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セビルナ王国宰相アルクィン・ウルヘル

 静寂を切り裂く戦火の唄。

 空間を満たす憎悪と怨嗟。

 真紅に彩られた新月の空。


 それらは脳髄に刻まれし呪われた過去の欠片。

 あの日の出来事を決して忘れる事などできない。


 だがそれ以上に深く心に染み渡る『記憶(モノ)』も二つある。

 私にとってこの世で一番大切な思い出――


――それは父の愚直な生き様と、母の深い温もりだった。




 幼き頃の父との会話の記憶は殆どない。思い返せば書斎の机で何かの書類を読み耽る、父の後ろ姿ばかりが目の裏に浮かぶ。

 しかしそんな父を疎ましく思ったことは一度としてない。国の安定の為、国民の生活の為、そして私達家族の未来の為……自分の全てを犠牲にして仕事に取り組む父の後ろ姿を、いつも誇りに思っていた。


「私の仕事はグランツ共和国の未来を作り上げる手伝いをする事。色々(・・)と厳しい仕事だがやりがいはあるんだ」


 グランツ共和国副議長ラドフ・ルーシの秘書を務め、いつも深夜に帰ってくる父が珍しく夕食前に帰宅し、家族と食事を共にしたある日の晩の事。上機嫌だった父は私にこう話してくれた。

 そんな言葉を聞いた私は、大きくなったら父と同じ仕事に就こうと、子供心に誓ったものだ。


「これからの世の中は武力だけでは駄目だ。未来を見通せる確かな目と、国民の幸福に繋がる政策を考え出せる頭脳、そしてそれを実行させる決断力を持たなくてはいかん」


 この言葉は父の口癖である。

 クーラント魔国と八百余年にわたる長き戦争状態のグランツ共和国では、武力が何よりも求められた。

 しかしそんな国内情勢にあっても父の考えは変わらず、固い意志で日夜政務に取り組んだ。戦争に勝つ事だけを考えるのではなく、戦争そのものを終わらせる為の献策をしていたのだ。


 そんな父の口癖は、今では私の口癖になっている。


 いつもは家族に弱みを見せない父だったが、一回だけ母に対して弱音を吐いている姿を見たことがある。ひょっとしたら母に対してだけは、度々自身の弱い部分を見せていたのかもしれない。

 今となっては判らない事だが、私が天寿を全うした暁には酒を酌み交わしてその話を聞いてみたいものだ。両親の壮大な惚気話を聞かされたらトラウマになるかもしれないが。


 ある晩、夜中に目が覚めてしまった私は、リビングの明かりがついている事に気が付き、足を忍ばせてそこへと向かった。

 リビングには二人の人影があった。ドアの隙間からそっと中を覗いて見ると、父が母に向かって弱音を吐いていた。


「このままではこの国は駄目かもしれん。ラドフ副議長をはじめとする評議員達は、自分達の利権の事ばかりに考えがいっている」

「新しく議員になったフリードリヒ様は、国民の事を真に考えてるお人だと聞いてますけど、それは違うのかしら?」

「たしかにフリードリヒ殿は国民の事を考えている。しかしそれ以上にかなりの野心家でもある。今期の議会に軍の再編成を提案しているが、私には裏があるとしか思えない」


 父の言葉を母は静かに聞いていた。父は母の姿を見ながら真摯に語り続ける。


「一見すると非常に効率的であるように見える。しかし裏を返せば軍部の力が大幅に増し、軍の最高司令官になる人物に権力が集中してしまう。フリードリヒ殿は世論を上手く誘導して、殆どの国民を味方につけている。その手並みは余りにも鮮やかで、事前に準備をしていたとか思えない」

「ラドフ副議長様は何と仰ってるのですか?」

「ラドフ副議長は世論を敵に回すことを畏れて、私の言葉に耳を貸して下さらない。他の評議員達も皆同じだ。このままでは何か良くない事が起こる気がする。私はそんな不安を感じているのだ」


 そんな父の弱音を聞いた母は、父の肩に手を置き、微笑みながら話しかけた。


「未来を見通せる確かな目と、国民の幸福に繋がる政策を考え出せる頭脳、そしてそれを実行させる決断力を持った貴方なら大丈夫です。アルクィンの未来の為にも、ここが踏ん張りどころですよ」

