第3話:奇妙な三人
水の月の第八週の八日。セビルナ王国宰相アルクィン・ウルヘルは、水の月の最終日にホラント家を訪れていた。
赤みを帯びた頭髪と褐色の肌を持ち、長い髪を無造作に後ろで一つに纏めている長身の優男は、ホラント家の応接室に用意された席で優雅に佇んでいる。
当初ヨーゼフは、宰相であるアルクィンに上座を勧めた。しかし今回はゲストであり、お時間を作って頂いた立場だから遠慮するとアルクィンは頑なに固辞し、最終的に上座から見て右側にある席に座る事で落ち着いたのだ。
現在の席次だが、上座に当たる机の短辺方向で扉から一番遠い椅子には、ヨーゼフが座っている。主賓席に当たる机の長辺方向にある上座の右隣へはアルクィンが座り、その横には二人分の空間が開いていた。机を挟んで反対側の席に侑人、アンナ、マリアの順に座る形で、今日の対談は開始されている。
たかが席次だと言えるかもしれないが、面子を重視する王族や貴族達にとってはかなり重要な問題だ。相手によってはこれだけで交渉が決裂する事すらある。
しかし上座に座り恐縮するヨーゼフに笑顔を向けつつ、アルクィンはマリアが入れたヌハ茶を美味しそうに飲んでいた。
「このヌハ茶はティルト村産ですか?」
「は、はい! 村の市場で買ったものですがお口に合いませんでしたか?」
場の空気に押され緊張しっぱなしのマリアに対して、優しく微笑みかけながらアルクィンは首を横に振る。端正な顔立ちとも相まって、アルクィンの立ち振る舞いは王族のようだと言っても過言ではない。
再びヌハ茶に口を付けてほっと一息付くと、静かにカップを机の上に置いた。
「とんでもない。華美な香気や奥深い後味の面から考えると少しだけ弱い気もしますが、このヌハ茶は人を落ち着かせる優しい風味を持っています。日常の生活の中で飲むなら、このヌハ茶以上の物を見つけるのはなかなか難しいかと。王都に戻ったら陛下にもお勧めしてみます」
「へっ、陛下にですか?」
「ええ、陛下のご趣味はお酒とヌハ茶、後は何と言えばいいのやら判りませんけど、良く言えば人との交流を図る事でしょうか。とまあ、その話は今は置いておくとして、私には先ほどから少々気になる事があるのです」
そんな事を言いながら、アルクィンは少しだけ呆れた表情を浮かべ後ろを振り返る。
困ったようなアルクィンの視線の先には、直立不動で佇む二人の騎士の姿があった。
「そこの二人、私の後ろで黙って立っていると、ホラント家の皆様に余計な緊張感を与えるので座ったらどうですか? クリスもヌハ茶が好きだったでしょう。これはかなり美味しい物ですよ」
「恐れながら申し上げるがアルクィン宰相閣下、これも任務の内なので私の事は気にしないで頂きたい。とは言ってもお言葉だけはありがたく頂戴した」
クリスと呼ばれた片方の女性騎士が、恭しく頭を垂れながら流麗に返答する。無駄の無い動きの中に、凛とした佇まいを感じさせる優美な動作だ。
何とも言えない表情を浮かべているアルクィンの姿に全く気づく素振りを見せることなく、クリスは元の直立不動の姿勢に戻った。
年の頃は二十台前半といったところだろうか。絹のような金色の長髪を後頭部でアップに纏め、少し長めの前髪から覗く金色の眼は強い意思を帯びている。
整った鼻筋から続く桃色の唇は女性らしい柔らかさを感じさせるが、身に纏う雰囲気は一騎当千といった様相だ。
体型は若干細身でマリアより少し小さくアンナと同じ位の背丈であり、騎士としてはかなり華奢な部類に入る。そして柔らかな曲線で作られているはずのプロポーションは、無骨な甲冑で覆い隠されていた。
手入れの行き届いた白い肌と相まって美麗な容姿をしているのだが、当の本人がその麗辞を良しとしないようにも思える。彼女は女として生きるより、国に仕える騎士としての立場を何よりも尊重している立ち振る舞いを見せていた。
