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ワーカホリック  作者: 茶ノ木蔵人
秘める決意の唄
27/45

第8話:格の違い

「よく防いだな」


 そんな事を呟くクリスの目は、どことなく優しげな色を纏っている。

 まるで聖母の様な雰囲気とも思えるが、端正な顔に流れる一筋の血が、唯一戦いの最中だという事を如実に感じさせていた。

 だがクリスを相手にしている侑人には返答する余裕など一切なく、乾いた笑いを返すのが精一杯だ。

 そんな侑人の事をあざ笑うかのように、クリスは次の行動へと移っていく。


「ではこれも防いで見せろ――」


 再びクリスの姿が目の前から消えた。

 まさに消えたという表現しか、侑人にはできない。

 無駄な動きを一切見せずに、クリスは高速で移動したのだ。

 一旦侑人の右側に移動し、その反動を利用して一気に襲い掛かるクリスの横薙ぎの剣筋を、視線の端で捉えられたのは運が良かった。まさにそうとしか言いようがない。


 ガキン


 右半身を庇った木刀に再び衝撃が走る。本能的に備わっている自己防衛機能が、侑人の意思を超えてクリスの攻撃を防ぐ。

 遅れて視線を移した侑人の目には、間髪を容れず右上からの袈裟斬りを放ったクリスの姿が映った。


「ぐっ!」


 袈裟斬りからの斬り上げ、そのまま一回転しての胴を狙う横薙ぎから九尾を狙う突き。クリスの流れるような連続攻撃が次々に襲い掛かる。

 両刃の剣の特性を極限まで生かした、無駄な動きが一切ない乱舞を繰り出すクリスの姿は、美麗な容姿とも相まって華麗に舞い踊る歌姫のようだ。しかしその本質は可憐さとは程遠く、相手の死を確実に招く死神の鎌と同義だった。

 攻撃のパターンを必死で読もうと考えを巡らせている侑人の顔には、焦りの色しか浮かんでいない。クリスの攻撃速度は侑人の思考速度を明らかに上回っているのだ。

 手加減不要と言い切っていたクリスの態度から、剣技の練度が師範クラスだという予想はできていた。しかしこれはそんな生易しい物ではなく、流派の看板を背負う達人と比べても遜色ない程クリスの剣技は極まっている。


「次はこうかな――」

「なっ」


 侑人の視界からクリスが三度消えうせる。

 その刹那、侑人の背筋に冷たいものが走り、とっさに頭上へと掲げた木刀へと容赦ない一撃が加えられる。

 思わず膝を突いた侑人は視線を周囲に走らせたが、クリスの姿を捉える事などできなかった。


「どこを見ている」

「えっ? まさか!」


 慌てて後ろを振り返った侑人の顔を、面白いものでも見ているかの様なクリスの笑顔が出迎える。いつの間にかクリスは侑人の背後へと廻り、脳天目掛けて鋭い攻撃を仕掛けてきたようだ。

 しかも侑人に声など掛けず、容赦なく続けざまの攻撃を加えていれば、間違いなくクリスの勝利は確定していた。あえてそれをしなかったのは、単なるクリスの気まぐれにしか過ぎない。


「こりゃ想像以上だ……」


 摺り足でクリスから距離を取りつつ、侑人は一人呟く。

 全力を出せとしつこく言われた時には少し気分を害したが、それは侑人にとって本当に必要な事だったのだと痛いほど理解できた。馬鹿にされたのではなく、侑人が少しでも相手になるように気遣われただけなのだ。

