第18話:狂信者
「俺、ここ苦手なんだよな……」
「あの時のクロちゃん半泣きだったもんね」
泣いてない! 絶対泣いてたよ! などと、いつもの様にじゃれ合うマリアとクロウの姿を侑人は優しげな視線で見つめている。
今日の日付は水の月の第七週の二日。突如ペッカートが来襲した翌日の午後の天候は、生憎の小雨日和だった。
「都合が良すぎるとも思えるのじゃが」
「俺もそんな気がするけど、今更悩んでも手遅れじゃないかな」
少しだけ不安げな表情を浮かべるアンナの頭に軽く手を乗せながら、侑人は軽く首を傾げて微笑みかける。
そんな侑人の仕草を見たアンナは、頭に乗せられた手を右手で軽く払いのけながら溜息をつきつつ悪態をつく。
「慌てる物乞いは施しが少ないとはよく言ったものじゃ。これがペッカートの罠じゃったら、施しを受けるどころか全てを奪われかねん状況なのじゃぞ」
「物乞いって……まあ、それを助けるのは王族の務めってやつだろ?」
「勇者の務めでもあると思うぞ」
「俺は勇者を引き受けた覚えはないし、そもそも自分探しの旅で手一杯だからな。やっぱ助けてもらう側の方が性に合ってる」
涼しげな表情を崩さない侑人の姿をアンナはジト目で見つめていたが、やがてその視線を少し離れた場所に固定する。
アンナの視線の先では、大地にぽっかりと大口を開けている礼拝堂の入り口の姿が、一種独特な存在感を放っていた。久々に訪れたこの場所の雰囲気はどこか薄気味悪い。
「何とかなると良いがの」
「だな。色々と手を打ってくれたヨーゼフさんの好意も無駄にはできないからなぁ」
侑人はそう返事をしつつ、昨晩予想よりも早く帰宅したヨーゼフへと、夕食時に話し合った内容を伝えた時の事を思い返す。
ホラント家を離れ、召喚された手掛かりを探す為に旅に出る事。旅の始まりには侑人が召喚された礼拝堂を選んだ事。礼拝堂まではマリアとクロウも同行する事。
その話を聞いたヨーゼフは、少しだけ眉間に皺を寄せ難色を示していたが、最終的には納得し色々と協力する事を約束してくれた。
静かに立ち上がったヨーゼフは、納屋に保管していた旅に必要な用具を持ち出してそのまま侑人に全て譲り渡し、潤沢とまではいかないが、それなりの路銀も用立ててくれたのだ。
『家族の旅立ちに協力するのは当然の事じゃわい』
自身の我侭で迷惑を掛ける訳にはいかない。頑なにそう固辞する侑人に向かってそう告げたヨーゼフの目は、どこまでも優しいものだった。
『レサク村長の話じゃと、ペッカート達は村から出て行ったようじゃな』
ヨーゼフからそんな情報を得た侑人達は、今後の方針を決めるべく話し合いを開始した。
アンナは少し様子を見たほうが確実だと考えていたのだが、底の見えないペッカートがどのような手を打っているのかまでは想像できず、最終的には早速行動を開始する事を決め今に至っている。
「今更じたばたしても何も始まらぬか……まあ、万が一の事が起こっても、ヨーゼフ殿が上手く誤魔化してくれる事を期待するしかあるまい。そろそろわらわも準備する事にしようかの」
アンナはそう言うと自身の召喚状態を解き、侑人の体の中に戻っていく。侑人がマグナマテルに召喚された時の状態に合わせた方が、色々と都合が良いだろうと考えたのだ。
そんなアンナの行動を確認した侑人は、意識を集中させる為に自身の両頬を叩く。手掛かりがあるとは決まっていないが、どんな微細な変化でも見逃す訳にはいかない。
「さて、そろそろあの二人を……ん?」
いまだにじゃれていそうなマリアとクロウに声を掛けるべく行動を起こしかけた侑人の背中に、柔らかい何かが触れた。
視線だけ後ろに向けた侑人の目に、少しだけうつむいているマリアの姿が映る。どうしたのと侑人が問い掛けようとした瞬間、マリアがそっと囁く。
