コッコラの実の誘惑 0.5
"コッコラの実の誘惑"本編より時間軸が数百年前のお話です。
久しぶりに届いた便りから視線を上げる。その顔には、嬉しいはずなのに、どこか困ったような笑みが浮かんでいた。
「ルリルラ、どうかした?」
届いた兄の声に顔を左手へと向けて、肩を竦める。
「お姉様は、もう戻って来ないおつもりのようです」
「そう書いてあった?」
「ええ。………いえ、陛下のお側に終生仕えることに決めた、と」
「なら、戻ってくるんじゃないかな? 寿命が尽きるまで存命し続けられる魔王様は中々いらっしゃらないし」
「それは、そうなのですが…」
兄の言葉はもっともである。
平均寿命が1500年~2000年を数えるクリフォロア大陸にとって、魔王としての在位と寿命においてはその限りではない。今代魔王は247代目だが、過去、1000年を超えて魔王として君臨したのは、6人しかないのだから。
それなのに、何故だろう。
ルリルラの中には、大好きな姉が取られてしまったという感覚があるし、故郷であるドラクニアへは戻ってこない気がするのだ。妙な確信とともに。
魔王の即位から2カ月。
たった2カ月しか経過していないというのに、定期的に届く便りの端々には、今代魔王を好ましく思ってるというのが透けて見えるのだ。先代の時はアイラルネ家の者として義務的に仕えている、という雰囲気だったのに。
「陛下の御身に何かあっても、そのまま墓守にでもなってしまいそうで」
溜息がちに呟いた科白に兄が手にしていた籠を落としたが、気にせずルリルラは先ごろ届いた手紙を眺める。家を出てから1度しか実家には便りを送っていないのに、従妹である自分には最低月に1~2回は手紙が届く。姉と呼ぶことを許されている。
それなのに。
「………陛下には、勝てないのね」
年が離れていたため、実の妹のように、従姉妹の中では特に気にかけてくれていた。早々にこの世を去った両親に代わって、成人の儀では父親役まで引き受けてくれるほどに。
「今代の魔王陛下は、どのような方なのかしら…」
「会ってくれば? ルサルラ様の帰国の説得って言えば、あの長老方でも出国許可出すんじゃない? ルリルラ以外の誰が言っても通用しない手だけど」
「この手紙を見るに、私でも説得は無理ですわ」
「何故? ルサルラ様、大抵のお願いは聞いてくれてるよね」
「だってお兄様」
困ったような笑みを兄へと向けて、
「お姉様ったら、とても楽しそうですもの」
魔王陛下との日常が―――――。
淡々と役目を果たし、慌てたり焦ったりせず、にこやかにほほ笑むことはあっても破顔することのなかった姿を思い浮かる。ドラクニアにいる時も、先代魔王に仕えている時もそうだったのに。
たった2カ月で姉の心を掴んでしまった今代魔王には敬服すると同時に、少しだけ嫉妬してしまう。
「それなら、あとでいい理由を考えて会いにいこうよ。長老方、私はともかくルリルラのことはドラクニアから出ていいとは言わないだろうからね」
困ったような笑みを浮かべる兄。
アイラルネは母方の姓だ。王家に次ぐ力を持つと云われるアイラルネ家だが、姉は歴代有数の実力の持ち主でありながら、国を出て魔王陛下に仕えている。
アイラルネ家の謎の家訓、"次代の当主候補は国を出て魔王陛下に仕えるべし"に従って。
実際のところ、姉は長老連中が嫌いだから早々に家から出たかっただけで、当主候補としての責務からではないのだが。
更に、ルリルラもその例に漏れない実力の持ち主である。とはいえ、攻ではなく守りに特化しているため、アイラルネ家のご老体な方々からすると手放したくない部類には入るらしい。
攻めることはあっても、攻めてくることはないのに。
長老方としては、ルサルラが帰国しなければその弟が次期当主となるため、ルリルラを妻に据えようという雰囲気をビシビシ伝えてきている。
「お兄様。お姉様がお戻りにならなかったとしたら…」
溜息を一つ。
「私、家出するかもしれません」
ぽつり、と呟く。
「ああ。遠慮はするな、後のことも気にしなくていい」
あっさりと頷いてから、
「ただし、いきなりはやめてくれ。事前準備が必要だろう? 持たせたいものもあるしな」
「はい。ご面倒をおかけします」
「むしろ、ルサルラ様のところに居てくれた方がオレとしては安心できる」
家出先もすでに決定事項のようである。
「お兄様もご一緒に」
「………まぁ、状況次第かな」
肩を竦める兄。
「行きましょうね」
穏やかに、妹はほほ笑んだ。
この数百年後、兄弟はそろってドラクニアを出る。
ルリルラとルサルラ、2人の文通(?)は続いていたが、ある時を境にルリルラからの便りが、ルグルスの代筆となり、届かなくなって―――――。
打算のない悩み相談などしないルサルラが、エティに「従妹から手紙がこなくて心配なんです」と、大丈夫だとは思うのですが、などと口にしたため、ちょっと行って来るね♪と。
本人的には細やかに治安維持に協力したつもりですが、帰宅後、コッコラの実のお団子をお土産として持ち帰るのを忘れたことに本気で涙して、ルサルラに慰めてもらっていたのはここだけの秘密です。