 クリスの身を案じて威嚇した侑人の行為は、まさに蛇足だったと反省せざるを得ない。全力を出さない侑人など、クリスにとっては取るに足らない存在なのだ。


「しかしどうしたもんかな」


 クリスの事を全力を出しても届かない相手だと認め、加減する事など考えないと侑人は決めたが、打開策が今の所全く見つかっていない。

 クリスに一矢報いるどころか、その動きすら捉えられていなかった。一方的に加えられる斬撃を凌ぐので精一杯なのだ。

 他を圧倒する機動力と切れ目のない連続攻撃。これがクリスの持つ一つ目の武器だった。


「クリスさんの特技は瞬間移動って訳ですか」

「いや、私にはそんな芸当などできんぞ。単に人より少しだけ迅く動いてるだけだが」

「少しだけって……」

「多少の素養があれば造作もないことだ。こんな風にな――」


 もはや何度目か判らないが、クリスの姿が侑人の視界から消えた。クリスの言葉を信じれば高速で移動しているだけとの事だが、侑人には到底信じられない。

 人が動く為にはまず初動で重心をずらし、重心の移動を利用しつつ徐々に速度を上げていくのが普通だ。物理法則に支配されている限り、これはどんな人間でも変わりない。

 しかしクリスの動きには、予備動作など一切感じられなかった。目の前にあるはずの身体が、次の瞬間には違う場所に移動している。そんな風にしか見えないのだ。


「お前は頭が良いみたいだが、私から見ればそれに頼りすぎだとしか思えない。状況を把握するのには必須だが、捕らわれすぎなのは害悪にしかならない」


 左側から聞こえるクリスの声に視線を向けたのだが、そこには既にクリスの姿はなかった。


「物事には因果がある。それを解きたいのなら、それを見つける事だけに集中しろ。その他の思考は直接戦闘には無駄だ。軍師にでもなりたいなら話は少し変わるがな」


 今度は左側からクリスの声が聞こえる。この短時間で侑人を挟んだ反対側へと移動したらしい。


「技には流れがある。考えるのではなく感じろ。いちいち考えてから対処するな」


 再び侑人の正面へと移動したクリスは、事も無げにそう言い放つ。絶対的な強者として立ちはだかるクリスの身体が、侑人にはとても巨大な物に見えていた。


「では構えろ。いくぞ――」


 ガキン


 わざわざ侑人の構えた木刀へと一撃を放ったクリスは、そのまま流れるように連続攻撃へと移っていく。木刀への一撃を喰らう直前の動きが侑人には少しだけ見え、何かを掴みかけたがそんな余裕など一瞬で吹き飛んだ。

 袈裟斬りを何とか凌いで次は斬り上げだと先読みしたつもりが、予想に反して次撃は横薙ぎの一撃だったり、それを凌いで次は突きだと判断すれば、不意を突いて斬り上げが襲い掛かってきたりと、クリスの攻撃は変幻自在で先の展開が全く読めない。

 それどころか時々フェイントとして、高速移動を混ぜてきたりもする。

 ある時は右から、またある時は後ろから、そして意表をついた頭上からの一撃。全方位から放たれる攻撃は息を吐く暇すら侑人に与えず、情け容赦ない斬撃の雨を降らせ続けていた。

 確かにクリスの言う通り、全て考えてから行動していたら対応などできない。

 微細な体勢の差から、次に繰り出される技を直感的に判断し瞬間的に対処する。それしか方法はなさそうだった。

 移動の謎を解きたい気持ちは大きかったが、それを振り払って侑人はクリスの攻撃を見極める事に集中する。

 そんな侑人の気配を察知したクリスは、少しだけ楽しげな表情を浮かべた後、口元に邪悪な笑みを浮かべた。


「剣に集中しすぎだ」

「がっ!」


 激しい攻防の間にできた一瞬の隙を突き、クリスは鋭い前蹴りを放つ。その前蹴りが侑人の右胸に当たり、二人の距離が少しだけ開いた。

 不意を突かれた侑人の身体は一瞬だけ泳いだが、なんとか致命的な隙を見せずに体勢を整える。しかし今の侑人は完全にクリスの手の上で踊らされていた。

 埃にまみれ流血しているクリスと未だ無傷の侑人は、再び戦闘準備を整える。

 この瞬間だけ切り取ると侑人が優勢のようにも見えるが、侑人は未だに反撃の糸口すら見つけられていない。


「なかなかやるな。次はこれ位でどうかな」

「今まで本気じゃなかったのかよ!」

「私がいつ本気だと言った――」


 クリスは再び高速で移動し侑人に襲い掛かる。多少目が慣れたのか『どんなものでも理解できる能力』が学習したのか判らないが、今度はその動きを目で追う事ができた。

 楽しげな笑みを浮かべるクリスの乱舞が、激しさを増していく。既に剣筋ははっきりと見えず、所々に残像すら纏わせる勢いだ。

 初撃からこの速度で撃ち込まれていたら、侑人には間違いなく防げなかった。しかしギリギリ対応できる速さから、徐々に段階を上げていくクリスの攻撃速度に慣れさせられ、反撃はできないが防御はできる状態を侑人は保ち続けている。


