第9話:規格外な二人
クリスの姿が目の前から消えたと思った瞬間、侑人の右側から怒涛の攻撃が襲い掛かる。
袈裟斬りからそのまま一回転して胴を狙う横薙ぎを見舞い、それが防がれると斬り上げから再びの袈裟斬りを打ち込む、クリスの流れるような連続攻撃が手加減なしのスピードで放たれていく。
高速移動の頻度もかなりえげつなく、侑人の攻撃を避ける手段として容赦なく使用していた。必然的に侑人の攻撃は空を斬る事となり、その度に反撃の隙をクリスに与えてしまう。
しかも先ほどとは違い華麗な乱舞を繰り出すクリスは、要所要所で木剣を左手に持ち替え致命傷を与えかねない鋭い攻撃を織り交ぜてくるのだ。
「こりゃきつい……つう!」
さすがの侑人もこれらの攻撃を確実には防ぎきれず、徐々にダメージが蓄積していった。
幸いな事に左手での攻撃は直撃していないが、左手に意識を集中せざるを得ない状況に追い込まれ、度々右手での攻撃を身体に掠らせてしまう。
確かにクリスの右手での攻撃は左手に比べれば威力が低い。しかしそれは相対評価での話だ。
直撃を避ける手段を持たず、しかも身体強化の魔法が使用できないのであれば、クリスの右手での攻撃も一撃必殺と化す鋭さと威力を秘めている。異世界に召喚された侑人が持つ『どんなものでも理解できる能力』の恩恵で、今まで何とか渡り合えていただけだ。
しかも身体強化の魔法を駆使している侑人にとっては何とかなる威力であっても、積み重なればダメージも馬鹿にはできない。
身体のキレは徐々に失われ、このままでは戦闘不能に陥るのは時間の問題だと思われた。
「このままじゃ判定負けがいいとこだな……」
侑人は小さな声で呟きながら、審判をしているエディエスの様子をちらりと伺う。
先ほどまでは悠然と構え立っているだけだったが、今のエディエスは少しだけ姿勢を低くし、即座に飛び込める状態を保っているように見えた。
背中に背負う大剣に右手を当てているので、模擬試合が止められるのは時間の問題のように思われる。このまま一方的な展開が続くのなら、その判断は致し方ない事だが。
だが焦りを感じて闇雲に攻撃に移ると反撃の餌食となるのは見え見えで、とにかく耐え忍んでその瞬間を待つ事しかできない。
『物事には因果がある。それを解きたいのなら、それを見つける事だけに集中しろ』
侑人の脳裏には、先ほどクリスから言われたこの言葉が木霊している。
情け容赦ないクリスの猛攻を凌ぎながら侑人がまず試みたのは、右手から左手に持ち替えるタイミングを見極める事だった。
一撃で戦闘不能に陥れられる可能性を秘めた暴力的な攻撃を見切る事ができれば、追い込まれた今の状況を一気に打破できると考えたのだ。
しかしその思考は直ぐに頭の片隅に押し込められた。そんなものを見切れる訳がないと判断できたのだ。
変幻自在なクリスの連続攻撃には特定のパターンなど存在せず、左手に持ち替える頻度も一定ではない。左手での攻撃も一回で終わる事はなく、そのまま連続で叩き込まれる確率もかなり高かった。
それどころか持ち替える手段も多岐に渡り、一番初めに見せた背中で持ち替える方法の他に、両手斬りの様な攻撃の後にスイッチしている場合もある。フェイント気味に体術を混ぜ、その隙に左右を切り替えるといった方法も惜しみなく披露していた。
しかも左右切り替えの動作の後にそのまま右手での攻撃を再開する事さえあり、見極めようと思考を集中させれば、クリスの思惑に乗って幻惑され続ける事を意味している。
「全部左手って考えるしかないのか……本当に厄介だ……」
他を圧倒する機動力と相手を一撃で葬り去る攻撃力。言葉に直せば簡単な響きの様に思えるが、実際に敵に廻すと溜息を吐くのを通り超えて絶望に叩き込まれた気分になる。
事実侑人の顔は苦虫を噛み潰したような表情を浮かべていた。
体現できれば理想的なのは判る。しかしそんな敵を相手にするなら、自分はどうすればいいのか全く判らないのだ。
