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ワーカホリック  作者: 茶ノ木蔵人
黒髪の奏でる唄
7/45

第7話:持て余す身体

「これは夢だな。うん、間違いない」


 突如目の前に現れた不可解な光景を目にした侑人は、誰に聞かす訳でもなく一人呟く。

 侑人が見上げる夜空には、漆黒の闇の中で圧倒的な存在感を放つ、重なりかけた二つの紅色の満月が輝いていた。

 月の光が紅く見える時は、どこかの誰かがろくでもない事を画策している。そんな都市伝説じみた言葉をどこかで見たような気がするが、何処で見たのかまでは思い出せない。

 神秘的でありながらも背徳的な雰囲気を内包した、圧倒的な存在に目を奪われる侑人が次に呟いた言葉は、

「綺麗だ」

 安直ではあるが実に的を得ている一言だった。

 いつまでも目の前に輝く双月を眺めていたい気分に駆られた侑人だったが、さすがに今の状況を確認しなければ不味いと思い立ち、遅ればせながら辺りを見渡す。

 夢だと決め付けていたおかげで取り乱す事はなかったが、空に輝く双月と時々瞬く星々以外は何もない、三百六十度真っ暗な世界が周囲を取り囲んでいた。


「痛くない。やはり夢か」


 古典的な手法ではあるが自らの頬を抓り改めてそう結論付ける侑人。

 幸いにも手足は自由に動くようだが、何かの感触や抵抗を全く感じる事ができず、その場でジタバタと動く事しかできなかった。


「ここは日本じゃないな。うん、間違いない」


 月が二つあるのでこの光景が日本ではなくマグナマテルのものだという事は直ぐに把握できた。しかし把握できたからと言って何かが変わる訳でもなく、侑人は宙に浮きながら一人でウンウンと唸っている。


「魔法を使えば……って駄目か。寝ぼけて魔法を使ったら何かとんでもない事になってそうだし。とにかく魔法抜きでなんとかできないかな」


 暫くの間、何とか動こうと試行錯誤していた侑人だったが、なにをどうやってもその場から動けないようだ。

 明晰夢の割りには結構不便なんだな。

 侑人がそんな悪態を付き掛けた時、突如事態は動いた。

 何の脈絡もなく侑人の目に映る映像が切り替わり、月の光と漆黒の闇とのコントラストに包まれた石作りの無機質な回廊を、周囲に視線を走らせながら無我夢中で駆け抜ける一つの影が映し出される。

 遠くで断続的に響き渡る甲冑が擦れる金属音と、時折発せられる苛立ち焦った男達の怒号が、その影に対する多数の追っ手の存在を知らしめていた。


「宙に浮いてると思ったら今度は妙な建物の中かよ。しかも嫌な雰囲気だし」


 寝つきの悪い深夜に偶然放映されていた、少々不できな無名のホラー映画を漠然と眺めている時のような、収まりの悪い感覚が体を支配する。

 目を逸らして早く寝なければと理性が働きかけるのに、それに反して身体には眠気が全く訪れず画面から目を離せない、もやもやとする状況に陥っていた。

 やがて華美な装飾が施され、幾重にも連なる太い柱の一つの陰に素早く身を潜めた影は、殺気立った兵士の一団を何とかやり過ごし、肩で息をつきながら何かを呟く。発している言語は全く理解できないのだが、何やら後悔の念を滲ませているようだ。

 影は暫くの間落ち着かない様子で周囲を警戒し、追っ手の気配を探っていた。しかし自身を取り巻く不穏な存在の足音が消え、つかの間の静けさが辺りに戻ると、深く溜息をつきながら柱に背を向け身体をもたれかけ、ずるずると座り込む。

 その刹那、天窓から注がれる赤い双月の光が、影の姿を優しく照らし出していた。

 年の頃はおそらく十代の半ば。人形のような整った顔立ちをしている少女の姿が、暗闇の中から浮かび上がる。意志の強そうな赤味がかった瞳が印象的だ。

 どことなく幼い顔つきをしているが、彼女の持つ高貴な雰囲気と上手く調和し、不思議な魅力を周囲に放っているようにも見える。赤みを帯びて光り輝く長い髪と、しなやかで健康的な褐色の肌も、彼女を優美に飾り立てていたのだが――

――自身の汗と赤黒い液体で髪の毛を額へと貼り付けさせ、褐色の肌につけられた無数の細かい切り傷を纏う彼女の姿が、今の不穏な状況を如実に感じさせていた。


「せめて止血だけでもしてあげたいんだけど……畜生、やっぱり動かないか。おい、大丈夫なのか? しっかりしろ!」


 見るに見かねた侑人は、目の前の少女とコンタクトを取ろうと試みるが、先ほどと同じく身体が全く動かない。それどころか声すら相手に届かない状況らしく、ただ見守る事しかできないでいる。

