第6話:魔法と黒髪
カツーン……カツーン……
小気味のいい音が辺りに響き渡る。
カツーン……カツーン……
その音はティルト村の外れにある、丸太を組み上げて建てられている民家の裏庭から、規則正しい間隔で奏でられていた。
奏でているのはフード付きのマントで顔を隠している怪しい人物。しかもその人物が居る裏庭は、村の中心部へと向かう道からは建物の影に隠れて見えず反対側には森しか存在しないという、外界からほぼ遮断された場所だった。
どこの誰から見てもかなり怪しいとしか思えない状態なのだが、その人物は黙々と作業を続けている。
やがて裏庭に面する民家の窓から、一人の初老の男がゆっくりと顔を出す。この民家の主だ。
真っ白になった頭髪が積み重ねてきた重厚な歴史を、顔に刻まれた深い皺が意志の強さを感じさせ、非常に品の良い雰囲気を身に纏っている。
初老の男は暫くの間、規則正しい音を発生させている主を家族を見守る温かい目で見守っていたのだが、作業がひと段落したのを見計らうとゆっくりした動作で体を乗り出しておもむろに話し掛けた。
「そろそろ休憩したらどうじゃ?」
「わかりましたヨーゼフさん」
ヨーゼフに話し掛けられたその人物は、少し凝り固まった肩をほぐす為に立ち上がりながら両手を伸ばす。
その拍子に顔を隠していたフードがずり落ち、この世界で唯一の存在である証――黒髪――が姿を現した。
「ユート。マリアがどこに行ったのか知らんかの?」
「マリアなら俺が作業を始めた頃に籠を持ってあそこにいきましたよ」
最近の日課となっている薪割りを終えた侑人は、裏庭の側にある森を指差す。
マリア曰く、まだ日が高い時間であり春の穏やかな気候でもある為、奥の方まで行かなければ特に危険はないとの事だ。
とは言ってもこの時期の森には冬眠から目覚めた危険な獣がいる事も考えられるので、完全に気を抜く事はできないと侑人は考えているのだが。
「心配でしたら見に行ってきましょうか?」
「いや、そこまでせんでも大丈夫じゃろう。あの子も子供ではないはずじゃ」
そんなやり取りをしていると、少し奥にある森の茂みがガサガサと音を立てる。どうやら侑人が居る裏庭へと向かって、真っ直ぐに進んでくる存在がいるようだ。
「どうやらマリアが戻ってきたようですね」
侑人のそんな言葉と同時に、金髪のツインテールを風になびかせた少女が、茂みの隙間から顔を出した。
「ユート、おじーちゃん、ただいま!」
「よく帰ったのマリア」
「お帰り。結構早かったね」
「ユート! 見て見て! 味見させてあげる」
手渡された赤いロレヌの実を口に含むと、甘酸っぱい味が口いっぱいに広がる。実際に食べた事はないが、野苺はこんな味なのかもしれない。
マリアはロレヌの実で一杯になった手提げ籠を持ったまま、侑人に向かって穴場の説明を始めた。どうやら裏庭のすぐ近くにマリアしか知らない秘密の場所があり、今度一緒に連れて行ってくれるらしい。
「楽しみだねー」
「俺の方こそ期待して待ってるよ」
柔らかい笑みを浮かべながら頷く侑人の姿を、マリアは嬉しそうに見つめながらはしゃいでいる。
そんな二人の姿を、ヨーゼフ静かに見守っていた。少しだけ険しい目を向けているのは、少々仲が良くなり過ぎた二人の関係を心配しているからだ。
ヨーゼフは筋金入りの孫馬鹿だった。
「片付けは後でわしがやっておくから、二人とも中に入って休むと良い」
「じゃあ私はお茶の用意をしてくるね。おじいちゃんはいつもヌハ茶だけど、ユートは何にする? まあヌハ茶以外にヌクしかないけどね」
「手間じゃなかったらヌクの方がいいかな。お願いできる?」
「あんな苦いものをよく飲めるねぇ。でも判った、すぐに用意するから!」
厨房へと向かうマリアの後ろ姿を苦笑いで見送る侑人。まさか自分の好みをばっさりと斬り捨てるとは。
しかし嫌な気分にはならず微笑ましくさえ思える。侑人はマリアと気安い関係になれた事を喜んでいた。
やがてマリアの姿が見えなくなると、侑人は周囲に乱雑に積み上げられた薪を綺麗にまとめ始める。会話により中断していた片付けを終わらせてしまおうと考えたのだ。
