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ワーカホリック  作者: 茶ノ木蔵人
秘める決意の唄
26/45

第7話:騎士の矜持

「どうしてこうなった……」


 文句を言いながら木刀を構える侑人の目の前には、全身から闘気を立ち上らせる女性騎士が佇んでいる。

 無骨な甲冑が似合うというのは、女性に対する褒め言葉ではないかもしれない。しかし甲冑を纏った彼女の姿は、神々しささえも感じさせている。


「もっと真剣に構えろ。私に手加減など要らぬし、下手に気を抜いたら怪我などでは済まないかもしれんぞ」


 気迫の篭った目で睨みつつも、どこか楽しげな雰囲気を感じさせるクリスの鋭い声が侑人の耳に届く。どうやら黒髪の勇者と呼ばれる侑人の腕を試せる事が、クリスにとってはかなり嬉しい出来事らしい。

 対する侑人の格好だが、クリスとは違い革の軽鎧を着ている。当初はクリスと同じ甲冑を着せられそうになったのだが、身動きのし易さを重視した結果この防具で落ち着いたのだ。

 この場には侑人とクリス以外に、立会人として三名の姿が見えている。

 一人は審判を兼ね二人の間で悠然と佇むエディエスであり、背中にはかなり重そうな大剣を背負っていた。エディエス自身が戦う訳ではないが、戦闘を強制的に止める際に抑止として使うつもりなのだ。

 残りの二人はセビルナ王国宰相のアルクィンと次期セビルナ司教候補のヨーゼフであり、目の前で対峙する二人の姿を静かに見守っていた。


「魔法でも飛び道具でもいい。使える物は何でも使って、とにかく全力でかかって来い。女だと思って舐めた態度を取ったら大怪我するぞ。むしろそんな気配を感じたら半殺しだ」

「なんて物騒な女騎士様だよ……」


 己の腕に相当な自信を持っているのか、目の前にいるクリスは武器を構えないまま、飄々とした風を纏い仁王立ちしている。

 木製の片手剣を右手に持ちつつ、それで肩の辺りをリズミカルに叩いている姿は、整った容姿と相まって一枚の絵画のようだ。

 妙齢な美人の女性に、全力で掛かって来いなどと偉そうに言われた日には、考えつく全ての手段を使って叩きのめし、ごめんなさいご主人様……。などと、言わせたい気分にもなるが、さすがに色々な事情を抱える侑人だとそういう訳にもいかない。

 自分の能力をギリギリまで隠して、不意打ちで勝利を収めるのが手っ取り早いのは理解している。しかし相手はこれからお世話になるセビルナ王都の人間だ。正々堂々と立ち向かわないと、この場が上手く収まらない。

 しかも今回の立会いは実戦ではなく、あくまで模擬戦にしか過ぎないのだ。勇者扱いされる侑人にはそれなりの美学が求められ、その美学が侑人の行動をがんじがらめに縛り付ける。

 だが今の侑人は少しだけ機嫌が悪かった。侑人の意志を完全に無視し、勝手に決められた戦いを強制させられていたからだ。

 格下だとクリスに勝手に決め付けられ、全力を出せと一方的に言われてもいる。侑人が手加減する必要性など全くない。


「簡単に手の内を晒すのはアホらしいけど、この勝負に関しては油断してる相手に勝っても意味ないよな」


 そんな事を呟きながら、魔力を全開放する侑人。相対する者に恐怖感を植え付ける暴力的な魔力が、己の制約から解き放たれ本来の姿を現す。

 魔法に必要なものは魔力とイメージ力と意志の力。魔法の基本要素を思い返しながら侑人は魔力をどんどん高めていく。見えないはずの魔力が可視化し、魔力に包まれている侑人の姿は金色に輝いていた。

 戦う前から相手の戦意を根こそぎ叩き折る。侑人がまず最初に考えたのはそんな事だった。多少卑怯な気もするが、そもそも戦う事に対して消極的な侑人が取れる、最大限の攻撃的な姿勢なのだ。


