第5話:王都セビルナ
近衛兵の一団に守られた馬車が、ゆっくりとセビルナの街中を進んでいく。人々は物々しい光景を遠巻きに見つめながら、噂話に花を咲かせていた。
「やっぱり王都は人が多いなぁ」
「はあ、仰るとおりですね……ではなくてちょっとお伺いしたいのですが、さっきは何で一般の受付に並んでいたんでしょうか?」
「何でと言われてもなぁ。入国するのには審査が必要と聞いたから、審査の為に並んでいただけだが……。なんか問題でも?」
「問題でもって……。あーもう、伝達の係の者は何をやっていたんでしょうか。とにかくユート様に何も伝わって無かったって事ですね。大変申し訳ありませんでした」
王都の入り口を守護する役目を担っている衛兵達は、七日前の時点から黒髪の勇者の一行が到着したら直ぐに王城まで案内するようにと、宰相アルクィン直々に仰せつかっていた。くれぐれも失礼の無いよう国賓として最大限の敬意を払って応対する事。アルクィンはそう念押しもしていた。
なかなかセビルナ王都に到着しない黒髪の勇者一行を、衛兵達この数日間待ち構えていたのだが、まさか一般入国者が並ぶ列に黒髪の勇者が並んでいるとは夢にも思っていなかった……というのが今回の騒ぎの根本的な原因だ。
国賓扱いの人間は一般窓口ではなく専用の窓口に届け出るのが通例であるので、そちらの方に黒髪の勇者の対応をする者を待機させていた。しかし侑人はそんな通例がある事など知りもせず、ティルト村に居たときと同じような感覚で行動してしまったのだ。
「ん? 謝られる事なんて何も無いけど?」
「こちらからすると大失態なんですけどね……。気にしてらっしゃらないならありがたい事です」
侑人は馬車を操る御者の横に座って街中の様子を興味津々な様子で眺めている。黒髪の侑人の姿は人々の視線を一身に集めており、人々の好奇な目に晒されている御者は落ち着かない様子だ。
ちなみに男性恐怖症がやや改善したとはいえ、未だに人見知りの域を脱出していないマリアも人の目が気になるようで、馬車の中でヨーゼフの世話をしつつ大人しくしている。そしてアンナは奴隷扱いされた怒りが冷めないようで、侑人の中に引き篭もって返事すら返さない状況を保っていた。
従ってお上りさん気分満載でセビルナ王都の街並みを楽しんでいるのは侑人一人だけという図式が出来上がっており、必然的に侑人の話し相手をしているのは御者を務めている若い男一人だけだ。
黒髪の勇者という自分の立ち位置をいまいち理解しきれていない侑人は観光気分丸出しで振舞っていて、その相手をしている若い従者の気苦労は計り知れない。
「ユート様のお姿は人目に付き易いので、馬車の中で休んで頂けると助かるのですが……」
「狭い所に隠れてると気が滅入るんだよ。それに俺がセビルナに来たのは皆にばれちゃってるし、こうなっちゃったら楽しんだ者勝ちかなってね。つうか様付けは止めない? 俺と結構近いように見えるんだけど幾つ?」
「今年で二十二歳になりますね。ユート様はお幾つなのですか?」
「俺? 俺は十九。つうか、歳が近い男の知り合いってこっちに居ないんだよ……。良かったら友達にならない?」
「と、友達ですか。また恐れ多い事を簡単に仰る方ですね……。光栄だとは思いますけど。ちなみに今更感が満載な質問なのですが、なぜ私を御者に任命したのでしょうか?」
王に請われてセビルナ司教に就任するヨーゼフと、黒髪の勇者の侑人。
彼らの来訪に問題などある訳も無く、即座に入国を許可された侑人達一行は王城に向かって馬車を進める事となった。
しかし侑人自らが御者として馬車を操ろうとした際に、騒ぎを聞きつけて駆けつけて来た近衛兵の隊長から、『黒髪の勇者ご自身に御者をさせる事など出来ません』と言われてしまった為、それならばと侑人が御者に指名した人物は、先ほど侑人達と揉めた若い衛兵の男だった。
