第4話:過去から未来へと
「私はグランツ帝国出身です。正確には前身のグランツ共和国になりますが」
「なんじゃと? わらわの耳にはそんな情報など届かんかったぞ」
「公言している訳ではないですから。この事を知っている者は陛下を除けば先ほどの二人、そして私の育ての両親位です」
「陛下もご存知じゃったとは。わしも驚いたわい」
マグナマテルの北西に位置する人族と亜人族が共存する国、それがグランツ帝国だ。
グランツ帝国と国境を接する国は二つある。東側の国境を接するのはクーラント魔国であり、南側をハルモ教法王庁教圏国家群の一つであるプロセン王国と接していた。そして北側と西側は海に囲まれている。
グランツ帝国は、黒髪の勇者クロウ・ミナトが興したグランツ共和国を源流としているが、グランツ帝国自体は建国してからまだ二十年しか経っておらず、マグナマテルの中では一番若い国家だった。
そしてこれが一番重要な事だが、グランツ帝国はハルモ教法王庁教圏国家群と明確に敵対する国家なのだ。国家を超えた人の移動が全くない訳ではないが、一国の宰相の出身国が敵国だという事実は、通常ではありえない。
いくらアルクィンの出身がグランツ帝国ではなく、前身のグランツ共和国だと言い張っても、敵国に通じている懸念をアルクィンに持つ者に対して、持っていないという証明をするのはかなり難しいのだ。
犯罪を立証するなら犯罪を示す証拠を出せばいいだけだが、無罪の証明をする為には、全ての事実や現象が全くないことを証明させてはならないという、論争上の原則の一つを破る必要性が出てくる。
本来なら疑いがあると主張する側がするべき証明を、疑いなどないと主張するアルクィンにやらせようとする事は、悪魔の証明をさせていると言っても過言ではない。
しかし権力闘争ではそんな奇麗事など言っていられないのだ。アルクィンにできる身を守る手段は、ひたすらに自分の出生の秘密を守る事だけだった。
「ヨーゼフ殿ならご存知だとは思いますが、グランツ帝国の前身であるグランツ共和国は、ハルモ教法王庁教圏国家群に属する国家でした。二十年前に全てが一変してしまいましたけど」
「確かにグランツ帝国がハルモ教の破棄を決める前までは、ハルモ教法王庁教圏国家群に数えられておったの。確か国王が居ない国じゃった記憶が、わしの中にはあるのじゃが」
「仰るとおりです。グランツ共和国は国王を擁かない、共和制の道を選んだ国家でした」
二人が語るように、グランツ共和国時代はハルモ教を国教と定めていたが、王制を取ってはいなかった。しかしハルモ教法王庁教圏国家群に連なる国家の一つだったのだ。
クロウ・ミナトがクーラント魔国を退けこの地に新たな国を興した時、彼は自らが王位に付くという選択をしなかった。八百余年を経過した今ではクロウ・ミナトの真意は定かではないが、彼は自分に付き従ってくれた配下の者たちに国の運営を任せ、自身は安定しない国内の治安を守るべく日々戦い続けたらしい。
国の運営を任された配下の者達は、クロウ・ミナトを差し置いて誰かが王になる事など考えられなかった。その結果地方の有力者達と合議しながら国を運営していく、共和制を選んだのだ。こういった経緯でグランツ共和国は誕生した。
「国ができた時は理想国家と呼ばれていたみたいですの」
「文献によれば、黒髪の勇者クロウ・ミナトを中心に優秀な人材が集まっていたみたいですね」
当初グランツ共和国は順調に発展していった。各地で治安を守るべく奮戦するクロウ・ミナトの活躍も大きかったが、発展した理由はそれだけではない。
クロウ・ミナトに付き従ってこの国に来た、彼の配下の者達も志が非常に高く有能であり、地方の有力者達も国の発展の為に私情を挟まず貢献したのだ。
建国当時のグランツ共和国は、まさに理想的といえる国家だった。しかし表立ってはいないが内部には多くの問題を抱えていたのも事実だ。
「人族を亜人族の抑圧から解放する為に生まれた国家でしたので、亜人族にとっては暮らしやすい場所とは言えませんでした。幼い私にも判る差別が、あちらこちらに残っていましたから」
「黒髪の勇者クロウ・ミナトの人徳を持ってしても、人の気持ちは変えがたいという事かの。争いからは何も生み出さないというのに悲しい事じゃ」
「しかも幼い私には何も判っておりませんでしたが、内部の腐敗は相当なものだったようです。私の実父はさる地方の有力者の護衛の仕事をしていたようですが、夜な夜な実母と言い合いする姿を覚えております」