 手足を縛られたあげくに猿轡をかませられ、目の前で勝手に劇を演じられているような感覚が非常にもどかしくて腹立たしい。

 しかしそんな侑人の感情に構うことなく、目の前に映し出される光景は変化していく。彼女は忌々しそうに髪を掻き毟りながら、傷だらけの漆黒の軽鎧を見回した後、所々刃が欠けた剣を睨みつける。

 鈍く光る銀色の刃に映し出された彼女の眼は、今の状況に対してというより、この状態に陥らせてしまった己の軽率な行動に対しての怒りに満ちているようだった。

 数刻の後、何もできない侑人をよそにして彼女は動きだす。

 顔をしかめながらゆっくりと立ち上がるその動きは、先ほどより明らかに緩慢になっている。

 いまだに血は止まっておらず、このまま何も行動を起こさなければ死は静かに、しかも確実に訪れることは嫌でも予測できた。


「どんな夢だよ……くそったれ」


 嫌がおうにも予感させられる事態を招いた原因に、呪詛の言葉の一つも吐きたくなり侑人は思わず呟く。

 自分が彼女と同じ立場だったらとっくに諦めて命乞いをしているかも。侑人はいまだに自由にならない身体をバタつかせて、何とか動こうと四苦八苦しながらそんな事を考える。

 しかし彼女は強かった。

 全ての迷いを振り払うかのように頭を左右に振り、両の頬を軽く叩き、細心の注意を払いつつ、追っ手がいないと理解した方角へと進み始めたのだ。

 周囲に気を配りながら回廊をゆっくりと進んでいく。隠し通路が発見できれば……などと考えているようにも見える。

 どの位の時間が経っただろうか。運が良い事に今のところは追っ手に見つかっていない。とは言うものの、状況に改善は見られず、彼女は体力を無駄に消耗し続けているだけだ。

 最悪の展開が再び脳裏を過ぎるが、嫌な予想は外れてくれと祈る事しかできず、目を背けようともがいてみたのだが、なぜか彼女の姿から目を離せない。

 すると目の前の光景は新たな局面を迎えた。突然彼女の動きが止まったのだ。

 視線の先にあるのは、不可解な光を帯びた回廊の床。彼女は警戒しながら光る床に手を触れるが、予想に反して何の変化もない。

 触れれば何かが起こると思ったのだが、そうではないようだ。やがて彼女は調べる事を諦めたのか、光る床から視線を外して再度周囲に気を配り始める。

 だがそんな彼女の行動をあざ笑うかのように、思いもよらない変化が起きた。左腕から滴る血液が光る床にポトリと落ちた瞬間、まばゆい光が周囲を包み込み、彼女は――

――その先の光景を見る事は叶わず、突如目の前の世界が暗転する。

 何もない漆黒の空間だけが残り、全ての真相は闇の中へと沈んでいった。






「うわぁー!」


 もはや自室と化しているホラント家の二階の部屋にあるベッドの上で寝ていた侑人は、奇声をあげながら飛び起きた。

 背中どころか全身が冷たい汗でぐっしょりと濡れている。下着など絞れば雫が落ちそうなほどだ。

 いまだ焦点が上手く合わない視線を慌しく周囲に向けると、見慣れた部屋の景色が飛び込んで来て侑人の心を少しだけ落ち着かせる。

 二日間降り続いていた春の雨は夜更け過ぎにやんだのか、窓の外では穏やかな朝日が柔らかい光で大地を優しく暖めていた。


「何だったんだよあの夢……ふぁ……」


 この世界では特徴的な黒髪をガシガシと掻きながら、侑人は心当たりをあれこれ探す。しかし似たようなシチュエーションの映画を見た記憶など欠片も無く、思考は袋小路へと嵌っていく。

 侑人が気だるそうに何度か欠伸をしながら違和感を覚えた右頬に手を触れると、あからさまに寝ていましたと主張するかのような跡がついていた。


「ん?」


 ドタドタ……


 何時もなら静かなはずの早朝には相応しくない音が部屋の扉の外から聞こえてくる。早起きのマリアやヨーゼフなら既に起きていても不思議ではないが、普段ではありえない音だ。

