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蓮華草と白詰草を編み込む

 そこは大きな窓のある部屋だった。

 間違いなく、館に上がったばかりの見習いのために用意された部屋ではなかったことに、子供は息を吐いた。

 案内してくれた年かさの女性は、自由に休息を取るよう言い置いて出て行ってしまった。

 子供にとってはひたすらだだっ広い部屋に、2人きり。

 見える人間が珍しくて思わず連れてきてしまったが、無言のまま窓の外を見ている少年に、強引過ぎただろうかと顔色を伺う。

 キリッとした意志の強そうな眉に、アーモンド型の目。秀でた額に、やや癖のある土色の髪がかかっている。スッと伸ばされた背筋は、従僕のお仕着せを着ていてもどこか侵し難い雰囲気がある。

 褐色の肌と相まって、少年はどこか人の手を拒むしなやかな獣のような印象を与えた。

 視線を感じたらしい少年と、しばらく見つめ合う。

 目をそらすこともできず、重いのか軽いのかわからない、なんとも言えない沈黙が落ちる。

 その沈黙を先に破ったのは、少年の方だった。


「あなたはなぜ、オレを選んだ、ですか?」


 少しばかり訛りの強い、たどたどしい言葉に子供は小首を傾げる。サラサラと、青みがかった黒髪が華奢な肩を滑り、微かに花と薬草が香る。

 それは不思議と心落ち着く香りで、少年はその香りに誘われるように子供がちょこんと座っている丸型のスツールの近くに歩み寄ると、淑女に話し掛けるかのように跪いて視線を合わせる。

 石の床の上に敷物があるとはいえ、音ひとつ立たない歩き方に子供は推測を確信に変えた。


「わたしの名前はサフィラ=ミモサ=アスル・プルイーナと申しますが、事情があり、この名前はナイショです。わたしがこれからはあなたの主という扱いになります。あなたのことを教えてくれますか?」


 たぶんあなたの母国語を話すことは出来ませんがと、恥ずかしそうに微笑む子供に、少年は軽く目を見張るとしばし考え込む。

 そして、意を決した様子で口を開いた。


『私の名はアハサ=イラ=ラトゥ・シハーブ。……ですが、私は既に死んだも同然の身。私のことは好きにお呼びください。あなたが察している通り、私は王家の血を引く者。ただし、亡国の、それも小さな王家の側室の産んだ末の王子なれば、元々さほどの力もございませんが』