「合議制ゆえの馴れ合いと言った感じですかな。一見すると王制より有効に働くように見えるのじゃが、一旦悪い方に進むとどうにもならんようですの。わしも聞いた話ですゆえ、はっきりとまでは判りませぬが」
「ヨーゼフ殿の見識の通りです」
時代が進むにつれ組織はだんだんと腐敗していく。国を運営する議員達は権力に溺れ、各々が私利私欲に走るようになっていったのだ。
崩壊直前のグランツ共和国は日夜苦難と戦い続けていた。亜人族の数が比較的多いこの地域では、人族至上主義的なハルモ教は馴染まず、各地で小さな内乱が頻発していたのだ。
しかもクーラント魔国とは常に戦争状態である為、なかなか国内の産業が育たないという弊害もあった。
ハルモ教法王庁教圏国家群とクーラント魔国の争いの最前線に立たされ、常に貧乏クジを引いている国家。それがグランツ共和国の真の姿だった。
「そして二十年前の出来事が起こります。私の生活も一変しました」
「グランツ帝国の初代皇帝、フリードリヒ・ラスペの台頭じゃな」
グランツ共和国の国民は、大昔に自分達を導いてくれたクロウ・ミナトのような勇者の登場を日々渇望していた。しかしそのような人物はなかなか現れず、国民は長く苦しい困難な道を歩んでいたのだ。
しかし今から二十数年前に状況は一変する。グランツ共和国軍に所属する片田舎の出身の青年が、めきめきと頭角を表してきたのだ。非常に聡明で軍を率いる才能に恵まれた彼は、クーラント魔国との戦いで数々の戦功を収め、二十台にしてグランツ共和国軍の将軍にまで登りつめていた。
国民はそんな彼を若き英雄として祭り上げる。熱狂的な国民の後押しもあり、数年後にはグランツ共和国の議員に選出された。
議員になった彼は国の内情を知り、このままでは国の存亡に関わると危惧する。腐敗した政治、人族と亜人族の根深い対立、終わりの見えない戦い。状況はまさに最悪であった。
そして彼は決断する。
彼はまず下準備として、グランツ共和国軍を再編成する案を議会に提出した。クーラント魔国との戦いを優位に進める為にも、現状の多岐に渡る指揮系統を簡略化して、戦闘情報を一元化すべきであるという提案である。グランツ共和国軍には最高司令官が必要であり、最高司令官に軍の指揮権を渡す事が勝利に繋がると主張したのだ。
当時のグランツ共和国軍は有力議員達の思惑もあり、各々の議員達の下に個別に軍が配置されていた。その為大規模な戦いでは議員たちの思惑が複雑に絡み合い、全軍の統制がとり難く大きな戦功を挙げにくい環境だったのだ。
軍の指揮権を取り上げられる形になる有力議員達の反対は勿論あった。しかし情勢が彼の味方をする。国民のほぼ全員が彼の意見を後押しする。
ここ最近のグランツ共和国軍は、有能な彼の軍略に依存して戦い、なんとか勝利を収めている状態だった。彼以上に戦功を挙げた者は誰一人としておらず、彼の意見は効率的かつ効果的だと思えたのだ。
有力議員達は自分の権力の維持の為に反対意見を言っている。国民の目にはそう映り議員達に反発した。世論の声に押された議員達は、彼の意見に対してしぶしぶだが了承したのだ。
次に彼は軍の最高司令官に自分を据える事を議会に提案する。国の為に最前線に立ちたいと彼は熱く議会で語ったのだ。誰よりも軍を率いる才能に恵まれた彼が、グランツ共和国軍の最高司令官へ就任する事に対して、特に大きな反対はなかった。
結局議員達は、彼の本当の思惑に最後まで気づけなかったのだ。
「あの日の事は今でも覚えています。私は夜中に母から叩き起こされ、そのまま取る物も取らず国から逃げ出しました。詳しい状況は今もなお判りませんが、実父は既にフリードリヒ一派の手に掛かり命を落としていたようです」
彼はついに最高司令官として全軍を掌握する。機は熟したと判断した彼は軍を動かし、私利私欲に走っている評議員達を全員切り捨て、軍部による独裁政権を作り上げた。彼はクーデターを起こしたのだ。
国民には腐敗した政治を行った者達を粛清したと発表したが、国民は若き英雄である彼を歓迎した。彼はその後国名をグランツ共和国からグランツ帝国に変え、自ら初代皇帝フリードリヒ・ラスペと名乗る事となる。
皇帝となったフリードリヒが次に取り組んだ改革は、人族と亜人族の対立を招いている原因であるハルモ教の廃止だった。グランツ帝国をクーラント魔国に対しての防波堤にして繁栄をしていたハルモ教法王庁教圏国家群に対して、あまり良い感情を持っていなかった大多数の国民たちはその決定におとなしく従う。