苦し紛れに反撃すると高速移動で攻撃そのものを回避され、その隙を狙った致命的な一撃が身体に襲い掛かる。
そんな未来が簡単に予見され、攻撃する行為自体が封じられてしまっていた。
「反則もいいとこだ。俺が言うのも何だけど……」
クリスの全ての攻撃を一撃必殺だと見なして必死に避け続ける侑人は、疲労を色濃く浮かべながら自嘲気味に呟く。
長時間に渡るクリスとの戦闘で侑人の魔力は既に六割ほど消費され、これ以上むやみに戦うと身体に大きな影響が出かねないのだ。
だがこのまま素直に負けを認める気にはならなかった。本気を出すと宣言したクリスに一矢報いないでこの戦いを終わらせてしまうのを、侑人の心の中にある男の子の部分が頑なに否定する。
「玉砕覚悟は柄じゃないけど、派手に散ってやるのも悪くないか……」
「む?」
自嘲気味な笑みを浮かべた侑人を見たエディエスが反応を示す。このままでは良くない未来が待っていると直感的に察したのだ。
もはやここまでだな。
そう判断したエディエスは、二人の戦いを止める為に一歩を踏み出そうとした。しかし侑人の動きの方が一瞬だけ早く、その行動は間に合わない。
クリスの左手での鋭い斬り上げをスウェーバック気味にかわすと、そのまま右足を一歩踏み込んで右上からの袈裟斬りを放つ。
身体を半身にしたクリスがそれを避けると確信していたので、続けざまに左から胴を狙う横薙ぎの一閃を本気で叩き込んだのだが、その攻撃も軽快なバックステップでかわされてしまった。
「甘くは……ないか……」
そんな事を呟く侑人の目の前でクリスは木剣を右手に持ち替え、致命的な隙を見せている侑人に対して反撃の狼煙を上げた。
もはや何度目か判らないが、クリスの身体は残像を残すかのようなスピードで移動を開始する。もはや今の侑人には、クリスの攻撃を防ぐ有効な手段は残されていない。
渾身の力を籠めた一撃の不発により、侑人の身体は右に流れている。そんな状況を見逃すはずのないクリスは、侑人の身体の反対側に狙い済ませた鋭い右手での突きを放つ。左手の突き程威力はないがまともに当たればただでは済まないだろう。
侑人の目にはクリスの突きがスローモーションのように映っていた。クリスとの戦闘の記憶が走馬灯のように駆け巡り、その最後が今の一瞬と重なっていく。
勿論侑人の動きが突如速まる事などなく、自身の左わき腹に吸い込まれる一閃をかわす事などできない。だが侑人は諦める事なく悪あがきを続け、少しでもダメージを軽減するべく行動を起こしていた。
侑人はとっさの判断で後ろに跳躍を試みる。しかし重心が僅かに移動した時に、クリスの突きが侑人を捉えてしまう。
侑人はそのままなす術もなくクリスの突きを喰らい、後方へと派手に吹き飛ばされてしまった。
「あっ!」
その瞬間に侑人はある事を閃く。それは状況を打開する可能性を秘めた確信的な内容だった。
人の発想とは不思議な物だ。
長年机にしがみつき寝食を惜しんで思考を重ねた難問が、木漏れ日の下で転寝をしている何気ない瞬間に解けてしまう事もある。
林檎が地面に落ちる姿を見て重力に対する着想を得たり、聖書を開いたら将棋の手を思いついたりと、一見すると関係ない事柄から導き出される事も少なくない。
半ばやけっぱちになり思考を放棄した侑人に、突如閃きが訪れたのもそんな偶然の産物と言えた。
「ぐぁ!」
大地に背中をしこたまぶつけた侑人は、そのままゴロゴロと地面を転がっていく。クリスの攻撃が鋭かったのも理由の一つだが、侑人自身が後ろに跳躍しようとしたのも大きな原因だ。
転がっている最中に礫が身体へと突き刺さり、その度に鈍い痛みを与え続けられている侑人は、『うぎゃ!』とか『ぐぇ!』などと奇声を発している。傍目からどう見ても情けない状況ではあるが、思考は驚くべきスピードで回転し続けていた。
まずクリスの戦闘スタイルを整理すると、クリスは左手の攻撃の際に身体強化の魔法を使っているが、右手の攻撃の際には身体強化の魔法を使っていない。