「相変わらず生真面目な返答を返しますねクリスは。余計なお世話だと判っていますけど、もう少し女性としての佇まいを大事にした方が良いと思いますよ。騎士としての貴方の価値は性別などとっくに凌駕しているというのに」
「お褒めの言葉を頂き光栄に思っている。しかしアルクィン宰相閣下、そのお言葉を拝聴した私に返せる言葉はただ一つだけだ。その手の小言はいい加減にして頂きたい」
「凛とした仕草の中に浮かぶ少々の恥じらいが、女性の至高の姿だとあれほど語ったと言うのに……そうは思いませんかミスト」
「俺をその名で呼ぶな」
アルクィンからミストと呼ばれたもう一人の男性騎士は、心底面倒だという雰囲気を隠そうともせず無造作に返答する。
金髪を適当に短く刈り込んだ荒々しい髪形をした男は、鋭い眼と左頬にある大きな傷痕が印象的な、精悍な顔つきをしている。まさに戦士といった形容が相応しい。
背丈は侑人とほぼ同じだが、身に纏っている筋肉の質や量には圧倒的な差が出ている。常に実戦の場に身を置き、鍛え上げられたしなやかな身体と言ったところか。
「俺をミストと呼んで良いのはエルだけだ」
「はあ、大変申し訳ありませんでしたエディエス。むしろ今後はミスティ・エディエス子爵とでも呼びましょうか?」
大げさな溜息を吐きつつ、アルクィンはジト目でエディエスを見つめる。
しかしエディエスは一国の宰相のそんな態度に動じる事もなく、事も無げに言い放つ。
「俺は構わん。お前の事もこれからはアルクィン・ウルヘル宰相と呼ぼう」
「いい加減六年以上の付き合いだと言うのに冗談が通じないとは……。エディエス、円滑な組織の運営には忌憚のない意見も必要ですが、それ以上に意思の疎通が必須なのです。とにかく私の呼び方はアルクィンで構いません。そうだ、エディエスを見習ってクリスの事を今後はエルと呼ぶ事にしましょう。良いですかエル?」
「お断りします」
「…………」
満面の笑みを浮かべるアルクィンを一刀両断する真顔のクリス。
あまりの切れ味の鋭さにアルクィンは言葉を失う。有無を言わせぬとは正にこのような事態を表しているのかもしれない。
「親とミスト以外にエルとは呼ばれたくない。いくらアルクィン宰相閣下のご命令とはいえ、これだけは従えない」
「相変わらず貴方達二人は似た者同士と言うか何と言うか、ここまで冗談が通じないのもどうかと。もういっその事、夫婦の契りを交わしてしまえば――」
「「断る」」
息の合った二人の否定の言葉が、容赦なくアルクィンを抉る。
心なしかクリスの顔が不満そうなのは気のせいだろうか。そんな事に気づいたアルクィンはその事実を指摘しようかと一瞬だけ考えたが、身の危険を感じて寸前で言葉を飲み込んだ。
「私はセビルナ王国に使える騎士として、生涯を捧げるつもりだ」
「俺はエルを支えるだけだ」
生真面目な二人の言葉を聞いたアルクィンは、微笑ましいものを見たような表情を浮かべる。本気で国に仕え、生涯を掛けて支えようとする二人の姿は、誇張などではなく神々しくさえ思えた。
しかし二人の生き方はあまりに不器用ではないだろうか。アルクィンの心中にほんの少しだけ悪戯心が芽生える。
「二人の高尚な生き様は痛いほど分かりました。しかしエディエス、クリスが女性だという事は抗えない事実。そんなクリスを一人だけ愛称で呼ぶと、余計な火種の元にはなりませんか?」
「確かにそうだな、俺も今後はエルの事をク――」
「駄目だ!」
「エルが良いなら俺はそのままで構わん」
「アルクィン宰相閣下、余計な事を言うと斬り捨てる」
「…………」
余計な薮を突いたら大蛇と遭遇してしまったようだ。正に口は災いの元と言ったところか。
過去最大級と言っても過言ではない、不機嫌な眼で睨みつけてくるクリスの殺気を苦笑いで受け流しながら、アルクィンは今回の目的を思い出して再び侑人達の方に視線を向けたのだが、
「「「「…………」」」」
三人のやり取りに圧倒された侑人達は、鳩が豆鉄砲を食らったような顔をして呆けていた。