勿論一部の敬虔なハルモ教信者は反発したが、フリードリヒ皇帝は自分の意に沿わない彼らを容赦なく粛清した。この時に犠牲になったハルモ教信者の数は数万とも数十万とも言われているが、その詳細は未だに明らかにされていない。
続いてフリードリヒは上層部の人事改革も大々的に行い、過去の功績などは考慮に入れず無能な者は降格し、逆に有能であると判断した者は人族・亜人族を問わず登用していった。全てはフリードリヒの独断だったが、人を見る目も確かだった様だ。
その結果グランツ帝国の国力は短期間の内に飛躍的に高まった。改革を主導した皇帝を支持する国民の声も日に日に高まり、名実共にフリードリヒ皇帝はグランツ帝国の絶対的支配者となったのだ。
「母と共にプロセン王国へと身を寄せた私達でしたが、平穏は長くは続きませんでした」
「ハルモ教法王庁教圏国家群とグランツ帝国との開戦じゃな」
「はい、仰るとおりです。争いに飽き飽きしていた私達は、戦場となったプロセン王国からさらに南へと移動し、セビルナ王国まで逃げ延びてきました。セビルナ王国は全ての国境がハルモ教法王庁教圏国家群と接している為、他のどの国よりも安全だと判断したからです」
ハルモ教法王はグランツ帝国のフリードリヒ皇帝を、ハルモ教に対する反逆者と認定した。法王の依頼を受けたハルモ教法王庁教圏国家群の国王たちは、大規模な討伐軍を組織しグランツ帝国へと派遣したのだ。
しかし平和というぬるま湯に浸りきっていた王国連合軍にとって、長年クーラント魔国と戦ってきた百戦錬磨のグランツ帝国軍はあまりにも強大な敵だった。
大軍で攻め込んだが帝国内の小さな砦の一つも落とせない状態が続く。しかもまともに戦えば必ず負けるさんざんたる有様であった。
あまりの損害の多さに王国連合軍はグランツ帝国との国境線を封鎖し、専守防衛に徹するしか手がなくなっていく。
それから二十年。現在も両陣営は国境線を挟み睨み合っていた。
「私達親子はやっと安息の地を得れたと安心したのですが、過酷な旅の生活は元々身体の強くなかった母を蝕み、セビルナ王国の地で静かに生涯を終えました。私が七歳の時の事です」
「わしには何と言っていいのか判らんが……」
「壮絶な人生ってやつかな」
「私って結構幸せな人生を歩んでいたんだね……」
「人に歴史ありってやつじゃの」
「少々暗い話をしてしまいましたが、その後の色々な出会いに助けられて今の私が居るのです。私にとっては既に割り切った過去ですからご安心下さい」
「確かにそんな過去を持ちつつも、若くしてセビルナ王国宰相にまで抜擢されたアルクィン殿は素晴らしいとわしは思う。貴重な体験を話して下さり感謝しておりますのじゃ」
「いえいえ、あの当時のグランツ共和国で生活していた者達の中には、私と似た様な体験をした者も多く居たでしょう。私だけが特別厳しい状況に追い込まれた訳ではありません。それにこの話をしたのは、ヨーゼフ殿をセビルナ王都の司教に推薦する一つの理由になると考えたからですから」
「今の話とおじーちゃんを司教にしたい事に関係あるのかな?」
「全部が関係してるとまでは言えませんが、多少の関係性は十分にあります」
マリアの小さな呟きとも取れる疑問の声を聞き取ったアルクィンは、少しだけ冷めてしまったヌハ茶に口を付けて一息吐く。
そんなアルクィンの姿を見たマリアは、少し慌てた様子で厨房まで移動すると、再び全員分のヌハ茶を用意して静かに席に着いた。
「ここから私の話す内容は特に公言しないで下さい。仮にどこかに漏れたとしても、私は知らない素振りで乗り切りますけど」
「なかなかアルクィン殿もお茶目な面がありますな。心配しなくともわしらは誰にも話したりしませんのじゃ」
「ありがとうございます。では安心して話を続けますが、私自身はフリードリヒが行った行為が、全てにおいて間違ってるとまでは言えないと考えているのです」
「なっ! さすがに今のお立場でその発言をするのは不味い事じゃと思いますぞ」
アルクィンの発言を聞いたヨーゼフは、かなり焦った素振りを見せている。
敵国のトップが起こした一連の事件を、宰相という立場にあるアルクィンが、一部とはいえ認めるのはかなり体裁が悪い。しかもアルクィンはグランツ帝国の前身である、グランツ共和国出身なのだ。
いらぬ火種を自ら拾いにいくような有様であり、アルクィンの政敵から見れば鴨が葱を背負って歩いているようなものだ。
