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降り注ぐ言の葉の花は束ね得ぬ想いに似て  作者: 深海聡
第1章 光の芽吹き

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アルメリアは海の闇にたゆたう 後編

本日2話目の投稿なので、前の話を読んでいない方は戻って読んでいただけると話がつながります。

『あれまぁ。迷惑で厄介な恋人たちだこと』


 小さな靴音共に、ゆったりとした口調で呆れを隠すことなく呟かれた声に、エオルは勢い良く背後を振り返った。

 すらりとした大地の色の手足に、深紅の大胆にスリットの入ったドレスをさらりと纏い、手にした扇の陰でコロコロと笑い声を上げる貴婦人の姿に鼓動が早くなる。


『……母上』


 パチリと音を立てて扇を閉じた貴婦人は、細かく巻いた豊かな黒髪ふわりと払って、嫣然と微笑んだ。

 立っているだけで場を支配する圧倒的な存在感に、視線を向けられただけでセレウティナはハッとした様子で跪く。

 呆然と立っていたアザッファランも、慌ててそれに倣った。

 その場にいる人物に順番に視線を向けた貴婦人は、困ったように頬に手を当てる。


『争いに引き裂かれる悲恋は物語の上では美しいのかもしれないわ。でもね、実際に傷つき、家族を、生活を、未来を奪われた者たちに、それは通用するものではなくてよ?』


『グッ…ウウッ』


 静かに立っているだけのように見えた彼女から放たれた圧力に、跪いた彼らがうめき声を上げる。

 紅に彩られた厚みのある唇が、歌うように言葉を紡ぐ。


『わたくしたちに与えられた力は、他者を蹂躙するために使ってはならない。当たり前のことを当たり前のように出来ない者は、当然の罰を与えられるべきだ。違うかしら? 義務を果たしてこその権利なんて、まともな教えを親から受けられる子どもならば、未成人の子供でさえ当然のように理解していることよ? それを、いい歳をして情けのない』


 圧力に耐えかね、地に這いつくばった者たちを温度のない冷厳とした視線で見下ろし、彼女は微笑む。


『分かっていたけれど止められなかった? 自らの力が及ばない? 大した言い訳だこと。あなたたちは、ただの加害者よ。他者に害された過去があったとしても、同じことを誰かにした時から、あるいはそれを傍観した時から、あなたたちはただの加害者なのよ。……恥を知るがいいわ』


 感情を押し殺した声に、その怒りの強さが滲む。

 本当に、彼らが何も持たない力のない、弱い存在だったのならそれでも良かったのかもしれない。

 しかし、激流に流されていくしかない、意志を持たず手にした力の扱い方も知らない青年は、私怨のためだけに力を扱い、人々を殺し、あらゆるものを奪った。


『心せよ、王たるものよ。それは大地との約定を交わせしものなり。地の清浄と安寧を守り、豊穣と繁栄を受ける者の名を、王名に連ねん。……ペレジャの王よ、大地の約定を、破ったな』


 大きな力を扱うには理と約定がつきものなのだ。

 本来、大地の力を扱う王には、相応の制約が課される。

 それを、ペレジャの王は次代に正しく伝えることを怠り、ペレジャの地は穢れが蔓延し、約定は破られた。

 瘴気を纏った軍勢が押し寄せるのを迎え撃った時、全ては、大国の奢りだろうとメルカルトは皮肉気に断じた。

 あの大地は、国は、精霊は、民は、皆死ぬだろう。

 そして王は、この所業を成した王は、呪われるだろうと。

 呪われた大地と化したペレジャの地を守っていた精霊の悲痛な叫びは、今も彼女の耳にこびりついて離れない。

 心から罰してやりたいと思った。

 自分自身が何をしたのかさえ理解していないこの王に、他者が味わったありとあらゆる苦痛を与え尽くしてやりたいと。

 そっと歩み寄ったライオットが、力が入り、強張った肩にそっと手を置く。

 その背を支えるように、その温もりを移すように静かに肩を抱く。


『ヘデラ。お前の怒りは分かっている。……その辺にしておきなさい。お前が傷つくのは忍びない』


 低めの声でゆっくりと掛けられた言葉に、フッとヘデラから力が抜けた。


『リオ……でも、悔しい。こんなもののために、わたくしは、わたくしの子たちは、わたくしの民たちは無残に死ななければならなかったなんて。何年も、何十年も、ずっと、やがてこの腕に孫を抱き、少しずつ豊かになっていく国を支え、民を、大地を、愛しいものたちを慈しみながら生きていけたはずだったのに。あの子の婚礼衣装も、美しい花々も、願いを込めて織った絨毯も、全て燃えてしまった。なぜ、どうして、わたくしたちは奪われなければならなかったの?』