「頑張ろうねユート」
「ああ……」
身長差がある為マリアの表情は判らないが、どこか儚げな印象を受ける。今まで普段通りに振舞っていたマリアだったが、この瞬間の態度がマリアの心情の全てを物語っていた。
温かい生活が終焉を迎えようとしている。その事実を改めて突きつけられた侑人の心の奥底に、本人すら理解できない感情が生まれつつあった。
「何か凄いねぇ……どうなっているんだろ?」
「俺にはさっぱり。でもこの場所に何かがある事だけは判る。勘だけどね」
地下にある礼拝堂へと向かう暗く細長い階段を降り始めた侑人達一行が一度目の折り返し地点へと到達し、そのまま奥深くへと再び進み始めた矢先に不可解な現象が起こっていた。
侑人達一行を導くかのように階段全体が淡い光を帯び、行き先を照らし始めたのだ。マリアは興味津々にあちらこちらを見渡しながら感嘆の声を上げ、それとは対照的にクロウの顔は少々引きつっていた。
「た、松明は消しちゃって良いのか?」
「何が起こるか判らんから松明は消すなよ」
侑人はそう指示を出しながら自身が召喚された時の事を思い返している。記憶に残っているあの時の状況とは似ても似つかない。
何かがこの差を生み出し、その事が今後待ち受けている展開のヒントになる筈だと何故か確信していた。しかし過去と今とでは状況が大きく違いすぎて、何が正解なのかが絞り込めず、侑人は考え込みながら歩を進めている。
『どうしたのじゃユート。何やら考え込んでいるようじゃが』
侑人の思考を感じ取り怪訝そうな声で問い掛けてくるアンナ。その声で少し我に返った侑人は、自身の考えを思考で伝える。
アンナは暫くの間考え込んでいたのだが、やがておもむろに自身の考えを語り始めた。
『一番可能性が高そうなのは、融合状態であるわらわの意識が覚醒している事じゃと思う。わらわ達の状況を招いたのは他ならぬハルモ神じゃし、その影響を受けたわらわ達が何らかの影響をこの場所に及ぼしたと考えると筋が通るように思えるのじゃ』
『なるほどねぇ』
『しかしこんな事例をわらわは知らぬし、未知の現象に対してあれこれと決め付ける事は避けた方が良かろう』
『出たとこ勝負ってやつか』
『ユートとマリアの絆が招いている現象やもしれんしの。ククク……』
『真面目な意見なのか、からかっているのかで俺の返答は変わるのだが、今のはどっちだ?』
どんな状況でも軽口を忘れないアンナの態度に少々呆れつつ、侑人はゆっくりと階段を降り続ける。やがて侑人達の目の前に、華美な装飾が施された大きな石造りの扉が姿を現した。
「明るさが違うだけで随分と印象が変わるもんだ」
「ユートはここに召喚されたんだね。何か凄い場所だね……」
『これはまた仰々しい場所じゃの。正直気に食わぬ』
「師匠はこんな不気味な場所で目を覚ましたのか。俺なら直ぐ逃げる……」
重い扉を開け放ち、礼拝堂の姿を目に捉えた侑人達の感想は四者四様だった。
中央にある大きな祭壇らしき物の上には、炎の灯った蝋燭が置かれており、淡い光が周囲を照らしている。祭壇の正面には大きな男神の像が祭られ、その左右には女神の像が傅くように控えていて、荘厳な雰囲気を醸しだしていた。
侑人が初めて礼拝堂を訪れた時と比べると、周囲の壁が淡い光を帯びているという差異はある。しかしそれ以外の違いはないように思えた。
「さて本番だ。ここからは特に警戒していこう」
侑人に促されたマリアとクロウは、礼拝堂の内部を恐る恐るといった様子で伺っていたが、直ぐに意を決したのかしっかりとした足取りで、侑人に続いて中央まで移動する。
侑人は辺りをキョロキョロと見渡していたのだが特に怪しい気配は感じられず、礼拝堂は静まり返ったままだった。
しかしその静寂は突如破られる。
『汝は――を――むか?』