「なかなか楽しい宰相さんだな。俺は結構気に入ったかも」
「わらわもこういう奴は好きじゃな。大胆かつ繊細って言葉が、これほど似合う男もそうはおるまい」
「なんか私の中の宰相様のイメージが、どんどんよく判らないものになっていく気がするよ」
侑人達三人は小声でそんな事を話している。アルクィンとヨーゼフが主に会話をしているので、蚊帳の外の侑人達にはかなりの余裕があるのだ。
かなり読めない行動をするアルクィンに対して、侑人とアンナは好感を持ったようだが、セビルナ王国の国民であるマリアは少々複雑そうな表情を浮かべていた。
そんな侑人達の思惑を気にする事なく、アルクィンは話を進めていく。
「確かにフリードリヒが行った行動はかなり強引で、あちらこちらに多くの禍根を残す事となりました。私個人の事もありますが、ハルモ教法王庁教圏国家群との関係もその一つです」
「内外に敵を作りすぎたという事ですかの?」
「仰るとおりです。しかし他の面に目を向けると、成功している点も数多くあります。それは我が国が抱える問題でもあり、ハルモ教法王庁教圏国家群が抱える問題でもあります」
「国力の増勢と国内の一体感……ではなさそうじゃの」
ヨーゼフは腕を組んだまま考え込んでいる。今は引退したとはいえ、かつてはハルモ教正教会に身を置いていたのだ。グランツ帝国の事を好意的に捕らえた事など一度もなかった。
余計な先入観が邪魔をして、グランツ帝国の良さが全く見えてこない。結局この沈黙を破ったのは、異世界から訪れこの世界の事をまだ十分に把握していない侑人だった。
「ハルモ教を禁止して、人族と亜人族の垣根を取ったって事じゃないですか?」
「何を言い出すんじゃ! 人の信心を強制的に捻じ曲げるなど、決して行ってはならぬ事じゃとわしは考えておるぞ」
「俺は特定の宗教を熱心に信仰していた事がないんです。だから宗教がどれだけ人にとって大切なのか、判っていなかったりもします。だから考え付いたんですが、宗教が差別を生んでいるならそれを止めてしまえば解決するって考え自体は、必ずしも間違っていないんじゃないかって」
「なかなか大胆な事をユート殿は仰いますね。しかもはっきりと」
少しだけ鋭いアルクィンの視線が侑人に刺さる。一国の宰相を任される才人に見つめられて居心地が悪くなったが、それでも侑人は言葉を続けた。
「勿論ハルモ教を否定している訳ではないんです。ただ、納得できない部分があるならそこだけ変えれば良くなるんじゃないかなと。そんな事を考えるのは間違っているのでしょうか」
「いいえ、間違っていません。むしろ私が言おうとした事を当てて下さり、ありがとうございます。さすがにこの発言をする勇気がなかなか持てませんでしたが、黒髪の勇者でもあるユート殿の発言に肯定しただけの形を取れて、心底安心しました」
優雅にヌハ茶を飲みながら、しれっとそんな爆弾発言をするアルクィン。
だしに使われた侑人はジト目でアルクィンを見つめていたが、それ以外の皆は呆気に取られた表情を隠す事もできず、ただ黙り込んでいた。
「えーと、クー……じゃなかったわい、あー、ユートの従者の身であるわらわがこんな事を言うのはなんともおかしな事かもしれんが、黒髪の勇者とセビルナ王国の宰相が、そんな考えでこの国は大丈夫なのかの?」
「問題などどこかにありましたか? ハルモ教を否定した訳ではありませんし、むしろ前向きな考えだと私は評価します。それにヨーゼフ殿だけでなく、ユート殿にも王都へと赴いて貰いたいという思いが、私の中で一段と増しました。やはりユート殿のお力を生かせる場を作る道を、本腰入れて探るべきですね」
そんな事を言いながらアルクィンは腕を軽く組んで思考に没頭する。目の前にいるこの男の底は全く見えず、何を考えているのか想像すらできない。
ハルモ教法王庁教圏国家群に属するセビルナ王国の宰相でありながら、ハルモ教を否定するような発言すらしてみせる大胆さを見せたかと思えば、全員の空気を正確に読みながら場に適した発言を行う繊細さを見せたりもする。
全てをひっくるめたのがセビルナ王国宰相、アルクィン・ウルヘルという男の本質なのだが、その凄さの一端を見るのにはもう少し先の出来事を待つ必要がある。
「では本題に入りましょう。陛下と私がヨーゼフ殿をセビルナ司教へと推薦する理由は、ヨーゼフ殿の本質を気に入ったからに他なりません」
「わしの本質ですかの?」