「大変申し訳ありません。ついつい普段の調子で振舞ってしまいました。ご不快な思いをさせた事を謝罪致します」
「いっ、いや。国のお偉いさん達も随分と仲が良いんだなって、呆気に取られただけです」
皆より少しだけ早く我に返った侑人が慌てて言葉を紡ぐ。
そんな侑人の目を穏やかに見つめながらアルクィンは頷くと、少しだけ自嘲気味な表情を浮かべた。
「現陛下が即位してから六年の月日が経過し、その間にセビルナ王国では様々な改革を行いました。今のところ大体は上手くいっているのですが、私を含め組織自体が成熟しきっていない事は否めません」
「言いたい事は何となく判るんですけど、悪い事だけではないのでは?」
「確かにそうとも言えますけど、少なくともせっかく頂いたこの場で、このような失態を演じてしまうのは私の不徳の致すところです。大変申し訳ありませんでした」
「それはもう気にしないで下さい。少なくとも俺……じゃなかった、私は嫌な気分になどなっていませんから」
そんな侑人の言葉を聞いたアルクィンは嬉しそうに微笑む。若くしてセビルナ王国の宰相を任され、賢王の右腕とまで称されているアルクィンの人柄がどんなものなのか少し心配していたが、どうやら差し出された封書に書かれていた文章と差異はなさそうに思えた。
少しだけ柔らかい雰囲気がホラント家の応接室を満たしていく。そんな空気を察したのか、目の前で静かに佇むアルクィンは、少しだけ改まったような声で言葉を発した。
「せっかくの機会ですので、後ろの二名も含めた自己紹介を改めてさせて下さい。私はセビルナ王国の宰相を任されているアルクィン・ウルヘルと申します。本日はホラント家にお招き頂きありがたく思っております」
「これはまたご丁寧に。ありがとうございますじゃ」
丁寧なアルクィンの態度に釣られたヨーゼフは思わず頭を下げかける。
そんなヨーゼフの態度を右手で制しながら、アルクィンは紹介を続けていく。
「後ろに控える女性騎士ですが、名をクリステル・エディエス・フロレンツィア・バーレイと申します。爵位は女伯爵となり、陛下の身を守護するセビルナ王国軍近衛師団の団長を務めております。セビルナ王国軍は六年前から階級性を採用しており、彼女の階級は少将となります」
「ただいま紹介に与った、クリステル・エディエス・フロレンツィア・バーレイだ。呼び方はクリスで構わん。以後宜しく頼む。ついでにセビルナ王国軍近衛師団の説明を補足しておくが、目の前にいらっしゃるアルクィン宰相閣下が近衛師団の大将に任ぜられており、陛下は全てを統括する元帥を兼ねていらっしゃる。私はお二人の指示に従って動くコマにしか過ぎない」
アルクィンから紹介を受けたクリスは、優雅な動作で一礼すると再び元の直立不動の姿勢に戻る。
先ほどアルクィンから生真面目と称されていた通りの、剛健実直な性格が立ち振る舞いからもにじみ出ているようだ。
「そしてその隣に立っている男性騎士ですが、名をミスティ・エディエスと申します。爵位は子爵となり、クリスと同じく陛下の身を守護するセビルナ王国軍近衛師団に所属しています。近衛師団ではクリスを補佐する副団長に任ぜられ、階級は准将となっております」
「エディエスだ」
「こやつは只者ではないぞ。父上に迫るやもしれん」
アンナは小さな声でそっと呟く。微動だにせす一言だけ言葉を発するエディエスは、クリス以上の堅物に見えたのだが、アンナが考えているのはそんな事ではない。
隙を全く見せないその佇まいと全身から発せられる闘気から、エディエスはとんでもない力を秘めているように思え、そんなエディエスを警戒したアンナは、先ほどからその動きを見つめ続けていた。
「ご丁寧な紹介を頂いて真にありがたく思っておりますじゃ。少し遅くなってしまいましたが、わしの方からも紹介させて頂いて宜しいかの?」
「宜しくお願いします」
「ではまずわしは――」
アンナの思惑に気づかず、ヨーゼフもアルクィンに習って和やかに侑人達を紹介していく。
