5話
下校時間。校内にはテストのうっ憤を晴らすかのように部活に精を出す声が響く。また、正門には、カラオケに行く算段を整えるグループや、オープンしたばかりの店に向かう女子のグループ、汗ばむ陽気の中、それよりも熱い仲のカップルなどが、それぞれの会話を楽しみながら集まり、思い思いの場所に散っていく。
その中に、連慈と絵瑠と、そして私もいた。
絵瑠は香澄の件について、愚痴っている。毎日の様に一緒に帰路に付けば、交際について勘違いだと怒ることすらおこがましい気がするのだが、それを言った所で連慈の手助けにはなるまいと、口を噤む。私がいろいろと画策していることに気が付いたのか、神妙な面持ちで、はぁ、そうだな、なるほど、とローテーションを組み遠くを見ていた連慈であったが、その目がついと絵瑠に向く。
「ところで、テレポートってのは簡単に出来るもんなのか?」
話題を切る連慈の突然の疑問。しかし、それに絵瑠は気を悪くした様子はない。
「あぁ、さっきの魔術師の話?」
簡単じゃないわよ、と前置きし答える。
「その魔術師は、瞬間移動と物体転移を同時に行ってるから、さらに難しいわ」
そういい、ポケットからアメ玉を取り出す。
「テレポートは自身を移動させ、アポートは物体を転移させるものよ」
そう言い握った手を軽く振ると、連慈がもごっ、と謎の鳴き声を発する。
「なんだ、これ…… 甘い」
連慈はもごもごと口を動かす。口の中ではパチパチと、泡がはじけるような音がし始めた。
それを見て絵瑠は握っていた手を開く。青みが勝ったビニール袋がそこにある。それは、中身の無くなったアメの袋であった。それを連慈の前でヒラヒラとさせて見せると、説明を続ける。
「袋の中から、あんたの口に転移させるのが私の限界。それを、距離は不明にしても、自身の移動とその他九人同時転移なんてかなり高度な術式を組まなきゃ不可能よ。それを数枚の呪符でやるなんて……」
「なら、あいつは何者なんだよ」
「さぁね。まぁ、豊明伯父様が調べてるわよ、今頃」
自身の口にもアメを放り込んだ絵瑠の横を、スーパースポーツタイプのバイクが通り過ぎる。メタリックブルーのYZW―E1には、その車体の雰囲気に相反する人物が乗っていた。
黒のパンツスーツを着込んだ細身の人物。頭部がピンクのフルフェイスヘルメットでなかったとしても、腰辺りの特有の丸みから女性であることは容易に想像できる。
連慈と絵瑠がチラと目をやると、それは二人の横に停まった。
気にした様子もなくその横を通り過ぎようとした二人であったが、そのバイクの主は、わずかにフェイスガードをずらすとから突然声をかけられる。
「この辺りにコンビニ無い?」
何の前置きもなく、女は問いかける。
辺りを見渡すが当然二人しかいない。二人は視線を合わせ、どちらも知り合いではないという確認を取る。
「あの…… どちら様でしょうか?」
絵瑠が問い返すと、女は大きく溜息を吐いた。
「聞かれたこと以外答えるなし。脳みそに行く栄養が乳にとられてるんじゃないの?」
あざけるような声。はぁっ? っと絵瑠がひきつった声で答える。付き合いの長い連慈は、一波乱起きる可能性が高いと感じたのか、それを未然に防ぐべく、絵瑠の前に、貼り付けた笑顔で歩み出る。
「コンビニでしたら、あっちですぜ。お気をつけて」
指差し方向を指し示す。女はそちらを向くと、礼も言わずフェイスガードを下し、クラッチを操作する。そして、視線を向けることもなくペダルを操作するとアクセルを回して走り去ってしまった。その背中に色々と問題のある発言を飛ばす絵瑠の襟首を、ネコの要領で掴むと、ローテーションに、お前の言う通りだ、を追加し連慈は歩き出した。
学校から少し汗ばむ程度歩いた場所に阿豆内研究所は建っている。研究所の敷地内には四階建てのコの字状の建物だ。コの字の縦棒の外側が正門を向いており、正門のすぐ横に守衛室がある。ここには、ほぼ二十四時間体制で守衛が詰めている。