「はい、大変失礼な事だとは思いますが、これからの話は調査させて頂いた内容を元に話させて頂きます。何卒ご了承下さい」
「わしは既に了承しておりますのじゃ。遠慮なく申して下さって結構ですゆえ」
「ありがとうございます。ではまず最初にですが、ヨーゼフ殿の父君は司祭であり、熱心なハルモ教の信者でもあったのは間違いないですね」
「それは間違いないですじゃ。わしにも同じ道を歩む事を望んでいた父が、わしを寄宿舎に入れたのは、物心が着くか着かないかといった歳の頃じゃったわい」
ハルモ教に仕える者の中で一番下の身分である神官になるのにはいくつかの道があるが、大抵の神官は幼い頃からハルモ教正教会が運営する寄宿舎へと入所し、文字通り朝から晩までハルモ教の神官として相応しい教養を身につける為の教育を施される。
司祭の父を持つヨーゼフも同じ道を歩み、物心着く位の歳から厳しい教育を受けてきていた。ハルモ教の教義を叩き込むと共に、人々を導く人格者となるように徹底的にしごかれるのだ。
そして神官になった後に一定の成果を挙げ、多数の教会関係者の評価を受けると司祭という立場となり、国民だけでなく他の神官を導く役目に任ぜられる。
「そして寄宿舎を出て、神官としての一歩を踏み出す頃には、ハルモ教正教会の司教候補としての期待を一身に受けるほど、優秀な成果を上げられたみたいですね」
「今から考えると単に頭の硬い青二才にしか過ぎませんでしたゆえ、その評価は正直くすぐったい思いですじゃ」
「えっ、おじーちゃんて、ハルモ教正教会の司教候補だったの?」
「そういう時期もあっただけじゃよ。実際にはならんかった訳じゃし」
ヨーゼフは少しだけ遠い目をしているが、それはハルモ教正教会の司教になれなかった事を悔やんでいるような目には見えなかった。
むしろもっと大切で幸せな何かを思い出して、自分の選択が正しかった事を実感しているように見えたのだ。
「確かにヨーゼフ殿は、ハルモ教正教会の司教どころか司祭にもなりませんでした。しかもある時期を境にして、自らの評価を落とすような行動を取り始めます。周囲の反対、特に父君の反対は凄まじいもので、最終的には勘当されてしまったという話に間違いはありますか?」
「いや。アルクィン殿が仰る内容に間違いはないですじゃ。父に勘当され、ハルモ教正教会での居場所をなくしたわしは、その後地方の教会を転々とする生活を始めましたゆえ」
「えっ? ヨーゼフさんが勘当された?」
「ヨーゼフ殿の問題行動など、わらわには想像できんぞ」
「だよね……。おじーちゃんが非行に走る姿なんて、私には想像できないよ」
どこから見ても人格者にしか見えないヨーゼフが、実の父から勘当されるような事をしでかすとは、侑人達には想像すらできないのだ。
荒々しい行動を取るヨーゼフの姿を一生懸命想像しようとしていた侑人達だったが、あまりのギャップの激しさに断念していた。しかしその行為自体が無駄だと言う事に、次のアルクィンの発言を聞いて気づかされる。
「私の言い方が紛らわしかったのは事実ですが、ヨーゼフ殿が勘当されてしまった理由は非行や蛮行の類のせいではありません。ヨーゼフ殿はハルモ教の一部の教義に真っ向から反発したのです。その教義の内容は――」
「ひょっとして亜人族の扱いの事なの? そうなのおじーちゃん!?」
アルクィンの言葉を遮ったマリアが、慌てた様子を隠そうともせずにヨーゼフへと質問する。
そんなマリアの言葉を聞いたヨーゼフは、笑みを浮かべたまま首を縦に振り、肯定の意志を示した。マリアの顔が一気に驚きに染まる。
「私が生まれる前どころか、ひょっとしたらお父さんすら生まれていない時に、おじいちゃんがそんな事をしていたなんて知らなかったよ……」
「まあ、あえて話すべき内容でもなかったし、亜人族の扱いの件でマリアが落ち着きを取り戻したのは、ユートと出会った後じゃからな。今まで黙っていて済まんかったの」
「ううん……。私は嬉しいの……」
マリアの目には涙が浮かんでいる。マリアは自分の存在がヨーゼフの未来を、宗教家としての道を奪ってしまったかもしれないと、常に後悔していたのだ。
身内に亜人族の血を引く者が居るという事は、ハルモ教に仕える神官や司祭にとっては大きな足枷となる。咎人が身内に居る者に心を開く者など居ないというのがその理由だが、そんな事が実際に大きな障害となるのが宗教というものだ。