そしてお互いの紹介も終わり、ようやく本題に入れる環境になったが、先ほどのヨーゼフの紹介を最後に少しの間沈黙が流れていた。
そんな雰囲気の中、セビルナ王国宰相アルクィンは侑人達全員に向かって頭を下げ、今回の来訪について詫びる。
「この場を設けて頂いた事に感謝の意を表すると共に、突然の申し出を行った事に対してのお詫びを申し上げます。本当に大変申し訳ありませんでした。私はセビルナ王国の宰相の座を運良く任命されただけの青二才ですので、私のことはアルクィンと呼んで頂ければと思います」
アルクィンの真摯な態度を見た侑人は好感触を持つ。マリアやヨーゼフの表情からも同じ感情を持っていることが伺えた。
だがアンナはアルクィンの言葉に対して、謙遜しすぎは逆に嫌味じゃ……などと、ぶつぶつ文句を言っている。しかし侑人はとりあえずアンナの言葉をスルーした。
「それでアルクィン宰相閣下は、「アルクィンで良いです」」
ヨーゼフの言葉にアルクィンは笑顔で言葉を重ねる。顔は笑っているのだが、少しだけ大きく見開かれた両目が本気さを訴えかけているようだ。
そんなアルクィンの態度に侑人達は苦笑いしている。温和そうな雰囲気を感じさせるが、実は結構頑固者なのかもしれない。
「ではアルクィン殿。そう呼ばせて貰ってもよいですかの?」
さすがに歳が半分以下とはいえ、一国の宰相を呼び捨てで呼ぶ訳にもいかない。そう判断したヨーゼフの問い掛けを聞いたアルクィンは、少し不満そうな顔をしながらも頷く。
そんなアルクィンの仕草を確認したヨーゼフは、笑みを浮かべながら早速本題を切り出した。
「それでアルクィン殿は、今回はどういったご用件で当家へとお起しになられたのですかな? わし達はこの村で静かに暮らしていたいだけですゆえ、正直に申し上げるとかなり困惑しておりますのじゃ」
先日届いた封書には書かれていなかったが、アルクィンの目的は黒髪の勇者である侑人を国に仕官させる事ではないか。そんな事をヨーゼフは考えていた。
侑人自身はホラント家から出る気などなく、マリアやヨーゼフも侑人の意思を尊重しようと考えている。この質問も判りきった事を改めて問う事により、気乗りがしていない事を相手に分かって貰う為にしたのである。
しかし当の本人であるアルクィンは、そんな雰囲気を感じても気にした様子を見せない。些細な事にいちいち反応するような器なら、宰相に任ぜられる事もないから当たり前ではあるが。
「今日はヨーゼフ殿のお力をお借りできないか、相談する為に来ました」
「ヨーゼフ殿の力を……? ユートの力の間違いではないかの?」
アルクィンの言葉にアンナが反応する。しかしアルクィンは笑顔で首を横に振る。
「私個人としては、ユート殿のお力もお借りできるのなら幸いだと考えておりますが、色々な問題もありますので簡単にはいかないと判っております。正直に申し上げて、現時点ではどのように対応したらユート殿にご迷惑をお掛けしないのか、我が国としての結論が出ていないのです。ですから今回訪れた理由は、ヨーゼフ殿のお力をお借りしたかった事のみになります」
アルクィンの予想外の言葉にヨーゼフは絶句する。しかしそんな態度を気にせずアルクィンは言葉を続ける。
「ヨーゼフ殿にお願いがあります。セビルナ王国の王都セビルナの司教になって頂けませんか? 現司教台下は健康面で不安があり、後任が決まれば直ぐにでも引退したいとのご意向なのです。陛下と私はヨーゼフ殿のお力で、我が国を導いて欲しいと考えています」
その発言を受けて、ホラント家の全員は固まった。
ハルモ教教会に所属し神に祈る生活を送る者は、日々の生活で様々な制約を課される反面、民からは絶大な信頼を置かれる立場となる。
制約を受けるとはいえ、結婚は認められているので配偶者がいる者達も多い。彼らは神官や司祭という身分となり、神に捧げる祈りと共に日々を穏やかに過ごしていくのだ。