「わしが後で片付けとくからユートは休んでいいのじゃぞ」
「マリアがお茶の用意をする時間もあるんで、その間に片付けを済ませちゃいます。ヨーゼフさんは先に休んでて下さい」
作業の手を止めずにもくもくと動き続ける侑人の姿を見て、ヨーゼフは少々苦笑いする。勤勉な姿に感心するが、少しぐらいサボっても良いのではないかと考えていた。
そんなヨーゼフの視線を気にする事なく、綺麗にまとめた薪を薪小屋に運び整然と積み上げていく侑人。無駄のない動きであっという間に散乱していた薪を片付け終えた侑人は、少しだけ汗をかいた顎に手を当てながら呟く。
「そろそろ小屋も一杯になるし、明日晴れたら薪小屋の増築でもしようかな……って俺も随分ここの生活に馴染んだよな」
侑人が苦笑しながら眺めている裏庭には十近い数の薪小屋があり、ここに建ってる物は全て一人で作り上げたものだ。薪の数は今日割った分だけで考えても、一世帯が一週間掛かっても使い切れないほどの分量があり、一つの家庭が普通に使用するだけならばここまでの数量は要らない。
実はここ最近、侑人が均等な大きさで割った薪がティルト村の中でちょっとした評判となり、普通に商売として成り立っていたのだ。乾燥させていない薪をそのまま使用する訳にはいかないが、今年の冬に使うのならば乾燥も十分に間に合い、大きさが揃っている事で保管場所を節約できる侑人印の薪は、大量に薪を使う冬場に備えるのに最適だった。
「ユートが来てから、わしらの生活も随分変わったのぅ。もちろん良い意味でじゃが」
「随分長い間お世話になっている気もします」
侑人はここに来てから何日経ったのかを指折り数え始める。異世界に召喚されてから、既に二十日以上経過していた。
「まだ一月経っていない位ですかね」
「わしは一月以上過ぎたと感じておったが気のせいじゃったか」
「確かこの家にお世話になったのは風の月の――」
マグナマテルの一年は、光・風・水・火・土そして闇の六つの月に区切られる。
光から土の月は八週間続き、一週間は八日を一つの単位として構成されていたが、闇の月だけは少し特殊で、五週間しかなく他の月より短い。
そして闇の月と光の月が切り替わる間の五日間、例外として四年に一度だけ六日間になるが、この期間は無の月と呼ばれ、一年を過ごせた事に感謝をする大祭が、マグナマテル全域で執り行われる。
また無の月は聖なる期間でもあり、仮に戦争状態が続いていたとしても、その期間だけは国家・宗教を問わず停戦する事が習わしであった。
「まあそれだけユートがうちに馴染んだという事じゃろう」
「ありがたい事です」
侑人とヨーゼフは談笑しながら、厨房に近い裏口から家へと入る。
厨房ではマリアが鼻歌を歌いながら、お湯を入れている鍋を覗き込んでいた。少しだけ険しい顔をしているところから察するに、中のお湯がかなりぬるくなっているようだ。
侑人の予想通り、マリアは腕まくりをして厨房にあるカマドの中に空気が通るように薪を組み、組んだ薪の中央に燃えやすい小枝を入れる。小枝を少し多めに入れるのがコツだとマリアが少し前に教えてくれた。
その作業が完了するとマリアはカマドの上に鍋を置き、もう一度カマドの前に座り込み、薪の前に手をかざして意識を集中させる。
「炎の魔弾」
マリアがそう言葉を発した直後、手のひらから小さい火球が現れ小枝に着弾し、小枝に当たった火球は弾けて周囲の小枝に次々と火をつけた。
パチパチと音を立てて燃えている薪を静かに見つめているマリアの顔には、やんわりとした笑みが浮かんでいる。
「何か嬉しそうだけど、良い事でもあった?」
「うわっ! あ、ユートか。もー脅かさないでよ」
突然侑人に話し掛けられたマリアは、周りの事に気づかないほど集中して考えて込んでいたのか、飛び上がって本気で驚いていた。
そんな姿を見た侑人は作業の邪魔をした事を詫びたのだが、マリアは床に座り込んだまま笑顔で首を横に振る。
「ううん大丈夫。お湯が沸くまでの間、二人でお話でもしてようか?」
「する事もないからそうさせて貰うかな」
