10話
研究所に到着した二人はいつもの服装に着替え、灯から弁当――という詐欺な名前のパン食――を受け取る。
「私のハンバーグがコロッケパンに化けた……」
「マジかよ、ハンバーグ食いたかったなぁ……」
「また作ったげるわよ……」
もそもそと、コロッケパンに噛み付く二人を横目に、豊明はそそくさと準備を進めている。
ほぼ三口で食い終えた連慈は、二百ミリリットルパックの牛乳を一瞬で飲み干す。ずるずると、未練がましく音を響かせると、ストローから口を放した。
「これじゃ足んねぇよ…… たらふく食いてぇな」
「そうだ、知っているか? たらふくとは雑食性の鱈が何でも食って腹が膨れているさまだそうだ」
「…… 何の話だよ……」
私の話を一蹴した連慈は、豊明に目をやる。
「先生は朝飯、弁当だけで足りたんですかい?」
「私は食っておらん。あいつが私の分までしっかり食ってしまいやがった。その上まだ足りんと、ミーティング開始直前まで食い物を探してやがったよ」
私が、とある小鳥の減少とそれの関連性をアカデミックに考察している間に、絵瑠もまた食事を終え牛乳を飲み干していた。
「そういえば、遊人はどうしましたの?」
絵瑠は、牛乳パックをきれいに畳む。連慈は、自分のパックも渡すと、絵瑠は、パン二つと牛乳パックを受け取った際に、それが入っていた袋に詰めていく。
「遊人は、別の任務だ。その任務の雇い主がもう一つ仕事を頼みたいと言い出してな。中身に関してはまだ聞いておらんが、私よりも、お前たちの方がいいらしい」
「雇い主、誰なんですかね。その方々は……」
絵瑠が少し苦い顔をした。何かを思い出すような表情を浮かべている。
そこへノックの音が響いた。豊明が返事をすると、安部と桐穂が入ってきた。やっぱりと、口を動かした絵瑠であったが、そこで口が止まる。
さらにその後ろから見知らぬ少女が入ってきたからだ。肩より少し上で切りそろえられた髪の毛は、わずかに赤がかっている。顔を伏せているため表情は見えない。軽い色をしたシャツに、春を思わせるスカートをはいている。そして首からは、やけに長い銀製の懐中時計を、胸に下げている。
「私がここにくる必要なんかないし」
「相変わらず不愉快な女ね」
入ってきて早々、相変わらずの不機嫌娘に対して、絵瑠が小さく舌打つ。
「環、お前に何かしろというつもりはない。客前だからと、眉間から力を抜けとも言わん。頼むから黙ってくれ」
悲痛な表情の安部と、それを尻目にする桐穂。間の少女は、少し戸惑うように顔を上げて二人を見た。そこで初めて少女の顔貌を確認できた。大きな黒い瞳をした少女であった。年の頃は一二か一三と言ったところだろう。よく見ると目の白い部分が赤くなっている。鼻の先も赤くなっており、先ほどまで泣いていたのではないだろうか。
連慈と絵瑠の視線が、その哀れな少女に集まっている事に気がついたのか、安部は少女をちらと見る。
「この少女の護衛をお願いしたく、本日は参りました」
安部は恭しく頭を下げる。
「ふむ」
豊明が、少女を見る。その視線から逃れるかのようにまた伏せてしまう。
「伯父様、もう少し柔らかい視線で見てあげてください」
絵瑠の助言に豊明は、眉間を揉みこんだ。連慈は笑みを我慢するような表情で口を開いた。
「受けるのは構いやせんが、誰の子なんですかい?」
誰の子、別に親類を聞きたい訳ではない。豊明が、ジャケットの内ポケットから携帯を取り出す。ほどなくして、灯が表れた。
「その子は少しの間、うちで預かる事になりそうだ。適当に部屋を見繕って休ませてやってくれ」
「分かったわ」
豊明と灯の会話は簡潔であった。実際は、文言以上の内容を手振り目配せで伝えている。安部だけは、少し気になっているようだが、残りの三人は、その小さな違和感にすら気づけなかったようだ。
「名前は何ていうのかな?」
灯は、しゃがみ込むとその少女に問う。
「あ、えっと…… 刑部 編花です」
「編花ちゃんか、お姉ちゃんは灯よ。よろしくね」
声は掠れており、蚊の鳴くような、という表現を正しく使える少女の自己紹介に対して、お姉ちゃんの部分に強調線でも引かれているかのように自己紹介すると、灯は手を出す。握手のつもりか手を引いていこうとしたのだろう。それに対し、少女はビクリと体を震わせ、懐中時計を握ると俯いてしまった。
研究所組の怒りを孕んだ疑惑の視線。安部は片眉を上げると肩をすくめる。
