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ある飛行士の手紙

作者: 丹来カナイ

 最近、空がやけに青く見えます。貴女はお元気ですか?俺は相変わらずです。

 俺が今いる場所を告げることは出来ないけれど、貴女の今いるであろう故郷の景色は鮮やかに蘇ります。


 もう少しで、桜があの川沿いを埋め尽くすのでしょう。

 覚えていますか、最後に別れた夜に桜を二人で見上げましたね。

 月の明るい、花弁が散る様がまざまざと見えたそんな日でした。


 貴女は、そんな花吹雪を見て「惜しい」と言っていましたね、覚えていますか?あの時は俺も、そう思いながら無数の花弁を見ていました。しかし、今はこう思います。


 散り行く定めにあるからこそ、美しい、と。


 月並みですが、咲き誇る様が美しいのは、その先に散る定めを予期しているからでしょう。

 こちらは、すでに桜は終わり、新緑が鮮やかです。

 こちらの桜もそちらと同じく美しく、儚いものです。欲を出せば、貴女と共に見れないのが口惜しく感じました。


 けれど、こちらでは寝食を共にする同士と桜を見上げることが出来たので、決して寂しくはありませんでした。




 そう……寂しくは無かったのです。

 酒も宴も月さえも欠けたそんな夜でしたが、ただ無心に見上げた花に大の男たちが心奪われほうけていたのです。

 貴女がそれを見たなら笑ったかもしれませんね。なにせ、当の自分たちでさえ、我に返って笑いましたから。








 笑い声が懐かしく思われます。

 あれから、二月と経ってはいません。

 しかし、あの時桜を共に見上げた同士はこの宿舎にはおりません。

 彼等は一人、また一人、空の青に溶けて行きました。



 次は、自分の番です。

 見送るのは慣れましたが出来るのであれば、最後でなければいいと思っていましたが、やはりというかなんというか願いは中々叶わず、今に至ります。


 敬礼と共に見送った友とは、靖国で会おうと誓い合いました。

 それが、貴女とした約束を反故にするものと知っていて自分はそれを選びました。


 決して、貴女を蔑ろにしたいわけではありません。

 しかし、あの散り行く紅の中で俺は悟ったのです。


 自分たちは、この花のように散るに違いないと。

 大切な場所へとは二度と帰れないことを。




 出撃する理由は自分なりに考えました。

 最後ですから、心に迷い無く納得して行きたいのです。


 そうして考え付いたのは、なんとも自分勝手なことだけです。

 貴女はそれを知って憤慨されるかもしれません、けれどどうか俺の我儘を読んでくれたなら嬉しく思います。

 



 桜は毎春芽吹きますが、あの夜見上げた花とその前の年に見た花とが違うように、同じ姿形をしていても二つは似て非なる代物です。

 たとえば、俺がこのまま出撃することなく貴女のもとに帰ったとしたなら、確かに俺は貴女のもとに居られて幸せの中に一生を終えるかもしれません。

 けれど、今の自分が貴女のもとに戻ったとしても俺はもう、ただあの夜のように貴女のそばで穏やかに生きることはできないのだろうと思うのです。

 何故かといわれても、簡潔に言葉にするのは難しく、話したとしてもこれは理解はされないように思います。

 あえて口にするならば……故郷を離れて今日にいたるまで、多くの体験をしてきました。そしておそらくそれが俺の考えを変えたのだと思います。 

 しかし、そんな中にあっても変わらないものもありました。

 会えない貴女を思うことです。貴女のために自分には何が出来るか?ということです。そしてそれは、この身を盾にして敵の進行を一瞬でも遅くさせること、それに違いありません。


 これは、ただの自己満足に過ぎません。詰ってくれて構いません。

 嫌われても、仕方ありません。

 ですから、貴女の人生を生きて、選んでください。


 自分に操を立てる必要などありません。貴女が別の誰かと幸せになってくれるのなら、それが一番の喜びです。

 俺が貴女と共にいる未来は、永遠にやっては来ないけれど……


 君が誰かと出会い、結ばれ、君に似た可愛らしい子どもに手を引かれて、いつか一瞬でもあの夜桜を思い出してくれたなら本望です。



 まだまだ、書きたいことがたくさんあります。

 しかし、どうやら時間切れのようです。朝日が昇りました。

 最後の朝です。


 先に行った友に恥じないように、俺は二度と朝日は見ない覚悟です。

 貴女がこの手紙を読む頃、俺はもう居ないでしょう。

 もう一度言います、貴女が俺に縛られることはありません。

 貴女の気持ちも要りません、貴女の命も要りません。







 ただ、最後に頂いた貴女の写真を持っていくのだけ許してください。

 微笑むこの顔に、辛い教練も励まされました。死んだ後も俺がいつまでも、貴女を思い出せるように、この写真を持っていきます。



 それでは、さようならです。末永く、お元気で。

 貴女の幸せを強く祈っています。










 手紙の最後には力強い筆圧で想い人その人の名前があった。

 やはり、涙は流れたが、長年の心のささくれは涙と同じく流れて消えたのだろう。


 展示館の職員に手紙を返す。自分と比べればまだまだ年若い彼女は、涙を流す老女に慌てることもなく、ただ待つことをしてくれた。


 それが、老女の救いであった。

 ぶり返した想いはしばらく胸に燻り続けるだろう。

 しかし、きっと今の自分にならこの悲しみも遠くない内に昇華できると確信がある。


 ありがとう、と礼を述べ老女はくるりと歩き出す。

 踏み出す一歩は飛行士と共にあった頃より、重く緩慢ではあるけれど、この感覚を有り難く思う。


 階段を下りる、一回を通り抜けロビーで待つ連れ合いの背を見つける。


 その背中を追うことを始めは、選べなかった。飛行士を裏切るようで、彼を忘れるようで苦しかった。

 けれど、なんどその背を諦めようとしても……


「お待たせしました」


「お待ちしていましたよ」



 こんなふうに待つことをこの人は辞めなかった。

 だから、自分はこの手を取った。


 思い出の中の飛行士のように、瑞瑞しく張りのある手ではないけれど……







 屋内へ出ると、生憎空は曇って青が陰る中、薄紅があの日のように散り乱れる。

 目を閉じれば闇夜に浮かぶ桜が老女には見えた。

 しかし、それもつかの間で、瞼の向こうに雲間を塗って射す光りを感じる。

 目を開けて、視界いっぱいの花弁を追う。

 足を止めて意識して目を閉じても、もう闇夜の桜吹雪は見えなかった。


 桜の季節にやってきた、ほんの少し苦くてうれしい知らせ。

 若くして離れることを余儀なくされた、その人からの手紙が見つかった、と…… 

 飛行士を忘れたことはなかった。

 そして、そのことを隣にいる人に対して申し訳なく思い続けた。


 けれど、これからはただ隣にいる人だけを見つめ続けることをしたい。

 誰に願うでもなく彼女はそう思った。

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