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ワーカホリック  作者: 茶ノ木蔵人
秘める決意の唄
25/45

第6話:ヨーゼフの決意

 侑人とマリアが河原でそれぞれの決意をした日の翌日。いつも賑やかなホラント家の雰囲気は、少しだけ普段とは違っていた。

 少し遅めの昼食を終えたリビングには、ホラント家で生活する四人の姿が揃っている。そこまでは普段と変わらないのだが、今日の会話の主導権はマリアが握っていたのだ。


「で、おじーちゃんは結局どうするの? セビルナ司教の話を受けるの? 受けないの?」

「うーむ。いい話じゃとは思うのじゃが、こればかりはわしの気持ちだけで決められんからの」

「おじーちゃん以外に誰が決めるの? おじーちゃんの気持ちが一番じゃないの? 何に遠慮して悩んでいるのか教えてくれないかな」

「それは……」


 マリアの勢いに押されているヨーゼフは、少し困った顔でマリアと侑人の顔を交互に見ている。はっきりと語りはしないが、ヨーゼフは侑人とマリアの事を気に掛けているのだ。

 人口が数百人しかいないティルト村と、数十万人の人口を誇るセビルナ王都では生活の仕方が大きく変わる。黒髪の侑人は人目に付き過ぎるので自由が今よりなくなる可能性が高く、男性恐怖症のマリアにいたっては外に出れなくなる恐れすらあった。

 しかしヨーゼフがそんな心配をしている事などとっくにお見通しのマリアは、大きな溜息を一つだけ吐くと、侑人に視線を合わせて目配せする。


「ほらユート。おじーちゃんとアンナに言う事があるでしょ」

「ん? ああ、そういう事か」


 勿論侑人もヨーゼフが何を考えているのか判っている。今まで保護者として侑人達を守ってくれていたヨーゼフが、自分よりも家族を優先するのは想像の範囲内なのだ。

 マリアに昨日語った決意をヨーゼフ達にも話して、王都に行っても大丈夫だと安心させて欲しいという、マリアの気持ちがよく判った。


「えーと、何と言っていいのか判んないけど、俺が黒髪の勇者だって事は受け止めました。まだ俺が何をするべきなのか見つからないけど、家に閉じこもって受身のままでいる事は辞める事にします。そして何ができるのか探す為にも、もっと表の世界に出ようと考えてます」

「なんと! いつの間にそんな決意を……」

「おおー、昨日話してたのはこの事じゃったのか。じゃったらあの場で言えばいいのに、全く水臭いのう。ならわらわも色々と覚悟をしないと不味いの。ユートが世に出るなら、あれこれ問題が起こってもおかしくない。わらわの出番も多そうじゃし腕が鳴るの」


 侑人の決意を聞いたヨーゼフは驚いて目を丸くし、アンナはニヤニヤしたまま腕を組んで偉そうに頷いていた。

 そんな二人の態度を見たマリアは大きく一度だけ頷くと、再度ヨーゼフに向かって問い掛ける。


「こういう訳だからユートはもう大丈夫だよ。黒髪の勇者としてできる事を探す為に表に出るって言ってるなら、むしろ人が多い所の方が良いと思うの。それに王都には宰相様も居るから、悪い事にはならないんじゃないかな」