それを感じ取ったのか、灯は殊更に明るい声を出す。
「そうだ! 部屋に行ったらプリン食べよう! あのこっわい顔したおじちゃんが隠したプリンの居場所知ってるんだよね。あのおじちゃんがこっそり食べてるプリンはすっごいおいしいんだから」
灯は、編花の肩を抱くようにすると退室する。プリンのあたりで少し豊明の能面に感情が浮かんだ気がするが気のせいだろう。
二人が去ってから残ったのは冷たい空気。それを打破せんとしたのか、いやに陽気な声で安部が話し始める。
「勘違いしないで頂きたいんですが、うちに来た時点であんな感じでしたからね」
「言い訳ならあの女にしておけ。ただし、言葉は正しく選べ、どうなるか知らんぞ」
絵瑠は、腕組みをすると、もう一人の女に対して視線を流す。
「何かあればすぐに光物チラつかせる雌蟷螂に怯えてるのではなくて?」
「黙ってるし、人牛の分際で」
安部は、桐穂の頭を軽くはたくと、持っていたカバンに手を入れる。
「依頼来の前にこれを」
差し出したのは、手のひらからはみ出すサイズの透明なほぼ真球の水晶であった。透けて見えるあちら側がユラユラと揺れているように見える。
「雨宮様より、上乗せの金より、あなた方には、こちらの方が役に立つのではないのかと。雑用係の私としましても、数字を数桁動かすよりはこちらの方が助かります」
豊明が絵瑠に目で合図する。絵瑠は、その石を両手で受け取る。安部のその筋力のせいで感じられなかったが、かなり重量があるようだ。絵瑠はそれを、ゆっくりと目の高さまで持ち上げる。絵瑠の瞳孔がわずかに開き、眉根に力が入った。それと同時に水晶の中の揺らめきが一瞬だけ静止し、そして激しく動きだす。
「本物の魔晶石です。しかも、かなりの純度の。この重さでは、携帯用とはいきませんが、それでもかなりの価値かと」
と、連慈が私をノックする。
「魔晶石が…… 魔力を増幅? 魔結石だっけ?」
「魔晶石が、魔力を増幅する方で、魔結石が、魔力を供給する方だ」
「今の声、誰だし?」
私の声に桐穂が反応し、見えない腰の物に手をやる。このまま黙っていては連慈か、安部の首が落ちるかもしれない。私は円匙から離れると、烏をかたどる。
「失礼した。私はこの円匙に取り付いている妖怪だ」
その一言について、思案するかのように、視線を宙に泳がしていた桐穂であったが、はたと止まる。
「……お前が盗聴野郎だろ」
連慈の口が緩む。
「私の聴力から言えば、お前たちが大声なだけだ」
私は、聞こえるようにため息をつく。桐穂が私に噛みつかんばかりの体勢になったところで豊明が咳込んだ。
「やかましい、時間の無駄だ。で、それが、その上乗せ分の仕事というわけか」
安部が申し訳なさそうに眉を動かす。
「はい。期間は、遊人様を借り受ける間で結構です」
つまり、現状遊人は自科研へ出向中で、さらにこの少女の護衛を引き受けろという話のようだ。
「延長期間分は?」
「保証致します」
豊明は絵瑠から魔晶石を受け取る。依頼の内容次第では受けるつもりなのだろう。
「で、どのような内容なんだ? 遊人の件と関係があるのか?」
何故か火花を散らす二人を横目に、安部は頭をかくと連慈を向く。
「質問に全てにはお答えできない場合があります。が、お答えできる範囲で、できるだけお話は致します」
安部はニコリと笑うと、全部話せよ。という連慈を軽くスルーし、説明を始める。
「先月の十日、浦木理という人間が入国しました。この男ですが、とある国の工作員で、現在アメリカで指名手配を受けている、リ・ラウギの可能性が高いということで、まず公安に目をつけられました」
「公安もまともに仕事しとりますねぇ」
数年前に施行された対テロ法のおかげで公安がやっとまともに機能し始めた、なんてことは日本の地方紙にすら載っている。ちなみに、未だにいくつかの報道機関がこの法案について、言論統制などの心配を騒いではいるが、おかげで言論の自由がまだあることは証明されている。
「そして、それと前後して、練馬区の家族が惨殺される事件が発生しました。父親は、腹を割かれていくつかの内臓が欠損。弟の方も、まぁ似たようなもんでした。母親の方は残念ながら行方不明。幸い、というにはあまりにも残酷な状況ですが、娘だけは、友人宅でお泊り会をしていたようで家を空けていましてね」
「その娘って、もしかして」
「刑部編花。十二歳。今回、依頼した護衛対象です」
連慈が頭をかく。