これは今までの体験から導き出された紛れもない事実だが、今までの侑人の考えはここで終わっていた。しかしこの事実を別の角度から見ると、新たな考えへと発展していく事に侑人は気づいたのだ。
身体強化の魔法の使用可否は、戦闘において大きなアドバンテージとなる。使える者と使えない者の間には限りなく越える事が困難になるほどの高い壁が存在し、使用できるのならばそれを使わないという選択肢など存在しない。
だがクリスは左手の攻撃でしか使っていない。右手での攻撃の時には加減をしている可能性もあるが、本気を出すと宣言した以降も使用した形跡はなかった。
ではなぜ使用しないのか。この一点を突き詰めて考えると答えが導き出される。
右手の攻撃の際に身体強化の魔法を使っていないのではなく、右手の攻撃の際には使えないと仮定すると、侑人の思考は袋小路から脱却していった。簡単な話だが使えない原因があるから使っていないと考えるとしっくり来るのだ。
次に高速移動だが右手の攻撃に際には容赦なく使ってくるが、左手の攻撃の際に使われた記憶が侑人にはない。この事に関しても身体強化の魔法と同じ思考プロセスを踏むと自ずと答えが出てくる。
クリスは左手の攻撃の際には高速移動を使っていないのではなく、使いたくても使えないという事になるのだ。
この二つを合わせて導き出される結論は、クリスは身体強化と高速移動を同時に使えないという事になり、この事実はかなり大きな意味を持っていた。
「痛てて……しかしすっかり騙されたって訳か」
勢いを少し殺したとはいえ、侑人の肋骨はクリスの突きにより何本か持ってかれていた。それを癒しの水で治しつつ侑人はひたすら考え続ける。
他を圧倒する機動力と相手を一撃で葬り去る攻撃力を同時行使する能力。これをクリスが有しているのなら侑人に打つ手など残されていない。
侑人が足元にも及ばない移動能力で翻弄され、侑人と同等の攻撃力で止めを刺されたら、文字通り手も足も出ない状況になるのだ。
しかしそう見せかけているだけなら話は変わる。攻撃強化と高速移動を同時に使用できないのなら、対応策を考えつく事ができるはずだ。
しかも同時使用の制限に気づいた事により、高速移動の正体も何となく掴む事ができた。高速移動は体術の一種ではなく、魔法の一種ではないかという推測だ。
身体強化が魔法で高速移動が体術ならば、何か影響しあって同時行使ができないという理由を説明するのは少々難しい。体術は武術の一種であり、侑人も形は違うが武術を駆使して戦っている。
だが高速移動が魔法の一種ならば説明はつきそうなのだ。アンナから魔法の同時使用は高等スキルに当たると聞かされた記憶が侑人に蘇っていた。
そして高速移動を可能にする魔法属性として、まず思い当たるのは風の魔法。アンナが飛翔の魔法を使ったのを目撃した際、飛行という行為自体にも驚いたがそのスピードにも目を見張るものがあった。
「アンナには感謝だな」
この侑人の推測はある程度当たっていたが、実は完全な正解ではない。
侑人はまだ教えられていなかったが魔法属性には相性があり、その相性によって同時使用の制限を受けるのは魔法を使う者の常識だった。
例を挙げれば基本魔法の火・水・土・風には相関関係がある。火の魔法は風に強く水に弱いといった特性があり、土の魔法は水に強く風に弱いといった特性があるのだ。
相関関係を強い物から表せば、火、風、土、水、火……と繰り返され、隣り合った属性同士の魔法は同時使用できない。
これは本来であれば侑人の実力なら既に知っていなければおかしい知識だ。
しかし過去の出来事において、無意識で火と風の魔法を同時行使していた侑人の姿を見たアンナが、下手な常識を教えて悪影響を及ぼす事を恐れ、意図的に隠蔽していた情報だった。
「さて準備完了。行きますよクリスさん」
「ああ、本当にいい顔になったな」