侑人もマリアと同じように床の上へと座り込む。
マリアがマグナマテルに召喚された侑人を家に連れてきたのは、風の月の第一週の二日。今から三週間前の事だった。
「今日もお仕事お疲れ様。ユートって本当に頑張りやさんだよね」
「そうかな? 自分ではいたって普通だと思ってるんだけどね」
異世界で生活する侑人だけでなく、マリアにとっても侑人との生活は驚きの連続だった。ハルモ教が嫌いであるはずのマリアが、なぜ黒髪の侑人を家に連れてきたのかいまだにはっきりと本人も判ってはいないが、とにかく新鮮で楽しかったのは事実だ。
マリアにとっての侑人は、黒髪である事を除いても特殊な存在だった。しかもマリアが知る男性の行動とは大きく違っていて、そこに大きく興味を引かれている。
マリアが知っている若い男性の行動は、彼女自身が人目を引く容姿をしているせいもあり、事の大小の差はあるが、野蛮で気が利かなくて強引だった。
若い男達からすれば、マリアの気を引く為に話し掛けているだけなのだが、とある事情で色恋沙汰に興味が持てないマリアにとっては逆効果でしかない。
その為マリアが今まで親しくなった男性の数は少なかった。身内であるヨーゼフや村の村長、お店のおじさんやこの村に滞在する守衛の騎士のおじさんといった、基本的に年配の人ばかりであり、若い男性のギラギラした視線やガサツな行動が苦手なのだ。
しかし若い男性であるはずの侑人は、マリアの予想を裏切り非常に紳士的だった。
侑人からすれば命の恩人であるマリアに間違っても手を出す訳にはいかないと、固く誓っていただけなのだが。まあ単なる奥手な性格という事も理由の一つにはなる。夜は一人で悶々としていたのだが。
「あ、そういえば私、いきなり家にユートを連れてきちゃったけど、迷惑だったかな?」
「それは絶対ないよ。マリアがいなければ俺なんて既に死んでいたかもしれないし。今でも心から感謝してる」
「ユートがそう言ってくれるならいいけど。良かった、ちょっと気にしてたんだ」
「最初に会えたのがマリアで良かった。お世辞じゃないぞ?」
「あは、ありがと。でもユートは凄いね。こんなに早く普通に言葉が話せるようになるなんて思ってもいなかったよ」
「マリアとヨーゼフさんのお陰だね」
侑人は感謝の言葉と共に、柔らかい笑みをマリアに向ける。マリアの顔が少し赤く見えるのは炎のせいだろうか。
「そんな事ないって! ユートが凄いんだよ!」
「むしろマリアとヨーゼフさんの方が凄いよ。本当に感謝していますって」
マリアは照れながら侑人の肩を叩き、侑人もおどけて見せながら笑顔で応対している。二人の雰囲気は非常に和やかだ。
「それはそうと、色々な事があったね」
「マリアと出会った日の事は今でもはっきりと覚えてるよ」
侑人は赤く揺らめいている炎を見ながら、今までの事を思い返している。
あの時マリアと出会っていなければ、こうやってのんびりと生活する事など叶わなかっただろう。
「言葉を教えた時も驚いたけど、薪割りをしているユートを見た時も驚いたな」
「あー、あの時は驚かせてごめん。今考えるとかなり軽率な行動だった」
両手を合わせて謝る侑人の姿を見たマリアは慌てて首を横に振る。
侑人以外にそういう仕草をする人間はマグナマテルにはいないが、侑人が両手を合わせて謝っている時は、本気で言っている事をマリアは知っていた。
「そういう訳じゃないの。ただあんな事ができる人がいるとは思わなくて」
「自分でやっておいて言うのも変だけど確かにそうだ。少し面白くなってしまって、後々の事を考えてなかった。本当にごめん」
今の状態で何を言っても侑人が反省してしまうことを悟ったマリアは、侑人の唇を人差し指でそっと塞ぐ。
笑顔でそんな行動に出たマリアを、驚いた表情で見つめながら無言で頷く侑人。少し顔が赤くなっていたのは、炎の熱気のせいだけではない。
「怒っている訳じゃないから謝っちゃ駄目」
「…………」
さっきよりも激しく頷く侑人の姿を見たマリアは、満足げな笑みを浮かべて侑人の唇から人差し指を離すと、揺らめく炎に視線を移し静かに見つめる。
