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降り注ぐ言の葉の花は束ね得ぬ想いに似て  作者: 深海聡
第1章 光の芽吹き

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アルメリアは海の闇にたゆたう 中編

『まず初めに言っておくが、俺は所詮傭兵の長でしかない。帝王学なんぞ知らん。……でもな、だからこそ分かることもある。ペレジャの。お前は、根本的に間違っている』


 そう言ってスラーイイの前国王、ライオットは険しい表情でペレジャの帝王であった青年に指を突き付けた。


『権力っていうのは分かりやすい力だ。容易く他者を押し潰し、捩じ伏せ、蹂躙する力だ。だけどな、それは権力ってものの間違った使い方だ。なぜなら権力っていう力は借り物だからだ。それも、間違っても神だとか精霊から授けられるものじゃあない。その力は俺を王に押し上げた民の、臣下の、一族たちの信頼であり、意思だ。長たる者は、須くただの代弁者でしかない。時に判断の全責任を負わされ、容赦なく引きずり降ろされて断罪される。本来割の合わない仕事なんだ、王様業なんて』


 他の者が口にすれば弱音とも取られかねない言葉を、ライオットは表情を変えることなく言い切る。

 多忙な父とほとんど接点を持つことが出来なかったエオルにとっても、それは初めて見る父の姿だった。

 きっとその言葉の全ては、父にとってただの事実でしかないのだろうと、エオルは思った。


『俺にとって王なんてものは、他にもっとふさわしい者さえいれば、進んでなりたいものなんかじゃなかった。それでも、それが一番収まりがいいと誰もが、もちろん俺自身も思ったからその座に就いただけだ。大体権力を欲しがる奴なんて、俺に言わせてみればその責任の重さも、与えられたものに対する義務も分かっちゃいないただの阿呆でしかない。そして、俺にとってお前はその阿呆でしかない。……自らの苦しみを他者の苦しみで贖おうとする者は、度し難いほどの大馬鹿野郎なんだよ!』


 ガツンと、言葉と共に大剣の鞘が地面を叩く。

 抑えきれない怒りが、ライオットの周囲の空気をゆらゆらと燃やしている。

 悪逆非道な王であったはずの青年は、口を挟むでもなく、黙ってうなだれていた。

 ライオットの言葉を聞いているのか、いないのかも分からないその姿には、覇気も威厳もなく、ただ空虚なように見える。

 ライオットの怒りは受け止める相手もなく、ただそこに意味もなく、虚しく転がっている何かのようにエオルには見えた。

 全ては、規模さえ違えばよくあることでしかない。

 人に嫌がらせをされれば大抵の人間はやり返すし、自分自身が力を持てば持つほど、その方法は苛烈になる傾向がある。

 学生でさえ、それこそ良家の子女と呼ばれる者たちほど、鬱屈するものを自分よりも弱い立場の同輩へと向けるものだと経験からエオルも学んだ。

 人は、奪い合い争い合う生き物だと学者が言った。

 そして、人はその歴史の中で争い合い奪い合うことにより進歩し、発展してきたのだと彼らは言う。

 恐らくそれは正しい。

 人は、掲げる理想ほどには美しい生き方を出来ない。

 しかし、時にその在り方に失望し、蔑み、憎んでも、それが全てではないことも知っていてほしいと彼らは言った。

 そして、この目の前の人物はどうだろう。

 自分自身が下した決定、引き起こした結果、その何もかもを理解していないようにしか見えない。

 理想を語る以前に、この人には自分自身が発した言葉の意味も、取った行動の意味も、それがどれほどの結果を引き起こしたのかも、何ひとつ見えていないのではないかとエオルには思えてならなかった。

 理想を、思いを語るライオットの言葉は、届くことなどないだろうとエオルは思い、ライオットを見遣る。

 そこに浮かんだ沈痛な表情は、相手に届かない言葉をそれでも口にせずにはいられない苦悩も垣間見えるようで、エオルの心をより一層沈ませた。


『手にした力は、弱い者を守り、掬い上げ、その命が零れ落ちていかないようにあるものだと、俺はずっとそう信じてこの剣を振るい続けた。それは俺の信念であり、生きる道だ。……かつて俺の師は言った。力というものの扱い方は人それぞれだが、どう扱うかによってその価値は決まるのだと。己を利するための力は、その者を腐らせる。他を害するための力は、その道を外れさせる。他を慈しむ力は、その名を栄えさせる、と。俺は名誉を欲した訳じゃない。それでも、それでより多くの者を抱えることが出来るのなら、俺はそれを背負おうと決めたんだ』