侑人は力強くクリスに宣言し、クリスもそんな侑人を正面から受け止める。
一度は戦闘を止めようと考えたエディエスも、そんな二人の姿をみて考えを改めた。
「うおおお!」
侑人はクリスに向かって地を駆けた。気迫のこもった鋭い眼差しが、クリスの姿を射抜いている。
今の侑人の魔力量から考えると、残された時間はほとんどない。それに何度も同じ手が通じる程、クリスが甘いとは考えられないのだ。
侑人を迎え撃つクリスは右手に木剣を構えている。
右手に武器を持っているクリスが行使できるのは高速移動。この状態のクリスに向かって本気の攻撃を仕掛けても、楽々とかわされて反撃されるのが関の山だ。
狙いは左手に武器を持ち替えた直後の一瞬。高速移動を封じた瞬間にクリスを上回る移動速度で攻撃を仕掛けるのが侑人の狙いだった。
「おりゃー!」
鋭い掛け声とともに、右上からの袈裟斬りをクリスに仕掛ける侑人。しかしその攻撃は全身の力をある程度抜き、鋭さのみを追及したものだった。
侑人の予想通りクリスは体捌きのみで袈裟斬りをかわす。単発の攻撃で、しかも縦の攻撃ではクリスが高速移動を使うまでもなく避けるのは織り込み済みだ。
狙いは次の攻撃の後に繰り出されるクリスの乱舞。
侑人は容赦ない連続攻撃が叩き込まれるのを覚悟した上で、横薙ぎの一閃を続けざまに放った。
侑人の目の前からクリスの姿が消える。
待ち構えていたとはいえ、クリスの乱舞を受けきるのは並大抵の事ではなかった。
袈裟斬りからの斬り上げ、そのまま一回転しての胴を狙う横薙ぎから九尾を狙う突き。クリスの流れるような連続攻撃が次々に襲い掛かる。瞬きする事さえ許さないスピードで繰り出されるクリスの乱舞は、今までに繰り出されたどれよりも速かった。
侑人も冷静に、そして必死に対抗する。左手に切り替える瞬間を見逃さないように全神経を集中させ、最小限の動きで次々に攻撃を捌いていった。
しかしクリスはなかなか左手の攻撃を繰り出さない。戦いの場に常に身を置いているクリスの第六感が、侑人の考えを見抜いているかのようだ。
出さないのならば出させるまで。
そう考えた侑人がクリスの斬り上げを弾き飛ばそうと試みたが、その動きを察知したクリスに高速移動でかわされ、無防備な姿勢を迎え撃たれてしまう。
侑人にとって、そして多分クリスにとっても我慢の時間が続いていく。
そんな展開が続き侑人が体力勝負を覚悟しかけた時、クリスの攻撃パターンが突如変化した。
かすかな笑みを浮かべたクリスが右手で左からの横薙ぎを放つと、そのまま背後で持ち替え左手での突きを放ってきたのだ。
ここしかない。
この攻撃は罠の可能性が高い。だがそれを上回る速度で打ち込めばいいだけだ。
大きめのバックステップでクリスの突きをかわした侑人は、身体の左横で木刀を構えて全身の力を籠める。そして体勢を極限まで低くし、短距離走のクラウチングスタートのような姿勢を取った。
次の事など考えない。この一撃で全てを出しきるんだ。
覚悟を決めた侑人は、この戦闘で一度も使用していなかった魔法を一気に放つ。
その魔法属性は風。飛翔の魔法だった。
「うりゃぁぁぁ!」
侑人の身体が弾丸のように一気に加速する。初速から一気に最高速へと到達し、周囲の景色が風のように後ろへと流されていく。
飛翔の魔法を成功させた事など一度もない。身体をコントロールする術など身についてもいない。
しかし侑人は動揺しなかった。目標に向かって一直線に突撃する位なら今の侑人にもできるはず。むしろできなかったなら勝機など全くないのだ。
「なっ!」
今まで余裕を見せていたクリスの顔が驚きに染まる。
クリスは侑人が何かを考え、左手での攻撃を待っている事を見抜いていた。
侑人の攻撃の質があからさまに変化し、敵にダメージを与えるのではなく待ち受けるのが目的だと判断したからだ。
その為左手での攻撃を封印し、右手のみで乱舞を放っていたのだが、クリスのスピードに慣れた侑人の対応能力は予想以上に高く、このままでは体力勝負に持ち込まれて分が悪いと判断した。
