第8話:変化する環境
「まいったな……」
侑人はホラント家の二階にある自分にあてがわれている部屋に引き篭り、ブツブツとぼやいている。とは言っても侑人自身が好きで引き篭もっている訳ではない。引き篭もらざるを得ない状況に陥ってしまったのだ。
この数日の間、裏庭で出会った少年が連日ホラント家を訪れ、今も応接室ではヨーゼフが少年の応対している。ちなみにマリアは村の市場まで出かけて留守にしていた。
少年の名はクロウ・ヤカブ。
クロウはホラント村の村長の一人息子で、多少乱暴な言動が目につく事もあるが性根は純粋で優しい少年だと、あの事件の後マリアから聞かされた。
ちなみにクロウの夢はこの国で一番の剣士になる事であり、この村に滞在する中年の守衛から日々剣を習っているらしい。
剣の筋はなかなか良いらしく、あと数年もすれば兵士として国に仕える事ができそうとの事だ。
「剣の師匠になってくれって頼まれてもなぁ。授業で剣道を少しだけ習っただけの俺にどうしろと」
クロウが連日ホラント家を訪れているのは、侑人に弟子入りして剣術の指南をして欲しいからだった。マリアから投げつけられた二本の薪を、一本の鉈で同時に叩き割った侑人の姿を目撃したクロウは、フードを被った侑人の正体が腕の立つ剣士だと思い込んでいる。
幸いにもクロウは侑人の顔を見ていない。咄嗟に後ろを向きフードを深く被りなおした侑人に少々不信感を持ったようだが、直ぐに気を取り直して弟子入りを頼み込んできたのだ。
目を輝かせながら侑人への弟子入りを懇願するクロウに向かって、侑人は遠い親戚で近いうちに故郷へと戻ってしまうとマリアは説明して諦めさせようとしたが、マリアの思惑通りに事は運ばず戻るまでの間でいいから剣術を指南してくれと熱心に頼みこまれてしまった。
クロウの勢いに押されたマリアが、今日は用事があるから時間が空いた時にでもと咄嗟に取り繕ったが、今度はいつ暇になるのだとクロウから問い詰められ、現在のこの状況を招いている。
侑人とクロウが突然の邂逅を果たしたあの日から、既に四日が経過していた。
「ぼやいてても仕方ないか。時間も勿体ないしそろそろ始めようっと」
自業自得としか言えない出来事のせいで部屋に篭る事になった侑人だが、部屋の中で何もせず呆けていた訳ではない。仕事ができない時間を利用して、マリアから教わった魔法の勉強をしているのだ。
とは言っても部屋の中で実際に魔法を使うと、物を壊したり火事を起こしたりする恐れがある。なので侑人は自身の体の中にある魔力を感じる為の瞑想と、魔法のイメージトレーニングを行っていたのだが、ただ漠然と魔法を使って木を切ったりしていた頃と比べて、格段に魔法の幅が広がってきている手応えを感じていた。
「うーん、もう少しで何か掴めそうな気がする」
マリアに教えてもらった魔法の基礎をひたすら反復する侑人。ちなみに魔法を使う為に必要な要素は三つある。
一つ目は魔力。当たり前の事だが、魔力を使用しないと魔法は一切行使できない。
二つ目はイメージ力。自身の魔力を火球や風の刃のような物質に変換したり、魔力を注ぎ込んだ対象の形状を自身の思い通りに変化させる為に必要な要素だ。漠然と魔力を行使しようとしても思い通りの効果は得られない。
そして最後の三つ目は意志の力。意志の力で物質変換した魔力を外に放出したり、対象をイメージ通りの形状に変化させる。マリアから習った内容を大雑把に説明するとそんな感じだった。
ちなみに持っている魔力の総量にはかなりの個体差があるが、この世界の住人全てが魔力を持っているらしく、理論上だけで考えれば誰もが魔法を使えるようになる。しかし実際に魔法を使えるものは人口のおよそ二割程度であり、魔力以外の何かが備わって初めて魔法の行使が可能になるようだ。
半エルフのマリアは魔法を使えるが人族のヨーゼフは使えないといったように、魔法行使においての種族間の個体差もよくある話であり、魔法を使えるという事は持って生まれた才能の一つと言えるのかもしれない。
また魔力は生命活動にも大きな影響を及ぼすらしく、魔力が減れば体調の悪化を招き仮に零になってしまうと死ぬ恐れすらある。これは魔法が使える使えないに関わらず、全ての生き物に共通する事だ。
