17話
「人はいないな」
「そうね。にしても、ここ……」
絵瑠と連慈は辺りを見渡す。白い内壁にリノリウムのような緑の通路。天井には、薄らぼんやりと、それでも決して足元が暗くならない程度に電灯が配されている。
長々と続く廊下には、それぞれの部屋に繋がるのであろう引き戸はあるものの表札もインターホンもなく、無機質な番号札がかけられている。0260と書かれた表札の上をゴキブリのような虫が這っている。絵瑠は少し苦い顔でそれを目で追う。
「病院みたいね…… 怖い話に出てくるタイプの」
「そうだな。どうするよ? 手当たり次第部屋探ってくか?」
「そんな時間ないわよ」
絵瑠の発言に連慈は辺りを見回す。そして、一つの部屋の前で立ち止まった。
「おい、この部屋の中、誰かいるか?」
「人らしい息遣いはないな。おそらく無人だが」
「その部屋がどうかしたの?」
絵瑠が連慈の背中の後ろに立つ。連慈は、0463と書かれた表札を指さした。
「なんでここだけ四階なんだよ」
「確かに……」
連慈がその扉のノブに手をかけるとガチャガチャ通し引きする。鍵がかかっているようだ。連慈は懐からまたピッキングツール(針金)を二本取り出す。
「待って。ちょっと試したいことあるの」
連慈は振り向くと絵瑠は、連慈をどけるようにドアの前に立った。
「ひと、ふるべ ゆらゆらと ふるべ」
絵瑠は袖を捲った右腕を胸高さまで上げ唱える。右腕が熱気で揺らぎ、その周辺が赤く放熱を始める。その色はその熱気を表す赤から青に変色。
「そこどいて」
連慈がドアの前を動くと、絵瑠はそのドアの鍵が有るであろう場所に右腕を近づけるとドアが赤熱化を起こす。更に近づけるとどろりと融解。ぽっかりと穴が空く。
「どう? ピッキングよりも早いし、マスターキーより静かでしょ?」
「子供が障子に穴空けまくる動画思い出した。つか、さっきやれよ」
「今思いついたんだから仕方ないじゃない」
連慈がドアに手をかけようとしてやめると、足で蹴り開ける。
中はしんと静まり返っており、開けた瞬間、不衛生な部屋独特の嫌な匂いが抜けていく。
広さは十畳くらいだろうか。部屋の右側にはパイプベッドとそこに敷かれた潰れたマットレスがある。別途の足元には、カップ麺や紙くずで詰まった青いゴミ箱。床には着古したシャツや、茶色い染みのついた雑誌が散らばっている。また、左奥壁に設えられた本棚にはびっしりと学術書らしき本が収まっている。部屋の惨状から、かなりぐうたらな男がここで生活していたことは容易に予想がつく。
連慈は足元のそれらを蹴りやりながら、無表情で入っていく。絵瑠は、その様子を見ながら顔をしかめるが、意を決したのか連慈に続く。
「住んでた奴は逃げた後か?」
「あのねぇ、風呂無しトイレ無しキッチン無しよ、この部屋。そんな部屋に誰が住むのよ」
「共同の可能性だって……」
「このご時世、このレベルのアパートでそんなのないわよ。この部屋なんかおかしいわ。だいったい、窓もないのよ」
「おかしいっつってもなぁ……」
絵瑠は辺りを見渡し溜息をひとつつく。そして、できるだけ触らないようにベッドに被さる薄手のタオルケットをめくり、そのカビだらけの布団に対して顔をしかめる。
連慈は床に散らばった雑誌や、茶色い染みのついた服を足で押しやる。
「なぁ、本が多すぎやしねぇか?」
「まぁ、確かにそうかもしれないし、そうじゃないかもね……」
「それに本の種類も無茶苦茶だ。床に落ちてんのはエロ本やら週刊誌だが、本棚にゃ科学誌やら学術書ばかりだ」
絵瑠は短く息を吐く。
「もったいぶらないで。話が見えないわよ」
「んじゃ、これ」
連慈は屈みその足元を指さす。きらりと光るチェーンとそして円いシルエット。
「それ…… 懐中時計! 編花ちゃんの?」
「あぁ、これが落ちてるわけよ。この本棚の前に」
そういうと連慈は本棚に手をかける。そして、がたがたが揺らしてみる。本棚の中身は微動だにしない。明らかにただ置かれているといった感じではなく、本棚に接着されている事がわかる。
次に横から押してみる。右側から左へ、微動だにしない。ならば、逆に。わずかにずれる。が、そこまで。
「なんか仕掛けでもあんのかよ。ここはアンブレラか!」
ガンと、本棚下部を蹴飛ばす。ガコンと異音。そして、本棚が床にスライドした。現れたのは、コンクリートで作られた階段であった。無機質な外見をしたそれは、地下へと続いている。
「なんだこりゃ?」
「どうする? 行ってみる?」
「そうだな、この懐中時計を無視して駆けずり回るよりましだろ」
そういうと連慈は私をノックした。先程まで周囲の戦闘音で気付かなかったが、その地下からは、なんらかの機械の運転音が響いている。私の返答に、連慈はわずかに頷くと、無線を繋ぐ。
「地下に繋がる妙な階段を発見しやした。編花の痕跡も発見。調査に向かいますぜ」
了解、とだけ返答がある。絵瑠は、サイドバックから無線中継器を取り出すと、ドアのそばに配置する。これは、周囲百メートルの特定周波数の通信を中継する機械で、複数機を設置しながら進めば、地下だろうが、なんだろうが通信が可能だ。
その設置を確認すると、連慈は壁に左手を当てながらゆっくりと降り始めた。絵瑠は、銃を撃発可能状態にしたままその後に続く。