表面上は余裕を保っていたが長時間に渡る侑人との戦いで、さすがのクリスも疲労の色は隠せなくなっていたのだ。
ならばどうすればいいのか。そう考えたクリスの判断は早かった。
誘われたなら誘い返せばいい。
そう考えたクリスは左手で攻撃しつつも全力を籠めていなかった。先ほどから侑人がやっているように、次の一手に対応できる攻撃を心掛けたのだ。
しかし侑人の行動は予想をはるかに超えていた。自分が駆使する高速移動とほぼ同等の、下手をすればそれを上回るスピードで攻撃を仕掛けられるなど夢にも思わなかったのだ。
それでもクリスは一瞬で建て直し、自分の身を守るように木剣を正眼の位置に構え全身の力を籠めた。
「いっけー!」
だが侑人は止まらなかった。止められなかったというのが正解だが、全力の一撃をクリスの木剣に叩きつける。
メキッ
侑人とクリスの持つ木製武器にヒビが入る。
身体強化で底上げされた全身の力に、高速移動で得られたスピードが掛け合わされた破壊力は、木製武器の耐久性をはるかに凌駕していた。
バキン
お互いの武器を破壊しただけでは吸収しきれない程の威力を秘めた侑人の攻撃は、クリスの身体をはるか後方まで吹き飛ばす。
勿論侑人も自分の身体を制御できず、クリスともつれる様に大地を転がっていった。
「それまで!」
戦闘の終焉を告げるエディエスの言葉が周囲に響き渡るが、この場に二人とも立ってはいない。お互いが戦闘不能と見なされ、最終的な決着は着かなかったのだ。
「引き分けだな」
「そうですか? うーん……。じゃあ、俺の負けに近い、引き分けっぽい感じって事で」
いち早く立ち上がった侑人の手を取りながら、クリスは満面の笑みを浮かべて立ち上がる。右手に掛かるクリスの重さは驚くほど軽く、今まで侑人を追い詰めていた相手だとはとても思えない程だ。
クリスの口調は相変わらず堅苦しいのだが、身に纏う雰囲気はもはや別人と思える程柔らかい。額に流れる一筋の血ですら、クリスの優雅さを引き立てる髪飾りのように見えるのが不思議だった。
「勝負に過程は関係ない。お互いが戦闘を続行できないという、今の結果が全てだ」
「そんなもんですかね? むしろクリスさんが手加減しなければ、あっという間に勝負はついてたと思いますけど」
「それはお前も同じ事だろ? 何度も私の隙を突いて攻撃を仕掛けてきたが、その時に斬撃ではなく魔法を選択していれば、私はここに立って居ない筈だ。そうだな……最初に見せたあの魔法を放たれていたら、私は真っ二つであの世行きだったな」
「クリスさんだって、身体強化や高速移動以外は魔法を使わなかったじゃないですか」
侑人の言葉を聞いたクリスは少しだけ眉をしかめる。
聞いてはいけない事を口走ったかなと考え、侑人は恐る恐るクリスの様子を伺っているが、どうやらそういう訳ではなさそうだ。
クリスは右手の人差し指を頬に当てながら思考に没頭していたが、やがて幾許かの時が過ぎた後おもむろに口を開いた。
「私の場合は使わなかったというより使えなかったが正解だな。放出系の魔法の鍛錬も積んではいるが、今の時点では物になっていないんだ。強化や移動補助の魔法との兼ね合いもあるので、私にとって放出系の魔法を組み込むのはなかなか大変なんだ」
「なるほど、そういうものなんですね」
「そういえばお前は苦もなくあれこれと魔法を使っていたな。最後のやつもやはり魔法だったのか?」
「はい。俺の場合は移動というより飛翔の劣化版みたいな感じですね。魔法で高速移動ができるなんて今日まで知りませんでしたから」
「は? 今日まで? ほほう……そうか、そういう事だったのか。ふふふ……。これはなかなかに面白い話だ……」
そんな侑人の言葉を聞いたクリスは、心底面白いといった表情を浮かべている。噛み殺せなかった笑い声が既に漏れているが、その顔は少しだけ幼く見え侑人はドキッとさせられた。
