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花の跡先  作者: 傘猫
2/9

空箱と釘

 秋空が低く、地面に迫っている。

 そんな空を雲がゆっくりと広がっていく。

 雲は、険しく高い山々の中心に、菱形のように象られた国を覆い尽くしていく。

 この国は、元々一つだったのだが、ある事が起きて今は二つに分かれていた。

 そのうちの一つは、東へ東へ戦争を繰り返して大きくなっている血と武の東の国。

 もう一つは、誰からも好かれる領主のもと栄えている西の小さな国。

 その西の国に太陽が、昇るか昇らないかというくらいの時間帯。

 国の外れに目を向けると、農地が広がっている。中央には活気が溢れている街中。

 そして、国の奥に当たる山の麓に抱きしめられているように建てられている領主の屋敷。

 その国の奥に配されている古い屋敷から、人目を忍ぶように一人の少女が裏口からひっそり出てきた。

 彼女は、この国を統治する男の一人娘。

 鴉の濡れ羽よりも深い色合いを帯びた黒髪。活発そうな性格を表したような顔立ち。そして、何よりも印象深いのは、綺麗に輝く瞳だった。

 それは、意思の強さを感じる。

 つまるところ、少女は人目を惹くような外見だった。

 また、領主の娘としての教養の賜物か、ちょっとした動作や仕草から身分が高い事が伺える。

 しかし、少女が袖をとおしているのは農民が着るような粗末な小袖を着ていた。

 この度、彼女は十の齢に達し、祝いが開かれることになったのだが……。いかんせん、女中たちは、宴の準備で忙しく、彼女を見落としていた。

 自分の誕生日。

 皆、この日ぐらい彼女も大人しくしているだろう高を括っていたのである。

 しかし、活発すぎる気がある少女はそれを裏切る。

 度々、彼女は屋敷から出て町に行ったことはある。

 その時、後ろからこっそりと着いてきているつもりの者が、警戒心をむき出しに、周りをうろついているので、気が休まらなかった。

 番犬をわざわざ散歩に連れ出しているようで楽しくなかった。

 けれど今日、かねてから決められていた付き人が来る予定だったらしい。らしいというのは、その付き人は昨日、余裕を持って到着するはずなのに未だ遅れていまだ着いていないのだ。

 女中たちは朝から宴の準備で忙しい。この日を除いて町に一人で降りることなどもう出来ない。自分の事を心配してくれるのはありがたいのだがいかんせん彼女にはこの環境は窮屈すぎた。

 籠の中に閉じ込められた鳥のようだ。

 付き人は今日やっと来るらしいのだが、それでもこんな朝早くから来ていないだろう。

 だから、彼女は今日、少しだけ、ただの一人の女子として町に降りようと思ったのだ。

 それは、稚気 (ちき) ゆえの冒険心か、背伸びをしてみたい年頃故か。

 そして、棚からかねてより準備をした質素な感じの小袖に袖を通し、頃合いを見計らって裏口から抜け出してきたのだった。

 朝の霧がまだ晴れない道。

 少女は、喜びで駆けていく。

 胸一杯に、希望を抱きしめて。

 

空の雲は、いつのまにか流されて、霧が晴れていく。

 町の商店は、開店の準備を。

 門は、開かれて旅人を招く。

 町の外れでは、農民達がそれぞれの畑を耕し始めている。

 それは、人と呼応して町が起きだして動き始めたかのように。

 その中で彼女は、ゆっくりと一軒の農家に近付いていく。

 決して広いとは言えない畑の中。

 農民達は、頭に手拭を巻き、すでに汗を流しながら作業をしていた。

 彼女は、そんな畑を耕している農民の一人に声を掛けた。

 とはいっても領民の誰からも好かれるという領主の娘。

「おはようございます」

 その声に鍬を振りあげている手を止めて農民は彼女を一瞥すると手から鍬 (くわ) を落とした。

「……。おお。これは、これは。おはようございますじゃ」

 見たものが信じられないような顔で、返事をする農民。

「朝早くから大変そうですね。私にも手伝わせてもらえませんか」

 彼女は畑を耕すことがなかったので、興味を持ち提案をしただけなのだが、それに対して農民の反応は、問いへの是非ではなかった。「……。そうか。視察というやつなのだな。おらにも目をかけてくれる……何とお優しい御屋形様なのじゃ。ありがたや。ありがたや」

