カモミールティーを食後に 前編
書き始めたら長くなってしまったので、分けます。
続きもなるべく早く投稿します。
「晩餐のお仕度が整いましてございます」
第一王子から遣わされたらしい女官が、美しい礼と共に告げる言葉に、ミランダは身体中が心臓になってしまった気分がした。
可愛らしいドレスや装飾品、うっすらと施されたお化粧に夢見心地だった先ほどまでとは打って変わって、ノックの音に反射的に振り向いたまま急激に込み上げて来た不安と緊張に、動けなくなる。
ミランダがそうなるのをあらかじめ分かっていたかのように、音もなく進み出たファルファラが扉の前で対応する。
「恐れ入ります。すぐに参りますとお伝えくださいませ」
「わたくしがご案内するよう仰せつかっておりますので、このままお出ましいただければと存じます」
控えめな態度ながら、引く様子のない女官にファルファラがエオルに視線を向ける。
慣れた様子でしっかりと頷いたエオルに、ファルファラは頷き返して再度女官に向き直る。
「では、よろしくお願い致します」
微笑んでスッと身を引いたファルファラに応じて、ヴィオレッタがエオルとミランダの背を押す。
「さぁ、行ってらっしゃい。お土産話、期待してるわね」
ニッと歯を見せて笑い、気負った様子のないヴィオレッタの態度に、ミランダも自然と笑顔になった。
ミランダの様子に、気遣わしげな様子だったエオルも笑顔になる。
『王子の夕餉なら、味も量も十分なものが出されるでしょうから、その点では期待出来るでしょうね』
楽しげにさえ見える笑みを浮かべながら、エオルの言葉にふんだんに混ぜ込まれた棘に違和感を感じてミランダは首を傾げ、愛し子2人はそれぞれ種類の違う笑みを浮かべる。
全て聞こえているであろう女官は、何もなかったかのように表情を動かすことなくじっと待っている。
『リラといると、自分自身の駄目なところにばかり気付かされます。まったく……』
ため息をついて頭を振るエオルの頭上で、ごく淡い水色のタッセルが跳ねる。
エオルのそんな言動は背伸びしたい盛りの子どもそのもので、今度は女官も微笑ましいものを見るようにうっすらと口元に笑みを浮かべた。
「では、参りましょうか」
エオルに視線を合わせて促す女官に、エオルは表情を引き締め、頷く。
そしてミランダに視線を向けると、スッと腕を差し出す。
戸惑うように瞬きをしたミランダに、エオルはミランダの手を優しく取り、そっと自分の腕に掛けさせた。
『リラをエスコートする栄誉を横取りされたら、私は今度こそ爆発してしまいそうです』
何気なく呟かれた独り言のようなささやきに、ミランダはただ瞬きを繰り返す。
『ですが、大人しく招待に応じなければリラの空腹を満たすことも出来ないのですから、致し方ないのですよ。そうでなければ、美しく着飾ったリラを、他の者の目に晒すなど……。まだ、色良い返事ももらっていないうちから、あぁ、やっぱり嫌だ、行きたくない』
心の中の葛藤が、そのまま全て口から出ているエオルにミランダは目を丸くして見つめた後、思わず笑みをこぼす。
行きたくないと言い、実際に顔をしかめながらも歩みを進めるエオルに、様子を見るようにチラリと振り向いた女官も僅かに苦笑を浮かべている。
なんだかんだ言っても、義務と感情が別だとエオルは知っている。
エオルの腕に掛けた指先で、エオルの腕を軽く叩いてエオルの注意を自分に向けると、ミランダは目を悪戯っぽく煌めかせて囁く。
「お夕食が終わったら、眠るまで沢山お話ししましょう。昼間お昼寝してしまったせいかあまり眠くないので、結構遅くまでお話し出来るんじゃないかと思います」
ミランダの言葉に、驚いた様子でミランダを見たエオルの丸くなった目が、楽しげに細められる。
同時にそのご機嫌も直った様子で、ミランダは少しだけ心が温かくなるのを感じた。
『リラ、約束ですよ』
「はい、約束です」
本当は手を繋ぎたいのを我慢して、ミランダは精一杯淑女らしくエスコートされる。
扉の前で女官が立ち止まり、エオルとミランダも立ち止まって表情を引き締め、背筋を伸ばした。
いよいよ、という思いにミランダの緊張は最高潮に達して胸が高鳴る。
『普通にしていて大丈夫。何かあれば、私が助けるから』