魔力と生命力は近いものなのかもしれないと侑人は考えているのだが、いまだ全てが解明されていない魔力の原理は謎に包まれたままである。
とにかく魔力量は少しの努力ではどうにもならないが、瞑想する事によって自身が持っている魔力を効率的に引き出せるようになった事と、イメージトレーニングを繰り返す事で得られる明確なイメージが、侑人の魔法を格段に進歩させていた。
「後は実際に使ってみれば判るけど……今日も無理だろうな」
ちなみに魔法詠唱は自身の集中力を高めたり、意思決定のきっかけとして行う行為である為、魔法を使う際に必ずしも必要ではないらしい。
格好が良い独自の魔法詠唱を考えようかと少しだけ悩んだ侑人だったが、過去に拗らせた中二病のトラウマを思い出し自重した。
ただし詠唱に関しては例外もある。己の魔力を触媒として周囲に漂う魔力を集め、自身が持つ魔力以上の効果を発揮する高等魔法では、決まった古代言語の詠唱が必要になるらしい。
しかし今の侑人の魔力量では使いたくても使えないし、それ以前に一般家庭であるホラント家にそんな魔導書があるはずもなかった。
「床が土だったら試せたけど、さすがに二階の床を土にする訳にはいかないか」
侑人のお気に入りの魔法は土の魔法だ。戦闘では火や風の魔法の方が少ない魔力で高い殺傷能力を得られる為、土の魔法と比べて非常に効果的だという事は侑人にも判っていた。体力回復に使える水の魔法も有効であるとは思っている。
戦闘の観点のみで考えるなら、土の魔法は魔力が低いものが使っても劇的な効果を期待できない。敵に対して石つぶてをぶつける位なら、火の魔法で燃やしたり風の魔法で切断した方が、高度な技術は必要なく手っ取り早いのだ。
「我ながら俗物的な考えしかできないけど、無理して背伸びする事もないか」
しかし侑人は戦闘を想定した魔法の練習をしている訳ではない。繰り返しイメージしている内容は、全て仕事を想定していた。
火や水や風の魔法もかなり仕事に役立つが、土の魔法は岩や土といった固形物を扱う魔法なので応用が効くのだ。
「より強くイメージする為には他に何が必要かなぁ……」
たとえば周囲の土を集めて壁を作る魔法があったとする。というか侑人はその魔法を練習して何とかできる様になったのだが、今の侑人の能力では大人の背丈程の高さの土壁しか作れない。
しかし侑人の魔法がもっと巨大で頑丈な土壁が作れる位まで上達すれば、物を保管する土蔵が短時間で作れるようになる。魔法で周囲を土壁で囲った後、中を補強するだけで済むので経済的観点から考えてみてもかなり有効だ。
さらに先の段階、集めた土を全て岩へと物質変換できるようになれば、魔法で作成した土蔵はより頑丈なものとなり、長期的な活用も視野に入ってくる。安全性が確認できれば人が住む住居としても使用できるはずだ。
仮にそこまでたどり着けなくても、石つぶてを呼び出して相手を攻撃する魔法を応用すれば別の道も見えてくる。魔法で呼び出す石つぶての大きさを限りなく四角にイメージして、全部の大きさを揃えてあげればレンガの代わりになるはずだ。
レンガを焼いたり石を切り出したりする時間が短縮されるし、なにより元手がかからないという利点は果てしなく大きい。侑人はそんな事を日々想像している。
しかし侑人の修行の日々は長い道のりになりそうだ。現段階での侑人の実力は、この世界の魔導士達と比べると素人同然だった。
火・水・土・風の基礎魔法の上位魔法に当たる光・闇の魔法を使う事はできず、それ以前に基本魔法でも、直接地面に魔力を注ぎ込み変形させて土壁を作る形態変化魔法と、小さい火球やカマイタチを作成する放出系魔法しか使えない。高度な技術である物質化魔法や物質変換魔法は一度も成功していなかった。
「今も迷惑掛けちゃっているマリアやヨーゼフさんの為に頑張らないと」
侑人の静かなる野望がいつ成就されるのかは、今の時点では誰にも判らない。
ちなみにこの世界に住む大体の者は、魔法の才能があればそれを使った戦闘方法を磨くことを考え、まず自分の身を守る手段を得ようとする。そして一般人より突出した魔法の才能がある者達は、国に仕える魔導士としてその力を国防に生かすのだ。
とは言っても全ての魔導士が国に仕える訳ではなく、自身の魔法を生かして生計を立てる者もいた。