「そいだら、なんで自科研が保護してる? そいつは、お巡りさんの仕事じゃないですかい?」
連慈の疑問。口を開いたのは豊明であった。
「隠神刑部。四国に老舗の異能一族がいたな」
「さすが阿豆内様、その通りです。そして、その子孫があの娘です。まぁ、傍系ですがね。直系はいまだ四国の山奥です」
安部は目を遠くした。
「父親が刑部姓です。何らかの異能があるようですが、未能者すぎて、何かまではわかっていません。ただし、異能の知識はあったようですが」
「で、その事件と、浦木なり、ラウギなりに何の関係が?」
「これとそっくりな事件をアメリカで起こしたのがリ・ラウギなのです」
一拍おくかのように、安部は咳する。
「この男ですが、いわゆる誘拐犯で大量殺人犯です」
絵瑠の眉がピクリと動いた。かなり刺激的な話であるが、安部は何事もないかのような口調で続ける。
「対象となったのは、どこで知ったのか、全米で異能を持つとされる老若男女問わず十三人。まぁ、全員、能力的には大したものはありませんでしたので、非異能者として生活しており、米国の、我々のような管轄の人間から、たまに監視されながら、それでも普通に生活していた方々です」
異能を発現する異能臓器は、三千人に一人が持っている、と言われている。ただし、そのほとんどは現実世界になんらかの影響を及ぼすレベルではない。だからこそ、一般的に異能者は知られていないわけだ。そして、そのような人々は未能者と呼ばれ、国によっては監視対象となる。当然日本でも監視対象はいるが、偶然発見されたか、異能を一族として持っている場合でありほとんどは未自覚のまま、誰にも気づかれることもなく一生を終える。
「ラウギは、その彼らを誘拐し何らかの人体実験をしていたようです。状況が判明し、現場にかけつけた警察官がみたものは、何十という内臓の欠損した死体であったと。まぁ、事件自体は、麻薬関連工場の一つを襲撃した際に発見したようですが、まぁ、それはいいでしょう。その事件で手配された男こそがリ・ラウギでした」
視線を少し動かす。自身の話を聞いているか確認したのだろうか。そして、肩をすくめて見せる。
「まぁ、手配する前に国外に逃亡し日本に潜伏していたわけですが」
絵瑠がふうと息を吐く。
「異能者目的の事件らしいから、その関係者を自科研で保護。それで何か問題があるんですの?」
「おおありだし」
桐穂が鼻で笑う。
「今回先に動いていたのは公安と警察です。そして、自科研は、防衛省の下部組織と見られても仕方ない状況だ。後から、異能関係だから捜査権寄越せとはいかない。利権争いと受け取られかねない状況になります。だいたい、表向きにはただの可哀相な一家惨殺事件ですからね。捜査に協力、という形を取るのに精一杯でした」
「そして、せめて先んじて手に入れた少女を渡さんがためにうちに連れてきたと」
視線が強くなった豊明に対して、安部は困ったように眉毛を動かして見せる。
「それもありますが、あの少女をどちらの人質にしないため、と思っていただきたい。我々だって、あの少女をこれ以上巻き込みたくない」
連慈がハン、と笑う。言葉にしなかった点だけは褒められる。
「官房長官(飼い主)はなんと言ってるんだ」
「問題をでかくするな、とだけ」
「まともに飼えんなら、多頭飼いなどするもんじゃないな」
「多少の争いは、進歩を生みます。今回の件がうまくいけば、対テロ活動を行う上での異能、魔術の必要性が説ける。この国位なものですよ、怪異技術と科学技術を別個に考えるのは」
数式化できる概念のみを国家間の戦闘に使う。そんな、夢のようなお約束事を、日本の上層部はまともに信じているらしい。
「ところで……」
利一が突然口を開いた。
「あの懐中時計はなんですかいね?」
「遺品ですね。いくつか、まぁほとんどは押収されましたが、あれだけは……」
そこまで言って安部は少し険しい表情で首を捻った。が、また表情を戻す。
「すいません。あの懐中時計、捜査上それほど無関係であろうと、少女に返却されたんです。あれを渡した途端に大号泣が始まりましてね、参りました」
その後、豊明と安部により契約が行われた。
「では、我々はこれで。あの子のことよろしくお願いします。おい、いくぞ、環」
絵瑠と睨み合う桐穂の襟首を掴むと、簡単にあいさつし退室する。外で何かごちゃごちゃと言っているが、ほとんどは、桐穂の不平不満であり意味はなさそうだ。