いつも凛とした表情で隙のない素振りを見せているが、今のこの雰囲気が素なのかもしれない。侑人はクリスの姿を見ながら漠然とそんな事を考えている。
しばらくの間、侑人は楽しそうにしているクリスの事を見つめ続けていたが、そんな侑人に気づいたクリスは謝りながら話を続けた。
「話の腰を折ってすまなかったな。ちなみに今日のような戦い方をしたのは初めてではないか?」
「どうしてそんな事を? 確かにクリスさんの言う通りですけど」
「やはりそうか。私の勘でしかないが、そのような気がしたんだ。お前の様子を見ながら徐々に本気を出してみたんだが、最初は戸惑っている素振りなのに後半になると動きについてくるのが不思議でならなかった。でもさっきの言葉で納得した」
「納得?」
クリスは少しだけ悪戯っ子のような表情を浮かべて侑人の顔を見つめている。どうやら確信的な内容に触れる寸前で、わざと言葉を濁して反応を楽しんでいるらしい。
そんなクリスの仕草に少しだけ目を奪われながらも、侑人は表面上は努めて平静を装う。今更何を問われても侑人は正直に答えるつもりでいた。
やがて満足げに一つだけ頷いたクリスは、周囲の誰にも聞こえないように侑人の耳元で囁く。その内容は侑人を驚かすのに十分な物だった。
「お前が隠し持っている能力は瞬間的な学習能力だな。宰相閣下ですら知らない情報だという事から考えると、きっとお前はそれを隠していたいんだろう。まあ、これは私の心に秘めておくから安心しておけ」
「なっ!? っと、大きな声を出してすみません。クリスさんの言う通りですけど、何でそれが判ったんですか?」
「本気で剣を交える事は、濃密な会話を交わすよりもお互いの事を正直に伝えるんだ。お前も私の事が判ってきたはずだ」
「確かにそれは言えていますね。今ではクリスさんとの距離がかなり近くなったような気がします。俺の自惚れじゃなければですけど」
「ふふふ……。自惚れではないな。でどうだ、戦いってのも悪いものではないだろう? お前は戦いが苦手どころか嫌悪感を示していたようだが。まあ、最後の方はそんな雰囲気などなかったけどな。本気で相対する者は、己の矜持や信念の全てを相手にぶつけるんだ。状況によっては命を奪いかねないが、本気の相手に本気で立ち向かう事の方が大事な時もある。それをしっかりと覚えておけ」
「己の矜持や信念……。ひょっとして、クリスさんはそれを言いたいが為に、俺との戦いを望んだんではないですか?」
「それはどうかな?」
クリスは侑人の肩を軽く叩くと、そのまま背を向けて侑人との距離を少しだけ離す。
そしておもむろに向き直ると左手を腰に当てた姿勢を取り、右手を侑人に向かって差し出した。
「お前……じゃなかったな、剣士ユート・コサカ。私はユートの事が気に入った。むしろ私の強力なライバルだ。王都に戻った後も宜しく頼む」
「はい。俺だとクリスさんから教わる一方だと思いますけど、それでも良ければこちらこそ宜しくお願いします」
侑人は差し出されたクリスの右手を握ろうとしたが、それよりも一瞬だけ早くクリスはその手を引っ込める。
何が起こったのか理解できない侑人は不思議そうな表情を浮かべたが、苦笑いするクリスが続いて発した言葉で真意を悟った。
「ユート、私のライバルって事は友と同義なんだ。その余所余所しい言葉使いを直して貰えないか。私はユートの師匠になったつもりなどないからな」
「そういう事ですか……。判ったよクリス。ライバルが務まるか判んないけど、俺なりに精一杯頑張るさ」
「ユートだったら一瞬で私に追いつくだろうさ。私が保障してやる。まあ、追いつかれたら直ぐに引き離すまでだがな」
「そこまで買いかぶられるとくすぐったいけど、どうせなら俺もクリスを引き離すつもりで武術に取り組む事にする。今度戦う時は俺が勝たせて貰うな」
「生意気な……だがそれで良い」