「ったく――性格が悪い――」

「褒め言葉として――受け取っておく――」


 侑人には加減したら半殺しなどと言っておきながら、クリスは侑人の技量を冷静に見極め、勝負ができるように取り計らっていたのだ。

 もはや模擬試合などではなく、師匠が弟子に稽古を付けているのと等しい行為だが、それを察した侑人の顔には満面の笑みが浮かんでいた。


「戦闘中に――笑うな――」

「そっちだって――笑ってる――」

「違いない――だがお前には百年早い――」

「それは――理不尽すぎです――」


 もはや傍目から見ると、激しく動き回る二人の姿ははっきりと視認できない。

 それなのに楽しげに談笑しているようにも見え、その異常性は戦いを観戦しているアルクィンとヨーゼフを呆れさせていた。


「ユートが人外の存在に見える時は稀にあったのじゃが、まさかそんな人間がユート以外にも居るとはの。長生きはしてみるもんじゃな」

「私もユート殿の腕前には感服しています。近衛師団の団長であるクリスとここまで渡り合えるのは、セビルナ王国最強であるエディエスしかおりませんでしたから」

「エディエス殿は彼女の上を行くと言うのですかな?」

「はい。本気のクリスでも、勝算は二割程度だと思います」


 セビルナ王国の近衛師団は、人外魔境かそれに近い何かなのか。そんな事を考えているヨーゼフの目の前では、未だに激しい戦闘が繰り広げられている。

 しかし少しだけ状況が変わってきたようにも見えた。

 クリスの剣技は冴え渡り、既に目で追うのは限界の速さまで極まっている。それを一方的に防ぎ続ける事しかできない侑人という図式は変わっていなかったが、侑人の動きが少しづづ変化していたのだ。

 今までの侑人は、クリスの斬撃を全て木刀で防ぐ事しかできなかった。しかし十数回に一度のペースではあるが、体捌きのみでかわす事ができるようになっている。


「生意気な――」

「俺は――必死です――」


 そんな言葉とは裏腹に、ほんの少しだけだが侑人には余裕が持てるようになっていた。

 体捌きのみでかわせるという事は、クリスの剣筋を読めるようになってきている事を意味している。身体が速さに慣れたという意味合いもあるが、それ以上にかなりの恩恵を受けられるのだ。

 相手の剣筋を読めるという事は、別の事に思考を割く余裕を生み出していた。クリスの言うように、相手の攻撃を避ける事に思考を使っていた今までではできなかった芸当だ。

 そして戦闘中に思考が割けるという事は、打開策を生み出すきっかけを掴める可能性が広がる。

 目の前に立ちはだかるクリスの弱点。はっきりと断言はできないが、そう思える部分を侑人は見つけた。


「なるほどね――」


 クリスが侑人より勝る点であり、一番の武器にしているのはスピードだ。目にも留まらぬ速さを言葉通りに体現しているクリスのスピードは、今の侑人では真似する事など到底できない。