 右手を頬へ当てたままの姿勢で侑人が何気なく扉を見ていると、その音は徐々に部屋へと近づき、

 ガチャッ

 普段より大きな音を立てて突如扉は開かれる。

 いまだにボンヤリとしている侑人の視界に映るのは、様子が少し違ったマリアの姿だった。

 普段ならノックをし入室の許可を取るはずなのに、マリアは珍しくそのまま部屋に入ってくる。

 不安げな表情を浮かべたまま恐る恐るといった様子で侑人の側まで来たマリアは、侑人が汗まみれのまま放心しているのを確認すると心配そうな顔をしてベッドの縁に腰掛けた。


「何か叫んでたけど……あ、汗びっしょりじゃない。気持ち悪くない? 大丈夫?」

「いや、ちょっと変な夢を見てただけだから。心配かけてごめん」


 笑顔でそう返す侑人の姿を見て、ようやくマリアも笑顔を浮かべる。

 今日の日付は風の月の第四週の五日。侑人が異世界に来て丁度三十日目の出来事だった。




「雨季に入るまでが稼ぎ時ってやつかな。今日も頑張ろっと」

「ほどほどにね。ユートはすぐ無茶するんだから」


 普段なら各々に割り振られた家事や仕事を行う為、朝食以外では昼過ぎまで別行動を取る事が多い侑人とマリアだが、今日は珍しく二人揃って裏庭に出てきた。

 朝の侑人の様子を見たマリアがあれこれ心配して世話を焼いてくれるので、今日はずっと一緒に行動しているのだ。

 侑人からすれば変な夢を見て飛び起きてしまった以外に特に変わった事などないのだが、マリアの好意をむげにもできずそのままの状態が続いていた。


「そろそろ薪割りの季節も終わるけどユートはその後はどうするの?」

「うーん。狩りはできそうもないし、どうしようか悩んではいるんだけど」


 使用するまでに数ヶ月の間乾燥させる必要がある薪を作るのに向いている季節は、春先から雨期の直前までの短い期間に限られている。

 その理由は簡単であり湿度が関係していた。雨季に入って水分を大量に吸ってしまった木材を、薪として使用できるほど十分に乾燥させる為には、一年近くの月日が掛かるのだ。

 作ろうと思えば可能ではあるが、どう足掻いても自然の力に勝てる訳もない。結果的に粗悪な品質になると判っている物を、余計な手間まで掛けて作ろうとする物好き以外は、雨季に入るまでの間に必要な量の薪を確保する。

 侑人は雨で遅れた作業工程を頭の中で修正しながら、いつもの様にホラント家の裏庭で薪割りの準備を進めていた。


「ユート、既に十分すぎるくらいの数があると思うんだけどまだ薪を割るの?」

「裏庭は広いから薪小屋さえ作っちゃえば保管するお金は殆ど掛からないし、この際置けるだけ作ろうかなと。それに薪は毎日の生活で必ず使うから、売れなくなったら家で使えばいいだけだし。まあ、市場に持っていく数を調整すれば値段もそれなりのとこで維持できるってヨーゼフさんから聞いた相場で判ったから、多くても大丈夫だとは思うけどさ」


 安定した供給力と高品質を維持する事が商売の秘訣なんだよねと、得意げに説明する侑人。この知識は某ネットゲームのバザーなどで学んだものだが、一応経験といえるものから出た言葉には説得力がある。

 マリアは難しい事はよく判らないけど、侑人がそう言うならきっとそうなのだろうと考え、感心した顔をしながらしきりに頷いていた。実は侑人が言っていることの半分も理解していないのだが。

 しかし侑人が語った言葉だけが真実ではない。侑人が過剰に在庫を抱える程の薪を作成している思惑はもう一つある。

 いつになるのかは判らないが、侑人が元の世界に戻った後の事も考えていた。暫くの間だけでもマリアやヨーゼフが楽に生活を送れるように準備しておきたかったのだ。

 命の恩人であるマリアやヨーゼフの手前、自分の思いを口に出す事はなかったが、侑人は元の世界に戻る事を諦めた訳ではない。

 優しい二人に囲まれたホラント家での生活は居心地が良く、侑人自身もかなり気に入っているのだが、元の世界を捨て去る覚悟を持つ事まではできなかった。


「ユートの考えは判ったけど、無理して倒れる事はしないでね」

「心配ばかり掛けて本当ごめん。気をつける」


 ここ最近の侑人は、自分の身体を持て余していた。持て余すと言っても変な意味合いではなく、純粋に身体の状態がよく判らなくなっているのだ。

 一旦集中してしまうと全く疲れを感じなくなり、数時間ぶっ続けで作業を行うことができるのだが、その反動からか気を抜いた瞬間に疲労が一気に押し寄せ、酷い場合にはその場で倒れてしまう事もあった。