衛兵の男は黒髪の勇者やその従者に対して無礼な対応をしてしまったはずの自分が、なぜ王城までの御者に任命されたのか全く分からなかったのだ。
そんな衛兵の言葉に対して侑人は笑顔で答える。
「ん? 特に理由なんて無いけど、しいて言えば勢い?」
「勢いで私は重責を背負わされたのですね……」
「冗談だよ冗談。話した事がある相手の方が俺も緊張しないってのが一つ目の理由かな……。そういえば名前聞いてなかったね。なんて名前なの?」
「ガイウス・マリウスです」
「ありがと。で、二つ目の理由だけど、ガイウスが相手なら色々話も弾むかなと思ってさ。迷惑だったかな?」
照れくさい事を言っている自覚があるのか、侑人は明後日の方向を向きながら鼻の下を指で擦っている。目元がうっすらと赤く染まっているので、一見すると妙な雰囲気だ。
それを間近で見せられたガイウスは呆気に取られた表情を浮かべていた。雲の上の存在だと思っていた黒髪の勇者が、ここまで気さくな性格をしているなど想像すら出来なかったのだ。
「ユート様に直接指名されたんですから、迷惑どころか光栄って感じっすね。あ、ですね」
「お、口調は今の感じがいいな。後は様付けを止める方向で」
「変な事に拘るお人ですね。うーん、呼び捨てはさすがに無理なんで、旦那って呼ばせて貰ってもいいっすか?」
「んー、年上に旦那って呼ばれるのは妙な気がするけど、様付けよりは全然いいかな。でもなぁ……」
できれば呼び捨てで呼んで欲しいと言外にアピールする侑人だったが、ガイウスは満面の笑みでそれを一蹴する。
ガイウスにとっても黒髪の勇者と気心知れた関係になれるのは喜ばしい事なのだが、現実はそうもいかないのだ。
「ではこれから宜しくお願いするっすよユートの旦那。でも友達って関係は正直今の自分の立場では厳しいかなと。周りが許さないと思うんすよ」
「そんなもんなのかね……。まあガイウスの立場もあるだろうから無理は言えないか。とにかくこっちこそ宜しくな」
「非番の時に会う事があったらざっくばらんに話すって事で宜しくっす。後の事は周りの様子を見ながら徐々に改善って感じっすね」
「ああ……。色々とすまんね」
「へ? 突然謝られても何の事やら判りませんが」
穏やかな笑みを浮かべるガイウスの顔を見ながら、侑人は少しだけ反省していた。
歳が近い男性と知り合う機会が出来たので舞い上がってしまったが、この世界での侑人の立場は黒髪の勇者であり、唯一無二の存在なのだ。
侑人が良くても周囲が許さない状況はどんな些細な事でも起こりうる。その都度周りに気を使わせ続けるのは侑人の本意ではない。
侑人には各々の立場を理解しつつ、相手を気遣う対応をしてみせたガイウスが大人に見えていた。全てを納得出来る訳ではないが、仕方ない事の方が世の中には多い。今のガイウスの対応がここでは正解なのだ。
「もう少し立場を考えないと周りに迷惑が掛かるって事か……。ん?」
そんな事を呟く侑人の視線の端にあるものが映る。
自分の行動が周囲に迷惑を掛ける事を自覚したばかりの侑人だったが、その考えに反して身体が勝手に反応していた。
「あ、ちょっと馬車を止めてくれ」
「へ? 王城に着くまでは警護の関係もあって馬車は止められな――って旦那! 飛び降りるのは余計駄目ですって!」
「すまん! 直ぐ戻る!」
ガイウスの静止を振り切り、侑人は条件反射で行動を起こしていた。
いきなりの事態に動揺する群集の頭上を“飛翔”で一気に飛び越えて、広場の中心から少し離れた大樹の元へと降り立つ。
大樹の下では古ぼけた服を纏った物静かな銀髪の少女が、頭上を見上げて精一杯の背伸びをしていた。手足もあちこち煤けており靴すら履いていない。
「どうしたんだ?」
「…………」
少女は侑人の問い掛けに全く反応を示さない。返事をするどころか頷く事すらしないのだ。