「確かに黒髪の勇者の使命を果たす為には、アルクィン殿の協力があった方が何かと都合は良さそうじゃの」

「じゃあ司教の話は受けるのね?」

「じゃがなあ……。王都は人が多すぎると思うのじゃよ」

「多くたって良いじゃない。それだけいろんな人の為に、おじーちゃんの力が生かせるんだよ」

「うーむ……」


 少しだけ前向きになった様に見えるが、ヨーゼフはまだ渋っている。髭を弄りながら机に置かれたヌハ茶を眺め考え込んでいた。

 間違いなく今はマリアの事だけを心配しているのだ。そんな事を悟ったマリアは、この場の勢いのままとんでもない行動を取る。


「ユート、ちょっとそこに立ってくれないかな?」

「へ? まあいいけどどうしたんだ?」

「まあまあ。あ、机から少し離れてくれない? 机があるとちょっと邪魔なんだ」

「判ったよ。この位でいいか?」

「上出来かな。そこで真っ直ぐ立っててね」


 マリアが何を考え付いたのか理解できない侑人は、言われるままに椅子から立ち上がり、机から少しだけ離れた場所に移動した。

 そんな侑人を笑顔で見ていたマリアは、大きく息を吸い込んでそのままゆっくりと吐き出す。何やら心の準備をしている様だ。

 マリアが何をするのか判らず、首を傾げていた三人だったが、次の瞬間全員の時が止まった。


「じゃあ行くよ。おじーちゃん見ててね。えいっ!」

「なっ!」

「なんと!」

「うひょー! これまた大胆じゃな」


 マリアは少し助走をつけて、勢いよく侑人の胸に飛び込んだのだ。そしてそのまましっかりと抱きつき、ヨーゼフに向かって満面の笑みを浮かべた。


「おじーちゃんが心配してたのって私の事でしょ? だったら大丈夫。もう治ったみたいだから」

「…………」


 ヨーゼフの思考は完全に停止していた。マリアが言おうとしている事は何となく判る気もするが、それが合っているのか間違っているのか自信が持てないのだ。

 多分男性恐怖症の心配をするなとマリアは言いたいのだと思う。しかし目の前の光景をそのまま受け取ると、侑人と交際を始めたという宣言にも受け取れるのだ。むしろそれ以上先の関係へと発展した可能性も否定できない。

 侑人も全く動けずにいた。今まで彼女など居なかった侑人が、見目麗しいマリアにいきなり抱きつかれたのだ。まさに役得としかいえない状況だが、奥手な侑人にはかなり刺激が強すぎた。

 このままいつまでも時が止まったままに陥るかと思われたが、比較的平静を保っていたアンナが場の空気を動かす。

 混乱の極致に陥って唖然するヨーゼフと、いきなり抱きつかれて硬直する侑人をよそに、言葉の一部に疑問を持ったアンナが怪訝そうな顔をマリアに向けた。


「治ったじゃと? マリアは何か患っていたのかの?」

「あっ、アンナに言ってなかったね。私って男性恐怖症だったんだ」

「へっ? そうじゃったのか? むしろユートとは仲睦まじそうにしておったではないか」

「あー、ユートと会ってから、少しづつ治ったみたいなんだ。それまでは若い男の人と、まともに話す事すらできなかったんだよ」

「ほほー」


 アンナは合点がいったような雰囲気で、両腕を組みながら頷いていた。マリアが大病を患っていた訳ではないと確認できて、少し安心した様子だ。

 そしてそのまま腕を組んだ姿勢を崩さずに、優しげな笑みを浮かべたアンナは、マリアに向かって慈愛に満ちた視線を送る。


「ヨーゼフ殿が心配してたのは、ユートの事だけじゃなかったという訳じゃの。確かに王都ともなれば、人の数はこの村の数百倍どころか千倍を遥かに越えるじゃろう。男性恐怖症の身では、まともに外も歩けんからのぅ」

「そういう事。おじーちゃんは私の事になると、かなり過保護になるからね」

「それだけ愛されておるという事じゃろう。まあそれは良いとして、マリアは王都に行った後はどうするつもりなんじゃ? ユートの側に居るとは思うが」

「うん。私もユートの従者になろうと思ってるんだ。私は今の時点でも従者になってるつもりだけどね」

「ふむ? マリアが従者になる必要などあるのかの?」

「はい? それはどういう事なの? 私が従者になっちゃいけない訳でもあるのかな?」


 それまで慈愛に満ちたような表情をしていたアンナが、突如邪悪な色に染まった。

 獲物を見つけたような嬉々としたその表情は、どこかで見た事があるような。そんな事をマリアが考えていると、満を持したようにアンナが口を開く。


「マリアはユートに嫁入りするんじゃろ? じゃったらユートの従者になどなってどうするのじゃ。そういうぷれい? とかいうやつかの? 止めはせんがそういうのは目の毒じゃから、日の高いうちは程々にの」

