にも血の気がなく。
気丈に振舞っていても、その内心がどうなのかは明らかだった。
「ウィリディタース様は、何て?」
「わたくしが何を言おうと、わたくしの傍らを他の者に譲る気はない、と」
涙を見せなかったのは、彼女の彼女たる誇りなのか。
それとも、わたしに対する意地だったのか。
あるいは、より一層わたしの同情心を煽るためだったのか。
今となっては知る術もない。
それでも、後悔していない。わたしは、わたしの選択を。
「エオル、エオル。だめよ、立ち止まっては駄目。あの子をひとりにしないで!」
届くか分からない声を、必死に張って呼び掛ける。
無茶をし過ぎなのだ。
多大なる犠牲が出てもおかしくなかった場を、庇護が必要な年齢の幼子がたった2人で納めてしまった。
儀式が完了するだけの切っ掛けと後押しをしたに過ぎなくとも、本来なら力の制御すら覚束ないはずの子どもが、己の存在すら消し去るほどの力を扱いきってしまった。
様々な僥倖が、針の穴を通すほどの僅かな可能性に重なって成された奇跡の代償として、エオルは今死に掛けている。
制御しきれなかった熱が、術者の身を焼いたから。
水の術者が総動員で治療にあたり、部屋の中は物々しい空気に包まれている。
その傍らには、やはり大き過ぎる力を扱ったミランダが眠り続けている。
それだけが命綱のように、互いの手を握り締めて。
実際のところ、今2人を引き離したらそれぞれの力の余波を逃がし合って均衡を保っている状態が崩れ、ミランダはともかくエオルの身が持たない可能性が高い。
「闇を抜けて、ひたすら光へと走りなさい。生きるのよ! 必ず、生きるの!」
わたしに残された力は、少ない。
わたしの能力では、彼女の代わりになどなれなかった。
思い上がりも甚だしいと、名前すら抹消された冬の女王。それがわたし。
それでも願わずにはいられない。
わたしには手に出来なかった幸せが、わたしが去った後もこの幼子たちの上にあるように。
わたしは、かつてフレア・ストロベリーフィールズと呼ばれた存在。
王女ウィスタリアの身代わりとして、冬の女王となった孤児。
生贄と笑われ、分不相応だと笑われ、供の1人さえつけられなかったわたしは、ただ、彼女が生きることだけを願った。
彼女が、彼女の人生を生きられるように。
そのために何も持たないわたしという犠牲で済むのなら、それで良かった。
あの時の思いは、色褪せずに今も胸にある。
わたしは、わたしの愛し子たちを愛した。
何代も、何代も。
だから、わたしは、わたしの愛し子の片割れのこの命を生かすために、今全てを投げ打とう。
この力を使い切ったなら、わたしはもうわたしとしての意識さえ失うだろう。
ただ、力の入れ物の残骸として、引き延ばせてもあと数年、長くても10年以内に力の器としての機能すら失うだろう。
だからわたしがわたしとして願うのは、これが最後だ。
エオルの両肩に手を掛け、力を解放する。
どうか、この力があなたを癒すように。
生きて、笑って、泣いて、幸せになって。
大きな力が近づいてくるのが分かる。
わたしの役目は、彼がここへ来るまでこの命を繋ぎ留めることだけだ。
それが分かったとたんに、肩に掛かった重圧が軽くなった。
わたしは、この思いを、色褪せずに抱えて来られたのだろうか。
彼女を想うように、あらゆる人を愛せただろうか。
「古き青を纏う御方よ。どうか、この子らに幸多からんことを祈ります。……後は、頼みました」
わたしは、わたしが持たないものを持っていた彼女に、焦がれた。
それは穏やかな光で、幸福で、美しい絵画そのもので。
わたしの全ての、幸いだった。