脳内に直接呼び掛ける不可解な声が響き渡り、数ヶ月ぶりの感覚が侑人を襲う。
続けて激しい頭痛が襲い掛かる事を覚悟した侑人だったが、身体の異変は多少の眩暈を感じる程度に収まっており、座り込んでしまうほどでもない。
『わらわがハルモ教正教会で聞いた声と同じものじゃな』
「ユート! 今の何?」
「うわ!」
どういう理屈なのかは相変わらず判らないが、今回の声はアンナだけでなくマリアやクロウにも聞こえたようだ。
マリアとクロウはこめかみを抑えて座り込んでいる。この世界に侑人が召喚された際とは違い、激しい頭痛が襲っている訳ではなさそうだが心配な事に変わりない。
「マリア! クロウ! 大丈夫――」
『ユート! 祭壇を見るのじゃ!』
半ば怒鳴りつけるかのようなアンナの声に導かれ、侑人の視線が祭壇の方を向く。
いつの間にかハルモ神の像に見守られている祭壇が、直視できないほどの眩い光に包まれていた。
『二人の事も心配じゃが、今は必要な行動だけを心掛けるのじゃ!』
『そう言われても……いや、そうだよな。判った』
少しだけふらつく両脚に力を込め、祭壇へ向かってゆっくりと歩を進めていく侑人。
時間としては数十秒程であったが、とてつもなく長い時間を歩き続けたような感覚が侑人を襲っていた。
やがて目と鼻の先ほどの近くまで辿り着いた侑人は、恐る恐るといった様子で祭壇に向かって右手を伸ばしていく。
侑人と祭壇の距離は徐々に縮まり、やがて零になった。
『我は――望――汝は――を――むか?』
「くっ!」
突如侑人の脳裏にイメージが沸き上がる。
最初に浮かんだのは生々しい戦場。剣と剣が火花を上げて激しくぶつかり合い、魔法が激しい音を立てて大地を抉る。兵士達の虚ろな目は光を失い、獣のような怒号が空間を切り裂いていく。
次に浮かんだのは生気を失った民達の姿。いまだ煙が燻る住居を呆然と見つめる老人や、血を流し大地に倒れこんだ夫にすがりつき泣き叫ぶ妻の姿が次々と浮かんでは消える。やがて路地裏で雨に打たれながら座り込む子供達の姿が映し出された時、侑人は大声を上げた。
「いい加減にしろ!」
『我は平穏を望む――汝は何を望むか?』
侑人の叫び声に呼応して謎の声が再度問い掛け、それと同時に別のイメージが侑人の脳裏に再び沸き上がる。
「こっ……これは」
その光景を目の当たりにした侑人は絶句した。
両親や妹の姿がスライドのように浮かび上がり、続いて懐かしい日本の景色が映し出されていく。
慣れ親しんだ実家や裏路地まで把握している故郷の町並み、青春時代を過ごした母校、数ヶ月前には当たり前のように存在した元の世界が、目の前にはっきりと感じられた。
侑人の全身の力が抜けていく。帰れるのなら――
――膝をついた侑人がある事を考えそうになった時、悲痛な叫びが鼓膜を震わす。
「ユート!」
その声の主はマリアだった。片手を侑人に向けて必死な表情をしているマリアの姿を、侑人は視線の端で捉える。すると今度はマグナマテルでの生活が次々と脳裏に描かれた。
マリアと川原で出会った事。
マテル語や魔法を教えて貰った事。
家事や食事時の何気ない一コマ。
クロウを助けに行った時の事。
ティルト村の危機をアンナと救った事。
その後にあった数々のドタバタ劇。
数々の思い出が最初に浮かんだ戦場のイメージで真っ黒に塗り潰されていく。謎の声が見せたかったのはこの光景だったのかもしれない。
「望む事――俺が望む事――それは――」
「何をしているんですか勇者様!」
礼拝堂に響き渡った冷酷な声によって、目の前の不可思議な現状は突如終焉を迎えた。あれほど眩しく光り輝いていた祭壇は元の姿に戻り、静寂が辺りを包み込んでいる。
幸いな事に壁が発する淡い光はそのままであり、暗闇に閉ざされた訳ではなさそうだ。