そんな神官と司祭の代表者であり、各地域に点在するハルモ教教会に一名づつ存在するのが司教という役職になる。そして各地域の司教の上に君臨し、全ての信者を導くのが法王の役目だ。
ちなみに司教任命に関しての権利は法王になく、各地方の自治に任されていた。
「セビルナ王都の司教とは、またとんでもないお願いですな。わしなどに務まるとは思えんのじゃが」
「私はヨーゼフ殿以外に我が王都に相応しい人物など居ないと考えています。これは陛下のご意志でもあります」
「じゃが、セビルナ王国に対する功績の兼ね合いは大丈夫なんですかの? セビルナ教会にも司祭は何名かおるはずじゃし、外部から司教を招聘すると要らぬ軋轢を生みませぬか?」
「現司教台下とも話し合いを重ね、その問題はクリアしてあります。納得がいかない数名の司祭は籍を移す事になりそうですが、それも致し方ないかと」
「今の司教台下はなんと仰っているんですかの?」
「陛下のお膝元である王都の司教を任ぜられる人材は、今のセビルナ教会に居ない事は理解している。そう仰っています」
セビルナ王国の王都セビルナ。その地に赴いて司教の任を受けると、本人が望まなくてもかなりの名声と権力を得る事となる。
ハルモ教を全て国民が信仰するハルモ教法王庁教圏国家において、司教や司祭、神官の果たす役割は大きい。冠婚葬祭の全てに関わり、日々の悩みや迷いに対応する事すら頻繁にある。
セビルナ国王とも密接に絡み、日々の相談に乗る事すらありえる王都の司教は、セビルナ王国に存在する全てのハルモ教教会の代表と言える立場なのだ。
アルクィンの申し入れは大変魅力的だが、簡単に受け入れられる内容ではない。ヨーゼフはそう考え表情を少しだけ硬くした。
裏に隠された真意が悪意に満ちたものなら、取り返しのつかない事態に陥ってしまう。とにかくできるだけ慎重に話を進めなければならない重要な案件なのだ。
「少し意地悪な質問かもしれぬが、わしに対して司教になって欲しいと言い出した本当の理由は、ユートをセビルナ王国に引き込みたいからではないのですかな?」
「ユート殿が最後の後押しになったのも事実ですが、ヨーゼフ殿のお名前はそれ以前から存じておりました」
アルクィンは目の前に置かれているヌハ茶を一口だけ飲み、気持ちを落ち着かせる。
今から語ろうとする内容は、国家運営の観点から考えれば必要な事だが、個人目線で考えると気分の良い内容ではないのだ。
伝え方によってはヨーゼフの心象をかなり悪くする恐れがあるので、細心の注意を払う必要があった。
「今から私が語る内容は、ヨーゼフ殿のお気を悪くさせてしまうかもしれませんが、私に悪意などありませんのでご容赦下さい。セビルナ王都の司教として推薦するに値する人物なのか判断する事は、セビルナ王国にとっても、陛下にとっても重要な案件です。その為、対象となる人物への調査は、数ヶ月に及ぶ期間が必要となります」
「わしの事もかなり細かく調べられておるという事ですかの。まあ、わしもエディッサ王国で神官を務めていた身ですゆえ、その位は存じておりますわい」
「そう仰って頂けるととてもありがたく思います。とにかくそのような期間をかけ、陛下とも話し合いを重ねた結果、ヨーゼフ殿がセビルナ司教に相応しいという結論に達しました。軽い気持ちでお願いしている訳ではありません」
「しかしなぜわしに白羽の矢が立ったのかが解せませんな。エディッサ王国で司教どころか司祭を務めた事もないこんな老いぼれに、セビルナ王都でできる事など限られていますわい」
そんなヨーゼフの問い掛けを受けたアルクィンの表情が少しだけ暗くなる。なにやら思案しているような雰囲気だ。
やがて意を決したのか、侑人達の顔を順番に見つめたアルクィンは、最後にヨーゼフに視線を移し、静かに言葉を紡ぐ。
「なぜヨーゼフ殿を選んだのかを説明する事はやぶさかではありません。しかしその為には、私達が調べ上げたヨーゼフ殿の過去を話す必要があります」
「あ、そういう事か」