「そうだな……。アルクィンに弱い姿は見せられんな」


 そういって母に笑いかける父の目はとても優しそうだった。

 私はそっとリビングから離れた。リビングからはまだ二人の話し声が聞こえていたが、私の耳にはもう入らなかった。

 私の目標である立派で強い父。私をいつも優しく見守ってくれる母。二人の息子で本当に良かったと改めて神に感謝をしていた。


 私は幸せだった。




 私達の生活が一変したのは、この日から数えて丁度二月後の事。

 その日、母はいつもの様に夕飯の支度をし、私はそれを手伝っていた。そんないつもの生活を根こそぎ奪い去る不幸の音色が玄関から響く。

 玄関を開けて応対したのは私だった。扉の外には腕に怪我をした男が立っていて、母に火急の用件があると必死な顔で伝えてきたのだ。

 玄関先の物々しい様子に気が付いた母は、家事の手を止め玄関先までやってくる。そんな母の姿を見た男は母に向かって自分は父の部下だと言い、その直後に衝撃の言葉を伝えた。


「軍部のクーデターが起き、ウルヘル様は副議長様と一緒に討たれました。ここは危険です、早くお逃げ下さい」


 その男は母にそう伝えると、きびすを返し闇の中に消えて行った。

 私と母は暫く呆然とした表情のまま立ち竦んでいた。


 私が六歳の時、父はこの世から去った。


 その後の事はよく覚えていない。着の身着のまま母と二人で家を飛び出した私は、何も考えず南の方角へと落ち延びた。

 昼は森の中に潜んで姿を隠し、夜の暗闇に紛れてひたすら南を目指す逃避行を繰り返す。追っ手には見つからなかったが途中で魔物に襲われる事もあり、母と私は日に日に衰弱していった。

 家を出てから多分二週間くらい経った頃だろうか。もはや限界を迎えつつあった私達の目に小さな集落が映る。

 グランツ共和国の中枢で働いていた父がどういう扱いで死を迎えたのか判らないが、体制が変わった国が私達を生かしておくとは思えない。

 この身を晒せば死が訪れる。そんな事は言われなくても判っている。


 しかし私達は疲れ果てていた。


 どうせ死ぬならまともな食事を取ってから死のうと二人で話し合い、母は決死の思いで村の守衛に声を掛けたのだ。

 結局結果論でしかないが、私達は運が良かった。

 ボロボロの姿をした私達に守衛は驚いた様子を見せたが、すぐに私たちの為に食事と寝床を用意してくれた。

 不義理な事に私はこの守衛の名前を覚えていない。

 それどころかどこの村だったのかさえ判らないのだ。

 生が尽きる前に必ず探し出し、大恩に報いる事を今ここで改めて誓おう。

 とにかく私達は用意された食事を獣のように貪り、馬小屋の隅で抱き合ったまま泥のように眠った。

 そして翌朝、既に死の覚悟を決めていた私達は守衛に全てを話した。すると守衛はそんな私達に予想外の言葉を返す。

 ここはプロセン王国の北の外れにある寒村だと。

 グランツ共和国の人間だろうと困っているなら助けるのが当たり前だと。

 私達はいつの間にか国境を超えていたようだ。命が助かった安心感から私達はその場で抱き合って泣いた。


 しかしつかの間の平和はすぐに崩れ去る。


 グランツ共和国を支配したフリードリヒは、国名をグランツ帝国と変えハルモ教を廃止したのだ。その為ハルモ教法王庁教圏国家群と全面的に対立し開戦。

 戦争を嫌った母と私は、戦争に巻き込まれるのを避ける為、再び南へ向かって逃避行を開始した。父の命を奪ったフリードリヒの名前を、二度と聞きたくなかったのも理由の一つだが。

