13話
快晴、陽気が空より降り注ぐ。夜に冷やされた地面は、その陽気を浴び湯気を立てている。
昨晩、何の落ち度のない少女に対し、酷い失態を犯した男は、その地面を土台とし、トレーニングを重ねていた。
「にひゃ……く、きゅぅぅうじゅぅぅぅう…… しち!」
連慈の日課は、まだ暗いうちから始まる。早朝、その何着かある似た雰囲気のウェアの中から、恐らく最もセンスが良いのであろう、悪趣味な物を選ぶ。
入念にストレッチを行った後、第一に行うのがロードワーク。十キロを三十秒ずつダッシュとジョグにわけて行う。そして、今行っているのが、自重を使った筋力トレーニング、腕立て伏せである。トレーニングルームはあるのだが、一応の師、遊人から「筋トレより実践で筋肉つけろ」と言われているため、いつもなら最低限しか行わない。
「あの、す…… すいやせんが」
連慈は、腕立ての構えのまま頸部を後ろに回す。その連慈の上に鎮座するのは灯である。
「タシ、蟹…… 遊人のいない、時はぁぁ灯さんのぉ……指示にぃ、したがうことにぃ、なっちょりますがぁぉぁぁあ」
遊人なき場合のトレーニングの指示は、灯の一存で決まる。それにしてもオーバーワーク気味だ。その泣き言に対し灯は片眉だけあげ答える。
「連慈くん、編花ちゃん泣かしたよね」
「なぜ…… そいつをぅ、知っとるんで、す、かい?」
「ここで私の知らないことなんかあるわけないでしょうが」
連慈の頭を叩くと、灯は命じた回数終えた連慈から下りる。
「そいつは非常に反省しちょります。猛省しちょります故、あそこにおわします、もう一人に対しての弁解の手伝いを願えませんかねぇ…… 本日の飯がかかっちょりまして」
連慈の目線の先には、高速で右脚を動かす絵瑠が立っている。灯より昨晩の一切の合切の詳細が仔細に伝わっているらしい。
一応励まそうとした結果であることは伝わっているはずなので、そのうちに怒りは収まるであろう。それは、朝食の後である公算が大きいが。
「んじゃ、次これ背負ってスクワットね」
そして連慈の懇願を無視した灯は、二宮金次郎スタイルの背負子を手渡した。連慈が疑問に満ちた表情を浮かべながらそれを背負う。それを確認した灯は、ひょいと軽く跳ねた。金の神がわずかに揺れる。そして、吸い込まれるようにその背負子に腰をかけた。
軽く見えたその動作であったが、実際は違ったらしい。グオッと、連慈が唸る。が、灯はお構いなしに、非情な数字を伝える。
「で、灯さん。何かわかったんですの?」
「そうね、とりあえず、自科研の嘘が一点。リが起こしたのはアメリカじゃなくて、フィリピンよ。まあ、アメリカ国内といっても差し支えないけどね」
二年前に、中国がフィリピンに侵攻した。珍しく参戦しなかったアメリカであったが、結局、大統領の支持率低下対策に参戦。中国軍は撤退したが、治安維持を目的にアメリカ軍は未だにフィリピンに駐留している。
「そういえば、遊人はどうなってますの?」
「遊人は、どうもその件に関わってるようだね。上野の移民街の調査に借り出されてるらしいわ。どうも、件の男、リ・ラウギを匿ってる組織があるらしいのよ」
「どこぞの…… スパイだったんじゃ、ないん、ですかい」
気張りながらの為にやけに聞きにくい調子で連慈は疑問を投げる。確かに、スパイならば、どこぞの組織ではなく、どこぞの国の大使館、もしくはそれに類する場所に匿われるはずであろう。
「そうね、でもそのどこぞは受け入れなかった…… 大方、今回の事件は、正規の任務じゃなくリの独断専行、小遣い稼ぎだったんじゃないかしら?」
「で、国からの支援がうけられなくなったと」
「恐らく、だけどね。あの街には違法移民が大量に住むアパートがあるんだけど、自科研は公安やら警察と一緒にそこを違法移民取締と称して包囲してるらしいわ」
「にしても、よく調べましたわねぇ」
「遊人の方は電話あったからね。でも、米国の方はちょっと大変だったかな? 公安の方は…… 大手の塾の方が難しいかもしれないわね」
絵瑠の言葉に灯はふふんと得意気だ。それを背負う連慈は、グギギと歯を食いしばりながらスクワットを続けていたが、その上下運動がハタと止まる。
それに気づいた灯が、ケツを蹴飛ばそうと脚を振り上げるのと同時に、連慈の視線の先にいる人物に声をかける。
「あれ? おはよう、編花ちゃん! 朝早いねぇ」
そういうと絵瑠が編花に近づく。
「お、おはようございます!」
二宮金次郎スタイルで女性を担ぐ男という前衛的状況について、何か思うことがあったのか、少女は目を丸くしている。
「さっきの話、聞こえてましたかいね?」
連慈は、背中の女にだけ聞こえるような声で問う。その女もまた、少女が懐中時計を握りしめていることに気がついたのか、そうね、といい言葉を継ぐ。
「もし、犯人の居場所がわかったとして、果たしてあの子がそこまで行けるかしら?」
残酷で冷酷で、正確な問い。あの子供には、ここを出るだけの手段もなく、そこまで行き付くだけの力もなく、犯人と対峙するだけの度胸もないであろう。
彼女は正しく、確かに少女である。それを証明するかのように、その娘は立っていた。