小さな声で囁くエオルに、強張った頰を精一杯緩めてどうにか微笑みらしいものを浮かべたところで、部屋の扉が開く。
「お待ち申し上げておりました。私はエルムアーブル公プラタノが一子、ラリクスと申します。ソスラン王子殿下は既にお待ちになっています。ナタリア、後は僕がするから下がって良いよ」
「かしこまりました。お願い致します」
「うん、ありがとう」
どう見ても従僕には見えない、貴族然とした身形のキラキラと擬態語が聞こえそうな笑顔を浮かべた少年が出てきて、エオルとミランダに丁寧に名乗り、案内の女官をやんわりと下がらせる。
やや色の薄い金の髪に、明るい空の色の瞳。肌は雪の白、唇は薔薇の赤。瞳の色に合わせたコートと白のジレ、キュロットを合わせて空色の靴を履いているその姿は、精霊そのもののように輝かんばかりの無垢な美しさを体現しているようだと大半の人は言うだろう。
しかしエオルは、その姿を見るなり、不満そうに鼻を鳴らした。
あまりにも礼儀を欠いた態度にギョッとするミランダを尻目に、エオルは不機嫌さを隠しもせずにラリクスを見据える。
「触れるな」
「ええ、分かっていますとも。僕も殿下も進んで貴方の不興をーーこの場合、逆鱗と表現した方がいいのかな? まぁとにかく、そういう不要な波風を立てる気はありませんのでご安心を。――陛下」
ニヤリと、限りなく黒に近いグレーな笑みを浮かべたラリクスに、エオルとミランダが頰をひきつらせる。
どこから漏れた情報なのか、この目の前のエセ貴公子は耳が早いらしい。
「おい、戸口でいつまでやっているつもりだ。いい加減にしろ、ラリクス」
憮然とした表情でラリクスの肩に手を掛け、少々強引にどかした少年が迷いなくエオルとミランダに一礼する。
ラリクスと同じ形式の宮廷衣装に身を包みながらも、その色は濡れたような漆黒。同色の糸で豊穣を表す生地の地模様に合わせて、木々や草花の文様がびっしりと刺繍されている作り上げる、一見質素に見せながらラリクスの衣装以上に貴重で豪華で見事な衣装に、エオルは内心感嘆を漏らした。
一見地味すぎる配色の首元に瑠璃色の絹のアスコットタイを挿し色にして、そこにラブラドライトの一粒石のブローチをあしらっている。
シャンデリアの光を弾くラブラドライトは、ソスランの動きに合わせて揺らめくように色を変え、何とも神秘的だ。
衣装も美しいが、それよりも印象的なのは艶やかな黒い巻き毛と、白い肌、ロイヤルブルーの瞳の醸し出す何とも侵し難い硬質な美しさだ。
キリリと意思の強そうな太めの眉と、引き結ばれた薄い唇が威厳の片鱗を伺わせる。
ソスランと視線を交わして、エオルはこの王子とは上手くやれそうだと、直感的にそう思った。
「招いておいて碌に応対も出来ない馬鹿を寄越して申し訳ない。こいつの不始末は俺から詫びさせてもらうので、どうか水に流してはもらえないだろうか。こいつのことは空気とでも思って無視してもらえたら幸いだ」
「ちょっ、ちょっと、殿下。それはないと思うのですが?」
「うるさい。俺が主、お前は臣下。学友だろうが何だろうが俺は筋目がきちんとしてないことは嫌いだ。俺の決定は絶対。しかも今の状況、明らかにお前に非があるだろ。俺の温情に異を唱えるならこの部屋から叩き出すし、お前は夕食抜きだ。屋敷に帰っても決して夕飯を出さないように使いまでキッチリ立てて守らせてやるけど、そっちの方が良いのか?」
酔狂な奴だなと、器用に片眉を上げてどっちか選べとラリクスを見やるソスランの視線を受けて、ラリクスは少々大げさに肩を落とした。
「空気で良いです。………お心遣い、誠に痛み入ります」
ため息をつくラリクスに少し眉を寄せて、ソスランはエオルとミランダにそれぞれ視線を合わせて、笑みを浮かべる。
「さて、こいつのせいで無駄な時間を取られてしまったが、話しより先に食事を取ってしまおう。ここは俺の私室に準ずる扱いだから、礼儀作法をとやかく言う大人はいない。作法はあまり気にせず、自慢の料理を味わってもらえれば幸いだ」
ソスランがそう言って自分の席に戻ったのを合図にしたかのように、音もなく現れた侍従がテーブルに歩み寄ったエオルとミランダの椅子を引く。
静かに腰掛けたミランダの前に芳しい香りを漂わせて、湯気の立つ琥珀色のスープが置かれ、ミランダは目を輝かせた。




