6話
「ご機嫌よう、豊明」
入ってきたのは紺の和服の女。顔には幾本も皺が寄ってはいるが、それら全てがその女の人生を肯定するかの様な上品な顔立ちをしている。しかし、その眼光はその感覚全てを拒否するかの様に鋭く、女がいくつもの修羅場をくぐってきたのだと思わせる。
そして、その後ろから、黒のパンツスーツを着込んだ痩身の女がついてくる。ややもすれば青年、それもテレビで見たことのある女性受けしそうな風情がある。しかし、腰の辺りの丸みが女性であることを強く印象させる。丁寧に依られた高級な絹糸の様に艶やかな長い黒髪を忙しなく揺らしているその女は、その丁寧に整えられた眉毛をの間に深々と皺をよせ、現在の自身が感じているのであろう、不快で候といった感情を周囲全てにぶつけている。
最後に現れたのは、大木を思わせる男。鍛えこまれた筋肉が、紺のジャケット、パンツにみっちりと詰まっているのがわかる。しかし、その体型とは裏腹に、眉尻を思い切り下げ、汗を拭き、何度も頭を下げながら入室してくる。辺りを見回し、何かを確認すると、その身体に似合わない手入れの行き届いた鞄から簡易の椅子を取出し和服の女に差し出した。
三人を押し止めようとしていた研究員を豊明が返したところで、三人を眺めていた絵瑠の視線が止まる。二番目の女をみて、左眉を上げる。そして、両目が思い切り開かれる。
「さっきのバイクの!」
そう言われた女は、絵瑠を見て両目を細める。少し思案した後で口を開いた。
「あ、さっきの人牛女か?」
パチンと火花が散ったような気がしたが、それは絵瑠の神経が切れた音であった。食って掛かるように歯を向いた絵瑠のポニーテールを掴み後ろに引きずると、連慈は豊明に説明を求める。
「豊明先生よい、この御仁らはどなたですかい?」
「こいつは、防衛省特務第三係の雨宮だ。幻術剤の件の依頼主だったんだが…… どうも、どうやら、情報漏洩確認の偽装任務だったらしい」
「というこたぁ、あれですかい? 俺と遊人は、この御仁の尻拭いに、エメンタールチーズにされかけたってことですかい?」
連慈が、雨宮を指差した。そして、瞬間煌き。連慈の首元に刀が皮一枚で当てられる。刀の持ち主は、雨宮の後ろにいた不機嫌な女。先程まで、どこにも刀は見えなかったはずだが、その手にはしっかりと刀が握られている。
「雨宮様への口の聞き方が悪いし。殺すぞ」
「次はスライスチーズがご所望ですか? あぁん?」
女が少しでも刃を動かせば、連慈の首はするりと落ちる。そんな状況に、大男が、不機嫌な女を必死に止めようと声をかけているが、何の効果もない。絵瑠は、ポケットに手を突っ込み女に対して尋常ならざる視線を向けている。
豊明と雨宮はなんの感情も現しておらず、遊人は何か楽しそうに肩を揺らしていたが、ビクリと震えた後で胸を叩いて苦しそうに咳き込んだ。
「誰だ、この小うるさいガキは」
雨宮が、羽虫でも見るかの様な視線を連慈に向けた後、後ろを向く。この中で唯一あたふたと大量に汗をかいている男が答える。
「豊明様の部下の六空目連慈様です。豊明様の番犬と呼ばれていて、その筋では有名です」
雨宮はフンと鼻を鳴らしもう一度連慈に視線を向ける。その冷たい視線を、真正面から受け止める連慈に暗い笑みを与えた後で豊明に視線を戻す。
「豊明よ、犬の躾くらいきちんとしておけ。どの世界に客に噛み付く番犬がおるか」
犬扱いに連慈が、大男を睨めつける。大男は申し訳なさそうに顔を歪め後頭部をかいてみせた。
「そいつは、犬なんて大層なもんじゃない。狽だ。狐よりも狡猾で、蛇よりも執念深く、熊の様に群れることはない。客も主も構いやせんよ」
「二人して言ってくれますねぇ。こちとら、公務員様の糞拭いで死にかけてるんですぜ?」
「黙れ。そんな雑務もまともにこなせん奴が口から糞を垂らすな」
怒りではなく、呆れで雨宮が声を放る。雑務、恐らくあの軍服の男を取り逃がしたことだろう。
「一応あの件は回収任務だったはずですが、俺の知らん所で防諜任務に変わった所でどうしようもございませんねぇ」
雨宮は、鼻を鳴らすとやれやれと言った表情で豊明に目を向ける。
「おい、所長。客商売の常識位教えてやらんと、潰れるぞ。ここ」
雨宮はそう優しく呟いた。少し眉を下げ、同情のようにも見える。
「連慈君、今回はどうしても内部で動けなくて、腕が立ち口の固い所に頼むしかなかったんだよ」
あわてて大男がフォローする。雨宮が女に刀を引く様に言うと、不承不承といった感じで女は刀をしまいながら男の言葉を継ぐ。
「それに、それについては、そこの薄頭に良いだけ金を払ったし」
豊明は、皮膚の視認面積の増えた頭部の髪の毛を少し寂しそうに撫で付ける。
「そんな企業と企業の理論で、社員が納得するわけねぇでしょうが」
上空高くから獲物を見つけた猛禽類の様に、雨宮は視線を連慈にずらす。しかし、その獲物はお気に召さなかったらしい。
「よく聞け。これは盤遊びだ。正しい駒を正しい位置に正しいタイミングで配置する、そんなゲームだ。いいか? よく聞け。駒がいくら血を流そうと知ったことか。大事なのはこの盤に最後まで立っているのが私であることなんだ。いいな? 分かったなら黙ってろ、捨て駒」
そういうと視線を戻す。ぎりりと歯の軋む音。今にも飛びつきそうな連慈を絵瑠が止めている。いつの間にか立場が逆転していた。