周囲の状況を注意深く観察した侑人は一つだけ溜息を付いた後、聞きたくもなかった声の主へと振り返ったのだが、予想外の状態に戸惑う事となる。
「こんな場所まで追ってくるとは結構しつこい……ってヨーゼフさん!?」
「勇者様のお姿が見えなかったので、ヨーゼフ殿には道案内をお願いしただけですから、そこまで驚かれなくても良いと思いますよ」
仰々しく頭を垂れながら口上を口にするペッカートの物言いとは裏腹に、ヨーゼフは衛士に拘束され剣を突きつけられていた。
ペッカートの周囲は二十名ほどの衛士によって守られており、どこからどう見ても話し合いに来たとは思えない様相だ。
『完全に罠じゃったな。予想通りと言えばそれまでじゃが……ちと厄介じゃの』
『とにかく話し合うしかないか』
今の段階では打開点が見つからない事を侑人は悟る。とにかくヨーゼフの身の安全を確保する事が優先だ。
とりあえず話し合いを行おうと考えペッカート達に近づこうとしたのだが、狡猾なペッカートはその行動を許そうとはしなかった。
「動かないで下さい勇者様。私は勇者様のお力を過小評価しておりません。このような無粋な真似は本意ではありませんが、勇者様をお迎えする為に手段を選んでは駄目だという事は理解できました。おい、お前達」
「「はっ」」
ペッカートの指示を受けた衛士達は、唖然と佇んでいたマリアとクロウを拘束し、ヨーゼフの側まで連行していく。クロウは暴れて逃げようとしていたが、大人と子供の体格差の前ではどうにもできず、最終的には大人しく従っていた。
不確定要素を極限まで潰し、自身に有利は状況を作り上げていく手腕は、敵ながら天晴れといったところだ。
『本当に厄介な奴じゃな。ここまで馬が合わなそうな奴とは知り合いにもなりたくないのじゃ』
『でもまあ、マリア達が下手に動いて怪我をするよりは、今の状況の方が何倍もマシかな』
侑人が語った内容は半分だけ事実だが、もう半分は自嘲気味な気持ちから出ている。時間が経てば経つほど状況は悪化し、どんどん不利な立場に追い込まれていくのは明白だった。
三人を無事に解放しペッカートを諦めさせる妙案を短時間で考えねばならない。侑人は絶望的な状況の中、活路を見出そうと思考を続けていく。
しかしそんな侑人をあざ笑うかのように、ペッカートは着々とチェックメイトへ向けて手を進める。
「さて勇者様、私は無粋な事を言いたくもありませんし行動を起こす気もありません。このままハルモ教正教会へと足をお運び下されば皆が幸せになれます」
「俺の意志は?」
「勇者様ご自身が自発的にハルモ教正教会へと赴いて頂くのが絶対条件でございます。もちろん強制的にお連れしよう等とは私も考えておりませんが……そうですね、妙案を思いつきました。ここに居る皆様もハルモ教正教会へとお連れ致しましょう。勇者様もその方がご安心でしょうから」
「人質って事か」
そんな事はございませぬと笑みを浮かべながら答えるペッカート。ここまで白々しいとある意味清々しい気さえした。
こんな状況では話し合いで解決する事などできない。侑人はそう判断する。
人を殺める気など侑人には毛頭ないが、ある程度の武力の行使は止むを得ない所まで追い詰められたのだ。
侑人は覚悟を決め、思考でアンナに問い掛ける。
『防御系の魔法は使えるか? ある程度の範囲を守る事ができるってのが条件だが』
『範囲防御系の魔法は結構得意じゃぞ。ただし範囲内に居る人物を選んで守るなどという、器用な真似はできないがの』
『それで十分だ。俺が――』
自身の考えをアンナに語り終えた侑人は、首を左右に振りながらおもむろに両手を上げた。そして深い溜息をつきながらペッカートを見つめ言葉を発する。
「降参だよ降参。あんたが良いって言うまで俺はここで大人しくしてるから、そこに居る三人を自由にしてくれないかな。開放しろとまでは言わないけどさ」
