12話
昼間、どれだけ太陽が照りつけようと、その暖かさの残滓は霧散霧消するこの季節。連慈は、朝方、遊人と訓練したその場所に寝袋を敷き、その上に寝ていた。その目が突然開けられる。プレハブ内からわずかに話し声が漏れ目を覚ましたのだ。
「絵瑠と編花だ。心配する必要はない」
私は、問題が起きてはいない事を伝える。内容に関しては、非常に個人的なことであったため伝えなかったが、そこには興味がなかったのか、大きく欠伸をするとまた目をつぶる。
少しして、編花一人が、外に出てきた。我々には興味もくれず、建物内に移動していく。そして、私の予想より早く戻ってくる。プレハブに戻ろうとした編花だったが、いつの間にか再度目を覚ました連慈が、声をかける。
「どうした?」
「あの…… えっと……」
そういうと、編花は下を向く。薄い緑のシャツの裾をつまみ、脚をモジモジさせ恥ずかしそうにする素振りは、聞いていなかったとしてもわかりそうなものだが、その辺りの勘が本当に悪い連慈は、もう一度、どうした? と問うと首を傾げる。
「その少女は、お手洗いを探しているのだ。お前は本当にダメな奴だな」
トイレだとか、オシッコだとか、恐らくその辺の言葉をいうのが恥ずかしかったのであろう。私は、お手洗い、の部分に強調線を入れながら少女に助け舟を出す。
「何だ、便所か。こっちだ」
何とも美的感覚に問題のある言い方でその場所へ連れて行こうと促した連慈であったが、編花は、ピタリと閉じた太ももはそのままに、口をあんぐりと開け、キョロキョロと辺りを確認する。
「だ、誰かいるんですか……」
私はしまったと思った。何度も目にしていた少女といつの間にか旧知の仲のような感覚に陥っていたのだ。もし姿を見せるにしても夜でない方がよかったことは明白である。しかし、ここで知らぬ存ぜぬを貫き通せば、それはそれで少女の精神衛生上よくないであろう。
私は、少女が驚かぬように、驚いても粗相をせぬようにと、祈りながら姿を烏に変え連慈の肩に乗ると声をかける。
「はじめまして。と言っても私はずっといたのだがな」
ポカンと口を開ける少女。
「か、からすがしゃべってる……」
「ただの烏だ。それよりションベンいくぞ」
行きしなに妖怪の説明をした。父親から、異能については何と無く聞かされていたらしく、説明にはそれほど驚かなかった。そして、帰りしなの話はない。二人はもくもくと歩く。その間何度か少女に視線を送っていた連慈だったが、意を決したのか長く息を吐くと前を見たまま話し始めた。
「俺の親父も、お袋も殺されてんだわ。うん、何か俺のせいらしいんだけどな」
連慈の突然の告白に、編花は、ポカンと連慈を見る。
「細かい話はわかんねぇんだけどな。先生、あの白髪のおじさんが知ってるはずなんだけど、いつもはぐらかされちまう」
「悲しくないんですか?」
「今は悲しいってより悔しいかな。まぉ、そん時はわけわからんくて死ぬほど泣いてたが。さっきのお前と一緒だ」
少女は俯く。連慈はどうしたもんか、と逡巡したのか、頭をかくとその手を震える少女の頭に乗せる。
「お前の悩みや苦しみは何と無くだがわかる。だからこそ、かけられたい言葉はわかってもかけるべき言葉はわからん」
情けない、そして嘘も憐れみもない連慈の本心。それを理解しているのか、少女は頷くと目元を拭う。
「嫌にならないんですか?」
少女はまた問う。その問いこそ、今の気持ちなのだろう。両親を殺され、弟を殺され、家族のいなくなった少女は今そういう気持ちなのだろう。
そして、少女は自暴自棄になるには理性が強すぎた。その気持ちの持って行き場がないのだ。
「最初の一年は、復讐しようとここで戦闘訓練ばかりしてた。そしたら、いつの間にか復讐相手は消えてた。次の一年は遊人…… この研究所の先輩でよく出来た(ナンバーテン)の男に引っ付いていろんな所に飛ばされた」