「ちなみにその時期ですが、エディッサ王都にあるタウンゼント孤児院という場所に出入りしていた時期と重なります。ここから先の事は調査書に詳しくは書かれていませんので、私の推測になりますが、そこで奥方様と出会ったのでしょうか?」
「うむ、わしの妻のカミラとはそこで出会ったのじゃ」
「やはりそうでしたか。タウンゼント孤児院という名前と、奥方様の旧姓が一致していましたので、何か関係があると考えておりました」
ヨーゼフ・ホラントとカミラ・タウンゼントは、ヨーゼフが慰問の為にタウンゼント孤児院を訪れた際に劇的な出会いをした。
タウンゼント孤児院で育ったカミラは、そのまま職員として孤児院で働いていたのだが、常に明るく他の子供達からも好かれていた姿にヨーゼフが一目惚れをし、猛烈なアタックを掛け結ばれたのだ。
ちなみにカミラは自身の正式な苗字を知らなかったので、タウンゼント孤児院から姓を貰い、それを名乗っていた。
「しかしまだ謎が残ります。ハルモ教正教会の時期司教候補とまで言われていたヨーゼフ殿が、いきなりハルモ教の教義に弓引くような真似をしたきっかけが判らないのです。奥方様の影響を受けたと報告書には書かれていますが、単にそれだけの事で自分の信念を曲げたとは私には思えません」
「それに関してはわしにしか知る術はないじゃろうから、どれだけ調査をしても判らんでしょうなあ」
疑問を浮かべているアルクィンを見ながら、ヨーゼフは楽しそうに笑っている。
どれだけ詳細な調査を積み重ねても、決して判らない事は世の中にあるのだ。特に永遠を誓った男女の秘密は外部に漏れにくい。
ヨーゼフと、ヨーゼフの亡き妻であるカミラとの間でしか知られていない一つの真実が、敬虔なハルモ教信者だったヨーゼフの考えを大きく変えたのだ。長年その秘密をヨーゼフは守ってきたのだが、マリアの為にもいい機会だと考えその秘密のベールを取り去る事を決めた。
「カミラは亜人族の血を引いていた。ただそれだけの事ですじゃ」
「え? だったら私は人族とエルフのハーフじゃないの!?」
「正確に言えば亜人族の血の方がほんの少しだけ強いかもしれん。カミラの母方の祖父は龍人族だったらしいからの。しかし諸問題でカミラの一家は離散し、わしが出会った頃にその事を知る者は、幼い頃に母親から聞かされたカミラのみじゃった。この事はわしの馬鹿息子のハワードにも話してはおらん秘密じゃ」
「なるほど、さすがにそこまで秘密を守っていらっしゃったのなら、どれだけ調査をしても判りようがないですね。脱帽致しました」
「マリアの尋常ではない魔力の回復量。その秘密は龍人族の血にあるのやもしれんの。奴らの回復力はマグナマテル随一じゃからな」
「しっかしヨーゼフさんもなかなか熱血だったんだな。今の話を纏めると、奥さんの為に全てを捨てたって感じだよな」
「そうだね。おじーちゃんがそんなロマンチストだったなんて知らなかったよ。でもあこがれるなぁ」
衝撃の告白を受けた面々は、思い思いの感想を口にする。特にマリアはうっとりとした表情を浮かべ、ヨーゼフを尊敬の眼差しで見つめるほどだ。
当の本人のヨーゼフは少々恥ずかしそうにしていたが、それ以上に清々しい表情を浮かべていた。今は亡き妻の名誉を守る為に全力を尽くしたヨーゼフの生き様は、愚かではあるがそれ以上の輝きに満ちている。
「しかし、わしの過去とセビルナ王都の司教就任との間に、何の関係があるのですかな?」
「最初にも言いましたように、陛下と私がヨーゼフ殿をセビルナ司教へと推薦する理由は、ヨーゼフ殿の本質を気に入ったからです」
「教義に弓引く者を推薦する理由など、わしには判らないのじゃが」
「詳しい事はさすがに話せませんが、察して頂けると助かります。とにかく個人の秘密を裏で探るような真似をして、大変申し訳ありませんでした」
ヨーゼフに向かってアルクィンは深々と頭を下げる。そしてそのまま微動だにしなかった。
アルクィンは形だけで謝っているのではなく、本気の謝罪をしているのだ。国家の為だとはいえ、人が長年に渡って秘密にしていた大事な思い出を暴露させてしまった事に対して、心の底から後悔していた。
「いやいや、王都の司教が王の意向に沿うかどうかは大事な事じゃ。こんな老いぼれの秘密の一つや二つ気にする事はなかろう。わっはっは、これは可笑しい。とにかく頭を上げて下され」
ヨーゼフは心底可笑しいと言わんばかりの笑い声をあげた。目の前にいる若き宰相が、司教候補とはいえこんな老いぼれに、ここまでの気を使うとは思ってもいなかったのだ。