 しかしその反面攻撃力はそれ程でもないのだ。半分素人である侑人が、連続攻撃を受け続けられている事がそれを証明していた。

 クリスの攻撃に一撃の重さが備わっていればこうはいかない。既に百を超える打撃を受けている侑人の手が、使い物にならなくなってもおかしくないのだ。

 侑人の両手は少しだけ痺れを感じている。しかし言い換えれば、それだけのダメージしか受けていなかった。

 侑人は火の魔法で身体能力を底上げしているのだから、当たり前の事かもしれない。クリスの背丈はアンナとほぼ同じであり、体型もそれ程の差はないのだ。

 しかしその事に今まで気づけなかったのは、侑人の余裕が全くなかった為でもあり、そこまで侑人を追い込んでいるクリスの凄さも示していた。


「冷静に――」


 侑人は反撃に転じる。

 袈裟斬りを体裁きでかわすと、次の横薙ぎは木刀で受け流す。

 斬り上げをバックステップでかわすと、続けざまの横薙ぎもさらに一歩後退する事で何とかかわした。


「ここだ!」


 次に侑人へ襲い掛かったのは、九尾を正確に狙う突き。これを侑人は狙っていた。


 カンッ


 右足を軽く前に出し、両手に力を籠めた斬り上げをクリスの木剣に叩きつける。九尾に迫りくるクリスの木剣を、力任せに弾き飛ばして無理やり隙を作るのが侑人の作戦だ。

 侑人の思惑通り、木剣を弾かれたクリスの右腕は上空へと向き、目の前には無防備な甲冑が姿を現した。


「このまま一撃――」


 さらに一歩を踏み出し、強烈な横薙ぎをクリスの胴へと叩きこむ体勢を取る侑人。

 クリスの右腕は上空を通り超えてさらに後ろへと回り、崩された体勢では防御も間に合わないはずだ。

 このまま木刀を振り抜けば、侑人の勝利は間違いない。

 間違いないはずだ――


 ゾクリ


 しかし侑人の背中に悪寒が走る。

 絶好のチャンスを目の当たりにしているはずなのに脚が動かず、それどころか大きく一歩後退していたのだ。


「なぜ下がる? 俺は一体……。あっ!」


 侑人は唖然としながらも、今の行動が最善だったと理解した。

 さっきまで侑人の頭があった場所に、クリスの木剣が突き出されていたのだ。


「よく避けたな――」


 クリスは木剣を左手で持ち替え、鋭い突きを侑人に向かって放っていた。


「背中で持ち替えただけの事。そんなに驚くな」

「まさか……誘われた?」

「別に誘った訳ではない。お前が何か考えてるようだったから、あえて受けてみただけだ」

「完全に見透かされてたって訳ですか」


 あのまま横薙ぎを放っていたら、今の侑人はこうして立っては居られなかった。それほどまでにクリスの突きは鋭かったのだ。

 むしろ今までの突き以上に速かった様にも思えたのだが、そんな侑人の考えはクリスの一言で肯定された。


「私は左利きだからな。こっちが本職だ」

「俺はそこまで加減されてたって事ですか?」

「いや、そうではない。だが簡単には教えてやらん」

「この人はどこまで化け物なんだよ……」


 まさか今まで自分を追い込んでいたクリスが、利き腕を使わない状態だったとは予想すらできなかった。

 クリス本人は加減したからではないと言っているが、侑人にはそうとは思えないのだ。


「自信なくすなぁ……」

「馬鹿かお前は。ここ数年を振り返ってみても、私に両手を使わせた奴はミスト以外に居ないんだぞ。誇りに思え」

「お話の途中申し訳ありませんが、少し宜しいですか?」


 会話を続けていた侑人とクリスに割り込む形で、アルクィンが口を開く。

 訝しげな視線を向けるクリスと、かなり気落ちした雰囲気を隠さない侑人を交互に見つめた後、アルクィンは硬い表情を浮かべた。


「クリス、貴女はまだ続けるつもりですか?」

「ああ、決着は着いていないからな」

「そうだとは思いました。ではその上で聞きます。今度は左手で戦うつもりですか?」

「そうだな……。こいつの腕前から考えるとそれが良さそうだ」

「考え直すつもりは?」

「ない。こいつの為にもなるからな」


 アルクィンは深い溜息を吐くと、侑人だけに向き直った。そして真剣な光を湛えた目で侑人を見つめる。


「ユート殿、危険を感じたら――」

「宰相閣下。武人に対する敬意を損なう様な真似をしないで頂きたい。この場を穢すようなら退場して頂く」


 少しだけ憮然とした表情を浮かべ、アルクィンを睨みつけるクリス。

 その視線を受け止めたアルクィンは暫し逡巡する様な素振りを見せていたが、やがて深い溜息を一つだけ吐くと、クリスに何やら目配せした。

 二人のやり取りを終えたクリスは侑人に再び向きなおる。そしておもむろに口を開きそれが再戦の合図となった。


「これから先は気を抜いたら怪我などでは済まない。真剣に立ち向かえ」

「ええ、いつでも構いません」

「その心意気や好し――」


 クリスは左手に持った木剣をおもむろに振り上げると、そのまま侑人との間合いを一気に詰める。鋭い眼光は侑人を真っ直ぐに射抜き、身体から発する闘気は模擬試合とは思えない程だ。

