スパティフィラムは真白に映える
輝くばかりの純白の礼装に、銀の刺繍を施したフード付きのマントを羽織る。
高く結い上げられた黒髪に、氷花を模した髪飾りを飾る。
「わぁ、ファル姉様綺麗」
「うん、やっぱり元がいいから、装わせ甲斐があるわね。良い仕事だわ、流石私」
この日だけは正装を纏う以外に余分な飾りを付けることを許されたファルファラは、愛し子の正装に華やかな髪飾りとブーケを加えて、祭儀場へとミランダを伴って向かう。
ブライズメイドとして参加するミランダは、白い簡素な服の上に略式の短いマントを羽織って氷花を模した晶石が入った籠を持ち、花嫁の後ろに付き従う。
「ミラも、ホント可愛い!」
歩き出そうとしたミランダに、ニュッと手が伸びる。
編み込んだ髪を左右にお団子にして纏めたミランダを抱きしめ、ヴィオレッタは頬ずりを繰り返す。
その様子を、ほんの少し困ったような微笑みを浮かべたファルファラが見守る。
「ヴィヴィ姉様、ダメです、髪の毛が崩れちゃいますよー。ああもう、ファル姉様も笑ってないで止めてください。これから直したんじゃ遅れちゃうじゃないですかぁ」
「あら、良いのよ。花嫁は遅れて登場するぐらいが良いの」
「えー。マノリア様に怒られるの、わたしじゃなくてヴィヴィ姉様だと思いますよ?」
「え、そう? そんなに時間ギリギリ?」
ポンポンと飛び交う言葉に、とうとうファルファラが軽やかな声を立てて笑い出す。
生まれも育ちも性格も年齢もバラバラの、大切な姉妹たち。
その姉妹たちの中でいちばんの仲良しのヴィオレッタと、最近加わった末の妹のミランダ。
最近よく一緒にいるこの2人がじゃれ合っている様子を見ていると、何とも言えず心が温かくなるのだと以前ファルファラはポツリと呟いた。
「あなたたちは、今日も本当に仲良しね」
垂れ目がちなファルファラが微笑むと、何とも言えず柔らかな表情になる。
明るい光の粒が、その周りをふわふわと舞う。
喜びがあふれて光の粒になって舞う。
幸せを人の形にしたらこんな感じなのではないかと、ミランダは思った。
光の精霊が銀の鈴を振ったような声で、笑いさざめく。
何の比喩でもなく、ミランダの目には今日のファルファラは誰よりも輝いていた。
「愛し子さん、わたくしに何か付いていて?」
目を細めてじっとファルファラを見上げるミランダの鼻先を、ファルファラは悪戯っぽい笑みを浮かべて、ちょんと突つく。
「精霊が、たくさんいます。光の精霊が、ふわふわ綿毛みたいにあちこちについていて淡く光って、真っ白で聖樹みたいです」
「なんかいつもより眩しいなとは思ってたけど、気のせいじゃなかったってことね!」
ミランダの言葉を受けたヴィオレッタがあっけらかんと言い放って、厳かになりかけた場の空気を賑々しく壊す。
「ヴィー!」
「え、なんで? 何か悪いこと言った?」
「こんな日さえも、ちょっとも浸らせてくれないのがヴィーよね。そうやって四六時中騒々しいから、友達以上に見られないのよ?」
ころころと笑いながら放たれた攻撃力抜群の言葉に、胸を押さえてヴィオレッタは呻く。
「別に図星じゃないし。羨ましく……なんてないわよ。別に、防御力がささやか過ぎる訳じゃないんだからね! 私のハートが晶石よりも柔いだけなんだから。デリケートなのよ!」
「はいはい、美しいものをこよなく愛する繊細なハートの持ち主なのよね。よく分かっていますとも」
心底面倒そうな口調を作って言い放ったファルファラが、そっと片目をつむる。
その茶目っ気たっぷりな仕草に、再び盛大な笑い声が響いた。
「……おやおや」
少しばかり呆れた口調に、3人が弾かれたように振り向く。
「いくらノックしても話し込んでいるようでしたので、勝手に入ってしまいました」
落ち着いた口調で悠然と詫びの言葉を口にする人物に、居住まいを正したファルファラとヴィオレッタがさっと礼を取ろうとするのを片手で制して、その人は笑みを浮かべた。