侑人が差し出した右手をしっかりと握ったクリスは、口元に苦笑いを浮かべている。そのまま気安い態度で侑人の肩を軽く叩きながら、二人に近づいて来る人物に視線を向けた。
「ミスト、ユートはかなり強いぞ。セビルナ王国最強の座も危ういかもしれんな」
「俺は別にそんな物を望んでいないし、欲しければ何時でもくれてやる。俺に勝てればの話だがな」
「ふふふ、ミストも結構やる気だな。どうだユート、このままミストとも戦ってみるか?」
「えーと、クリスの後にエディエスさんと連戦するのはちょっと勘弁かな……」
「俺も万全なお前と戦いたいから今日は遠慮する。そんな事よりもエルはこれで顔を拭け。血は止まっているようだが傷の手当てもした方がいい」
「ああ、そうさせて貰うか」
クリスはエディエスから受け取った布で血を拭いながら、踵を返してアルクィンの方へと歩みを進めようとする。
しかしその行動は侑人の手によって阻まれた。咄嗟に差し出した侑人の右手が、クリスの右肩を優しく掴む。
「ん? どうしたんだユート」
「ああ、ちょっとそこに座って貰えないかな。多分直ぐに終わるから」
「まあ良いけどな」
「手間取らせて悪いね。ついでに頭にも触るから勘弁して」
目の前に跪いたクリスの髪の毛を、侑人は慎重な手つきでかきあげる。
不用意に傷へと触れてしまわないように注意しながら負傷の程度を見極めた侑人は、少しだけ緊張した素振りを見せていた。
「クリス、俺は自分以外に治癒魔法を使った事はないんだけど、任せて貰っても良いかな?」
「む? ユートは癒しの水で他人の傷まで治す事ができるのか? 自分の傷とは違い、他人を治すのは結構高等な魔法だぞ」
「サニタテム? ああ、治癒魔法の事か。えーと、ぶっつけ本番で悪いけど多分できると思う。アンナが俺に使うのを見た事があるからな。後は申し訳ないけど髪を解いて貰っても良いか? 少し傷が見え難い」
「私は構わんぞ。暴走して余計に傷つけられるのは少々頂けないが、傷跡が残るのは毎回の事だから慣れている」
クリスはそんな事を言いながら、後頭部でアップに纏めていた絹のような金色の長髪を解いた。柔らかな髪質が侑人の手に触れ思わずドキッとする。
侑人は余計な雑念を振り払うように首を左右に振ると、自分がつけてしまった傷をもう一度確認した。
さっきは気づかなかったがクリスの頭部には細かい傷跡が無数に残っており、激しい鍛錬や実戦にその身を置き続けていた様子が偲ばれる。
クリスは気にしていない素振りを見せていたが、女性ならば自分の身体に傷が残る事を好しとする筈がない。
「傷跡すら残さないつもりで……」
生々しい傷に向かって侑人はおもむろに手をかざす。
侑人の脳裏には癒しの水を使っていたアンナの姿が浮かんでいる。それと平行して傷跡がないクリスの頭皮のイメージを明確に浮かべ、自分の魔力を解放した。
「む?」
侑人の癒しの水を見たエディエスは、驚きの表情を浮かべた。先ほどまで生々しい傷口を見せていたとは思えない程、クリスの頭部には何の痕跡も残っていなかったのだ。
それどころか過去の傷跡すらほとんど判らない状態になっている。治癒を専門にしている魔導士をはるかに凌駕する魔法を、目の前にいる侑人はいきなり成功させたのだ。
癒しの水はできたばかりの傷を治す事ができる。生まれつき人が持っている、身体を修復して元の状態に保とうとする力を増幅する効果があるからだ。
癒しの水を行使する魔導士の技量が高ければ高いほどその効果は強くなり、一流の魔導士と称される者になると四肢の欠損の復元は無理だが、できたばかりの傷なら完全に消し去る。
しかし過去にできた傷跡を完全に消す事など、基本的に癒しの水ではできない。傷跡がある状態を身体が正常だと記憶してしまい、それ以上の変化を起こそうとしないからだ。
そう考えると傷跡を消し去る魔法は癒しの水とは別の何かになり、侑人の使った魔法は全く別物の高位の魔法となる。
その事を察したエディエスの背筋に冷たい汗が流れた。侑人の言葉を信じるならば、初めて他人に使った癒しの水もどきで、この効果を発揮した事になるのだ。
