愛と哀
風が風車を廻し、時を吹き進める。
秋も半ば夏に比べて辺りが夕闇に包まれるのが早くなった頃。
領主が、視察で出掛けて留守になっている屋敷の扉を乱暴に叩く者がいた。
正雪 (しょうせつ) が、扉を開けてその人物を見る。
浅黄色の兄であった。
「一体どうしたのだ」
焦ったように取り乱す浅黄色の兄。
「俺の妹が強盗に連れて行かれた。取引として姫を差し出せという。俺じゃ、もうどうしたらいいのか分からない、助けてくれ」
正雪はゆっくりと彼を落ち着かせて聞いてみる。
顛末は、私用で少し出掛けていて帰ってきたところ、彼女の代わりに手紙が置いてあったということらしい。
正雪は自分を落ち着かせるために深呼吸した。
「……。場所はどこを指定したか」
浅黄色の兄は、懐から手紙を取り出し月明かりに照らした。
「巨大な老木が立っている山の中腹で待っているといった。俺も行かせてくれ、じっとしているのは性に合わん」
正雪は、眉間に眉を寄せて目を細める。
手紙を眺めながらも、呟く。
「事は内密に済ませよう。下手に騒ぎたてるとお前の妹が危険な目に遭う。迅速に行おう。数刻後にここで落ち合おう」
風一つない綺麗な月夜だった。もしも、雲に覆われていた月夜であったなら正雪はどれだけの物を視認することが出来ただろうか。
数刻後。屋敷の扉に集まった二人の背中に声を掛ける影が二つ。
姫と藍であった。
「姫が起きてしまって、あなた方の話を盗み聞いてしまったのです」
傘を差して月光を遮る藍。
「姫は助けに行くそうです。なら私も行かなくてはなりませんね」
正雪は、首を傾げる。
「お主が助太刀をする理由はないのだが、お主は、妹の『鍵』だろう」
「姫と約束したんです。姫を信頼すると。姫が望むなら、私はそれに従うまでです」
姫は、しっかりと兄の目を見据えていた。
無言の主張。百の言葉を重ねることよりも、それは雄弁だった。
正雪は、藍に近寄る。
「すまない。恩に着る」
藍は、傘を回して嘯くように言う。
「お礼は、姫に言って下さい。とびきりの工芸品を渡して」
浅黄色の兄は、声を詰まらせる。
正雪は、それを見て肩を竦める。
「そうだな。作ってくれるか」
浅黄色の兄は、何度も頷く。
「ああ、必ず作ってやる。作ってやるとも」
四人は、かつて姫と藍が春に桜を見に行った場所に向かっていった。
中腹は、以前、山火事で部分的に焼けており、一番古い木を残して更地のようになっていた。
そこに、五人の男がいた。
そして、浅黄色の女が、驚いたような顔で四人を見る。
四人のうちの熊のような体格をした男が駆け寄ろうとすると、それを遮るように浅黄色の女の前に腰に二本の刀を帯びた一人の男が出てきた。
その男は、うすら笑いを浮かべながら月を見上げる。
顔に爛 (ただ) れた火傷の痕がある男だった。
「月が映えますね。こんばんはでしょうか。私達はただ依頼人の取引を遂行したいだけです。優しき領主の息子よ。民の為に姫を差し出しなさい。でなければ、この女の首を刈り取ります」
男は、懐から小刀を出して浅黄色の女につきつける。
慌てて、浅黄色の女は声をあげる。
「姫様。逃げてください。私の為に身を差し出すことはありません」
姫は、頷くとゆっくりと堂々とした足取りで浅黄色の女に近付いていく。
「それは、違う。民あっての国じゃ。だから、わらわ達は民の生活の安寧の為に血を流すのだ。それにな、わらわの事は案ずるではない」
姫は、浅黄色の女に笑いかける。何も心配することはないと言うかのように。
「とても素直で、愚かな姫様ですね。おい、お前ら姫を捕えろ」
火傷の男の命令に従って、姫を捕らえようとする男達。
数瞬。月は――雲に隠れた。
風が吹く。
闇夜に映える傘の色。
本体は、溶け込むようにも、混じり合っているかのようでもあった。
姫の前に藍が居た。
驚く男達を蹴り飛ばして火傷の男に迫る。
煌めく刀の線。
火傷の男は、浅黄色の女と立ち位置を入れ替えるように動く。
浅黄色の女を傷つけないように刀を無理に止める藍。
一瞬の空白。
「殺せ!」
その声に四人は、得物を掲げて藍に斬りかかる。