「私も無粋な行為は好みません。勇者様の側にお返しするのはハルモ教正教会に着いてからにはなりますが、武器を突きつける野蛮な行為は辞める事に致しましょう」
そんな短いやり取りを終えた後、マリア達三人は衛士達からの拘束を解かれた。マリアは泣きそうな顔でヨーゼフの胸へと飛び込み、クロウはその側で苦痛を浮かべた表情をしている。
いまだに衛士達は三人の周囲を取り囲んでいるが、先ほどの状況と比べれば大幅に改善が成されていた。
「では勇者様。約束通りハルモ教正教会へと赴きましょう」
ペッカートはそう言いながら侑人の方へと歩き出そうとする。そしてその瞬間を侑人は見逃さなかった。
『アンナ! 今だ!』
『全てを覆いつくす漆黒の闇よ――我が身を守る盾となれ――暗黒障壁』
侑人の身体から、二人分の膨大な魔力が溢れ出す。アンナは防御魔法の詠唱を始め、侑人は魔法発動のタイミングを見計らってアンナを三人の側に召喚した。
異変に気づいたペッカートが衛士達に命令を出す暇を与えずに策は成功する。呆気に取られたペッカート達の目の前に、暗黒球に包み込まれたアンナが顕現したのだった。
「勇者殿! 約束が違います!」
「俺は大人しくしてたし、ハルモ教正教会へ行くって約束はしてないぞ」
侑人は怒りに震えるペッカートと視線を合わせようともせず、アンナが作り上げた防御魔法の中で呆気に取られているマリア達に微笑みかけている。
そんな侑人の表情を見た三人は、皆一様に頷くと表情を引き締めた。反撃の時は来たのだ。
「アンナには皆の護衛を頼む。俺はここでこいつらを食い止める」
「わかったのじゃ。死ぬでないぞ」
「ユート!」
「マリア、ヨーゼフさんとクロウを頼んだぞ」
侑人とのやり取りを終えたアンナ達は、後ろ髪を引かれつつも階段を足早に登っていく。
混乱状態に陥った衛士達が次々と槍で殴りかかるが、アンナの防御魔法の能力は高く、全ての攻撃を弾き返していた。
しかしいくら安全とはいえ、侑人の心中は穏やかでない。目の前で攻撃されるのを黙って見ている気にはなれなかった。
「四人に手を出す事は俺が許さん!」
衛士達を鋭く睨みつけながら侑人は叫び、魔力の出力を極限まで抑えた石つぶてを飛ばす。
一つ目の石が振り上げていた先頭の衛士の槍を叩き落し、二つ目の石が胸元に直撃した。
不意を衝かれた衛士の一人がバランスを崩し、数人を巻き込んで階段下まで転がり落ちたのを確認した侑人は、改めて目の前に立ちふさがる外敵を睨みつける。
自身の魔力を全開放した侑人の姿は鬼神の如き様相を呈しており、衛士達の士気はどんどん下がっていく。
しかしそんな雰囲気の中ペッカートだけは平静を取り戻し、不気味な雰囲気を纏ったまま静かに佇んでいた。
「勇者様のお考えは、ハルモ教の教えと共にあるのではなかったのでしょうか」
「俺の考えとそっちの考え方には差がありすぎる。でも俺は誰とも敵対する気はないし、静かに暮らしたいだけだ。ちょっかい出さずにほっといてくれないか」
「その考えは甘い……甘すぎるのです。ハルモ教正教会の教義に背く勇者の存在など認めるわけにはいきません! お前達、ハルモ教の一大事です! 目の前のこの男を捕らえなさい!」
一斉に衛士達が襲い掛かってくるのを警戒し侑人は身構える。しかし予想に反して誰も向かって来ない。
ペッカートの号令を受けた衛士達はお互いの顔を見合わせていた。黒髪の勇者と敵対する事にかなり躊躇しているようだ。
しかしペッカートの命令に背けばどんな罰が下されるのか想像もつかないと悟ったのか、無言で頷きあうと侑人との間取りをジリジリ詰めてくる。
「やっぱりこうなるか……」
そんな侑人の呟きを皮切りにして戦闘は開始された。