では鍛錬を重ねたら、どこまでの効果を発揮するようになるのか。禁断の秘術と呼ばれ神に背く行為だと見なされて禁じられている、蘇生秘術にまで手が届く才能を持ち合わせているかもしれない。
そんなエディエスの思惑など知らず、侑人は癒しの水の効果に満足げな表情を浮かべている。
自分が傷つけてしまったクリスに傷跡が残らなかった事は、侑人の心をとても軽やかなものにしていた。
「成功かな?」
「おお、戦闘だけでなく癒しの水まで問題なく使えるとは……。本当に凄いな」
「ぶっつけ本番だったけど上手くいったみたいだな。ついでに過去の傷跡も少し目立たなくできたから後で確認してみて」
「本当か? それは想像以上だ。本当にありがとう」
少し目立たなくできた等と謙遜する侑人の言葉を、まさに言葉通りに受け取ったクリスは、とても嬉しそうな顔をしている。過去の傷跡に関してはどうにもならないと諦めていたのだが、少しでも目立たなくなったと言われれば、女性の立場としてはやはり嬉しいものなのだ。
実際には少し目立たないどころかほとんど目立たないところまで治っているのだが、自分の頭の傷が見える訳もなく、その驚きの事実にクリスは気づいていない。
そんな二人のやり取りを静かに見つめていたエディエスは、ある考えを思いつきおもむろに口を開く。
その発言はいつも冷静なクリスを動揺させ、侑人を混乱の極地に追い込むものだった。
「エル、左肩から胸までの傷をこいつに見せろ」
「はぁ!? そう簡単に肌を晒せる訳がないだろ! ミストは何を言ってるんだ!」
「医者や治癒魔導士には見せるだろ。それと同じ事だ。いいからこいつに見て貰え」
「あのなぁ……。言いたい事は判るが私はもう気にしていないし、傷跡の一つや二つ位はどうって事ない。ありのままの自分をもう受け入れたんだ」
「エルが想像している以上にこいつの癒しの水は凄い。少し目立たなくしたどころか、エルの頭の傷はほぼ消えている」
「傷跡が完全に治る訳がな……む? おや? これは……」
エディエスの言葉を受けて、クリスは自分の頭のあちらこちらを触っている。頭に残った傷跡は少し盛り上がったような形状をしているので、手で触ればどこにあるのか判断がつくのだ。
しかしいくら触っても、いつもの不愉快な感触が指先に伝わってこない。訝しげだったクリスの表情が、最終的には驚きの色に染まる。
「傷跡が……ない……だと……」
「ああ、エルの傷跡はこいつがあの瞬間に全て消した」
「しかしありえんだろ。癒しの水では傷は治せても、傷跡までは消せんはずだ」
「現実を受け止めろ。こいつはその不可能を可能にする」
クリスとのやり取りを切り上げたエディエスは、そのままアルクィンの方へと歩を進める。
あまりの展開の早さに全くついていけない侑人と、ありえない事が起こって混乱しているクリスは、その背中を目で追うことしかできなかった。
「宰相、ベッドルームを一室と女性用のバスローブを一組用意して貰いたいのだが」
「ふむ、貴方達のやり取りをここで見てましたので大体の状況は判っています。しかし本当にクリスの治療をユート殿にお願いするつもりですか?」
「ああ、あれだけの癒しの水を使える者など、セビルナ王国軍に所属する魔導士には居ない。仮にあいつからやり方を学んだとしても、習得できるとは思えんしな」
「貴方がそう言うなら良いでしょう。直ぐに用意をさせますから、エディエスは二人を案内して下さい。なおユート殿の癒しの水に関しては他言無用です。クリスにも伝えて頂けますか?」
「了解した」
アルクィンとの短いやり取りを終えたエディエスは、再び侑人達の元へと戻ってくる。そして今度は未だに呆けたままの二人を引きずって、建物の中へとゆっくり歩んでいった。
2014/5/16:話数調整
2014/5/25:魔法名追加
2014/5/27:修正