また、正門と研究所に囲まれるように十台程度が止められる駐車場がある。現在は三台ほどセダンが止まっている。豊明のレクサスと、守衛である斉藤のレガシィは記憶にあるが、もう一台、初めて見るセンチュリーが停まっていた。現在研究所の職員は臨時を含め五人である。その他の職員を含めれば十人程度はいるが、ほとんどは、徒歩圏内――連慈と遊人のように敷地内に住んでいるのが後二人いるがそれを徒歩圏というのかは言及しない――に住んでいるか、通勤に電車を利用するため車を使うのは最初の二人だけである。三面スモークを施されたその車を見て連慈が、珍しいな、とつぶやいたが、絵瑠に気を引くほどではなかったらしい。
二人は、正門を通り、守衛の斉藤に挨拶をしてから、駐車場を抜け二人は自動ドアをくぐった。
そこは、教室の半分程度の広さの受付である。前面がガラス張りになっているため明るく、白系の灰色がかった塩化ビニルの床材にわずかな傷が浮いている。その上にはユッカが二本、そして、なぜか二メートルに近いサボテンが一本飾られている。
絵瑠はその違和感がある玄関には目もくれずに口を開いた。
「ただいま帰りましたわ」
「絵瑠ちゃんも、連慈くんもお帰り」
そういうと、受付と書かれた机に座る女が声をかけてくる。明るい色のスーツを着た女に連慈は右手だけで答えると、入り口脇に据えられたソファに腰掛ける。
「連慈くん、テストやばかったみたいじゃない。最後のテストは赤点ギリギリだったみたいよ」
「こちらとしては、その言葉持って労働基準局に駆け込んでもいいんですがねぇ。つか、俺すら知らない結果をなんでもう知ってるんですかい?」
「そりゃ、簡単よ。豊明が、あの学校にいくら包んでると思ってんのよ」
所内で豊明を呼び捨てるのは、私と遊人、そして、この女、日刈灯だけだろう。肩甲骨まで伸ばした金のストレートヘアは、光のすべてを反射しているかのようにキラキラと輝いている。小柄で、二人よりも僅かに年上、の見た目だが、実際はさらにそれの上を行く。決して二十を越えてはいない、ように見える頬をわずかに引き上げ笑う姿は、少女のそれにも見えた。連慈の上着とカバンを預かり、着替えるべく移動する絵瑠を、紅い瞳だけで追い、長い睫毛をパチパチとさせる。
「絵瑠ちゃん、何かあったの? 機嫌悪そうだったけど」
「なんか不愉快なことでもあったんじゃないですかい?」
連慈が知らぬ存ぜぬを決め込んだところにちょうど戻ってきた。グレーのカーディガンが、赤い物に変わっている。手に持っていた連慈の奇抜なカラーリングをしたパーカーを連慈に手渡すと、連慈の横にポスンと腰を下ろした。連慈は、それに合わせたかのように立ち上がるとそれに袖を通す。そして、もう一度座った。
「絵瑠ちゃん、何かあったの?」
絵瑠がジロリと連慈に目を向けるが、連慈は涼しい顔でそれを受け流す。
「ちょっとばかし不愉快な人に会ったもので」
絵瑠はそれだけ言うと、その話は終わりと言わんばかりに腰につけたバックパックから小さな小箱を取り出した。それは、お菓子の箱らしい。中から小指程度の棒状のビスケットにアーモンドとチョコをまぶしたものが出てきた。それを一本連慈に渡すと、灯の方へ向かって歩き出す。
「すぎのこって何なんだろうな」
「ふむ、花粉症の人間が聞けば憤死するかもしれんな」
そして、灯と絵瑠による最近のおすすめ菓子交換会に一区切りがついたころ、灯がぽんと手を打つ。
「そういえば、二人とも、豊明に呼ばれてるわよ」
「灯さん、それは早目に言って下さい」
絵瑠がチョコを口の中でもごもごとしながら連慈に目で合図する。連慈は、眉根にしわを大きく寄せ目を瞑った。これから起こる事に覚悟が必要なのだろう。
大きく嘆息すると、自身を奮い立たせるように膝を叩き立ち上がった。
「あ、お客さんが来てるからいたらきちんと挨拶するのよ。一応あなた達もここの職員なんだから」
「それも先に行ってくださいよ」
連慈と絵瑠は、軽く返事をしてから廊下の奥へ進んでいく。階段を一つ上がる。連慈の足がいつもより重い気がするが、絵瑠は、その後についていく。たまに、急ぎなさいよ、と声をかけながら。もう一つ上がって最上階に付くと、そこを右に曲がり目的の部屋にたどり着いた。
連慈がその場所で数秒渋い顔をした後にやっとノックをする。分厚い木製のドアが甲高い音が発する。それを聞いたのか中から返事が聞こえた。連慈は、右口端を大きく引き上げるとそのドアを開ける。