 追っ手の心配が無くなり昼間に移動出来るようになったとはいえ、母と私の旅は過酷を極めた。満足な食事にありつけない日が何日も続き、体は衰弱していく。

 足には豆ができ、それが裂け血まみれになっていた。しかし母と私は諦めなかった。

 私達を支えていたのはフリードリヒに対する憎しみ。

 私達は生き延びて父の遺志を継ぐ。それが父に捧げる最大の供養であり、フリードリヒに対する最大の復讐になる。

 フリードリヒの好きにはさせない。当時はそんな気持ちでいっぱいだった。




 プロセン王国の北の外れにある村より旅立ってから二ヶ月後。私達はプロセン王国の南にある別の王国、セビルナ王国の首都にたどり着く。

 セビルナに着いた私達は、生きるために必死になって働いた。母は貴族の家の家政婦として朝から晩まで勤め、私は商店の店子として早朝から店先に立つ毎日を送った。

 今思えばこの時の私はまだ幸せだったのだ。

 父を失ったとはいえ、暖かい母の庇護の元で日々を送れたのだから。


 しかし一年後、最愛の母は流行り病で呆気なく父の後を追ってしまった。立派だった父の様な大人になりなさいという言葉を残して。

 もう誰にも頼れない。

 両親の意思を継ぐ事だけを考えるだけだ。

 私の頭の中はそれ一色に染まっていた。

 実は命が尽きる事を予感していた母が店長に頭を下げ、私の未来を託してくれていた事を最近になって知らされ、自分の視野の狭さを改めて実感させられたという落ちが付くのだが。

 とにかく七歳にして孤児となった私は商店の店長に頼み込み、住み込みで働く事を許された。


 人から見れば散々な人生かもしれないが、我ながら対人運だけは最高だったと思う。

 私は忙しい合間を縫って本を読みあさった。父と母の遺言でもある、未来を見渡せる目と、考えられる頭脳、そして決断力を養う為に必死になって勉強をする日々。

 たまに本に熱中しすぎて店長に怒られる事もあったが基本的には真面目に働き、それ以外の時間は全て勉強に当てる生活を続けた。


 それから八年後。

 十五歳になった私は、セビルナ王国の文官になる試験を受ける為に王城に向かった。偉大なる父の背中に少しでも早く近づきたかったのだ。

 結果は合格。

 しかも運が良かったのか過去最高の成績で合格したらしく、当時王太子だったカルロス・ディートフリート・デア・クローゼ陛下から勤務初日に声を掛けられた。

 そして才気溢れる陛下との出会いが私の人生を大きく変える事となる。

 陛下は何かある度に私に意見を求めるのだ。私はそれに対して精一杯答えるべく、日々の業務に加えて政治の勉強に励んだ。

 最初のうちは陛下のお気に入りの新参者としてやっかみも多かったが、やがて周囲も私の事を少しづつ認めてくれ、気が付けば私は陛下の懐刀と呼ばれるようになっていた。

 しかも陛下は私の心の闇も払ってくれたのだ。フリードリヒに対する恨みで凝り固まっていた私に、為政者としての広い視野で物事を語ってくれた。


「手段は最悪だが、その後のグランツ帝国の繁栄を省みると全てが間違っている訳ではない。認めるところは認める度量を持つのが人の上に立つ者の資質だからな。ただこれだけは言っておくぞ。俺はおまえの親父を殺したフリードリヒを絶対に許さない。認めると許すは別問題だ。しかしそうは言ってもお前の人生はお前のものだ。フリードリヒに対する怒りの半分を俺に預けて、おまえは自分の為に生きる事をそろそろ覚えたほうがいい」


 そんな言葉で私を諭してくれた陛下。その時のまるで兄のような暖かい目を私は忘れない。

 時間は掛かったが私はフリードリヒの呪縛から解かれ、そして今度は陛下に心を捕らえられた。

 私の命はこの方に捧げる。この思いは今でも変わらない。

 だが宰相という大役を押し付けら……もとい、授かるとは。陛下の悪戯好きにも困ったものだ。




 そして今、私は興味深い存在に出会えた。

 まだ出会ってから日は浅いが、私の言葉を真摯に受け止め、私に対して裏表無く真剣に向かってきてくれる。

 多少純粋すぎる部分が目に付くが、それすらも長所にしてしまうような雰囲気を纏う、印象的な黒髪と黒い瞳の持ち主。

 私よりも年下のその男は、自らに課せられた重大な使命を全て受け止め、表舞台に出る事を決意してくれた。

 私は陛下に対する信頼と同じくらいの……は言いすぎだが、最大限の信頼をこの男に寄せてみたいと考えている。この男も同じ思いでいてくれると嬉しいのだが、どうだろうか。

 私が父の背中に追いつけるまで、どの位掛かるか判らない。むしろ一生追いつけないかも知れない。

 だが私には尊敬できる君主と志を共に出来る同士がいる。その部分は父より恵まれているはずだ。

 私は私に出来る事を精一杯やるだけ。ただそれだけの事。

 彼らが陛下に謁見する時が待ち遠しい。あと何日経てば再会できるのだろうか。

 きっと陛下も彼らの事を大いに気に入るだろう。


 ……陛下の悪戯につき合わされる彼らが少々不憫ではあるが。

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