番外編‐日本人とフェールデン人
元フェールデン帝国領、軍港都市シュティッツ。
ほんの少し前までは、この都市はフェールデン帝国の一大軍事拠点であった。
戦列艦が停泊可能な、整備された立派な港湾施設。
大砲の存在しないこの世界で、水上艦艇の火力として機能する魔術師を養う駐留施設。
平時では、自ら何かを産み出すことのない兵士達を養うための一大消費とそれを支えるための人々の営み。
争いの絶えないこの世界において、大きな軍事拠点であったこの港町はつい最近まで戦火にさらされたことのない貴重な都市であった。
しかしながら、この都市の平和の歴史はつい先日破られた。
日フェ戦争の日本国逆侵攻。
このシュティッツは、その攻撃対象だった。
目視不可能な距離から飛んでくる海上自衛隊からの攻撃にフェールデン艦隊は港から出る前になすすべなく殲滅され、都市での防衛戦を目論んだ軍人達は立て籠った施設ごと艦砲射撃とヘリによる対地攻撃で消え去った。
市民達は、響き渡る轟音と吹き上がる火炎に怯え、パニックを起こした。
最も、その市民達への被害は最小限に抑えられていたが。
結局、早朝に始まったこの都市での戦闘は昼頃には、シュティッツの降伏と言う形で幕を下ろす。
さてさて、そんな経緯で現在日本の領土となったこのシュティッツ。
港の建物のひとつを暫定的に行政の拠点としていた。
そこでは、日本本土から派遣された官僚と現地人スタッフとが今後この都市の統治をスムーズに行うべくその準備を進めていた。
「大江さん、こちらが頼まれていた資料になります。」
「ああ、ありがとうロウドさん。………取り敢えず、これで最低限の人の流入に関して把握出来そうだね。」
「それは何よりです。」
「ふぅ………ちょっと一服つけようかな。」
そう言って、ポケットからシガーケースを取りだし火を付ける。
日本本土であれば、誰かしらが咎めそうな行為であったが、この場には小うるさい事を言う人間もいない。
「君もどうだい?」
「日本のタバコですか………一本頂きます。」
そう言って、大江からタバコを受け取るロウドという青年。
このロウドという青年、元はこのシュティッツで行政官として働く貴族であった。
日本による進行の際に、シュティッツの行政中心部は砲火にさらされ、首脳陣はこの世から退場してしまっている。
その結果として、残された者の内で、一番爵位の高かったロウドはフェールデン側の代表者となったのだ。
それまでの彼は、爵位持ちとの行政官と言えば聞えは良いが、その立場はしがない中間管理職。それが今やこのシュティッツの代表である。
「これが日本のタバコですか………フェールデンのモノとは、何というか口当たりが違いますね。でも、私は好きですよ、このタバコ。」
ゆったりと立ち上るタバコの煙を、彼は複雑な想いで見つめる。
彼の今は居ない元上司や元同僚。
彼らの命は目の前の男の国によって奪われた。
彼らの中には、ロウドと家族ぐるみで付き合いのあった者もいる。
(………日本と言う国には貴族が居らず、政治を取り仕切り動かすのは平民から選ばれた者であるようだ。)
このシュティッツが日本の領地となった以上、シュティッツに留まることを決めたロウドは今後貴族では無くなってしまうのだろう。
それでも、彼は貴族らしく家名と、そしてシュティッツに住まう者たちを守るべく、フェールデン人の代表としてこの場に居る。
「良かった良かった。お口に合ったようで何よりです。」
対する大江もまた、現状に対して様々な想いを抱えていた。
多忙ではあるが、日本と言う国のために働く充実感のある職場。
国家公務員。それも、霞ヶ関勤務………世間様から言わせれば、賛否両論様々な意見があるだろうが、概ね尊敬の眼差しを向けられる職業であった。
しかし、あの日の転移で、日本人の生活は大きく変わってしまった。
各種資源や食料の輸入元、金融の取引先も工業製品の輸出先も、全てが失われたのだ。
食料は配給とし、外食産業は壊滅。
取引先を失った大企業は、何とかして生き残るべく人員の削減を行い、大企業の業務が縮小されたことで下請けなど多くの中小企業が倒産。
少なくない日本人が路頭に迷うことになった。
大江の勤め先は上から下に皆が大騒ぎ。
家には帰れず、霞ヶ関には連日のようにデモ隊が行進する。
彼は、そのデモ隊をいつも悔しい想いでビルの窓から見下ろしていた。
ただただ政治的な主張を繰返し、時の首相を名指しで批判する様なものではない。
日本の転移などと言うあまりにもふざけた出来事のせいで、生活に困窮し救いの手を政府に求めるものだったのから。
彼を含む官僚達は、彼らを救うべく身を粉にして働いていた。
それでも、状況は悪化するばかり。
悔しさを抱かずにいられようか?
日本人の誰もが皆、元の世界を懐かしんでいた。
日本人の誰も、この世界に期待はしていなかった。
そして転移してから半年、突如もたらされたのは、フェールデン帝国なる国からの侵攻。
そして、民間人の犠牲。
国内世論は、今まで溜め込んだ鬱憤を晴らすようにフェールデンへの攻撃を叫んだ。
それまで、平和平和と言っていた団体までもが。
まぁ、中にはそれでもなお、対話と和平を呼び掛ける人間も居た。
大江個人としては、そこまで世論が傾きながらも自信の信念を曲げなかった彼らを尊敬している。
その主張に賛同出来るかは別として。
そして、前の世界に日本があった頃からは考えられないスピードでフェールデンへの逆侵攻が決定され、自衛隊の活躍もあって、大江は今、ここに居る。
帝国への逆撃が成った今、日本の占領地は多くの日本人…いや、日本に住む人々の希望となっている。
ここを足掛かりに、少しずつ元の世界の生活を取り戻せるのではないか?
ひょっとしたら、この地に、元の世界へと戻る手掛かりが有るのではないか?
(過度な期待は禁物なんですがねぇ。)
大江は、心の中でそう考える。
大江は短期間ながらも、その目で占領地、そして現地人を見ている。
その彼からすると、この占領地によって日本の状況が劇的に改善されるとは思えなかった。
そして現地人も、魔法を使って空を飛んだり物を消したり出来るわけではなかった。
(魔法と聞いて期待していましたが………生活に利用されている様子もなく、完全に戦争の道具の様ですしね。)
この世界の住人にとって魔法とは、遠距離を攻撃する手段でしかなかった。
大江の目の前に居る青年は、ぼんやりと浮かぶ煙を眺めている。
その彼が、諸手を挙げて日本の統治を歓迎している訳ではないことは解っている。
(彼らは、価値観が違うだけの普通の人間。その事が、誤解無く日本にも伝わると良いのですが。)
今まで抑圧されてきた所に、今回の戦勝だ。
日本の世論のタガが緩くなっているのを、大江は肌で感じていた。
(変な方向に走りませんように。)
それは、現場の人間の切実な願いであった。
「そう言えば、ロウドさん。フェールデンのタバコってどんなものなのですか?」
「あぁ、こちらのタバコですか。何なら明日持ってきましょうか?」
「あ、いえいえ。大丈夫です、大丈夫。と言うか、こうちょっとそういうの貰っちゃうと不味かったりするので………」
「?………あぁ、賄賂とかそう言う………」
「あはは、我が国は最近その辺りが特に厳しくて。」
「ふむ、ではこうしましょうか。私と大江さんは先程のタバコとこちらのタバコを個人的に交換したということで………」
日本人とフェールデン人。
二人の男はその心中はどうあれ、互いに交流を深めていった。