 しかし先ほどまでとは違って、物理法則を無視したでたらめなスピードではない。繰り返し鍛錬を重ね、徹底的に無駄を省いた基本に忠実な脚捌きではあったが、一連の動きは侑人には手に取るように判り、クリスの袈裟斬りに合わせて木刀を撃ちつけた。

 だがこの行動を取った事に対して、侑人は後悔する事となる。


「がっ!」


 今まで感じた事のない重い衝撃が侑人の両手を襲う。火の魔法の身体強化で筋力が底上げされているはずなのだが、両手だけではその衝撃を支えきれないのだ。

 木刀が左肩に少しめり込む形でなんとか一瞬だけ動きを止めたが、事はそれだけで収まらなず、相殺しきれなかったエネルギーは侑人を身体四つ分ほど吹き飛ばしていた。


「腰を入れずに手だけで捌くからそうなる。それに斬撃を受け止める位置も悪すぎだ」

「そういう次元だけじゃない気もするんですけど……って、痛てて……」


 とっさに受身を取った侑人は何とか立ち上がったが、クリスの攻撃を受け止めた代償で左肩を痛めてしまった。鼓動に合わせて鈍痛が絶え間なく感じられ、侑人は顔を少しだけしかめる。

 右手一本で木刀を持ち左肩を動かしてみたが、水平以上の高さに肩を上げようとすると鋭い痛みが走った。折れてはいない様だがヒビ位は入ってしまったかもしれない。


「一撃でこの威力かよ……」


 侑人は唖然とした顔で、飄々とたたずむクリスを見つめている。

 先ほどまでの戦闘とは大きく状況が変わった。腕力では負けないという侑人の自信が、たったの一撃で脆くも崩れ去ったのだ。

 相手を一撃で葬り去る暴力的な攻撃力。これがクリスの持つ二つ目の武器だった。

 しかしいくらクリスが達人とはいえ、生身のまま火の魔法で強化している侑人の腕力を凌駕するのとは考えにくい。何か理由があるはずなのだ。

 侑人は思考を巡らしていく。どんな意図を持っているのか判らないが、クリスは追い撃ちを掛ける事もなくその場に留まっていた。

 明らかに侑人を格下と見なした行動とも思えるが、もはやプライドを傷つけられたりする事はない。この戦闘でかなりの学習を積んだとはいえ、今の侑人の実力はクリスの足元にも及んでいないのだ。


「普通じゃありえんよな……」


 考えられる可能性は二つ。

 一つ目はクリスが人族ではないという事だ。亜人族の中には人族の身体能力を大きく上回る存在も居る。例えば龍人族は長寿の他に、圧倒的な体力と筋力を誇る戦闘に特化した種族だ。

 その代わり繁殖力が低い、純血を保たなければ能力が激減するといったデメリットも存在するが、今はそんな事など全く関係ない。


「クリスさんは人族ですよね?」

「ああ、先祖に亜人族が居たという話を聞いた事はないぞ。私個人としては亜人族が持つ特殊能力に憧れるが、その位は人族の身でも何とかなる」


 駄目元で聞いた侑人の質問にクリスはあっさりと答える。だが仮にクリスが質問に答えてくれなくても、侑人はこの可能性を否定していたのだが。

 ハルモ教法王庁教圏国家群の中では比較的宗教観が緩く、亜人族に好意的な国家であるセビルナ王国とはいえ、貴族の身であるクリスに亜人族の血が混じっているとは考えにくいのだ。