「ほほう。これは予想以上だな」


 今の侑人が感じさせる魔力量は規格外と言え、常人であれば恐怖感を懐くほどだ。その証拠にアルクィンは唖然とした表情を浮かべ、完全にその動きを止めていた。

 しかし侑人と直接相対しているはずのクリスは口元に笑みを浮かべ、余裕そうな態度を崩していない。言葉では想定外の事態を認めているような素振りを見せたが、実際には全て判っていたような雰囲気なのだ。

 侑人は目の前で悠然と佇むクリスを睨みつける。クリスはそんな侑人の殺気を心地よい物と感じているような、少し高慢とも言える笑みを浮かべていた。


「これは面白い。なかなか楽しめそうだ」

「俺は楽しくもなんともないですけどね」


 二人はまさに一触即発といった雰囲気を纏い対峙している。何かのきっかけさえあれば、即座に戦闘が開始されるだろう。

 ティルト村にある貴族の所有する建物が集まる一角で、侑人はクリスと模擬試合をする羽目に陥っていた。

 なぜそんな事になったのかを説明するには、時間を少しだけ巻き戻す必要がある。




「それではヨーゼフ殿は王都の司教を引き受けて下さると?」

「こんな老いぼれでよければじゃが、謹んで引き受けさせて頂こうと決意したまでじゃよ。これからも宜しくお頼み申し上げますじゃ、宰相閣下」

「公的な場では仕方ないかもしれませんが、私的な場ではこれからもアルクィンとお呼び下さい、司教台下」

「確かにそうさせて貰う方が、わしの精神衛生上も良さそうじゃ。改めてアルクィン殿には、今後ともよしなにお願いしたいものじゃの」


 ティルト村の一角にある屋敷の応接室で、侑人とヨーゼフはアルクィンの歓迎を受けている。この場にクリスとエディエスは居なかったが、数名の従者らしき人達が、優雅な動きで侑人達をもてなしていた。

 軽妙なアルクィンの切り返しを受けたヨーゼフは、頭を掻きながら笑顔を浮かべている。今後の事を考えると、気心が知れたアルクィンの前で多少気を抜けるのはありがたい話だ。

 セビルナ司教を引き受けたからには、今後様々な場で高位な身分の者達と、公私に渡って顔を合わせる機会が訪れる。カルロス王をはじめとしたセビルナ王国の重鎮達への対応を、気軽に相談できるのも強みだった。


「しかし凄いお屋敷じゃの。さすがセビルナ王国の宰相を任されている方は一味違いますな」

「いやいや、ここは私の別邸などではありません。さるご身分の貴族の持ち物……という事になっていますが、実は陛下のお忍び用です。これは内緒ですよ」

「なんと! ならば陛下はこの村に来た事があるという事ですかの?」

「陛下の脱走は私が許しま……もとい、陛下もなかなかお忙しいご身分ですから、今の所一度もこの別邸を訪れた事がないのです。今回の私はヨーゼフ殿の一件の他に、屋敷の管理状況を調べる事もご命令の一環として仰せつかっています」


 事情を知らなかったとはいえ、カルロス王の所有する屋敷にお邪魔していたらしい。それに気づかされたヨーゼフと侑人はかなり恐縮している。

 そんな二人の姿を見たアルクィンは、少しだけ苦笑を浮かべ強引に話題を変えた。


「今日はユート殿とご一緒にこちらへ? 他のお二人はどうされたんですか?」

「あの二人は今頃、家の片付けをしておりますの。ティルト村に戻れる日がいつになるか判りませぬゆえ、必要な物とそうでない物を分ける必要がありますのじゃ」

「セビルナ王都の司教を引き受けて下さっている間、ヨーゼフ殿のご自宅に関しては、セビルナ王国で責任を持って管理させて頂きますのでご心配なさらずに」

「それはかなり助かりますの。じゃが、セビルナ王都まで移動する間の準備もありますゆえ」

「何でしたら近衛の一団を、ヨーゼフ殿達の護衛として呼び寄せましょうか?」


 そんなアルクィンの申し出を、ヨーゼフは丁重に断る。セビルナ王都までの道程はティルト村から馬車で二週間近く掛かり、しかも途中で魔物が出る森を横切る必要もある為、近衛兵達からの護衛を受けた方が間違いなく安全だ。