「他に手が空いていて、身軽な者がいなかったので」
金の髪に、透き通る青の目。漆黒の礼服に身を包み物柔らかに微笑む貴公子に、あろうことかヴィオレッタは心底嫌そうに口の端を歪めた。
ヴィオレッタが口を開くよりも早く、ファルファラの腕が、目にも留まらぬ早業で翻る。
そのまま肘がヴィオレッタのみぞおちに吸い込まれるように入り、ヴィオレッタは無言で体を折り肩を震わせた。
悶絶しなかったのは、手加減が絶妙なのか、それともヴィオレッタの根性の賜物なのか。
ミランダはそっと視線を外し、見なかったことにすることにした。
逸らした視線の先の彼と目が合えば、人好きのする柔らかで爽やかな笑顔を向けられる。
どう見ても完璧な貴公子っぷりに、今ここにはいない少年を思う。
「まさかわたくしのような花嫁の介添え役を買って出ていただけるなど、望外の喜びですわ。エルムアーブル卿」
「まさか。介添え役の大任は、私のような若輩者では務まりませんよ。私はただの時告鶏の代わりです。そろそろ花婿が迎えに来たそうで色々と限界でしたので」
器用に片目をつぶってみせたラリクスに、ファルファラがころころと笑い声を立てる。
「では、参りましょうか」
「はい」
差し出された手に、華奢な手が乗せられる。
ファルファラは、降りたての雪の白を纏って輝くような笑みを浮かべた。
マノリアによって純白のヴェールを被せられたファルファラが、術師団長に伴われて祭壇へと進む。
白の礼装に身を包んだ新郎が、ファルファラを待ち受ける。
今日の主役たちを一心に見つめている人々の中で、ミランダは新郎側の列席者の中に立つその人から目が離せなくなった。
少しだけ癖のある、豊かな大地の色の髪。
たった半年。その間に、背が伸びてぐっと大人びた後ろ姿を見つめる。
不意に視線が絡んで、ミランダの心臓が跳ねる。
列席者の歓声が、拍手の音が遠い。
通路のあちら側とこちら側。ほんの数歩の距離が、太い荒れ川のように感じる。
すぐにでも駆け寄って、会えなかった間のことを話したい衝動をグッと抑えて、ファルファラの後に続いて道を歩く。
籠の中に山盛りになった氷花を模した晶石に力を通し、辺りに振り撒く。
床に当たった花は、砕けることなく光の粒になって花の香りと虹色の煌めきとなった。
列席者の歓声が、更に高まる。
虹色の煌めきは、ふわふわと温度のない雪の花になり、羽のように舞う。
「流石、ミランダの幻術は芸術並よねぇ」
声に視線を向ければ、ヴィオレッタが満面の笑みを浮かべて頷いている。
何もかもが、輝いていた。
満ち足りて、穏やかで幸せで。
だから、忘れていた。
遠い大地に封じられていたはずの闇のことも、帰らない人のことも、そっと逸らされた大地の色の瞳も、ミランダには何も見えていなかった。
「国境が!」
急を知らせる使者の纏う黒が、輝く幸福に染みを落とす。
「国境に、闇堕ち人の軍勢が迫っているとの急報が参りました」
幸せな花嫁の手から、ブーケが落ちる。
「申し訳ありません、行かなくては」
離された手を、ファルファラはそっと下ろして静かに笑みを浮かべた。
「ご無事のお帰りを、お待ちしております」
落ちたブーケは、拾い上げられることなく転がったまま行き交う人に踏まれた。
しっかりと顔を上げ、涙ひとつ落とさずに全ての人を見送っても、ファルファラは静かにその場に立ち尽くしていた。
そっと膝を折り、足元に散らばったブーケの残骸を拾い上げて胸に抱く。
「……しばらくひとりにして。お願い」
俯いたファルファラを見ないようにしながら、いつの間にかミランダの背後に立っていたヴィオレッタがミランダを促す。
「うん、分かった。ほらミランダ、行こう」
「はい」
ミランダは思わず振り返り、ファルファラの胸に抱かれた花が小刻みに震えているのを見た。
純白の衣にその花は、悲しいぐらい凛として咲いていた。