 身分が上がれば上がるほど、自身の出生や血筋に対しての思い入れは高まり、婚姻に対しての一族の干渉は激しくなる。

 ハルモ教の教義の一説で咎人と称され、人族から見下されている亜人族と血縁になる貴族が、ハルモ教法王庁教圏国家群の中に居る方が珍しい。

 そうなると残った可能性は一つだけだ。


「クリスさんは魔法剣士なんですね」

「ほほう……」


 クリスは肯定も否定もしなかった。しかし侑人の中に仮説に対しての確信が生まれる。

 戦闘中に手の内を晒す者などほとんど居ない。侑人はその例外に入ってしまう可能性が高いが、相手に情報を与える事のデメリットは大きいのだ。

 その証拠に侑人の動きに対してあれこれと指摘してくれるが、クリスが自分の事を語った内容は、左利きである事と人族である事の二点のみだ。

 その事ですら模擬試合というこの場の雰囲気と、侑人が黒髪の勇者という立場だからこそ明かしてくれただけに過ぎない。

 そして愚にもつかない質問なら、クリスは鼻で笑うような態度を取るはずだ。しかし今の質問に対してはそういう雰囲気は見せなかった。

 侑人の問い掛けにクリスが反応を示した事実だけで侑人には十分だった。


「基本的な構造が同じ人族同士で、ここまでの筋力差は生まれない。という事は魔法の能力の差になるのか? いや、それもないな……」


 無意識で使用していた時期も長いが、マグナマテルに召喚されてから程なくして、身体強化の魔法を日々駆使していた侑人には、その魔法が持つデメリットを十分に理解している。

 一見すると身体強化の魔法は万能にも思えるが、筋力や瞬発力の向上に比べると、耐久力の向上はそれ程ではないのだ。

 考えなしに強大な力を振るうと、その反動で身体を痛めてしまい身動きが取れなくなる。玉砕覚悟の精神で特攻するなら有効な手段かもしれないが、模擬試合でそこまでするとはとても思えない。

 日々の仕事や村人達の頼まれ事で身体強化の魔法を繰り返し使っていた侑人は、自分の身体の限界値がどこにあるのか詳細に把握していた。

 それに対してかなりの剣技の修練を積んでいるクリスも、連続戦闘が可能な範囲で身体強化の魔法を使っているはずだ。

 治癒魔法を前提に置いた耐久性無視の作戦も考えられるが、その可能性を即座に侑人は否定する。

 魔力を隠しているクリスがどの程度の魔法能力を秘めているのか判らないが、集団に囲まれる事もありえる実際の戦闘において、回復する隙を敵に見せる事などありえない。

 頭部から流れる血を放置している事から、そもそも治癒魔法が使えない可能性も高いのだが、これに関してはクリスの矜持から出ている行動の恐れもあり過信はできないのだが。

 とにかく骨や筋の耐久力に、これほどの破壊力の差を生み出す差異があるとは考えにくい。

 という事は、破壊力の差はお互いが繰り出す技の錬度の差から生まれている事になる。


「結局クリスさんが凄いって事に変わりないけどな……」

「褒められる事は嫌いではないが、そろそろ良いか? 待つのも飽きた」

「すみません。すぐ準備します」

「ああ。降参すると言わないのが良い感じだ」


 本来であればこの時点でクリスの優勢勝ちが決まり、模擬試合は終了する流れなのだが、侑人は水の魔法の治癒で左肩を治す。

 左肩を二回ほど大きく廻した侑人は、肩の痛みが消えて入る事を確認し再び木刀を構えた。


「そうじゃなきゃつまらん。お前もなかなか判ってきたじゃないか」

「使える物は何でも使えって言われてますからね」


 そんな短いやり取りを経た二人は、ふてぶてしくにやりと笑う。戦いという特殊な状況下に置かれた事で、お互いの考えがある程度判る位にまで二人の仲は進展していた。

 マリアやアンナとの関係とは違いかなり血生臭いものだが、こんな関係もありだなと侑人は考えている。強敵と書いて友と読むを自分が地で行くとは思いもよらなかったが、こんな潔い関係も心地よい。