「へっ? ぷぷ……ぷれ……い……ってどういう事なの? アンナは何を言ってるの?」

「何を言ってるも何も、今のマリアの姿を見て判断したまでじゃが。婚姻の宣言とかいうやつではないのかの?」

「私の姿って……あっ! ユートごめん!」


 勢いに任せて後先考えずに侑人に抱きついたマリアは我に返り、慌てて身を離したのだが既に後の祭り。

 侑人はガチガチに硬直し、アンナはニヤニヤした笑みを止めず、そしてヨーゼフは……沈黙を保ったままだった。

 そんなヨーゼフの姿に疑問を懐くアンナ。いくら動揺したとはいえ、反応が薄すぎるのだ。


「ヨーゼフ殿? どうしたんじゃ? 大丈夫かの?」

「天におられる我らの父よ。願わくは恩名の尊まれんことを。天に行わるる如く地にも行われんことを。主よ御許に近づかん――」

「いかん! ヨーゼフ殿が、まだ行ってはならん世界に旅立たれようとしておる!」

「きゃー! おじーちゃんしっかりして!」


 魂が口から抜けかけ、土気色の顔でブツブツと祈りを捧げるヨーゼフの肩を、マリアとアンナが必死な表情で揺すり続ける。アンナはマリアをからかっているつもりだったが、ついでにヨーゼフにも致命的なダメージを与えていたようだ。

 結局幽体離脱しかけたヨーゼフの彷徨える魂が現世に戻るまでには、かなりの時間が必要となる。ついでに侑人も、一連の騒ぎが収まるまで唖然とした表情のまま硬直し続けていた。




「ま、まあ、醜態を晒してしもうて手間を掛けたの。すまんかった。しかし完全とは言えないみたいじゃが、マリアの心の病が治ったのはめでたい事じゃ。これもユートのおかげじゃな。ありがとう」

「頭を下げるなんて止して下さい。俺は特に何もしてないんで」


 何とか立ち直ったヨーゼフが、最初に発した言葉は侑人に対する礼だった。今のところは普段通りに振舞っており、先ほど与えられた衝撃の余波を感じさせない自然な佇まいだ。

 侑人も何とか平静を保っている。内心のドキドキは止まっていないが、とりあえずヨーゼフとは普通に会話を成り立たせていた。


「ごめんね二人とも……」

「謝らなくても良いのじゃぞマリア。マリアの事をいつまでも子供扱いしていたわしが愚かだったのかもしれん。いつまでも小さい頃のままじゃと思う方がおかしいしのう。とにかくめでたい事じゃ」

「まだユート以外は完全に平気な訳でもないけどね。でも普通に話す位なら、もう大丈夫だと思うよ」

「よくよく考えてみれば、昨日アルクィン殿とも少し会話しておったな。そこで気づければ良かったわい。しかしユートだけは特別みたいじゃの。うーむ……」


 侑人に向けられたヨーゼフの目が妖しく光る。全てを見透かすように侑人の姿を見廻しているヨーゼフは、何やら思案しているようにも見えた。

 我に返ったマリアが茹で上がったような真っ赤な顔で、侑人に抱きついた経緯を説明していたので誤解は既に解けている。しかし孫馬鹿のヨーゼフの爺心が、要らぬお節介を焼きたがるのだ。


「ユートや」

「はいなんでしょう?」

「わしは今日からマリアの事を、一人の大人として扱う事に決めたので、あれこれ煩い事をいう気はないのじゃが、くれぐれもマリアを泣かすような真似だけはしないで欲しいのじゃ」

「俺もマリアを泣かす気なんてないですよ」

「そうじゃな。でも結果的に泣かしてしまう事はありえる。例えばユートが故郷に戻る時とかの。勿論ユートが故郷に戻る術を探す手伝いは、ユートがそれを望む限りわしも全力でしよう。じゃが、その辺の気持ちがはっきりと決まるまでは、色々と考えた行動を取って欲しいのじゃよ」