年の頃は十歳程度だろうか。人形の様に整った容姿が人目を引くのだが、人間らしさをここまで感じさせない雰囲気を纏えるのは普通ではない。
瞳には精気が宿っておらず、感情の片鱗すら感じさせない少女に相対した侑人は少し戸惑う。しかし少女の視線の先を辿った侑人の瞳に、ボロボロになった布切れが映った事で次の行動に移った。
「ん? 布切れ?」
「…………」
その布切れは大樹の枝に引っかかっており、大人の身長でも簡単には取れそうもない。
「よっと」
だが“飛翔”が使える侑人には大した問題ではない。あちこちにぶつかりながら必死に特訓して覚えた“飛翔”が、人の役に立った始めての瞬間だ。
力を入れると引き千切れてしまいそうな程劣化した布切れを丁寧に枝から外すと、侑人は音も無く静かに大地に降り立ち少女に向かって差し出した。
「これか?」
「…………」
「大事な物なのか?」
「…………」
相変わらず侑人の言葉に少女は反応を示さないが、氷のような瞳で布切れを真っ直ぐに射抜いている。
侑人が布切れを左右に振ると、少女の瞳もそれを追いかけてくるのだ。少しだけ侑人はこの状況を楽しみはじめていたのだが、
「ユートの旦那!」
慌てて駆けつけて来たガイウスの登場によって、その時間も終わりを迎えた。
「あーすまんガイウス。実はこの娘が困ってるみたいで――あ! ちょっと待って!」
今の状況を説明しようと侑人が視線をガイウスに向けた瞬間、少女は素早い動きで布切れを取り返すと脱兎の如く駆け出してしまったのだ。
その際に布切れの一部が千切れて侑人の手に残ってしまい、それに気づいて慌てて声を掛けたのだが後の祭り。少女の姿は群集に紛れて見えなくなってしまった。
「大事そうな物だったのに……ん? 何か文字が……エ、エリザベス? あの子の名前かね」
「勘弁して下さいよ旦那。後でどやされるのはこっちなんですから」
「あ、ああ。その辺は俺が悪いってちゃんと言っておくから勘弁してくれ」
「別に構いませんけどね。ちなみにその手に持ってる布切れは一体?」
「さっきあっちの方に走っていった小さな娘の物なんだが……。かなり悪い事したな……」
侑人が指し示す方向にガイウスは視線を向けたが、そこにはこちらの様子を伺う群集が見えるだけで、当事者の少女の姿を捉える事など出来ない。
ガイウスと同じ方向を見つめながら、侑人は思わず呟く。
「しかしあの娘は一体どうしたんだろ……。靴すら履いてなかったし……」
「あー、多分ですが難民の娘ですね。最近かなり増えているんですよ。我が国は国王陛下と宰相閣下の方針で、難民を積極的に受け入れてますんでその影響も大きいっすね」
「難民の娘?」
「ええ、セビルナは平和に見えますけど、ハルモ教法王庁教圏国家群全体で考えると戦時中真っ只中っすから。ここ二十年はグランツ帝国との小競り合いも多いですし。自分は王都の入国管理勤めなんで、難民の数が実体験で判るんすよ。って早く馬車に戻って下さい! これ以上はさすがに大問題になりそうなんで、自分はドキドキしてるっす」
「お、おう。正直すまんかった。直ぐ戻るよ」
侑人は手元に残ってしまった布切れを丁寧に畳んで胸元にしまう。必ずあの娘に返そうと心に誓いながら。
マグナマテルが内包する影の部分に侑人が初めて触れた体験は、こうして静かに幕を閉じた。少女との短い邂逅は今後の侑人の行動に大きく影響する体験だったのだが、今の時点では侑人自身も気付いていない。
こんな感じでガイウスは侑人のペースに巻き込まれつつ、王城に着くまで街を案内しながら御者の仕事を続けた。
最初は恐縮していたガイウスも侑人と会話を続けるうちにみるみる打ち解け、王城の正面口にたどり着く頃には、既に友人と呼んでも良いほど仲良くなっていたりもする。