そんなマリアの姿に習い侑人も炎を見つめながら、少しだけ早くなった鼓動を落ち着かせていく。マリアの行動に他意はない事を理解しているが、若い男のサガなのか少しだけ期待してしまう。
「ユート? 急に黙り込んじゃったけどどうしたの?」
「あー、ここに来た時の事を思い出してただけさ。考え込むと周りが見えなくなるのは俺の悪い癖だよね」
「あはは、ユートらしいね。その集中力がユートの力の秘密かな」
「そんなたいそうな物じゃないよ。元々のんびりしている性格だからさ」
侑人はそう言いながら立ち上がり鍋の中を覗き込んだのだが、お湯はまだ沸いていなかった。
とは言っても後数分もあれば沸騰するかななどと考えつつ、再びマリアの横に腰を下ろす。マリアはそんな侑人の行動を笑顔で見守っていた。
「ユートって言葉や仕事を覚える時も凄かったけど、魔法を覚えた時も凄かったよね」
「先生が良いからね」
心底そう思っているといった様子で頷いている侑人の姿を、マリアは苦笑しながら見つめている。
確かに侑人に魔法の基礎を教えたのはマリアだが、侑人の魔法の腕は既にマリアを軽く凌駕していた。
「今は私がユートに教わってる気がするけど」
「それはそれだよ」
少しだけ頬を膨らましているマリアに涼しい顔を向けながら、魔法と出会った日の事を侑人は思い返す。
きっかけは本当に偶然で些細な出来事だった。
侑人が魔法を初めて見たのは、異世界に召喚された日から数えて一週間が過ぎた頃の事だ。
その日の天気は生憎の雨模様で、外の仕事ができない侑人は暇そうにしながら部屋で時間をつぶし、マリアはいつもの様に厨房で食事の支度をしていた。
侑人は余りに暇だったので、何か手伝いをする事がないか聞こうと考え、カマドに薪を組み小枝を並べているマリアに近づく。しかしマリアは侑人の存在に気づかず、そのまま作業を続けていた。
「炎の魔弾」
マリアが言葉を発した直後、手のひらから小さい火球が現れ、小枝に着弾しカマドに火がつく。マリアにとっては日常風景なのだが、侑人にとっては衝撃の光景だった。
「今のはひょっとして魔法!」
急に声を掛けられて驚いたマリアが振り返ると、楽しいものを見つけて興味一杯になっている子供のような、憧れの人を目にした乙女のような、満面の笑みを浮かべた侑人がいた。
マリアが普段の紳士的な侑人と全く違う雰囲気に少し戸惑いながらも頷くと、侑人はマリアの手をいきなり握りしめて興奮した様子で話し掛ける。
「マリアさんが暇な時でいいので、魔法を教えてください!」
侑人の勢いに押されたマリアは、小さく頷いた。
その日からマリアは侑人の魔法の先生となり、空いた時間があれば魔法の基礎を教える事になったが、完全な先生でいられたのは二日の間だけだった。侑人はたった二日でマリアが使える火の魔法を全部覚えてしまったのだ。
それどころかマリアが使えない残りの基礎魔法である水・土・風の魔法まで、全て独学で習得してしまう。
半エルフであるマリアが持っている魔力量はかなり多い。一般人から見れば数倍の魔力量を誇るマリアの元に、魔導士を目指したらどうかという話が舞い込んだ事もある。
しかしマリアは魔導士になりたいと思っておらず、それどころか魔導士に対して嫌悪感を抱いている素振りも見せていた。
結局一時期本格的に取り組まされた魔法の修行では全く芽が出なかったのだが、修行に対して身が入っていなかった事が原因かもしれない。
その為マリアの実力は火の魔法で薪に火をつける程度の事しかできないままであり、いつの間にか魔導士云々という話は無かった事になっている。
ちなみに侑人が持っている魔力量は少なく、大規模な魔法は使えそうもない。しかも過度に連続して魔法を使用してしまうととんでもない疲労感に襲われ、酷い時には意識を失ってしまう事もある。
一度マリアの目の前で意識を失った時には酷く心配され、その後暫くの間はマリアの目の前以外での魔法の禁止を約束させられたりもした。
様々な制約を課された侑人の魔法はかなり不便だ。しかし侑人は魔法が使えるだけでかなり満足していた。男とは何歳になっても子供っぽい部分を持ち続ける生き物である。
