情と傷
その縁談の話は、午後には姫にも伝わった。
藍は、姫に申し上げる。
「東の領主に嫁げば、東の国の庇護下この西の国は安泰になるでしょう。東の領主は、残忍で好色家でありますが、その国は、強兵に努めた国であります」
藍は窓からの景色を眺めている姫を見る。
「よって、この縁談を断れば、攻めてくるでしょう」
いつのまにか、成熟し切った蝶へ近付いている姫の姿がそこにあった。
悲しみを知り、なお輝くような美しさを備えた姫。
「国の為を思うのなら、わらわは、嫁ぐべきなのだな」
そんな姫は、憂いを込めた溜息を吐く。
「しかし、名に聞く、獣じみた男に嫁ぐのは辛い。……しかし、私の命一つで、国が助かるのなら安いものだ」
そう言って笑った姫の顔は、諦めきった表情をしていた。
その夜。
藍は、領主と向き合っていた。
「姫は、この縁談を了承するつもりのようです」
領主は、ゆっくりと微笑む。
「そうか……。とても優しい子だ。それに比べてワシはあの子に何をしてあげられただろうか」
沈黙。
領主の扇子が開く音。
「……。少し、行くところがある。ついてきてくれるか」
「分かりました」
そこは、集会所だった。
そこには、領主の家臣らが心配そうな顔で待っていた。
領主は皆に向かって語る。
――皆の者。よく聞いてくれ。ワシは今、娘と国を天秤にかけておる。
やってはならぬこと。主としてやることは自明の理。
しかし、一人の父親としては、この縁談を飲み込みたくはない。
皆に問おうか。この国にの未来について。
重く苦しい沈黙。
誰かが答える。
――決まっています。御屋形様はいつの日も、この国の為に身を粉にしてきた。お金に困っている者がいれば、私財を投げ打ち、公共事業を興して人を集めた。
町で赤子が生まれたのなら、きちんと家に赴き、祝いをしてくれました。
――貴賤関係なく。
国の為に生きてきたあなたに、私たちは報いるべきです。
今がその時でしょう。
そして、何よりもあの子は自分の娘のように大切にしてきた子です。
あの男に渡すことはありません。
先の見えぬ戦になろうとも、今の今までの恩義に報いる為に前へ進みましょう。
守るための戦いです。
やりましょう――
東の国。
女のうめき声が、響き渡る中で報告を聞き、東の主は。
「そうか。あやつは、縁談を放棄したか」
報告主は、頭を振る。
「まだ、姫は幼すぎるのではないでしょうか」
東の主は口を歪める。報告主の問いに答えず。
獰猛な眼差しを細める。
「ならば、戦で奪うしかないな。姫は、ワシのモノじゃ。決して渡しはしない」
冬の終わり。
季節とは違う別の重たく冷たい空気が流れている。
西の国。
屋敷の奥で領主と藍は、向き合う。
「間もなく血で血を洗うおぞましい戦争が始まる。そちが、この道から逸らそうと努力していたのは知っておる」
藍は、首を振る。
「どうしようも出来ませんでした」
領主は、ほほ笑む。
「きっとかわしようもない戦争だったのじゃ。幸い、ワシには多くの兄弟がおっての。後継ぎには不自由がない。ただ、唯一のあの子も死んでしまってはの」
屋敷に差し込む光に眼を細める。
「ワシは、かのような男に娘の未来が摘み取られてしまうのをただ、指をくわえて見ているのはとても情けない」
扇子を開く音。
「そして、親バカなワシと同じ思いを、皆も同じ道を取った」
藍は、顔をあげて領主をみる。
「姫を慕う気持ちは、殿と遜色ない気持ちを抱いているでしょうから」
笑い声をあげる領主。
「皆、バカだの。娘の事で、戦争を始める統治者としての素質がないこのワシと同じ道を選んでしまうのは」
藍は、もう一度首を振る。
「きっと皆この国が好きだからです。そのために殿と姫に感謝して報いようと思っているのですよ」
俯く領主。
「……それでも、ワシは娘の未来を守りたいだけなのじゃ。一国の主ではなく、ただの一人娘の親として。そちは、腕が立つ。あの子を守ってくれるかの」
藍は、静かに立ち上がる。
「全身全霊で全うしましょう」
眩しいようなものを見たかのように眼を細める。
「……そちにも迷惑を掛けたの」
藍は、肩をすくめる。
「そのようなことは全く感じておりませぬ」
扇子を閉じる音。
「フフフ、まあ、よい。きっと、そちなら上手くやれるだろう。それでは、皆に激励をしに行こうかの。せめてもの一国の主のお礼としてものな」
サイは投げられて、もう止めようがない。
すべてを飲み込むような戦が始まった。
東の国の兵士は、不敵な笑みで西の国に踏み込む。
市街地は、もう避難が済んだようでもぬけの殻だった。
自国の兵力を誇ってか、金目のものがないかと建物に近づこうとする。
刹那。
その兵士は、爆死した。
玄関付近に爆発物が仕掛けられていたのだ。
その事実に、気づき恐れおののくが、東の主の暴虐を思い返し、殺されたくないと軍を進める。
建物から、槍を持った農民が飛び出る。
田畑から飛び出て人が斬りかかってくる。
疲れたところをどこからともなく出てきて数で攻めたてていく。
東の国の兵士は、混乱した。
こんな自分の命を省みない相手と戦うのは初めてだった。
片腕が斬り落とされても、もう片方の腕で首を狙ってくる。
両腕が斬り落とされたら。懐に飛び込み建物に押し込み爆発する。
無茶な戦いに東の国の兵士は、恐れる。
そんな開幕戦から、しばらくすると、東の国の兵士も態勢を整える。
西の軍の指揮官、領主は上手く兵を誘導しつつ切り崩しにかかる。
東の軍は、少し崩れるが素早く立て直す。
少しずつ東の軍は進んでいく。
西の軍は後退せず留まるのが精いっぱいだった。