 ライオットは、青年をじっと見据える。


『お前は、守りたいものを守りきるために、手を尽くしたと言えるのか? 失うまでに、一体何をした? そして、失って、何をした?』


 それは、問い掛けの形をした糾弾だった。

 ライオットの強い視線を受けて、青年は腰が引けた様子で視線を彷徨わせ、何度か口を開いては閉じ、迷い悩む様子を見せた後、がっくりと肩を落としてうなだれる。


『……何も。私は、何も、何ひとつ、出来なかったし、きっとやろうともしなかった』


『何かする前に諦めれば、何も出来るはずなどない。当たり前だ』


『ああ、そうだ。私は、無理だと決めつけて、諦めて、何もやろうとしなかった。方法は、あったはずなのに』


 俯いた青年の足元に、パタパタと雫が散る。

 女の顔にも、雫が落ちる。

 その様子を、言葉を差し挟むこともなく女の首はじっと見上げていた。

 ライオットもエオルも、その涙をどこか冷めた気持ちで見ていた。

 上辺だけの後悔、上辺だけの反省。

 何ひとつ相手に届かない言葉。

 目の前の人間は、自分自身のことだけしか考えていない。


『もしも、私が身ひとつで助けを求めたなら、応えてくれたのだろうか』


 空いている方の腕で涙をグイと拭って、青年はライオットを真っ直ぐに見る。

 想定したとおりの言葉に、ライオットもエオルでさえも、視線を伏せた。


『ああ。勿論だとも。助けを求める弱き者を掬い上げ、守り抜くのが俺の、俺が作り上げた国の信条だからな。それに、その選択は、お前が守りたいと望んだその娘にとっても望むところだったのではないか?……いつまでもそうしていないで、答えるが良い』


 ライオットの言葉に誘われるように青年は腕の中の彼女に目をやり、その視線を受けて女は困ったように眉を下げてわずかに笑った。


『何もかも、お見通しなのですね。我が兄王も、彼の王は武力だけでなく知略と人徳をも兼ね備えた王であり、情勢さえ許せば我が身を彼の地へ送り込みたかったと仰っていました』


 言葉と共に、首だけだった女に体が戻り、黒と見紛う深緑の衣の裾を、袖を、ふわりと翻して女は羽のように音もなくライオットの前に跪いた。


『御前にて長らくお目汚しいたしましたこと、平にご容赦くださいませ。わたくしはセレウティナ=ソニア・サモネムと申します、陛下』


『そのように硬くならずとも良い。地位も名誉も、既に過ぎ去った過去にしかないものだ。それよりも、そこの男にそなたの真実を語ってやるのが情というものではないのか?』


 ライオットに背後を示され、セレウティナは瞳を伏せ、わずかに思案する様子を見せた後背後に立つ男を見上げ、再び視線を下げた。

 やがて意を決した様子で立ち上がり、セレウティナは男を真っ直ぐに見て、静かな口調で語り始めた。


『アザッファラン様。あなた様は、わたくしの故国と貴国の間にどのような約定が成され、わたくしがあなた様の元へ参ったか、そのいきさつはどの程度ご存じなのでしょうか?』


 問い掛けられたペレジャの青年王、アザッファランの肩がピクリと揺れる。

 それを見たセレウティナは、その瞳に諦めの色を載せて、そっと目を閉じる。


『では、わたくしは隷属させられた我が国から、誠意として差し出された貢物であることぐらいは、ご存じでしょうか』


 感情を抑え込んだ平坦な声で問い掛けるセレウティナに、アザッファランが小さく頷く。


『献上されたわたくしが、国を去るにあたって課されたことは2つ。1つ目は、いずれかの王子の関心を引き、揺るがぬ関係を結ぶこと。2つ目は、いずれ覆される約定を見越して、ペレジャという爛熟した果実にとどめの一撃を加えること』


 ヒュッと息をのむアザッファランに向かって、セレウティナは言葉を連ねる。


『わたくしの目的は達せられました。……目を背けたくなるほどの犠牲を払い、兄が焦がれたスラーイイを壊滅の危機に追いやり、多くの尊い命を、失わずに済んだはずの命を道連れにしてわたくしの復讐は成った。……全て、わたくしが悪いのです。目的を忘れ、責務を、立場を、何もかも忘れて安楽な方へと逃げたから』


 にじんだ涙の気配を払って、セレウティナは微笑んだ。


『殺伐とした日常、慣れない敵地での張り詰めた日々の中で、あなたの優しさはわたくしにとって甘美な毒のようだった。気づいた時には死に絡め取られ、逃げ出せない状態になっていた。あなたのことも、無辜の民も、幸福に生きるはずだった全ての人を殺したのは、浅はかなわたくしなのです』


『それは違う! 守れなかったのは、力のない私で、全てを壊しつくしたのは私の弱さで、醜さだ。そなたのせいではない!』


 必死に叫ぶアザッファランに、セレウティナは困ったように微笑んだ。


『それでも、そうなるであろうことをわたくしは予感していました。それに……わたくし、困ったことに後悔していないのです。あなたを愛したことを』


 どうしようもなく、狡くて醜い人間なのですと、セレウティアは言い、頬を染めてそれは美しく、微笑んだ。

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