斧を。大鎌を。金槌を。大鉈を。
そこにすさまじい轟音を唸らせて斬馬刀が飛び込んできた。
斬りかかろうとした男達は慌てて回避体勢を取る。
眉ひとつ動かさずに藍は姫と向き合う。
「姫様。ほんの少し目をつむって下さい」
藍は、姫を抱えてその場から離れる。
舞台の役者を入れ替えるように浅黄色の兄が躍り出る。
「妹を返しやがれ!」
山が木霊するほどに吠える。
斬馬刀を振り回しながら火傷の男に迫る浅黄色の兄。
月が、紅葉で茂らせた老木を照らす。
足元の影がはっきりと分かるくらいに。
思い切り踏み込んで下から上に斬りあげるように斬馬刀を振る。
「厄介ですね」
火傷の男は、浅黄色の女をその兄が振るう刀の範囲に突き飛ばした。
浅黄色の兄は、歯を食いしばり振っている腕を真上に上げて斬馬刀を斜め上に投げ捨てた。
その勢いのまま浅黄色の兄は、火傷の男に肉迫していく。
大木のように太い腕を軋ませて殴りかかる。
斬馬刀は、宙を舞い老木の幹に突き刺さる。
火傷の男は、足元のあるモノを蹴りあげた。
砂だった。
腕を引いた状態では、浅黄色の兄は防ぐこともかなわずに直撃。
動作を止めたその隙を狙って火傷の男は脇差から刀を抜く。
下から真上に斬りあげる男の頬にはひきつるように引っ張られている火傷の後が月明かりの下でありありと見られた。
火花が飛び散る音。
浅黄色の男の前。
下から斬りあげる刀を抱え込むように自分の刀で抑え込む正雪の姿があった。
弱視の目を凝らして刃を見据える。
「浅黄! 早くあいつらから離れろ!」
浅黄色の男は、妹に向かって吠える。
浅黄と呼ばれた女は、急いで兄達から離れる。
姫は、そんな浅黄に駆け寄る。
地に伏せていた男達は今、藍と刃を交えていた。
藍は、斧と金槌に刃を折られないように切っ先を水流のように相手の打撃の流れを変えて受け流す。
大鎌と鉈の刃の形状に沿って氷の上を滑らすようにさばいていた。
「お前は、『鍵』のところに行け。流石にあの状況はマズイ」
正雪は、火傷の男の刃を押さえながら後ろの浅黄色の兄に向かって叫ぶ。
「貴方が私の相手ですか」
火傷の男は素早く刀を引いて正雪から離れる。
その隙に、浅黄色の兄は老木から斬馬刀を引き抜き藍の所へ向かっていった。
「まあ、二人がかりではあの男達も崩れるしかないでしょうね」
火傷の男は、ゆっくりと脇差に刀を収めた。
そして、踏み込んでの居合い切り。
体重を乗せたその一撃を正雪はなんとか防ぐ。
距離を取る。
「早く、死んでください。今なら、後ろから二人を殺せるかもしれないんですよ。依頼人には、この依頼に関わる全てを殺せと言われたのでね」
月明かりで、はっきりと木の下とそれ以外とでは明暗が分かれている。
正雪には、相手の持つ刀がよく見えない。
その苦い事実に下唇を噛む正雪。
自分達五人が、逃げたとしてもきっとこれからも絶対に狙ってくるだろう。その時に、必ずしも救える者がその場に居るとは限らない。
未来に影を落とす可能性の芽は、摘み取っておくのが一番だろう。
火傷の傷の男は、月明かりの下に前に躍り出るようにして移動して斬りかかる。
それを見て、正雪は。
正雪は、刀を鞘に納めて前かがみになる。
四人の男達は、少しずつ冷静さを取り戻していった。
いくら相手が、速かろうともこうして連続で攻撃を叩きこめば動きようがない。
そう思っていた。
背筋を走る悪寒に従って大鎌の男は、右側に飛んで倒れ込む。
地面に突き刺さる轟音。
その状況にいち早く対応したのは藍だった。
気を取られるようにしている金槌の男に近付く。
金槌の男は慌てて柄を前に出すが、防御用ではないために容易く斬られる。
奥歯を噛み締めながらも切れた短い柄で突き刺すようにするが、紙一重で藍は避ける。
月夜に反射して輝くは鮮血。
柄を固く握りしめた手が生えている肩からおびただしい血が溢れ出る。
慟哭の叫び。
怒りに目を吊り上げた大鎌の男は、浅黄色の男が、振り回す斬馬刀の隙を突いて地面と平行になるように地を舐める。
巨大な刃と連結している接続部を大鎌で刈り取る。