司教就任の話が仮に黒髪の勇者をセビルナ王国に仕えさせる為の作戦だとしても、事の重大さを理解しているヨーゼフには納得できる話だった。黒髪の勇者の存在は、国家にとっても無視する事などできない大きな物なのだ。
しかしセビルナ王国の宰相という重要な役目を預かるアルクィンは、本気でヨーゼフ自身の力を見込んで司教就任を要請してきた。王の真意までは語らなかったが、少なくともセビルナの王がヨーゼフの力を見込んでいるのは事実らしい。
神官を辞めた時に置き去ってきたはずの己の思いが、いまさらながらヨーゼフの中に甦ってきていた。亡き妻との間で交わした約束を違える事なく、司教へと就任できるチャンスなど今を逃したら二度とこない。
今一度老骨の身に鞭打って、己やセビルナの為に力を振るっても良いのではないか。ヨーゼフにそんな事を思わせるほど、アルクィンの態度は真摯だったのだ。
「わし自身の気持ちは大いに動かされました。これは間違いのない事実ですじゃ。じゃがわしには守るべき存在が幾つもあるゆえ、この場での即答は控えたいのじゃが宜しいじゃろうか?」
「逆にそう言って頂ける方が私は安心致します。ヨーゼフ殿のお力を疑う事などありえませんが、用心深い性格をされている方が、今後も良い方向へと進めると思いますので」
「わしの件は一時置いておくとして、その他の懸案事項もどうにかせねばならんのう」
「私でよければ話をお伺いしますが、話して頂けますか?」
司教就任の話はひと段落したとはいえ、まだヨーゼフには気がかりな事がある。それは黒髪の勇者と呼ばれる侑人の事に他ならない。
しかもつい最近ハルモ教正教会から目を付けられ、ひと騒動あったばかりなのだ。侑人の存在がセビルナ王国の火種となる可能性すら考えられた。
「ではお言葉に甘えてお伺いするのじゃが、ユートの事はどうするおつもりなのじゃ?」
「ユート殿にはヨーゼフ殿の身内として、セビルナ王都での生活を送って頂きたいと思っております。勿論マリア殿やアンナ殿も同じ事になりますが、どういった立場で生活して頂くかはこれからの話しになります。最初に話したように、ユート殿をどのように扱えばご迷惑が掛からないか決めかねているのです」
「大変話しにくい内容になるのじゃが、つい先日にひと騒動あったばかりなのじゃよ。わしがない知恵を絞ってあれこれと考えたのじゃが、どう考えてもセビルナ王国が面倒な事に巻き込まれる懸念を払拭できないのじゃが」
「ハルモ教正教会との一件ですか? その事でしたら既に対策を考え始めていますので、ご安心下さい。しかし私が考えているのは、ハルモ教正教会への対策だけではありません。むしろ相手がそれだけでしたら話は簡単なのですが」
アルクィンは溜息をつきながらそんな事を語るが、その言葉を聞いたヨーゼフは絶句している。しかしハルモ教正教会との一件をアルクィンが知っている事に対して驚いた訳ではない。
今まで散々頭を悩ませていたハルモ教正教会への対応を、その程度だったら簡単な事だとアルクィンは言い切ったのだ。
侑人も驚きを隠せずにいる。マリアやアンナと顔を見合わせたのだが、二人の表情も似たような物だった。
まだヨーゼフがセビルナの司教を引き受けた訳ではないので、目の前に居るアルクィンが完全に味方だとは言えないが、侑人達の想像をはるかに超えるほど頼もしい人物と、ここで知り合えた可能性があるのだ。
「賢王の右腕。マグナマテル随一の知恵者。あやつに纏わる噂は数多くあるが、その手腕を間近で見れる機会が訪れるとは、夢にも思ってもいなかったぞ。わらわは幸せなのかもしれん」
「アンナ以上に敵に回すとおっかない存在がいるとは俺も思わなかった。無駄な事を話さないし普通にしてると穏やかに見えるから、なんか余計に怖いかもしれん」
「凄い人がうちの国の宰相様だったんだね。なんか安心するなぁ」
侑人達の勝手な評価が聞こえているのかいないのか判らないが、アルクィンは飄々とした表情のまま何かを考えている。
やがて軽く握り締めた右手の拳を左の掌に打ち付けるような素振りを見せたアルクィンは、侑人の顔を見ながら言葉を発した。
「失礼な行為になる可能性がある事を理解した上で、ユート殿にお伺いします。ユート殿はペッカート司教台下の動向を掴んでいらっしゃいますか?」
「いえ……。あの一件の後、礼拝堂の様子をアンナに調べて貰いましたが、とても中に入れる状況ではなかったみたいで有耶無耶のままです」