 深いため息と、ひと筋の涙が散る。

 その涙は、胸が痛くなるほど透明で、闇に燦然と輝くどの星よりも煌めいて刹那に消え去った。

 その儚さは、幸せだった過去に似ているとエオルは思った。

 まるで全ての悲しみがそこに凝縮していたかのように。

 ヘデラは涙を払い、足を踏みしめてかばい合うように蹲る男女を見据えた。

 悲恋が美化できるのは、そこに責任も他者の犠牲もないからだ。

 彼らはヘデラにとって、裁くべき罪人でしかなかった。


『地を治めし精霊の末裔たる大地の女王が命じる』


 闇の中に、光の粒が舞う。


『契約を破りし咎人に、地の盟約における制裁を。この者らには消えぬ罪の烙印を。この者らが己の罪を理解し、償うまで、いかなる地も安住の地とならず、誰とも縁を結ぶことが叶わず、永劫の闇のごとき孤独があるように』


 優しげだった青白い光が、赤黒く変色して2人を覆い尽くす。

 声にならない悲鳴が響いて、その光が消えると、そこにはびっしりと黒い文字に肌の上を覆われた2人が呆然と座り込んでいた。

 その2人の前に歩み出て、ライオットは静かに見下ろす。

 ゆっくりと上がった2人の視線が自分に向いていることを確認して、ライオットは静かに口を開いた。


『お前たちは間違えた。どう言い繕おうと、お前たちの選択は最悪だ』


 こみ上げる感情を耐えるように、ライオットはいったん言葉を切り、短く息を吐いて再び口を開く。


『助けを求めるべきだったんだ。求められれば、俺たちは喜んでペレジャなんぞぶっ潰してありとあらゆる者を解放したのに。それこそ、呼応者はいた。俺たちの国にたどり着けた、ほんのひと握りの幸運な奴らから情報を得て、少しずつ準備を進めていたんだ。それを、考えなしの若造がおじゃんにしちまったんだ。癇癪起こして、人の国まで巻き込んで自爆しやがった。その意味を、考えればいい。それを理解するまで、何度生れ落ちてもお前たちは最悪な人生を生き続けるだろう。それがお前たちの、罰だ』


 ばさりとマントを翻して、ライオットは2人に背を向ける。


『行くが良い。もうお前たちに、掛ける言葉などありはしないのだから』


 よろよろと立ち上がり、支え合って歩き出した2人が遠ざかっていくのを、エオルはじっと見ていた。

 やがてその姿がかすんで消え去り、見えなくなった頃。

 ライオットは重い口を開いた。


『アハサ。良く心に刻むんだ。人は実に浅ましい生き物で、力を得ればそれを振り回し、他をねじ伏せ、労せずに称賛を得たいと望む生き物だ。だからお前が道を違えたら、お前を容赦なく引きずり戻してくれる存在を必ず傍らに置け。多様な考えに触れ、最善を選び取れる視野を持て。……お前は未熟だ。しかしそれは、伸び代があるということでもある。逆境に置かれても、敵地で孤独な戦いを強いられても、柔らかな心を失うな。人を、拒むな』


 唇を引き結んだライオットは、少しばかり乱暴な仕草でエオルを抱きしめる。


『お前なら、真っ直ぐに光の中を歩いて行けると、俺は信じている』


 ライオットの言葉が終わるのを待っていたかのように、背後から柔らかな感触に包まれる。


『アハサ、大きくなったわね。母はあなたの成長を見られて、嬉しいわ。あなたを愛してくれる存在を守り抜けるように、身も心も、強くなりなさい。優しいだけではなく、頼れる存在になりなさい。冷酷さも、狡猾さも扱いきれる強かさを身に着けて、守りたいものを守り抜ける人間になりなさい。……ずっとずっと、愛してるわ』


 髪の毛を梳く、柔らかな手の感触が離れていく。

 これが二度と還らない、失われたものの名残だとしても。

 それでも、誰かが見せてくれた儚い夢だとしても。

 去り行く人の足元で揺れていた、真っ白な可憐な花を。それを摘み取り、そっと妻の髪に飾る武骨な手の優しさを、その花に手を添えて微笑む笑顔を。

 あふれる涙の感触を、きっと忘れない。

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