「ヨーゼフさん……」


 ヨーゼフははっきりと語らなかったが、侑人が元の世界に戻る事を探し続けている間は、マリアとの関係を認める気はないと宣言したのだ。

 そんなヨーゼフの気持ちは侑人にもよく判った。元の世界に戻るという事は、マリア達との永遠の離別を表しているとも言える。

 謎の声に導かれて世界を飛んだ侑人が再び日本に戻れた時、マグナマテルとの間を自由に行き来できる保障などどこにもない。むしろ今回のマグナマテルへの召喚が、片道切符の可能性すらあるのだ。

 世界を超えた愛などと表現すれば言葉の響きは甘美だが、それは実質的に死別したのと大差ない関係と言える。最愛の孫娘のマリアに悲しい思いをさせたくないというヨーゼフの優しさが、侑人の心の中にも痛いほど染み込んできた。


「正直に言って、俺はまだ元の世界に戻る事を諦めていません。大したもんじゃないけど、俺にも歩んでいた人生がありましたし、両親や妹や友人達に何も言えないままこちらに来てしまったんで」

「ユートの気持ちもよく判っておるつもりじゃよ。ユートはユートがやりたいように歩んでいけばいい。わしはいつでもユートの味方じゃ」

「ありがとうございます」

「構わんよ。もはやユートはわしの孫のようなものじゃからな」


 慈愛を湛えた態度のまま、ヨーゼフは侑人の肩を軽く叩いて微笑んでいる。

 間違いなくこの人はいつまでも俺の味方で居てくれる。そんな事を感じた侑人の胸に熱い物が湧き上った。

 しかしそんな事を話し合う二人の姿を見つめているマリアは、少しだけ呆れたような素振りを見せている。自分の不用意な行動が招いたせいなのだが、少し先走り過ぎている様に思えたのだ。


「もー! おじーちゃんは心配し過ぎだし、ユートも深刻な顔をし過ぎだよ。何か盛り上がっているとこ悪いけど、私は男性恐怖症が治ったって言いたかっただけなんだから。先の事なんてまだ考えてないんだからね」

「まだ考えてないだけかもしれんがの。ククク……」

「こら! アンナは話を混ぜっ返さないの!」

「わらわは可能性の話をしたまでじゃよ。誰がどう考えても、マリアにとってユートが一番身近な異性じゃという事は、紛れもない事実じゃ。それは認めるべきだとわらわは思うぞ」

「むー。確かにそれはそうかもしれないけど……」


 アンナの的確な突っ込みを受けたマリアは、真っ赤な顔をして俯いてしまう。そんな姿を見たヨーゼフは、自分の危惧する事がいずれ現実のものになると予感していた。

 まあそうなったらそうなったで、二人ならどうにかするだろうと、楽観的に考えてもいたのだが。


「とにかくわしもできる事を精一杯やる事に決めたぞ。今からアルクィン殿の所に返事をしに行って来るわい」

「あ、俺もついて行きます。なんか俺の今後に役立つ話も聞けるかもしれないんで」

「じゃあ私は家の片付けかな。当分この家にも帰って来れないだろうし、王都に持っていく物も選ばないとだ。アンナも手伝ってよね」

「えー、わらわもユート達と出かけたいぞ。あやつの話はなかなかに面白いしの」

「だーめ。アンナも何を持っていくか決めないと駄目でしょ? ユートはほとんど私物を持ってないのに、アンナはいつの間にかあれこれ物を増やしてるじゃない。私が勝手に選んでもいいなら行ってもいいけどね」

「うう……。それを言われると痛いのじゃ……」


 火の月の第一週の一日。季節が夏に移り変わった最初の日は、ホラント家にとって大きな意味を持つ日となった。安息の場所であったこの地から、更なる飛躍を求めて飛び出す事を全員で決めたのだ。

 それぞれの決意を胸に秘め、侑人達はセビルナ王都行きを決断した。その事はマグナマテル全体にとっても大きな意味を持つのだが、歴史がその軌跡を刻み込むまでには、もう少しの時間が必要となる。

2014/5/16:話数調整

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