 しかしそれでは黒髪の勇者としての使命を探している侑人の良い経験にはならない。多少の危険を許容する事になるが、自分達の意志で自由に動けた方が外の世界を知らない侑人の為になるのだ。

 ヨーゼフはそんな内容をアルクィンに語り、その話を聞いたアルクィンは少しだけ難色を示したが最終的には同意する。

 黒髪の勇者である侑人が折角やる気を出したのだ、その決意に水を差す様な真似はすまい。アルクィンはそんな事を考えていた。

 ヨーゼフの横で静かに佇んでいる侑人の姿を、少しだけ目を細めながらアルクィンは見つめる。昨日会った時から比べると、何となくだが憑き物が落ちてスッキリしたような雰囲気を纏っていた。

 昨日は伝承の存在などと思えない程弱々しく感じられていた侑人の精気が今日はとても力強く感じられ、まさに両脚でしっかりと大地を踏みしめているといった形容が相応しい。

 戦闘能力的に未知数な部分は多いが、これならセビルナ王都までの旅の道中の安全位は確実に確保するだろう。

 そこまで思考を巡らせたアルクィンは、近衛兵の手配以外にも侑人達の旅の手伝いができる事を思い出し、少しここで待っていて下さいと伝えつつ部屋を出て行く。

 数刻の後に応接室へと戻って来たアルクィンの両脇には、先ほどまで居なかったクリスとエディエスの姿があった。


「これをユート殿に差し上げようと思います。遠慮などせずに受け取って下さい」

「俺……じゃなかった私にですか? しかし宰相閣下から気楽に物を頂く訳にはいきません」

「まあそんな硬い事言わないで、せめて見るだけでもどうぞ。それに言葉使いも普段通りで構いません。むしろ私の事は呼び捨てで結構ですから」

「いやさすがにそこまでは……。でも言葉使いだけは少し直させて貰います。そっちの方が俺も楽なんで」


 笑顔を浮かべるアルクィンに押し切られ、エディエスが両手で持っていた物を恐る恐る受け取る侑人。

 侑人の身長の半分ほどある皮の袋に入れられた細長い物体は、そこそこの重さを両腕に感じさせる。少しだけ曲がったその棒状の物に、何となく見覚えがあるような気がした。


「まさかね……」


 そんな事を呟きながら侑人はそれを袋から出す。すると侑人の目の前に、予想通りの物体が姿を現したのだ。

 少しだけ禍々しい気を発しているように思えるその物体は、日本刀と同じ様な形状をしている。長さから推察すると、太刀と呼ばれる日本由来の近接戦闘用武器のようだ。


「うあ! まさか予想通りとは……ってあれ?」


 恐る恐る黒い鞘から刀身を抜いた侑人の目には、記憶の中の太刀とは違う綺麗な木目模様が刻まれた黒っぽい金属が映っている。

 玉鋼でできた太刀は美しい輝きを放っているが、侑人の手に握られているそれも別の美しさを秘めていた。

 魂まで吸い込まれそうな妖艶な輝き。そんな表現が相応しい芸術的な光だ。


「鉄鉱石を特別な製法で鋳造した、黒鋼呼ばれる材料を元に作られた片手武器です。強度は十分ありちょっとやそっとで壊れはしませんが、この国では珍しい片刃の武器なので扱いが少々難しく、クリスやエディエスでは上手く使いこなせないようです。ちなみにこれは聞いた話になりますが、黒髪の勇者クロウ・ミナトが好んで使った武器とほぼ同じ形状みたいですね」