侑人達が貴族の居住エリアを抜け、城の正面口までたどり着いた時、馬車を出迎えたのは宰相のアルクィンと近衛師団の団長であるクリス、そして副団長のエディエス率いる近衛師団の面々だった。
御者席の横に座り、ガイウスと仲良く話をしている侑人の姿を最初に見た時、アルクィンは少し驚いたような様子を見せたが、直ぐに普段の雰囲気を取り戻し深く一礼する。
宰相が自ら表に出て出迎えるという、まさに国賓クラスの待遇を目の当たりにした周囲に緊張した空気が走った。
ガイウスもその空気を感じていたが、いまさら取り繕ってもどうしようもないと開き直り平気そうな顔をしていた。案外図太い性格だ。
そしてアルクィンの前で侑人達を乗せた馬車がゆっくりと静止する。馬車から降りてきた一行に対して改めて深く一礼するアルクィン。
「遠路はるばるセビルナ王都までお越し下さりありがとうございます。それと先ほどの入国手続きでの不手際をお詫び致します。不愉快な思いをさせて申し訳ありませんでした」
「いえいえ、こちらこそご迷惑を掛けました。俺からするとガイウスに良くして貰ったから、非常に楽しい時間を過ごす事が出来ました。ありがとうございます」
「へっ!? あっ はいっ! ありがたいお言葉を頂き恐悦至極です」
急に話を振られたガイウスはしどろもどろになりつつも、何とか返事をする。そんなガイウスに対してアルクィンは『お役目ご苦労様でした』とねぎらいの言葉を掛け軽く頭を下げた。
黒髪の勇者と宰相に相次いで礼を言われたガイウスは、感激の余り失神寸前になっている。心此処にあらずといった様子だ。
こんな感じで社交辞令的な雰囲気がしばらく続くと思われたのだが、この空気をいきなり破ったのはクリスだった。
「やっと来たな。腕は上げてきたんだろうな?」
「やっぱりこの展開かよ。どうせそんな事だろうって思ってたから、修行は欠かしてませんですよーだ」
「ふっ。なら良いが、腕が鈍っていたら容赦なく斬り伏せるからな」
「どうしてこのお嬢さんはここまで血気盛んなんだか……」
「ん? なんか言ったかユート」
「うんにゃ。エルとの手合わせが楽しみだって言っただけだよ」
「そうかそうか。私も楽しみだ」
侑人の胸を拳で軽く叩きながらクリスは笑顔を見せた。そんなクリスに相対した侑人は苦笑いを浮かべながらも和やかに応対している。
二人の気安い雰囲気を感じ取った近衛師団の面々から、感嘆の溜息と若干の動揺、そして数多くの嫉妬の感情が漏れ出していた。容姿端麗でサバサバした性格のクリスの人気はかなり高そうだ。
「マリア、やはりあやつは油断ならないぞ。心して掛かるのじゃ」
「そうかな? 男女の仲っていうより戦友って雰囲気かなって思うんだけど」
「甘い、甘いぞマリア。戦場では命のやり取りだけでなく、極限状態から恋が芽生える確立も高いのじゃ」
「セビルナ王都は戦場ではない気がするんだけど……」
そして侑人の後ろに控えている女性陣の間でも、新たな火種が生まれつつあるようなないような……そんな微妙な空気が流れていた。
マリアは終始笑顔を浮かべ続けているのだが、アンナの疑惑は未だに晴れていなそうだ。
「こらクリス。ユート殿達はお疲れなのです。貴女が気を使わないでどうするのですか。お疲れのところ大変申し訳ありませんでした。部屋を用意させましたので今日の所はゆっくりとおくつろぎ下さい」
「そうだな……。済まなかったなユート。王の謁見の日取りが決まるまで寛いでくれ」
「「ありがとうございます」」
「「そうさせて貰うのじゃ」」
笑顔で告げるアルクィンに対して侑人達は各々礼の言葉を述べる。体力が有り余っている侑人以外の三人にとって、アルクィンの言葉は非常にありがたい。
客間に案内をする為に先頭に立って歩くアルクィンに従って、侑人達は王城の中へと歩を進めていった。