 農民は……肩を震わせて泣いてしまった。

 彼女は、どうすればよいのか悩んでいると。

 農民は、大事な物を見せるように胸を張り朗々と述べた。

「さあ、おらの畑をみてくだせぇ。この国で一番おらが畑を大事にしているはずじゃ。安心して、おらの美味しい野菜を食べてくださいと御屋形様にお伝えくだせぇ」

 彼女が事態を飲み込めずにうろたえていると、未だに涙を流し続けている農民の声に反応して、近くにいた農民が反応する。

「何を嘘言っているのじゃ。ワシの畑のほうが良いに決まっておろう。そっちの畑は、土が悪かろう。こっちは上等な灰を使っておるからの」

「何を。そっちこそ水はけが悪いだろう。こっちは、十分に水が廻るからの」

 そんな言い争い。どちらも自分の畑に誇りを持っているのは十分なほど伝わったのだが、彼女には、よく分からなかった。

 そっと、彼女はその場から足音を忍ばせて立ち去った。

 自分に手伝えることはない事だけが伝わったからである。

 二人の農民は、太陽が真上を昇る時まで、議論を尽くしていた。しかし、意見を交わし尽くしていると次第に論点がお互いの畑の改善点を話し合うことになっていた。そして、彼女が居なくなっていたことに気づく。

「おろろ、姫様が消えたぞ」

「きっと、御屋形様の視察の手伝いで忙しいのだろう。若いのにたいしたものだ。我々下々の者と同じ格好をしてまで視察に取り組む姿勢は立派じゃ」

「そうだの。こうしてはおれん。姫様や御屋形様の為にもおら達も一生懸命に働くぞ。上等な灰の作り方を教えてくれ」

「そうだな。ワシらの為に身を粉にして動いているのだから、こちらも応えなければ申し訳が立たぬ。そっちの水はけの良くする方法を教えてくれ」

 

 その頃、少女は通りを歩いていた。

 とはいっても、町外れから歩いてきたので、商いのある街角まで来たようだ。

 なんとなく開いていた店に誘われるように彼女は、入って行った。

 ――数分後。

 彼女は、雑貨屋の奥の棚に置いてある二つの手の込んだ簪 (かんざし) を見比べていた。

 小さくはあるが、丁寧に白鷺 (しらさぎ) と牡丹 (ぼたん) の花であしらった簪と本当に廻っているような錯覚がする風車 (かざぐるま) の簪。

 丹精込められた事が明らかな作品。

 彼女が感嘆していたら、赤く色がついた髪をした勇ましい偉丈夫が「是非お付け下さい」とその二つを押しつけていった。

 彼女が、お金を払おうとすると他の店の者が「お代は結構です」と言って受け取ろうとしない。

 その一悶着の後に彼女は、訝しがりながらも、素直に受け取った。

 見とれていたのは事実なのだから。

 店の者は、立ち去る彼女の背中を見ながら

「誕生日の時すらも、御屋形様の仕事の手伝いをしていて立派ですね」

「この国の未来は明るいな。うん」

 

 彼女は、しばらく手の中の簪を弄んでいたが、前の方向から賑やかな声が響いてくる。

 彼女は簪から視線を上げて前を見る。

 どうやら、「市」が開かれているようだ。

 それは、彼女が屋敷に居た時に度々聞かされてきたもの。

 近隣の国や村が品物を持ちより売り買いをする場らしい。

 領主は、朗らかに売るための広場を提供した。

 手の中の簪をしまう。

 彼女は、声がする方へ歩いていく。

 ざわめきは、彼女の周囲を囲んでいく。

 粗末に建てられた小屋の中は。

 大きく跳ねるような魚。

 瑞々しく葉を輝かせる野菜。

 見たこともない形の品物。

 陽気な声が音楽となり、周りは否が応なしに盛り上がる。

 そんな「市」の中。

 彼女もその中で、一つ一つ興味深そうに眺めていた。

 けれど、彼女は可憐過ぎた。

 花から花へ舞い移る蝶を連想させるその姿。

 だから、このざわめきの中で、その姿に息を呑む人間が居た。

 隣国の商人である。

 今日は、雑貨品を売りにきたのだが、瞬間自分の居る場所を忘却した。

 雑踏の中でも、美しさを全く損なうこともなく蝶のように歩いている少女を見て震えた。

 美しさは規格外で。

 純粋無垢を描いているようなのに妖艶で。

 まだ幼いのにこれだけの器量。

 これからの事を考えると恐ろしい。

「蕾が開ききるまでに摘み取って飾ってしまいたい」

 思わず呟いた商人は、品物を運ぶのに連れてきた二人の用心棒に耳打ちをして少女を指差した。

 用心棒たちは、商人の指差した方向を見つめて口を醜く歪める。

 そして、彼らは歩き出す。

 昆虫採集のような狩りが始まる。

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