「でしょうね……。俺が元の世界に居た時にも同じような武器があったので、間違いないと思いますよ」

「やはりそうでしたか。これは私の父の形見ですが、残念ながら私は戦闘が苦手ですのでユート殿に差し上げます」

「形見!? いやいや駄目です。そんな大事な物は受け取れません」


 侑人は今まで握り締めていた漆黒の太刀を慌てて返そうとしたのだが、アルクィンは笑顔を浮かべたまま首を左右に振り、受け取る素振りを全く見せない。

 それならクリスかエディエスに返そうと視線を二人に移動させたのだが、侑人と目が合ったクリスは事も無げに言い放った。


「いいではないか。戦えない宰相閣下がそれを持っていても、立派な武器が泣くだけだ。お前が使えるなら遠慮なく貰っておけ」

「俺には軽すぎて使えん。破壊力は武器の重量に比例するからな。俺の戦い方とそれは相性が悪い」


 普段無口でほとんど会話に参加しないはずのエディエスも、珍しく口を開いている。戦いを生業とする者として、武器の話には興味があるようだ。

 しかし侑人が意図する方向へと話が進まない。漆黒の太刀は確かに魅力的だが、人の形見を気軽に貰える図太い神経など、侑人は持ち合わせていないのだ。


「いや、そう言われましてもですね……。ってエディエスさん? なんか話がずれてませんか?」

「エルの言う様に、武器は効果的に使える者が所持してこそ輝く。自明の理だ」

「さすがミストは話が判るな。うーむ、ではこうしよう。それで私と戦え。私と良い勝負ができたらなら、その武器を自分の物としろ。己の手で掴み取るが良い」

「いやいやいや。それこそ話が違いすぎるんではありません? ってクリスさん、お顔が少々怖くなってますよ?」

「それは良いですね。近衛の護衛なしで旅をするには、ある程度の戦闘能力が必須です。ユート殿の腕前を見ておかなければ、私が要らぬ心配をしてしまいそうですから。ですがクリス、さすがに本物の武器での戦闘は許可できません」

「私は加減するから大丈夫だとは思うが……。だが宰相閣下のご命令なら仕方ない。この屋敷には一通り模擬戦用の武器があるから、それを使う事にしよう。では付いてこい」

「だーかーらー! 俺の話を聞いてくれませんかって……あー、引っ張らないで。自分で歩けますってばー……」


 ジタバタと抵抗する侑人を引きずって部屋から出て行くクリス。アルクィンやエディエスも二人の後を追って足早に退席していった。

 部屋の中には展開の速さに付いていけなかったヨーゼフだけが残されたが、我に返ると慌てて侑人達の後を追う。

 カルロス王を守護する近衛師団の団長を務めるクリスとの模擬試合は、そんな経緯で決まったのである。




「俺はこれから攻撃するんで、とにかく気をつけて下さい」

「能書きはいいから、さっさと掛かって来い」

「危ないので構えて欲しいなーって言ってるつもりなんですが、駄目ですか?」

「それは私が決める事だ」


 諦めの色を仄かに感じさせる侑人の言葉を、クリスは悠然と立ちつくしたまま軽く受け流す。

 私に構えさせたければ己の力で示せ。暗にそんな事を言っているような雰囲気だ。

 日々鍛錬を積み重ね、人並み以上の領域に踏み込んでいるという自負がクリスにはある。侑人にも、多少横柄とも言えるそんな態度は理解できた。

 しかし侑人も並の存在ではないのだ。勿論、武術の研鑚を長年に渡って積んだ訳ではないのだが。

 常人とは違い、侑人には『どんなものでも理解できる能力』という、特殊能力が備わっている。本人でも持て余す事がある唯一無二のこの力は、はっきり言って反則にも程がある能力なのだ。

 この数ヶ月の異世界生活で侑人は気づいたのだが、『どんなものでも理解できる能力』が備えている基本性能は半端ではなかった。

 侑人が持つ『どんなものでも理解できる能力』を言い替えた場合、『どんな技術でも習得できる能力』と置き換えたくなるが、それでは実態に合わない。

 正確に言い替えるならば、『どんな技術でもマスターできる能力』と置き換えるのが正しい表現なのだ。

 ただしそれは、あくまで学習であり経験ではない。教科書通りの動きを真似るだけなら苦にはならないが、実態に合わせた流れを身につけるにはそれなりの場数が必要となる。

 しかしその経験にすら『どんなものでも理解できる能力』が持つ学習短縮の効果が発揮され、常人ではありえない時間で応用力すら身についていく。常人が年単位で掛かるものを、侑人なら分単位で終えてしまうと言っても過言ではない。