 身体能力に関しても不可解な症状が出ている。侑人が普通だと思っている事でも、マリアやヨーゼフから見ると普通ではない、人間業とは思えないスピードや精度で物事をこなしてしまう事があるのだ。

 周囲に並べた薪を一瞬で全て割る事ができたり、一人では持ち上げられない重さの物を片手で持ち上げてしまったりと、例を挙げればきりがない。しかしこちらの方にも、侑人が素に戻った瞬間に強烈な痛みが全身を襲うという弊害が出ている。

 とは言っても気を失って倒れさえしなければ、暫く休憩するだけで痛みも消え元の状態に戻るので、現時点では深刻な事態に陥っていない。


「でもなぁ。結構自分では注意してるつもりでも、無意識でそうなる事もあるからどうやって加減すれば良いのか判んなくて難しいんだ。何で俺はこんな状態になっているのかな?」

「私に聞かれても判らないよ」


 おじいちゃんにも判らない事を聞かれても、私に判る訳がないと呟きながらマリアは苦笑している。

 マリアの言っている通り、侑人のこの症状の事についてヨーゼフにも相談していたのだが、さすがのヨーゼフにも原因は判らず、明確な答えは見つかっていなかった。


「でも最近は痛くならない事も多いし。あれこれ試してるうちに身体が慣れてきたかのも。とにかくまあ……無理しないさ」

「ユートの無理しないはあまり信用できないけどね」


 マリアは私が見張っていないとユートはすぐに無理をするからなどと言いながら、少しだけ険しい顔をして侑人を見つめている。どうやら今日はこのまま侑人の作業を見守るつもりらしい。

 侑人はそんなマリアの姿を横目で見ながら、ほんとに大丈夫なんだけどな、などと言いながら薪割りの作業を続ける。今日は薪割りの作業を通じて、自分の身体能力の限界点を探りたかったのだが、心配しているマリアの目の前で試す事に対して抵抗を感じていた。

 しかし己の限界を知る事ができれば、少なくとも倒れる事を防止できるはずという思いが沸々と湧き上ってくる。

 結局己の欲求に勝てなかった侑人は、好奇心旺盛なマリアの性格を利用した作戦を思いつき、恐る恐るといった様子で提案する。

 マリアに怒られたら即座に意見を引っ込めて謝ろうと考えているあたりが小心者の証だ。


「ちょっとした芸を見たくない?」

「ちょっとした芸って何? ユートって何かできるの?」


 単調な薪割りの光景に飽きてきたマリアは、目を輝かせながら侑人の返事を待つ。

 この様子なら上手く行くかもしれないと侑人は思いつつも、もう少し期待感を煽った方が成功率が上がりそうだと考え、わざともったいぶる事にした。


「よく考えたらあまり面白くないか。やっぱ止めた」

「えー! 面白いかどうか内容を聞かないと判らないよ!」


 我が策は成れり。

 まるで物語の敵役で出てくる悪役のような事を侑人は考えている。思わず少しだけにやけてしまったのだが、マリアは気づいていない様だ。


「まあ凄く単純なんだけど、投げた薪を空中で割る事ができたりもする」

「なんだぁ……もったいぶるからもっと凄い事だと思ったよ」


 少しだけがっかりしているマリアに微笑みかけながら、ゆっくりと裏庭の中央まで進んでいく侑人。割れた薪がマリアに当たって怪我をさせる事がないように、念には念を入れてかなりの距離を取った。

 そしてフードを深く被り直しながら辺りを注意深く見回し、他の者が見ていないかを確認する。できるだけ目立たないようにとヨーゼフから言われた事を、侑人は忠実に守っているのだ。

 とはいえ初めからこんな事をしなければ問題など起きない。しかし室内で試せる事はあらかた終わらせてしまっており、多少のリスクは承知の上での行動だった。


「ではいくよー」

「はーい」


 侑人は目を瞑って意識を集中させると、おもむろに目を開けて一本の薪を左手で空へと投げる。軽く投げるだけだと思っていたマリアの予想を裏切って、侑人の投げた薪はかなりの高さまで上がっていく。

 やがて投げられた薪は二階の軒先を超える高さで速度を零にすると、今度は大地へ向かって速度を早めながら落ちてきた。

 その光景を黙って見ていたマリアは、先ほど侑人に言ってしまった言葉を心の中で訂正する。侑人は事も無げに言っていたが、規則正しくクルクルと回りながら落ちてくる薪を空中で割る事は、結構凄い事ではないのかと思ったのだ。