「土の魔法が便利だなって最近気づいたんだけど、マリアさんはどう思う?」
「私は上手く使えないからよく判らないや。ユート、今度教えてね」
言葉と魔法を教える事により、一緒にいる時間が長くなった二人は、ヨーゼフが唖然とするほどの速さで打ち解けていく。会話が増え円滑な交流が図れるようになれば、気の良い者同士の二人が家族のような関係になるまでに、それほど長い時間は要らない。
三週間の共同生活の中で、侑人とマリアは幼馴染と見間違えるほど仲が良くなっていた。とは言っても二人の仲が友人関係を超えたものになるかどうかは、神のみぞ知る事だが。
「マリアさん。この荷物はどこに持って行けばいいの?」
「マリアさん? さんは要らないよ。私の事はマリアって呼んで欲しいな」
「いっ……いや、さすがにそれは」
「私が良いって言ってるんだから大丈夫だよ」
かなり仲良くなった二人だが、侑人がマリアの事を呼び捨てするまでには、この後も少しだけ時間がかかった。打ち解けたとはいえ命の恩人でもあるマリアを気安く呼び捨てで呼ぶ事に対して、侑人が抵抗感を覚えていたのだ。
しかし侑人の言葉使いに不満を覚えたマリアは、侑人が話し掛けるたびにそれを辞める様に働きかける。しかし侑人もなかなか頑固であり、自分の持論を曲げようとはしない。
最終的に業を煮やしたマリアが最後の手段を使った。少し怖い顔をしながら『呼び捨てしないと返事をしない』と侑人に対して拗ねたのだ。
さすがの侑人も拗ねたマリアの姿を見たら了承するしかなく、その後はマリアと呼ぶようになったのだが、そんなマリアの変化を一番喜んでいたのはヨーゼフだったかもしれない。
ふざけあう二人の姿をいつも嬉しそうな目で眺めていた。
たまに鋭い目をしている時もあったが。
「ユートって面白いよね。ここまでびっくりさせられた人は今までいなかったよ」
「そうかな。俺にそんな自覚はないんだけどなぁ」
「もちろんいい意味でだよ?」
「よく判んないけど、ありがとうございます?」
侑人と完全に打ち解けてからマリアは気づいたのだが、侑人はかなり変わっていた。普段は非常に紳士的なのだが、ふとした拍子に子供っぽく無邪気になったりする。
現代人である侑人の発想もマリアにとっては斬新であり、時々呆れる事もあるが驚かされる事の方がその何倍も多かった。
「やっと晴れた。今日は良い洗濯日和になりそうかな」
数日降り続いた雨が止み、久しぶりに晴れたある日の事だ。マリアは溜まった洗濯物を干す為に庭に出ていたのだが、裏庭から何やら音が聞こえて来るので手を止め様子を見に行く。
すると裏庭には木材を加工して板を作っている侑人の姿があった。工具を駆使しつつもたまに風の魔法を使って板を作っている侑人はとても楽しそうであり、マリアは微笑みながらその姿を見守る。
「次はこうしてっと……」
「何をする気なのかな?」
やがて興味深く目で見ているマリアの目の前で、侑人はでき上がった板を横に寝かし、風以外の魔法で板を切りはじめた。
その魔法を見てマリアは驚く。侑人は水の魔法で板を切っていたのだ。
マリアの認識では物を切る魔法は主に風の魔法で、別の魔法を使ったとしても火の魔法で焼き切る位しか思いつかない。水で物が切れるという事をマリアは初めて知った。
「ユートユート! どういう事なの?」
「魔法で再現できるかどうか自分でも疑問だったけど、なんとか上手く行ったみたいだね」
洗濯物を手に持ったまま興奮した様子で質問してくるマリアに向かって、水の魔法で切った理由は曲線が簡単に作れるからだと侑人は教える。
なぜ水で物が切れるのかという質問に対しても、圧力を高めれば水でも物が切れると説明したのだが、マリアは首を傾げるばかりであった。
「マリアは頭が良いからそのうち理解できると思うよ」
「それ褒めてるのかな……。なんか微妙な気がするのは気のせい?」
「大絶賛している訳ではないけど、俺は一応褒めているつもりかな」
「むう、絶対にユートは褒めてないと思う」