 だが今回の場合、そんな短い時間の制約が致命的な結果を招く恐れがあった。


「俺は経験が少ないから、とっさにどうすればいいのか自信ないんですよ」

「そんなものは、私にもどうにもできない」

「だから追い詰められちゃうと、俺が何するか判んないんです」

「本気のお前と戦うのが私の望みだ」


 侑人はクリスの力を認めている。まだ歳若くしかも女性という身の上で、セビルナ王国軍近衛師団の団長を務めているのだ。弱いなどと思う方がおかしい。

 希望的観測として王国軍のマスコット的存在という路線もありえたが、クリスが纏う雰囲気がそんな甘い考えを吹き飛ばしている。むしろこんなクリスをマスコットに据えられるなら、セビルナ王国軍はマグナマテルを一瞬で征服できるはずだ。


「俺なりに本気でいきますけど」

「なら良いではないか。いいからさっさと来い」

「むう、このバトルマニアめ……」

「ん? 何か言ったか」

「いいえ、俺がどうやれば勝てるか考えてるだけです」

「なら結構。楽しみだな」


 侑人が持つ能力とクリスが重ねてきた研鑚を相殺して考えると、侑人の勝率は良くて三割といったところか。むしろ三割では多すぎるかもしれない。

 後先考えずに巨大魔法をぶっ放す……そんな戦い方を侑人がすれば大いに勝機はあるが、それではもはや模擬試合と呼べない別の代物だ。

 とにかく木剣と木刀での近接戦闘を行えば、間違いなく侑人は追い込まれる。そして一度追い込まれてしまえば、加減などできなくなるのだ。

 木製武器での模擬試合とはいえ、当たり所が悪ければ死ぬ可能性もある。

 牽制で使う石つぶての魔法でも同様だ。人の身体は思いの外脆い。

 驕った表現になってしまうが、自分が格下だと判断した相手ならば侑人にも戦える。戦場を一方的に支配し、できるだけ相手を傷つけずに戦闘不能まで持ち込むだけだ。

 しかし相手が格上で、しかも手抜きや戦闘回避という道を選べない場合は話が全く違ってくる。全力を出した侑人は、己の意志とは関係なく簡単に人を殺める事ができてしまう。

 ペッカートとの戦いで植えつけられた侑人のトラウマ。武人として生きる道をもし侑人が選んだなら、それは致命的とも思える弱点だった。しかし、

「判りました」

 黒髪の勇者としての自覚を持った侑人は立ち止まらない。どんなに情けなくてもかっこ悪くても、足掻き続けると硬く決意したのだ。


「じゃあ本当にいきます。俺も覚悟は決めましたから」

「ああ」


 正眼の構えから居合の構えへと変化させた侑人は、少しだけ腰を落とすと力を溜める。

 クリスまでの距離は、侑人の身長で考えるとおよそ十人分弱といったところだ。ここから詰め寄っても簡単に対応されてしまう。

 手の内が全く判らないクリスに対して、いきなり接近戦を挑むのは愚の骨頂。

 そんな事を考えた侑人が取った戦法は消極的で、侑人らしいと言えば侑人らしい代物だった。


「いきます!」


 鋭い掛け声と共に、居合の構えから一気に木刀を横薙ぎに振る侑人。

 それと同時に侑人の脳裏に描かれたのは一陣の風。木刀へと魔力を注ぎ込み一瞬でそれを具現化させた。

 極限まで薄く圧縮された透明な刃は、クリスの足元目掛けて唸りを上げながら飛来する。大気を切り裂く空気の塊が、何とも言えない嫌な音を立て襲い掛かった。


「ふっ」


 少しだけ目を細めたクリスは、己に襲い掛かる凶刃を前にしても微動だにしない。完全に見えない訳ではないが透明な刃の目算を図る事は難しく、普通なら少し距離を稼ごうとするはずだがそうはしなかったのだ。