国に仕える以外の道は、大まかに言って三つある。
一つ目は個人で独立して事業を立ち上げ生計を立てる事だ。
とはいっても水の魔法の使用者に限定された道であり、体力回復や治癒を行える特性を活用して治療院を開設するのが常だった。もちろんティルト村にも少数存在し人々の生活に深く根付いている。
二つ目は傭兵を生業とする事だ。
各地の争いに傭兵として参加し、日々の糧を得る生き方を選ぶ者達もかなりの数存在していた。国に仕える能力を持ちえず士官に失敗した者が、夢を諦めきれずにこの道を選択する事が多い。常に戦いに身を置いて手柄を立て、仕官の機会を伺っているのだ。
中には規律や規則に縛られる軍隊の生活に馴染めず、自らの意思で傭兵に身を落とした者達もいる。自由気ままに生きる事を望んだはずなのに、気が付けば戦いに魅入られて抜け出せなくなってしまった哀れな者や、心の赴くままに破壊や殺戮を行いたいだけの人として壊れてしまった者など、傭兵を選択した理由は様々だ。
そんな者達を率いて傭兵団を結成し、立身出世を図る者も少数だが存在する。ゆくゆくは一国の主となるという壮大な野望を抱き、戦いの日々を送り続けているのだ。しかし大抵は山賊家業に身を落とし、国の討伐対象となり破滅の道を歩んでいくのだが。
そして三つ目。ごく少数ではあるが魔法を極める道を選択する者達もいる。
旅に出て見聞を広める者や書物に埋もれて日々研究を送る者など、魔法に対する接し方は様々だが最終的な目的は同じだ。いまだ全容が解明されていない魔法の真理を解き明かし、歴史に自らの名を残す事が全てだった。
「誰かに習えれば助かるんだけど、思い当たる人がいないのが痛いよなぁ」
今の侑人のように仕事や日々の生活のみに観点をあて、新しい魔法を編み出そうとしたり既存の魔法をアレンジしようとしたりする魔導士は、この世界にいない。世界中をくまなく探せば少しはいるかもしれないが、逆に言えばその位珍しい存在だった。
もちろん薪に火をつける為に火の魔法を使ったマリアのような使い方もする。しかしその使い方は炎をぶつける対象を人から薪に変えただけの、単純な変更に過ぎない。この世界での魔法という技能は、あくまで戦闘技能の一つなのだ。
そういった世の中の魔導士とはまるで違う方向で努力を重ねる侑人だが、そういう発想ができる事が異世界人である侑人の強みだった。
ロケットエンジンはミサイルとして軍事利用する事もできるが、宇宙ロケットに搭載して宇宙開発に役立てる事もできる。軍事利用されている魔法だが、使い方しだいでは日常生活で平和利用できるはずだ。侑人はそう考えているのだが先は長いようである。
「それはそうとして、こいつは何だ?」
部屋に引き篭もりながら魔法の訓練をする侑人だったが、訓練をするうちに一つの違和感に気づく。
瞑想をして自身の魔力を感じようと深く集中すると、自身の魔力の中心に何か殻のようなもので覆われた謎の物体の存在を感じるのだ。
「自分の中にあるはずの物なのに、全く様子が掴めないのは気味が悪いな……」
その殻に覆われた物体が、侑人の身体を通して外部の魔力を少しずつ集めているような気もする。それと同時に侑人に向けて魔力を放出しているようにも思えるのだ。とにかく気味が悪かった。
侑人は瞑想しながらその殻の中を探ろうとするが、自分の中にあるものなのに何度試しても上手く行かない。
「あの変な声の主が埋め込んだ物なのかな?」
そんな事を呟きながら侑人は殻の様なものと格闘している。しかし相変わらず状況に変化はなく、謎が謎を呼ぶ展開が続く。
「命に関わるものじゃないとは思うけど、これが何か判れば状況が大きく変わる気がするんだよな……」
何の保証もないがそんな事を確信する侑人。
「とにかく時間はあるし、もう少し探ってみよう」
呼吸を落ち着かせて侑人は深く瞑想する。
このとき感じた確信は事実だったが、その事が判明するのにはもう少しだけ先の出来事を待つ必要があった。
侑人が部屋に引き篭もりながら悶々としていた頃、マリアは夕食の買い物をする為に一人で村の市場へと来ていた。金髪のツインテールを風になびかせながら、鼻歌交じりで市場の通りを軽い足取りで歩いている。