 そしてこの戦いに対して消極的だったはずの侑人の中に、新たな感情が生まれていた。


「続きを始めるぞ。楽しもうではないか」

「はい。宜しくお願いします」


 再び二人は激突する。もはや侑人の中に戸惑いはない。

 ほぼ同時に地を駆けた二人は丁度中央あたりで武器をぶつけ合い、激しい鍔迫り合いを演じた。お互いの木製武器が軋み嫌な音を立てるが、それでも二人は止まらない。

 先ほどの一撃とは違い、今度は侑人も押し負けなかった。全身に力を漲らせてクリスの一撃を堂々と受け止めてみせたのだ。


「良い顔になったな」

「そうですか? 俺には判りませんけど」


 クリスの前蹴りを一歩後退する事でかわした侑人がクリスに袈裟斬りを放ち、そんな侑人の攻撃をクリスが体捌きのみで受け流す。

 そんな動きを察知した侑人が横薙ぎの一撃を見舞えば、クリスがそれを木剣でいなして反撃の肘撃ちを放つ。

 クリスの攻撃速度は右手の時と比べて段違いに速くそして力強くなったが、その代わりに移動速度が侑人とほぼ同じまで落ち込んだ為、一方的に攻撃を受ける事がなくなったのだ。

 侑人が持つ『どんなものでも理解できる能力』が学習した影響も大きい。それを導いたのが敵であるはずのクリスというのが皮肉な話ではあるが。

 防御に徹していた侑人が積極的に攻撃を試み、侑人の攻撃の合間にクリスが反撃する、今までとは違う流れが出来上がっていく。


「良い笑顔だ――」

「さっきは――笑うなと――」


 侑人はクリスとの戦いに喜びを見出していた。その証拠に攻撃を仕掛ける侑人の口元には笑みが浮かんでいる。

 戦いを毛嫌いしていた自分が居なくなった訳ではない。でも今感じている感情を素直に表現すれば、喜び以外に当てはまりそうもないのだ。

 下手をすれば命の危険すらありえる限界のやり取りがとにかく楽しい。まだ手の届かない相手に全力でぶつかる事が、これほど心躍るとは想像すらしていなかった。

 総合的に見ればまだクリスの方が優勢だが、それでもほぼ互角の戦闘を二人は演じ始める。

 お互いに有効な一撃を与えてはいないが、攻撃と防御のバランスは五分五分に近くなり、撃ち合いの数はゆうに百を超えていた。

 そんな二人の姿をアルクィンは真剣な目で見つめ続けている。ただ黙って見ているだけの様にも思えるが、アルクィンの思考は様々な状況を想定しフル回転していた。

 先ほどクリスから邪魔するなと言われはしたが、最悪の事態を想定して動く事を決意し、同じく横で戦闘を見つめていたヨーゼフに耳打ちする。


「ヨーゼフ殿。この村に治癒魔法が得意な人物はおりますでしょうか?」

「村に治療院が一つだけありますがの……。そうじゃ、身近な所に最適な人物がおりましたわい。先日の件の際にユートの怪我を一瞬で治したので、腕は折紙付きですぞ」

「アンナ殿ですね。こんな時に大変申し訳ありませんが、アンナ殿をここに呼ぶ事はできますでしょうか」

「ユートなら一瞬で呼べそうではあるのじゃが、当の本人があれでは呼びに行くしかなさそうじゃの。多分家に居るとは思うのじゃが」

「では私が呼んできますので、この場はお願いできますか?」

「いや、わしが呼んでこよう。さすがにアルクィン殿を一人で家まで行かせる訳にはいかんじゃろう」


 深刻そうなアルクィンの態度を見たヨーゼフは、何も訊かずにホラント家への家路を急ぐ。

 治癒魔法が必要になる事態が起こりえるならこの模擬試合を止めるべきだが、張本人の二人がこんな雰囲気だと、何を言っても止まらない可能性が高いのだ。

 アルクィンは家路を急ぐヨーゼフの後ろ姿に一礼すると、再び戦いを演じている二人に視線を戻した。

 二人の心配をよそに、侑人とクリスの戦いは佳境へと移っていく。


「ここまで――やるとはな――」

「クリスさんの――おかげです――」


 このまま持久戦となり体力勝負に持ち込まれるかと思われたが、その均衡は呆気なく崩れた。

 崩したのは勿論クリスだ。


「そうか――だがまだ甘い――」

「え――」


 バックステップで距離を取ったクリスが木剣を右手に持ち替える。


「では本気を出そう――」

「なん……だと……」


 侑人は再びクリスのスピード地獄に取り込まれた。

2014/5/16:話数調整

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