そんな調子で時々マリア達を驚かしながらも、侑人は真面目に働いていた。
古くなり所々が傷んでいた家も侑人が修理したので見違えるように住みやすくなり、魔法の練習で作ったと言っていた机や椅子もなかなかのでき栄えで、市場に持っていくと飛ぶように売れるのだ。
今では侑人が作った物をヨーゼフとマリアが村の市場で売る事だけで、ホラント家の家計は成り立つようになり、マリアが狩りに行く事もほとんどなくなっている。
マリア自身はたまには狩りに行きたいと思っていたが、ヨーゼフが過剰に心配するので仕事は家事だけになっていた。
とは言っても、侑人と話す時間がたくさん取れるからそれでも別に良いか……などと最近は考えているのだが。
「マリア、お茶の準備は……って、そんな所に座り込んで何しておるのじゃ?」
「えっ……あっ! はーい。もう直ぐできるよー」
「あー、ごめんなさいヨーゼフさん。俺が邪魔してました。悪かったねマリア」
「へっ? そんなことないよ」
部屋でお茶が出てくるのを待っていたヨーゼフは、肩を並べて仲良く話し込んでいる二人の姿を見つけて怪訝そうな顔をしている。
出会った時の事を懐かしんで話をしていただけですよと、涼しい顔で答える侑人とは対照的に、マリアは少しあわてた様子でその場を取り繕っていた。鍋の様子を覗き込んでいる横顔が耳まで真っ赤になっているので、傍目からは余計怪しく見えるのだが。
マリアは手早く三人分の飲み物の用意を済ませると、真っ赤な顔をしたままお盆を持って部屋へと向かう。そんなマリアの後ろを侑人は笑みを浮かべながら、ヨーゼフは少し考え込みながらついていく。
そのまま既に定位置となっている机の上へとそれぞれの飲み物を置いたマリアは、自分の席へと座って頬の辺りをペタペタと触っていた。マリアの姿を不思議そうに見つめつつも、侑人はマリアに習って静かに席に着く。
「「…………」」
「どうしたんです?」
黙り込んだままヌハ茶を飲むマリアとヨーゼフの姿を見た侑人は首を傾げている。
乙女心と爺心が今の微妙な空気を作り出していたのだが、そんな感情の機微を侑人は理解していない。
「あ、いや、なんでもないよ!」
「そうじゃの、なんでもないぞユート。それよりも二人で何を話していたんじゃ?」
侑人は慌てて取り繕う二人の姿に疑問を覚えつつ、先ほどマリアとしていた話の内容をヨーゼフに向かって説明し始める。
馬鹿正直に話の最初から語る侑人に向かって、ヨーゼフはそんな内容を聞きたい訳じゃないとも言えず、ただ黙って聞いていた。
侑人が語り続ける事数刻。
長い思い出話が終わった部屋の中には、少し疲れた顔でヌハ茶を飲むヨーゼフと、本を片手に涼しい顔をしながらヌクをすすっている侑人の姿があり、そんな二人の姿を見ているマリアはロレヌの実を口に含みながら苦笑していた。
「ユートってやっぱり面白いね」
「そうかなぁ。今まで言われた事がないから自分では気づかなかったけど、マリアがそう言うならそうなのかも? まあ俺にはよく判んないけど」
そんな侑人の返答を聞いたマリアは、性格も少々変わっているけど黒髪の時点で十分変わってる……と、思わず言い掛けたのだが、寸前のところでその言葉を飲み込む。
今のは危なかったと内心冷や汗をかいていたが、そんなマリアの心の内に侑人は気づいていない。
「そういえばユートはどこから来たの?」
「なんじゃ、マリアは既に聞いておるのかと思っておったわい」
「なんと説明すれば良いか……」
マリアは何となく今思いついた様な顔をしながら、侑人はどこの国の出身なのか何気なく尋ねる。侑人もいつか二人に話そうとしていた内容なので、異世界の日本という国から来た事を伝えようとしたが、どう伝えれば信じて貰えるか少し悩んだ。
もし自分が逆の立場であるならば、相手からいきなり異世界から来ましたと伝えられたとして、信じる事ができるのかと。今の侑人なら自分が経験しているので信じる事はできるが、日本にいる時の侑人なら危ない人がいるとしか思えないだろう。