 やがて凶刃は侑人が想像した通りの場所に着弾し、辺りは砂埃に包まれた。バラバラという土塊が大地に落ちる音以外は全く物音がしない。


「まさか一瞬で決着がついた訳ではないじゃろうなぁ」

「私もユート殿の魔法には驚きましたが、相手がクリスではそう簡単にいかないと思います」


 二人の戦闘を静かに見つめているアルクィンとヨーゼフの目の前には、木刀を横薙ぎにはらったままの姿勢で前方を睨みつけている侑人の姿のみが映っている。

 二人の位置から中央の奥のほうで成り行きを見守っていたエディエスと、侑人の魔法攻撃を受けたクリスの姿は未だに砂埃で隠されていた。


「やりすぎたか……?」

「エルを甘く見るな」


 未だに姿は見えないが、そんなエディエスの呟きが侑人の耳に届く。少しだけ気を緩めそうになっていた侑人は、その声を聞いて身を引き締め再び正眼の構えを取る。

 やがて幾許かの時が過ぎ砂埃が収まり始めると、先ほどと全く変わらない姿勢で佇むエディセスの姿がまず見えた。


「お前はエルに言われた事が判らなかったのか?」

「え?」

「全力を出せと言われたはずだが」

「俺なりに全力で戦ってるつもりですが」

「判ってないようだな。まあエルもエルで甘すぎるが、俺がどうこう言う話でもない。今のは忘れろ」

「はぁ……」


 横目だが、侑人に鋭い視線を向けたエディエスとの短いやり取り。エディエスが意図する物とは一体何なのか。

 侑人が放った風の魔法の一つである鎌鼬は、確かに全力の魔力を込めた物ではない。しかしこれからの戦い方を侑人なりに吟味し、それなりに有効だと判断したから使ったのだ。

 そんな侑人に向かって、お前は判ってないと言い切ったエディエス。

 エディエスが言いたいのは、全力で魔法を使わなかった事に対してではない。そこまでは侑人にも判ったのだが、それ以上の事は理解できなかった。


「戦ってる片方に助言を与えるミストも、十分に甘いんじゃないか?」

「エルには敵わん」

「私からすると、ミストの方が甘いように思えるんだがな」

「認識の違いだ」


 侑人とエディエスのやり取りが聞こえたのか、クリスの楽しそうな声が砂埃の中から聞こえてきた。声の調子から判断すると、ダメージは全くなかったらしい。

 だが侑人は動じない。軽く息を吸い込むと、そのままゆっくりと吐き出してクリスの姿が見えるのを待ち続けた。

 やがて全ての砂埃が晴れ、悠然と佇むクリスの姿が再び衆目に晒される。砂埃をもろに浴びたクリスは少しだけ煤けていたが、それでも余裕そうな雰囲気を崩していない。

 しかし先ほどから一歩も動いていないクリスの足元には、横一文字に切り裂かれた大地が穴を開けており、侑人の放った鎌鼬の威力を如実に物語っていた。


「なかなかの威力だった。しかも十分に使いこなされている。一日やそこらではこうはいくまい」

「ええ、一緒に暮らしているマリアと狩りに行った時に、それなりに練習しましたんで」


 アルプレスとの戦闘を経た侑人は、必要性と時間が合った時限定だが、マリアと一緒に狩りに行っていた。

 自分が生きる為に他の動植物の命を奪うと言う行為を、自分の手でも行うと決めたからだ。

 これは異世界で暮らし始めた侑人なりのけじめでもあった。生きる為に必要な事からは目を背けないようにしようと決意したのだ。


「ある意味実戦で鍛えた訳だな」

「半分くらいは遊びだったかもしれませんが、そういう事です」


 初日はマリアから習った弓矢で普通に狩りをしていたのだが、慣れてきた侑人は効率を求めて試行錯誤を始めた。結構凝り性な侑人の性格が、狩りという場でも表れたのだ。