大鎌を持たない手で、更地に落ちていた木片を浅黄色の男の目に向かって投げつける。
浅黄色の男は、顔を背けることによってその木片をかわしたが、顔を向けた先には。
根元を失ったことで操作を失った刃は、地面と平行に低く藍のもとへ飛んでいく。
足でその斬馬刀の平を踏みつける。
そして、その隙に斧の男は、藍の無防備になった刀を叩き折る。
藍は、折れた刀を持って斧の男の喉笛に突き刺した。
蛍の光のように舞う血の滴。
それでも、残った渾身の力で斧を浅黄色の男に向かって投げつける。
それを浅黄色の男は、間一髪で避ける。
藍は、そのまま懐から小刀を取り出して正雪の元へ足を進める。
先ほどから自分の刃に映っている見える空の様子からすると早く勝負を決めなければ自分は、何も見る事が出来なくなるだろうと正雪は思った。
前かがみになった状態で火傷の男に低く迫る。
引きあう磁石のように距離が縮まる二人。
火傷の男は、正雪を笑いながら斬り捨てようとする。
上からたたき落とすように鋭く。
まだ明るく照らす月明かりの下で。
その突進力を持って光っている相手の刀を。
正雪は居合いで叩き斬る。
飛び散る破片が正雪の顔に降り注ぐ。
目に降り注ぐ。
急激に暗くなっていく正雪の視界の中で火傷の男が、もう一本の刀で振り払うように横なぎに斬るのが見えた。
そして、飛び込んでくる藍の小刀も。
最後に、一つ見えたものがあった。それを見て正雪は――
「やっぱりあなたですか。さきほどの歩法をどこかで見たことがあると思っていたんです」
火傷の男は、嬉しそうに刀を振るう。
藍は、目の前の刀をさばく。
「思い出しました。戦場だ。戦場で見たんですよ。あなたは、私と同類だった」
火傷の男の顔に狂喜が浮かぶ。
「ただ、あなたが可愛がられただけなんですよ。それだけで私はこんな事に駆り出されるようになってしまった」
藍は、無言で小刀を振るう。
火傷の男は、刀の動きが感情に呼応するように矢継ぎ早に廻るようになった。
「戦場で、何人もの血をその手で染め上げてなお、温かさを求めるんですか。片腹が痛いですよ。私達が生きていくのは、こんな戦場の中だけでしょう」
藍は、ただ小刀を振るう。
「嗚呼、もう依頼人――あの方には申し訳ないですがこんな玩具を壊して私が代わりを務めてあげましょう。こんなガラクタより役に立つはずです」
何かが軋む音。それと同時に悲鳴。そして、一本の刀がある一点から砕けた音。
藍が小刀で斬り続けたところだった。
驚く表情で、それを見て我に返る火傷の男。
「そういうことなのですね。あの方は、無慈悲で残酷だ」
藍は、素早く火傷の男の懐に飛び込み、小刀をその男の体内に滑り込ませる。
九の字に体を折り曲げながらも、寄りかかり藍の耳に向かって囁く。
「あなたの父親に雰囲気が似ていますね、ならばこうして殺されるのも悪くない。そしてあなたに伝言を一つ」
最後の息を吐くように。
「ホトトギスが鳴くのを待っているそうですよ」
藍は、小刀を捩 (ね) じった。
そして、倒れ伏す最後を見届けた後に後ろを振り返った。
藍は、目を見開く。
そう、最後に見えたもの。
それは、姫達に向かって疾走していく大鎌の男の姿だった。
暗くなりかけた視界は、ほとんど見えない。
それでも、疾走していく。
そこに助けるべき人がいるから。
浅黄色の兄は、急いで鎌の男に襲いかかろうとしたが、大きく迂回されて左手側に大木がある位置でその背中を見る事になった。
そして、左手側からもう一つの影が雷のように駆けていくのが見えた。
大鎌の男は、もはや自暴自棄に至っていた。
兄弟が殺されて、大将は死んだだろうから。勝っても何も残らない。だったら、この命が壊れるまでに何かを殺し続けてしまおうと考えた。だから、あいつら女を殺してしまおう。
自分の姿に驚いて逃げようとするが大鎌の男にとってあまりにも遅い。
獰猛な笑みを浮かべて、鎌を振りおろす。
女の悲鳴が聴こえた。
――ああ、いい気分だ。
つんざくような痛み。
我に返るとそこには。
正雪は、左肩に鎌を食い込ませてなお、右手の剣を大鎌の男の腹に突き刺していた。
急速に体温が冷えると同時に、力が抜けていく体。