いつの間にか二人はプレハブの前にいた。連慈が、先ほど寝床に使っていた寝袋にどかっと腰を下ろす。編花もまた、その横にあるプレハブに上がるための石段にちょこんと座る。
「そこで見たのは、異能を持つが為に殺される者、魔法を使えるが為に殺される者、妖怪に関わったが為に殺されるモノ。そんなんばっかりだった」
その時私と連慈も出会ったわけだが。
「普通とは違うから、気持ち悪いか、嫌いだか、ムカつくから…… そんな悪意に満ちた、それでもまだ理解のできる理由はそうだな…… 一割もなかったんじゃないかな。ほとんどは利益の為に殺されてたよ。ほんのごく少数の人間が、不必要に巨大な金銭を得んが為に殺されてた。そして、俺や、お前みたいな境遇はたくさんあった……」
連慈は淡々と言葉を継ぐ。編花は一切口を開かない。
「嫌になっちまうよな。そんな世界」
連慈は、声を押し殺しクツクツと笑う。そして、枕元からチョコ菓子を取り出し口に放り込むと、編花に差し出す。編花はお礼を言うと一つ取る。
「それからずっとここにいるんですか?」
連慈はチョコを噛み砕くと、もうひとつ取り出す。
「一度出て行こうと思ったんだ。別にどこに行くつもりもなかったんだけど。どこかに俺の居場所があるんじゃないかと思ってな。ここは俺の居場所じゃないとも思ってた……」
「嘘だ。そんな感傷的な理由じゃない。絵瑠にここにいる理由知られた上、泣いてるのを見られたからだ」
私の発言に連慈は舌打ちで肯定する。
「えぇっと……」
「あーもう! そうだよ、こいつの言う通りだ。そしたらあいつまで泣き出しちまって出るに出られなくなったんだよ!」
連慈は頭をかくとペットボトルからお茶を飲む。
「しかもあいつ、施設作るとか言い出してな。俺達みたいな子供のために家を作るとよ。しかも俺はそこで先生やる予定らしい」
連慈は俺達と言ったことに気が付いているのだろうか。
そして、大きく溜息しながら編花を見る。嫌々ここにいるというアピールのつもりなのだろう。本当に嫌ならば出て行けばいいのだ。そして、今ここに連慈がいることがその答えである。
「何を教えるんですか?」
編花もまた視線に気がついたのか、連慈に向かって首を傾げる。
「そうだな。俺が教えるとしたら復讐のための生き方とかかな……」
連慈は片方の口端だけ上げる。その笑みの真意は子供には伝わらなかったらしい。
「復讐は…… ダメです…… ママが言ってました。やられたからやり返すのは人間のやり方じゃないって」
「そうだな、復讐はよくないな」
連慈は編花に向かって笑って見せる。先ほどのいたずら染みたものと、その中にあった悪意のようなものは霧散していた。
そして、連慈は長く息を吐いた。私もまた同じ気分であった。この少女が、もしもそのママの仇を前にした時、今と同じことが言えるのだろうか。その問いの答えは見たくないものだ。
連慈は、眉間に皺をよせる笑い方をしてから、もう一度編花の頭に手を置いた。
「そうだな。もし施設ができたらそこの先生やってくれないか? 俺には向いてないらしい」
そう言った連慈を編花はみる。頬が少し赤らんでいる。先生という言葉を二度三度と呟き恥ずかしそうに笑な表情を浮かべ立ち上がる。
「考えておきます」
少女は、ぺこりとお辞儀をした。口元、そして目元から見受けられる感情は、ここにきて始めて見留める表情であり、良い方に心情が動いたと感じた。連慈もまたそう感じたのか、手を上げる。
「あれだ、俺達は両親と家族の分まで生きようぜ」
私に人並みの頭部と腕部があれば、その腕を額か目の辺りにおいたであろう。
編花はこちらに一切顔を向けなかったが、その表情は見て取れた。
「ママは…… ママは、まだ生きてます」
連慈は、何度目かの嘆息をすると、行き場のないその右腕で頭をかく。
「お前は、やはり…… 本当にダメな奴だな」
連慈は、私に何も答えず、ペットボトルのお茶を半分ほど一気に飲み干した。