 まず考え付いたのは、矢に何かの魔法を付与する事だった。野生動物の勘はそれなりに鋭く、狙いを定めて矢を放ってみても外れる事が多かったからだ。

 火の魔法を付与して炎の矢を作り上げた時には、マリアからこっぴどく怒られた。森の中での不用意な火を使う事は厳禁なので当たり前の事だが。

 結局侑人が選んだのは風の魔法だった。まず試したのは矢に風を纏わせて飛距離と精度を上げる事だったが、これが予想以上に上手く行ったのだ。

 それに気を良くした侑人はあれこれと模索し始める。もはや狩りが主目的だという事を忘れ、より速く、より遠く、より正確に矢を飛ばす事に熱中した。

 そんな侑人が風の魔法単体での狩りを試そうと考えるまでには、そう時間は掛からなかった。鎌鼬に辿り着いたのも狩りを始めて四日目くらいの事だ。

 ちなみにこの時の侑人も、大きなミスをしでかしてマリアから大目玉を喰らっている。と言うのも魔力の制御に失敗し、周囲にある木々を数十本なぎ倒したからだ。

 とにかくそんな経緯もあり、侑人は鎌鼬の扱いに慣れている。慣れているからこそ今の場で使ったとも言えるのだが、そんな事をクリスは知る由もなかった。


「だからこそ気に入らんな」

「え? あっ!?」


 眉間に皺を寄せ、鋭い目で侑人を睨みつけるクリスの額から、一筋の血が流れ落ちた。右の目尻辺りを掠めて頬まで流れている血は、クリスの端正な容姿には到底似合わない。

 先ほど放った鎌鼬が原因なのは明白だった。大地を抉った際に弾き飛ばした礫が、クリスに直撃していたようだ。

 クリス本人は全く気にした素振りなど見せなかったが、侑人はかなり動揺している。実は侑人が鎌鼬を使ったのは、自分の放つ魔法の威力をクリスに見せつけ、自分が危険な存在だと認識して貰う為だったのだ。

 そういう目的があったので命中精度に自信のある鎌鼬を選択し、その上クリスの足元にこれ見よがしに魔法を放って威嚇した。クリスの技量なら元々身体を狙っていない鎌鼬に当たる事などないし、跳ね飛ばす事になる礫など物ともしないと踏んでいたのだ。


「攻撃すれば相手に当たる。お前はそんな当たり前の事に、なぜ驚いているんだ?」

「いやっ。それはそうですが、しかし……」

「私ならこの位は避けられると判断したようだが、実際は違ったようだな」

「確かにそうですけど……。だけど絶対に避けられたはずでは?」

「ああ、確かに避ける事など造作もない。だが気に入らんのでな」

「気に入らないから避けないって……。言ってる事が無茶苦茶だ!」

「ふっ」


 自嘲気味な侑人の呟きをクリスは鼻で笑い飛ばす。口元には嘲る様な笑みすら浮かんでいた。

 侑人にはクリスが何を考えているのか全く判らない。単なる戦闘狂の可能性はあるが、目の前のクリスは明確な意味を持ち、あえて侑人の攻撃を受けてみせたようにしか思えないのだ。


「まあいい。とにかく私は言ったはずだ。舐めた態度を取ったら半殺しだとな」

「俺は舐めてなんかない!」

「お前の意志なんてどうでもいい。では行くぞ――」


 右手に持った木剣を肩の辺りで遊ばせていたクリスは、そんな言葉とともに一転して攻撃に転じた。


「迅い――」


 侑人が知覚した時には既にクリスの姿は眼前へと迫り、脳天に向かって木剣を振り下ろそうとしていた。予備動作など一切感じられない一瞬の動きだ。

 記憶に強制的な空白を作られたような違和感が侑人に襲い掛かるが、そんな動揺とは関係なく身体は瞬間的に防御の姿勢を取る。


 ガキン


 頭上に構えた木刀から衝撃が伝わり、侑人は己が攻撃を凌いだ事を無意識に理解した。

2014/5/16:話数調整

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