勝手にヨーゼフの過去を調べはしたが、それを家族とはいえ他人の前で話す事に抵抗を感じたという事か。
アルクィンの心の機微を察した侑人は、腰を上げながらヨーゼフに笑顔を向ける。人の過去を無理やり詮索する趣味など侑人にはない。
アンナやマリアも同じ気持ちだったようで、三人の動きはほぼ同じだった。
「ヨーゼフさん、俺達は席を外してます」
「そうじゃの。マリアなら構わんじゃろうが、わらわ達は席を外すのが良かろう」
「あ、私もいいよ。話したくない事があってもおかしくないしね。私はユート達と散歩にでも行ってくるよ」
「こらこら、お前達は勝手に先走るでない。面白みもない老人の昔話で良ければ、そこで聞いておっても構わんのじゃぞ」
しかしヨーゼフは、そんな侑人達を笑顔で制する。どんな話がアルクィンから語られるのか判っていないはずだが、その態度は実に堂々としていた。
人に後ろ指を指されるような行動をした覚えなどないヨーゼフに、聞かれて困る過去などありはしなかったのだ。
「良いんですか?」
「うむ。多少気恥ずかしい気もするんじゃが、聞かれて困る事などありはせん。それにマリアにはいつか話そうとしていた内容も含まれるやもしれんからの。これも良い機会じゃ」
「判ったよ。私もここで聞かせて貰うね」
「ヨーゼフ殿の過去に興味がないと言ったら嘘になるからの。わらわも聞かせて貰うぞ」
そんな侑人達のやり取りを、まぶしい物を見るような目でアルクィンは眺めている。口元には笑みが浮かんでおり、顔に出ている表情はとても優しい。
侑人達の談笑が終わるまで静かに待ち続けたアルクィンは、全員の視線が向いたタイミングを見計らって再び言葉を発した。
「やはりヨーゼフ殿を見込んだ私達の考えは正しかったようですね。しかしヨーゼフ殿の許可を頂いたとはいえ、勝手に人の過去を話す事に抵抗がない訳ではありません……。そうですね、代わりと言ってはなんですが、私の昔話にも付き合って頂けませんか。少しは今回の件とも関係がありますので」
「アルクィン宰相閣下。ここで話してしまって大丈夫なのか?」
クリスが真剣な表情でアルクィンの顔を見つめている。どうやらアルクィンが話そうとしている己の過去の話には、かなり重要な秘密が隠されているらしい。
しかし当の本人のアルクィンは涼しげな表情を崩していない。真意を察する事はできないが、少なくとも不安がってはいないようだ。
「ええ、公言している訳ではありませんが、国家の機密事項に該当するような内容でもありません。とは言っても、この話が広まってしまうと色々と支障が出かねませんので、ここだけの話にして頂けませんか?」
「いやいや、わしの話と引き換えに何かを求めている訳ではありませぬゆえ、そこまでして貰わなくても構わんですじゃ」
「私の気持ちの問題ですので、できれば付き合って頂けると助かります。ご無理を言って申し訳ありません」
「そこまでアルクィン殿が仰るのであれば、わしらは静かに話を聞きますわい。勿論他言などしませんゆえご安心を」
ヨーゼフとのやり取りを終えたアルクィンは、後ろに控えていたクリスとエディエスに視線を投げかける。
そんなアルクィンの姿を見た二人は、直ぐに行動を開始した。指示など言葉にしなくても、この三人には問題ないらしい。
「俺は外を見てくる」
「判った、ミストが外を警戒するなら私は廊下を見張る事にする。怪しい気配があったら直ぐに知らせてくれ」
「ああ、エルも気をつけてくれ」
二人は静かに外へと出て行き、残された五人の間には静寂だけが残る。若くしてセビルナ王国の宰相にまで登りつめたアルクィンの過去に、興味がない者など居ないのだ。
とはいえ、興味津々といった素振りを見せるのには抵抗がある。平静を装っているが、話を待つ侑人達からどんどん落ち着きが失われていった。
いつまでもそんな状況が続くかとも思えたが、やがて事態は終焉を迎える。そんな雰囲気を破ったのは、やはりアルクィンだった。
2014/5/16:話数調整




