プロローグ
1941年8月15日 滋賀県塩津
「始動ヨーイ」
「ヨウソロウ、始動ヨーイ」
おだやかな琵琶湖の一角にてどこか間の抜けた声が上がった。
そこは琵琶湖の北のはしにある小さな入り江だった。
山に張り付くように小さな集落と数隻の漁船が停泊するどこにでもある漁村であった。
しかし、今日この入り江には珍しく人が集まっていた。
彼らの視線の先には入り江の端で小船が横付けされた一機の水上飛行機があった。
上飛行機はエンジンを始動してプロペラを回し始め、まもなく発進しようとしていた。
細長く、くびれた先端を持っていることから水冷エンジンを搭載していることが分かる。
また、風防も全体が覆われ、どこか垢抜けた感じがしていた。
そのためか、日本らしい飛行機といった感じがまるでなく、むしろ欧州やアメリカ製の機体のようなどこか舶来物の雰囲気が漂っていた。
機体には二名のパイロットが乗り込み、そばには作業員が付き添って発進準備を整えていた。
桟橋や岸、そして浮かぶ漁船の上には村人や技術者など多くの人々がおり、その様子を見守っていた。
「これより発進する!」
パイロットは直ぐそばにいて共にチェックを行っていた作業員に大声で言った。
「わかりました!幸運を祈ります!」
作業員はそれだけ言うと機体から飛び降りてとなりにつけてある小船に飛び乗った。
やがて、プロペラが回り始めてからしばらくして、機体はゆっくりと、だが徐々に速度を上げながら水上をはしり、やがてフロートが水を切って初夏の大空へと飛び立っていった。
「・・・あ、やった?・・・飛んだ!飛んだぞ!」
「よっしゃこのまま、いけぇ!」
「さあ、何処までいける!?400か?500か!?」
それを見た人々は思わず狂喜乱舞した。
この日、一機の水上機が飛行実験に成功した。
その名を「寒風」という。
北陸飛行機が開発した新型水上戦闘爆撃機であった。
近江塩津は福井県の敦賀などから滋賀県の米原方面にいく際によく私が電車まちをしたりする駅で、よく構内でうどんとおにぎりを食べていたりします。(これが美味いのですよ)
かつては琵琶湖の水上交通の要所でした。
でも今はしずかな町になっていたりします。
しかし、入り江は港があっただけあってそれなりに広く、また静かでした。
ここなら航空機の実験などにはもってこいだと思ったり思わなかったり・・・。
さて、戦闘機ですがなぜか考えていくうちに戦闘爆撃機になってしまいました。つまり瑞雲と強風を掛け合わせたみたいなものです。
なんか中途半端になりそうな気がします。