ここ最近のマリアの機嫌はかなり良い。そんなマリアの姿は人々で賑わう市場でもかなり人目を引き、老若男女問わず村人達は次々と声を掛ける。
マリアは村人達の言葉に、愛想良く応えていた。
「おっマリアちゃん。今日は良い魚がはいったよ!」
「本当? 少し見ていこうかな」
「少し形が悪いけどこれ持って行きな!」
「わぁーありがとう!」
「よう。今度暇な時遊びに行こうぜ」
「なかなか暇にならないの。ごめんなさい」
「おねーちゃん遊ぼう!」
「ごめんねー。お買い物の途中なのよ。また暇な時に遊ぼうね」
「マリアや。少し茶でも飲んでいかんか?」
「買い物が終わったら少し寄らせてもらうねー」
マリアの人気はかなり高い。元からティルト村一番の美人としてそこそこ人気は高かったが、ここ最近は性格が丸くなり親しみやすくなったと、村人達の中でかなり評判になっている。
とは言っても素直な性格をしているので、年配の村人や同姓の者達からは元々可愛がられていた。しかし若い男を露骨に避けていた為、若い異性からの人気はいまひとつだったのだ。
だが今では、村中の若者の熱い眼差しを一身に浴びるようになり、村のアイドル的な存在となっていた。
そんなマリアに関する、とある噂が村人の中に流れている。それは男嫌いのマリアに春が来たらしいという噂だ。最近特に機嫌の良いマリアの態度も、噂に拍車をかけていた。
人口が少ない村では娯楽は殆どなく、ここ最近色々と注目されているマリアの噂は村中の関心を集めている。
そして噂の相手は、ホラント家に居候しているらしい謎の同居人――侑人――の事だ。
侑人は人前へ姿を現さない。薪割り作業で庭に出る時もヨーゼフの忠告を律儀に守り、目深にフードを被って顔を隠している。
マリアとヨーゼフ以外の者と話をした事はなく、そもそも先日のクロウとの邂逅が侑人にとって初の部外者との出会いだったが、意外な事に侑人の存在は既に村人達の間に知れ渡っていた。
実は外で作業をする侑人の姿を、遠目から目にした村人が複数いたのだ。
侑人は村の中心部へと向かう道からは建物の影に隠れて見えず、反対側には森しか存在しない、外界からほぼ遮断された裏庭で作業をしていたのだが、狩猟や採取で森へと入る村人もおり、完全に人目を避ける事はできていなかった。
しかしフードで顔を隠しているのが功を奏し、侑人の顔をはっきりと見たものは誰一人としていないが、その事が噂に火をつける原因となっている。
村のアイドルの様な存在であるマリアと、素性の判らない謎の同居人との秘密の関係が、娯楽に飢えている村人達の関心を引かない訳がない。だが残念な事に噂には得てして尾ヒレがつくものである。
「どうもマリアが他所の男を連れ込んだらしい」
「ヨーゼフ爺さんもその男を気に入っているらしいぞ」
そんな感じで微妙に確信に迫っている噂もあった。
しかし数多くの噂の内容は完全な誤解であり、しかも普通に考えればありえない内容も混じっている。
「マリアのコレが家に転がり込んできたらしい」
「元々マリアの許婚で、十七歳になったら同居する事になっていたらしいよ」
「既に新婚生活が始まっていると聞いたぞ」
噂の一部を挙げてみてもこれだけの数がある。もし万が一マリアの耳に入れば顔を真っ赤にして怒りそうな内容だが、幸いにもマリアの耳には今のところ届いていない。
ちなみに噂の中での侑人の人物像も多岐に渡っている。事実に即している内容も少なからずあるが、こちらの内容も目を覆うばかりの惨状だった。
「いつもフードを被っている怪しい男だ」
「相手の男はどうも木こりらしい」
「いや、腕の良い家具職人という話だったぞ」
これらの噂は侑人の日々の行動や、作った商品の内容から推察したと思われる内容であり、少しは納得できる部分もある。しかし、
「俺は怪力の戦士だと聞いたぞ」
「没落した貴族の息子だという話だが」
「どこかの王族だと聞いたのだが違ったかな」
大体の噂は上記のように完全に憶測から出ている内容で、噂の中の人物像は噂をしている村人達本人にも、どれが事実を基にしているのか把握できないほど多岐に渡っていた。
しかもヨーゼフとマリアは、同居人の事を村人達に話していない為、実際に同居人がいるのかさえよく判らない状況である。噂に歯止めが掛かる気配は全く感じられなかった。
2014/2/10:改訂