「私もつい先日見てきましたが、あの状況で中に入るのは不可能でしょうね」
「やはりそうですか……」
アルクィンの話を聞いた侑人の顔が少しだけ暗くなる。しかし軽く頭を左右に振ると無理した様な笑顔を浮かべ、何でもないといった素振りを取り繕っていた。
そんな侑人の一連の行動を見たマリア達は、かなり微妙な表情を浮かべている。何とかしたいが、下手な事をすると余計に侑人を傷つけそうで手を拱いているといったところか。
目の前で行われている一連のやり取りを見ていたアルクィンは、この一件がホラント家の中でかなりの尾を引いている事を理解した。
自分が得た情報を侑人達に伝える事は今のホラント家の内情に大きく影響を及ぼすが、良い方向に進んでいくはずだと信じておもむろに口を開く。
「私がつい最近掴んだ話ですが、ハルモ教正教会司教ペッカート・ウルティム・ミーレスは、ハルモ教正教会で静養しているとの事です。裏も取ってありますので信憑性はかなり高い情報です」
「本当ですか!」
思わず腰を上げた侑人は興奮した素振りを隠す事もなく、ペッカートの事を語るアルクィンの顔を食い入るように見つめている。
飄々としていた今までの態度はもはやなく、話の続きを催促するような雰囲気さえ感じさせていた。ヨーゼフの司教就任の話を聞いている時から考えると、想像できない変化だ。
「はい、身体に受けたダメージよりも心に負った傷の方が大きいようで、正規な職務に戻れるかは未知数のようですが」
「そうだったんですか……」
呆然とした表情のまま、侑人は弱々しい声を上げる。そしてそのまま崩れ落ちるように座り込むと、侑人は心底安心したような溜息を吐き、両手で頭を抱えて蹲った。
今まで表面上は平静を装っていたが、ペッカートの消息が掴めない事は侑人の心に重く圧し掛かっていたのだ。
相手の生死を考える余裕はあの時にはなかったが、相手の命を奪うまでの覚悟があったかと問われると、否定の言葉しか侑人には答えられない。
ペッカートの命を奪ってしまったかもしれないという考えは常に付き纏っていた。最悪の事態を想定して何度も何度も考えた。しかしどう考えても人の命を奪う事に対しては、肯定できなかったのだ。
「全くユートはとことん甘い男じゃの。わらわには先が思いやられるとしか思えんのじゃが」
「それがユートの良いところだよ。優しいユートに私もたくさん助けられたからね。そんな甘いユートが私は好きかな」
「そうじゃな。わらわもユートの甘ちゃんな考えは結構好きじゃ。できれば今後もその考えを変えずに、意地を張り通して貰いたいところじゃの。まあ、こんな事を考えるようになったわらわも甘すぎるか。ユートの事を何も言えんの」
「こんな世の中だからユートの考えは大事にしたいね。平凡な私ですらたまに忘れちゃいそうになるくらい、儚いものだから」
弱々しい侑人の声と態度が意味する心境を察したマリアとアンナは、慈しむ様な目で侑人を見つめていた。
争いの絶えないマグナマテルの世界で侑人の様な考え方をしていれば、いつか己が壊れてしまうのは理解している。でもそれを貫き通す事に価値を見出し、意地を張り続ける事の尊さは何物にも変えがたいのだ。
「ユート殿の持つお力は争いには向かない。そういう事ですかね」
そんな三人の姿を見つめながら、アルクィンは誰にも聞かれないような声でそっと呟く。
目の前に居る黒髪の勇者は、伝承で伝えられている姿とは似ても似つかない雰囲気を醸し出している。この世界の誰よりも弱く優しい心を持っていると、アルクィンには思えたのだ。
乱世と表現できるほど争いの絶えないマグナマテルに、侑人の様な存在が召喚された真意は掴めないが、何か必ず意味があるはず。アルクィンの心中には、そんな思いが浮かんでいた。
「私にできる事は私がやるとして、ユート殿のお力を生かす道を探すのも重要ですね。これからは今以上に忙しくなりそうです」
「わしからもお願いしますわい。アルクィン殿のお力は、確実にユートを良い方向へと導いてくれそうですからの」
「おや、独り言を聞かれてしまいましたか。ヨーゼフ殿のご期待に沿えるか判りませんが、私なりに精一杯頑張らせて頂きます」
「ユートはわしの家族ですからの。ユートの事に関してはわしも地獄耳になりますわい」
二人はそんな事を語り合いながら、視線を侑人に向ける。
この場に居る全員の優しい視線を一身に受ける侑人だったが、今はただ安堵の涙を流し続ける事しかできなかった。
2014/5/16:話数調整