一人でそんな結論を出した侑人の表情が僅かに曇る。隠し事をしている自分がとても罪深く思えたのだが、事実を告白して二人に拒絶される場面を想像すると、どうしても踏ん切りがつかなかった。
「あー……、何となく聞いただけだから気にしないで」
「どこから来たのか聞いても聞かなくても、特に変わる事などないからのぅ」
「……ありがとうございます」
侑人の葛藤する姿を見て二人は笑顔で話を切り上げる。
二人の紳士・淑女的な態度に侑人は改めて感動し、二人の為に精一杯働く事を固く誓ったのだが、二人の思惑は侑人の想像とは少し違っていた。
実は二人から侑人に教えられているマグナマテルの情報には、意図的に避けられているものがある。それはハルモ教についての内容だった。
侑人に対してマテル語を教える時に使用していた本も、宗教に関わるものは徹底的に避け、侑人がハルモ教に興味を持たないように心を配っていた。
ハルモ教について詳しく教えていけば、いずれハルモ教に伝わる伝承、異世界から来た黒髪の勇者クロウ・ミナトの話に触れる事になるからだ。
「まあ、何処から来たってユートはユートだし別にいいよ」
「そういう事じゃな。でも婿入りするというなら……全てを吐いてもらうがのぅ」
「お、おじいちゃん!」
「からかうのは勘弁して下さい……」
実は好奇心旺盛なマリアは、侑人と会話ができるようになったら黒髪の勇者なのかを確認しようとしていた。
しかしヨーゼフに時が来るまで聞くのは待てと言われ、その時はしぶしぶ従ったのだが、数週間経った今では聞かなくて良かったと思っている。
「冗談じゃよ冗談。もはやユート抜きではこの家は成り立たないからの」
「そうだよね。もうすっかり馴染んじゃったね」
「そういって貰えるとすごく嬉しいかな」
マグナマテルの世界では侑人以外に黒髪の持ち主は存在しない。過去を振り返ってみても、存在したのは伝承の勇者クロウ・ミナトただ一人である。
黒髪である侑人が人目について勇者が光臨したなどという噂が流れたら、国やハルモ教会が侑人を利用しようとする事が想像できた。
黒髪の勇者であろうがなかろうが、一度でも勇者として利用されてしまえば、侑人は二度と普通の生活に戻れなくなってしまう。
「とにかく不便を掛けるが、これからも頼んだぞユート」
「判りましたヨーゼフさん」
侑人には、その髪の色はこの国では珍しくて目立つので、外に出る時はフードをかぶって髪の毛を隠した方が良いとだけ伝えてある。
侑人自身もこの三週間は家からまともに出ていなかったので、現状では特に問題らしい問題は起きていない。
「ユート。お代わり要る?」
「せっかくだから貰おうかな。ありがとう」
「いちいちお礼なんて言わなくて良いよ。じゃあちょっとだけ待っててね」
マリアは侑人専用のカップを左手に持ちながら、右手で侑人の肩を気安く叩く。
そのまま静かに椅子から立ち上がり小走りで厨房へと向かうマリアの足取りは軽く、そんな後姿を侑人とヨーゼフは笑顔で見送る。
数週間一緒に暮らした侑人は、既に二人にとって家族同然となっていた。
先ほどのどこの国の出身かというマリアの問いには、侑人がマグナマテルのどこかの国の出身であって欲しいという願いが込められている。異世界から来た黒髪の勇者ではないと証明したかったのだ。
万が一、侑人が本当に黒髪の勇者だったとしても、家族を危険な目にあわせる位なら初めから居なかった事にしてしまった方が良い。そんな優しい思惑が二人にはあった。
「とにかくもう三週間経ったんだね。これからも宜しくねユート」
「こちらこそ宜しくマリア」
マリアが差し出す温かいヌクを受け取りながら、我ながら対人運だけは良かったなどと改めて思い侑人は微笑む。
ヨーゼフとマリアに出会えなかったら、今生きているのかどうかさえ判らない。改めて二人の存在に感謝した。
それと合わせて自身の境遇をいつ正直に伝えようか思案を巡らせるが、今そんな事を考えるのは無粋だと気が付いて思考を止める。
開け放たれているホラント家の窓からは、鼻腔をくすぐる良い匂いが漂っていた。
2014/2/10:改訂
2014/5/25:魔法名追加