中にはマホガニー製の机が一つ。その上にパソコン用ディスプレイが一台。天井には凹凸が少なく、部屋内が均一に明るくなるように蛍光灯が配されている。また、暗い色をしたカーペットにはゴミ一つ落ちておらず、木製の壁には絵画やそれに類するものは一切ない。
「遅かったな」
声を発したのは、その机に設置された革張り製のワークチェアに座るこの部屋の主人、阿豆内豊明である。たっぷりと背を預けているが一切軋む音がしない椅子がくるりと回り、眉根に深いしわが刻みこまれた顔がこちらを向く。
無駄を一切持っていないような男であった。ストライプのスーツ、そして中に来ているシャツには一切の皺が寄っておらず、また、埃などもついていない。また、身体の方も贅肉の類の一切ない細身の体である。灰がかった髪の毛は、後ろに撫でつけられておりいわゆるオールバックだ。
年齢は四十をわずかにこえているはずだが、しかし、その内から発される気は未だ衰えを感じられない。そして、その狐を思わせる神経質な瞳を動かし二人を見やる。
その視線の意味を感じ取ったのか、連慈は早口で説明を始める。
「受付のお姉さんと話してましてねぇ。豊明先生のこと褒めてましたぜ」
テストの点を誤魔化すためだろう。連慈が両頰を引き上げ答えるが、バレバレの世辞は、何の効果もなさず、連慈は試験結果について豊明独特な問い詰めを実施され、結局連慈は、ただただ言い訳と謝罪の間の文言を継ぐ。
ちなみに豊明は、あだ名のほうめいで呼ばれることを気に入っているらしい。とよあきと呼ぶと瞳孔が一瞬開く。
「あの、叔父様。私からもよく言っておきますのでそのくらいで……」
絵瑠からの援護。未だ不服そうだが、それでも、終着点はそこだと思ったのか、大きく嘆息する。
「絵瑠、あまりこれを甘やかすな」
出来の悪い息子をしかる母と、その息子を庇う姉のような会話が繰り広げられているところへ、遊人がノックもせず入ってくる。
「相変わらず、怒られてんね」
軽口をたたく遊人に、連慈は小さく毒づく。前回同様、フルフェイスヘルメットにライダー姿である。そして、先日食われたはずの右腕だが、しっかりと袖に通っていた。
「で、叔父様。何かあったんですか? 連慈の低空飛行なテスト結果をわざわざ私に伝えたかった訳ではないのでしょ?」
わざわざの部分が、やけに強調されている。連慈がグウと唸るが、それを誰も気にした様子はない。
「その話があったか」
どこまで本気かわからないが、とぼけたように、そうだったな、と呟くと豊明がPCを操作する。連慈が自身へのお咎めが終わり安堵したところで、室内に光量がすうっと落ちていった。そして、右側面の壁に豊明が操作するデスクトップが投影される。さらに操作され、画面が切り替わっていく。以前見たことのある文書の画面で止まると、豊明が口を開いた。
「二人と、そこのシャベルは記憶あると思う。先日の幻術剤の情報だ」
「覚えてますぜ。そこで、わけわからんのと出会ったとこまで完璧に記憶がありますからね。そいや、その辺の話は計画書にございませんでしたねぇ。危うく穴あきチーズになっちまう所でしたぜ」
二人のやり取りに興味のない遊人は絵瑠の方に首を向ける。その視線に気が付いた絵瑠は、ポケットからアメを取り出すとそれを握り込む。遊人は、礼を言うと、空になったアメの袋をポケットに突っ込む絵瑠の頭を撫でた。
「それで、そのミッションがどうしたんですか? 連慈の経歴に今更赤点が付いた所で何の汚点にもなりませんが?」
遊人は、豊明の机に腰を下ろすと、自分は楽しんだ旨をカラカラと笑いながら呟く。
「あの仕事なんだが、手違いがあった」
「手違いとはなんですの?」
絵瑠が聞いたのとほぼ同時にドタバタと通路が騒がしくなる、ごめんなさい、と何度もひ弱そうな男の声が聞こえ、勢い良く扉が開けられる。
急に明るくなったため、利一は目を思いっきり細め、絵瑠は右手を前に突出し顔を陰らせる。その後、室内の電気がゆっくりと明るくなっていき、進入してきた人間の顔がはっきりと見え始めた。




