第19話:訪れた平穏
窓辺から見える空は青く澄み渡り、夏の気配が微かに感じられる。
吹き込んでくる風は湿度が高く若干肌に絡み付いてくるようだが、火照った侑人の身体にはこの位でも心地よい。
部屋の中は静寂で満たされている。しかし階下からはときおり物音が聞こえ、誰かが存在する気配を感じさせていた。
侑人は右手で額に張り付いた髪の毛を払う。その際に触れた額からは平熱とは言えない熱量を感じ、自身の身体が平常ではない事を実感する。
「もうすぐ夏かな……」
空を見上げたまま取り留めのない事を侑人が考えていると、階段を登って来る音が近づいている事に気づいた。しかし身体がうまく動かない。
侑人は視線を部屋の入り口の扉に向ける。それとほぼ同時に、ギギギという音を立てて扉は静かに開いていった。
「起こしちゃったかな? 身体の調子はどう?」
大丈夫だという意味を込めて侑人が微笑を浮かべると、心配げな表情を浮かべていたマリアの顔が少しだけ明るくなる。
湯気が立つ皿をお盆に乗せたままマリアは侑人へと近づき、ベッドの側に備え付けてある机の上にそれを置いた。
「まだ熱がありそうだね。暫く安静にしないと駄目だよ」
マリアが顔を覗き込むと、その拍子に長い金色の髪が優しく侑人の頬を撫でる。マリアはそっと侑人の額に手を置くと、少しだけ難しい表情を浮かべた。
「やっぱりまだ熱が高いね」
「心配掛けてごめん。魔力を限界まで使った反動だけど、死にはしないってアンナが言ってたからさ。多分そのうち良くなると思うんだけど」
礼拝堂でペッカートと対峙してから、今日で五日が経過していた。
侑人自身は最後の場面を覚えていないのだが、胸騒ぎを感じたマリアが皆の静止を押し切って礼拝堂へと飛び込み、気を失った侑人に肩を貸し崩落寸前に助け出してくれたらしい。
ペッカートの消息は今のところ不明であり油断はできないが、暫くの間は大丈夫だろうと侑人が目を覚ました時にアンナから伝えられた。愛の力は偉大じゃとも言っていたが。
黒髪の勇者に対して危害を加えたという事実を公にしない事を条件に、ハルモ教正教会側と色々な取引ができそうじゃとほくそ笑むアンナの顔を思い出し、侑人は思わず苦笑する。
「この分だと何とかなりそうだ。少しだけ安心した」
「でも、礼拝堂が壊れちゃったね」
そんな事を呟いたマリアの表情が少しだけ陰る。元の世界に戻る手がかりを一時的に失った侑人を慮っているのだ。
侑人自身もその事に関して心残りはあるが、それ以上に清々しい気分の方が勝っていた。
「そんな顔しない。俺はこうやってまた一緒に生活できるだけで満足してるんだ」
「ユート……」
ベッドに横になっている侑人は、そのままの姿勢でマリアの頭を優しく撫でる。マリアは少しだけくすぐったそうにしながら、されるがままになっていた。
礼拝堂で謎の声を聞いた時、侑人の脳裏に遠く離れた故郷――日本――の生活が過ぎったのは事実だ。しかしそれと同じ位ホラント家での生活が大切な物になっている事に気づかされた。
自分に何ができるのか判らないが、マリア達の生活を守る事ができるのなら全力で取り組んでいきたいと侑人は考えている。
「まだ暫く迷惑を掛けるけど、これからも宜しく」
「もちろん大歓迎だよ。でもその頑張りすぎるとこだけは直して欲しいかな。倒れるまで頑張るなんて絶対に駄目」
「俺ってそこまで頑張ってるかな」
「うー、自覚がないのか。もはや病気だね……」
マリアはジト目で侑人を見つめている。
侑人は苦笑いを浮かべつつも、マリアとの会話を心から楽しんでいた。
「人をワーカホリック扱いするなよ」
「ワーカホリック?」
「あー、俺が前に居た世界では、働きすぎる人の事をそう呼ぶんだ」
「じゃあユートは立派なワーカホリックだね」
「酷いな……」
「じゃあ直してね」
侑人とマリアは互いに微笑みあい、今までとは違う何とも言えない二人の世界ができ上がる。
二人の関係も少しだけ進展したのかもしれない。
「おっ、そのまま押し倒すのじゃユート。何ならマリアからでも良いぞ。クロウも後学の為に見ておくのじゃ」
「うー、やっぱ覗き見はよくねえと思うぞ」
「「いっ何時から見てたんだ!(のよ!)」」
「ユートがマリアを撫でたあたりかの」
「「…………」」
侑人とマリアは真っ赤な顔で俯きそんな二人をアンナがからかう、温かくも騒がしい空気が部屋を満たしていく。
ホラント家はいつもと同じ、賑やかな雰囲気に包まれていた。
2014/2/10:改訂