「お名前には、どのような意味が込められているのですか?」


『天に輝く太陽のように強く誇り高くあれと、母が名付けたと聞いております。家名は、母の家のものなので、もしも家名の名乗りが許されるなら、そのままで問題ないかと』


「では、あなたさまのお名前はエオルさまにしましょう。わたしのことは、ミランダとでもお呼びください」


 そう言って微笑んだミランダに、エオルは眩しいものを見るかのように、目を細めた。


『エオルとは、どのような意味があるのですか?』


「エオルというのは、この地に伝わる古い言葉で太陽を意味するそうです。……そう、母さまが教えてくれました」


 笑顔で人懐こく話しをしていたミランダの目に、母のことを思い出したのか、涙が盛り上がる。

 膝の上に重ねられていた手が、スカートを強く握りしめる。

 エオルは、大粒の涙が丸みを帯びた頬を転げ落ちて降り注いでくるのをしばらくじっと見守っていたが、ふと我に返った様子で濡れた頬に手を当てる。


「そばにいる。悲しい、嬉しい、いつも一緒」


 静かに告げられた、たどたどしい約束にミランダは大きく瞬きをしてエオルを見つめる。

 エオルの顔に、初めて微かな笑みが浮かべられた。


「でしたらエオルさま、手伝ってください。わたしは、母さまを見捨てたあの人たちが許せない」


 泣きながら縋り付いてくる小さな体を、少年は戸惑いながらもしっかりと受け止める。

 言葉の意味を噛みしめるように考え込み、そっと体を離してミランダの目を見つめ、口を開いた。


『後悔しませんか?私にも、あの者たちを許すことのできない理由がありますが、あなたは仮にも身内。一時の感情で恨んだとしても、後悔しませんか?』


 エオルの言葉に、ミランダは首を振る。

 ミランダの動きに合わせて飛び散る涙を、エオルは思わず目で追う。


「いいえ、いいえ!わたしにだって、あの人たちが悪人かどうかぐらい、わかります。エオルさまも、あの人たちに借りたお金を理由に働かされていたのでしょう?それに……」


 ミランダは、エオルの胸元に置いていた手を、背に回す。

 手が背に触れた途端に、エオルは息を詰め、表情を歪めて体を強張らせた。


「鞭を振るわれたのですか?それとも、何かで殴られたのですか?」


「……角材で」


 呟くように告げられたものに、ミランダが言葉を失う。

 雨のように降り注ぐ涙が、エオルの頬も濡らす。

 ミランダの大人びた印象の切れ長の目からこぼれ落ちる涙を、手を伸ばしてそっと拭う。


『上手く避けたので骨は折れていませんが、かなり打ち身が酷いようでそれなりに痛むのです』


 苦笑を浮かべたエオルを、ミランダは睨む。


「笑い事ではありません。笑い事ではないのですよ、エオルさま」


『私の母も、よく私のことをそうやって叱っていました。……あなたの涙は清らかな涙ですね。他者のために泣ける者は尊い。あなたがあの時、私を望んでくれて良かった』


 囁くような言葉は、エオルの口の中で不明瞭な音になって消える。

 半分以上意味を成した言葉に聞こえない呟きと服越しでも明らかに分かる発熱に、ミランダは焦る。

 不調を見抜かれたことによる気の緩みからなのか、姿勢を保っていることも辛そうな様子でエオルは浅い息を繰り返している。


「あちらに、あちらの寝台に行きましょう」


 脱力して来る体を全身で支えながら、ミランダは部屋の端に据え付けられた天蓋のついた寝台に向かう。


『申し訳、ありません』


「傷を見せてください」


 朦朧としながらも、素直に上着を脱いで背を向けるエオルの背の広範囲を青黒く染めるあざに、ミランダは手をかざす。


「我は光の紡ぎ手、闇の編み針にて安息を編む。命の光よ掌で踊れ、集い来たりて傷を癒せ」


 光が掌に灯り、傷の上を拡がって弾ける。

 ふんわりと、仄かな光をはらんだ闇がエオルとミランダを覆い、眠りへと誘う。


「ああ、対象固定が甘いって、母さまに叱られる……」


 エオルがシャツを着るのを手伝っていたミランダが、半ば寝ぼけて呟く。

 いかにも眠そうに目を擦りながら呟かれた内容にエオルは笑みを浮かべ、無意識のうちに擦り寄ってきたミランダの傍らで眠りに落ちる。

 微かに、野の花の香りがした。




 久方ぶりに見た夢の中で、一面の白と薄紅色の花畑に座り、花冠を編むミランダがいた。


「あなたに、この花を捧げましょう。白詰草と蓮華草の花冠を」


 歩み寄って来るミランダの背が伸び、髪が伸び、体つきがしなやかでほっそりとした女性らしい輪郭へと変わる。

 女性にしては長身の彼女は、エオルを見上げ、頬を染めて微笑む。結い上げた豊かな髪を風に揺らめかせて歩むその人は、息を忘れるほど美しかった。

 自らの元へとたどり着いたミランダに捧げられた花冠を腰を屈めて受ける。

 顔を上げて、ミランダの表情にエオルは言葉を失った。

 静かに、音もなく美しく成長したその人は、泣いていた。


「いつかあなたは、わたしの運命に殺される」


 静かに泣くミランダの髪は、今切ったばかりのように肩の辺りで無残に切られている。

 手にしている短剣で切ったのだろう。

 その短剣は、決して忘れることのないもの。今もエオルが護身用に身に付けている、父から賜った短剣だ。

 エオルは、躊躇することなく涙するミランダを抱きしめた。

 間違いなく、彼女を泣かせたのは自分だろうと確信を抱く。

 もしも、こうしてこの人が泣いてくれるのなら、いつかその未来に死んでもいいと、エオルはそう思った。


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