正雪は、大鎌の男をなんとか剣ごと押しやって倒れると同時に大鎌が肩から抜ける。
四人が駆け寄ってくる。
姫が、目に涙を浮かべて正雪の体を揺する。
その手が血に染まることも厭わずに。
「兄上、死んではならぬ。しっかりしてください」
藍は、そんな姫を抱えるようにして引き剥がす。
浅黄色の兄は、自分の袖を引き裂いて正雪の肩に巻きつける。
「今、止血してやる。死ぬな」
傍らには、両膝を地に付けて傷の具合を確認して応急処置をしようとしている浅黄。
「気を確かに。貴方は領主になるべき人です。ここで倒れてはいけません」
掠れゆく視界の中、そんな三人の様子を見て笑う正雪。
「なあ、妹に最高の工芸品を作ってくれるか」
この大けがの中でも尚、正雪の凛として響く声。
その意味を知った浅黄色の兄は、顔を歪ませる。
しかし、次にはもう不敵な笑みを浮かべる。
「ああ、親友の頼みだ。絶対に作りあげてやるよ」
頼んだぞと呟いた正雪。
正雪は、藍から放され側によった姫がいるであろう方向へ、ぎこちなく笑いかける。
「妹よ、ふがいない兄であったな。すまない」
涙を流しながらも笑顔を浮かべる姫。
「心を鬼にして、私の為に叱ってくれたのですから、兄上はわらわの誇りです」
正雪は、その後ろにいる藍に声を投げかける。
だんだんと力が抜けていく声
「妹を、頼む」
「ええ、分かりました」
巻きつけた肩の傷からはいつからか血が流れなくなった。
「そなたを助けてやれてよかった。あいつに恨らまれなくてすむ」
正雪は、どんな白よりも哀しい白を浮かべた力ない笑みと共に浅黄に向ける。
浅黄は、嗚咽を漏らす。
「私は、感謝できません。貴方が死んでしまったら、私はどうしたらいいのですか。どうして、助けてくれたのですか」
可笑しそうに笑おうとしているがぎこちない笑顔になった。
「助けたかったからじゃ。自分の手でいつも笑っていたそなたを救いたかったのだ」
正雪の呼吸音はだんだん深くなった。
眼には、もはや動きが見られない。
それでも言葉は紡がれる。
「だから、わがままを一つ、聞いてくれるか。色を、失っても、なお、私の中で、輝く、そなたの温かな笑顔を、見せてくれるか」
途切れ、途切れになる呼吸。
涙を溢れさせながらも笑う浅黄。
もはや見えないはずの正雪は、笑う。
「ああ、ありがとう」
嗚咽と鳴き声が山に響く。
月は、それを無慈悲に見つめていた。
ただ、無常に時の流れを見つめて。
正雪が死んで一週間。
屋敷は、静けさに包みこまれていた。
縁側に姫は、ただ座っていた。
兄が、今にも駆けより小言が飛び出るのを待つかのように。
しかし、歩きよってきたのは、藍だった。
「私が素直に取引に応じていれば、兄上は死ななかっただろうか」
その質問に首を横に振り答える。
「正雪殿は、姫を守るために血を流したことでしょう」
姫は空を眺める。
「目の前で人が死ぬのはとても辛い。母様の時も、皆これと似た思いを味わったのだな」
姫は、空から視線を外し、藍を見上げる。
「なあ、お主はどんなことがあっても私の元へ帰ってくれるか。お主までいなくなると、わらわは、きっと立ち直れなくなる」
長い沈黙。
姫から視線を外して空を見上げる藍。
「姫が望むなら。敬愛して慕いましょう。私はそのために戻ってきましょう」
空から、雨が降っていく。
その雨は、不思議と動きが遅く揺れていて。
それをみて姫は、呟く。
「ああ、雪のような雨だな」
視線を固定したまま、藍も頷く。
「ええ、正に、その通りですね」
時は白い息を吐き、冬の訪れを告げる。
屋敷の奥で、領主とある男が向かい合っていた。
「この度は、東の国から使者として参りました。貴方様の一人娘の噂はこちらにも響き渡っております」
東の国の使者は、頭 (こうべ) を垂れる。
「その噂を聞きつけてこちらの主が、貴方様の娘を側室として迎えたいとのことです」
領主は、顔を俯かせる。
「今は、せがれの件でごたごたしておるでのう。しばらく時間を貰えるか」
東の国の使者は、不敵な笑みを浮かべる。
「是非、色の良い返事をお待ちしております」