 しかし現実はマリアの考えのさらに斜め上を行く。


「はっ!」


 侑人が鋭く掛け声を上げた次の瞬間、綺麗に四等分された薪が転がっていたのだ。


「え?」

「よし、成功」


 マリアは侑人の動きを捉える事ができなかった。辛うじて閃光が二本走るのが見えたのだが、どうやって四つに割ったのか理解できない。

 右手に持った鉈で落下する薪を斬り上げて二つに割った後、瞬間的に手首を返して割れた二つの薪に斬り付けただけの簡単な理屈だと侑人は説明したのだが、マリアには簡単な事だとは思えなかった。


「実はちょっと前から練習してたんだ。二つに割る事は一日でできたけど、四つに割れるようになったのは昨日かな」

「な、なるほど……」


 鉈を地面の上に置いた侑人は、マリアに説明しながら自分の右腕を触っている。どうやらこの程度の動きならば、痛みが襲う事はなさそうだ。

 最初のうちは激しく鉈を振ると右腕に鈍痛が走ったのだが、身体が段々慣れてきたのか今は普段通りの状態を保っていた。侑人は意味深に一回頷きつつ、足元にある鉈を拾い直す。


「という訳で、この位の動きだったら身体の方は大丈夫。連続で何回もやれば話は別だけどさ」

「この位って。かなり凄い事だと思うんだけど。でもユートの事だから、そのうち誰かが投げつけた薪も、簡単に割れちゃうようになるのかな?」


 四つに割る事は無理だけど、二つに割る事なら今でもできるよなどと涼しい顔で答える侑人の姿を、呆気に取られた表情で眺めるマリア。

 普通に剣の修行をしたら、侑人はかなり強い剣士になりそうだ。マリアそんな事を考えている。


「二つ投げたら二つとも割れるの?」

「うーん、多分何とかなるかも? 綺麗に割れるかって言われるとさすがに自信ない」


 マリアは家の裏手に積んであった太目の薪を二本掴むと、侑人から少し離れた場所まで歩いて行く。侑人と一緒に何かをやるのが楽しいのか、マリアの機嫌はかなり良い。

 侑人は少し困った顔で本当にやるのと問い掛けながらも、来るべき時に備えて集中力を高めている。できると言い切ってしまった手前、なんとか成功させてマリアにいい格好を見せたかったのだ。


「いくよー」

「いつでもいいよー」


 マリアは少し遠目から力いっぱい薪を投げたのだが、距離が遠すぎて上手く行かない。明後日の方向に飛んでいった二本の薪を、マリアは苦笑いしながら拾っている。

 そして今度は侑人の目の前まで近寄り、もう一度薪を構えたのだが、今度はあまりの距離の近さに侑人がたじろいだ。


「もう一回行くよー」

「ちょっと近すぎない?」

「軽く投げるから大丈夫だよ。それ!」


 そんな事を言いながらマリアは両手で二本の薪を投げる。割れた薪がマリアに当たるかもしれないのでもう少し離れて欲しいと侑人は言いたかったのだが、その言葉は間に合わなかった。

 多少の軌道のずれはあるものの、二本の薪は侑人に向かってクルクル回転しながら真っ直ぐ飛んでいく。

 投げられた薪を避けようかとも考えたが、やはり格好いいとこをマリアに見せたい気持ちの方が強く、結局侑人はマリアがいない方向へと薪を弾く事を選択した。


「せいっ!」


 鋭い掛け声と共に、二本の線が左右に走る。

 マリアの右手から投げられた薪は二つに割れて家の裏手に積んであった薪の束にぶつかり、左手から投げられた薪も二つに割れて森の茂みの方に飛んでいく。

 上下に鉈を振るよりも、左右に振って薪を弾き飛ばした方がマリアに当たる可能性が低くなる。咄嗟にそう考えた侑人の予想通りの軌道を薪は描いていた。マリアに当てて怪我をさせてしまうという、最悪の結果を避けられた事に侑人は安堵する。


「すごいすごい!」

「何とかなったかな」


 マリアは興奮しながら手を叩いて侑人を称えている。侑人ならば当てる事はできると思っていたが、まさか二本とも割るとは思っていなかったのだ。

 侑人は喜ぶマリアの姿を見てかなり照れていた。ここまで喜んで貰えたのなら、やってみて良かったなどと考えていたのだが、次の瞬間に思いがけない展開が起こり、やらなければ良かったと心底後悔する事となる。


「す……すげえ!」


 ギョッとした顔をしながら、侑人とマリアはその声の方向に視線を向けた。何かの間違いであって欲しいと思っていたのだが、無慈悲にもその願いは叶わない。

 見知らぬ少年が裏庭の側にある森の茂みから、尊敬の眼差しで侑人の姿を見つめていた。

2014/2/10:改訂

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