衛士達は三人一組で連携し、侑人を押さえつけようとする動きを見せる。どうやらかなりの戦闘訓練を受けているようだ。
辛うじて銀色に見える重厚な槍を上段に構えた、衛士の一団が眼前に迫り来る。多人数に囲まれつつある侑人の背に冷たい汗が流れるが、ここで大人しく捕まる訳にはいかない。
侑人は襲い掛かってくる先頭の衛士の槍を左に屈みながらかわすと、そのまま重心に逆らわず流れるような動作で右足の足払いを放つ。攻撃の出足を挫かれた衛士は体勢を崩し、もんどり打って倒れたのだが、侑人の動きはそれだけで止まる事は無かった。
足払いの勢いを殺さず右足に体重を移動し、そのまま渾身の力を込めた左足での後ろ回し蹴りを、二人目の衛士の鳩尾にそのまま打ち込んだのだ。
全身を鎧で覆った衛士の守りは予想以上に堅く侑人の両脚にかなりの負担が掛かったが、火の魔法で底上げされた身体能力で無理やりなぎ倒す。
予想以上の攻撃力を秘めた侑人の後ろ回し蹴りは衛士の身体を跳ね飛ばし、後ろに控えていた三人の衛士をも巻き込んだ。しかし無我夢中で蹴りを放った侑人は勢いを殺しそこね、身体が僅かに左に傾いてしまった。
すると体勢を崩したのを見逃さなかった三人目の衛士が、足払い気味に鋭く槍を振り回してきた。唸りを上げた槍が右足を捉えかけたが、侑人は地に付いていた右足一本で無理やり跳躍し、空中で反動を付けて足を入れ替え、こめかみへと横殴りの蹴りを叩き込む。
仕上げとばかりに着地の勢いを利用した侑人は、足払いで倒した先頭の衛兵の背中を踏み抜き動きを封じると、再び鋭い眼光を周囲の者達に叩き付けた。
辺りに静寂が走る。
一瞬のうちに六名を戦闘不能に追いやった侑人の動きは流れるようだった。それを目の当たりにした衛士達はかなり動揺し、戦意を失いつつあるようだ。
「一応練習しといてよかった」
戦闘自体はぶっつけ本番だが、侑人は多人数との戦いを想定した鍛錬を行っていた。クロウとの稽古で体術を含めた一通りの流れを身につけたのだ。
所々はアドリブだが、一連の動きはヨーゼフから貰った指南書に書かれており、どんなものでも理解できる能力をフル活用して、来るべき危機に備えていた。
「でも鎧相手だと身体の負担がでかすぎるか……」
体術は敵をできるだけ傷つけずに戦闘不能まで持ち込みやすいが、鎧を着込んだ衛士が相手だとかなり分が悪い。火の魔法で身体能力をいくら強化をしても、技を繰り出す時の衝撃が大きすぎて侑人の身体が持たないのだ。
侑人は少しだけ痛み始めた両脚を気にしつつ、腰に挿してあった木刀の柄を右手に持つ。下手をすれば相手に致命的なダメージを与えかねないが、体術のみに拘って自分が動けなくなるのは本末転倒だ。
「狙いは武器破壊」
重心を一気に下げその反動を利用した侑人は、敵に向かって一直線に地を駆けた。そして交戦する瞬間に右手に魔力を集中させ、光の剣を一気に作成する。
不意を衝かれた衛士達は慌てて槍を構えようとするが、その動きを一瞬だけ侑人が上回った。
左下からの斬り上げで一つ目の槍を斬り捨てると、そのまま右上からの斬り下げで二本目を破壊する。
少し距離の開いた場所にいる衛士の一団を飛び蹴りで吹き飛ばし、その反動を利用して逆側にいた二人の衛士の槍を纏めて粉砕した。
そして着地の瞬間に背後から殴りかかってきた衛士の槍を頭上で跳ね飛ばした侑人は、そのまま背後の衛士に光の剣を衝きつけ言い放つ。
「次からは当てるぞ」
衛士達は顔面蒼白となり震えだした。手加減無しの侑人を敵に廻して生き残れる保障などなく、むしろ皆殺しになる未来しか見えないのだ。
恐慌状態に陥った衛士達は次々と武器を捨て、階段へと向かって我先にと逃げ出し始めた。その姿を見た侑人は少しだけ肩の力を抜き一息つく。
「動けない奴もちゃんと連れてけよ。で、あんたも逃げたらどうなんだ?」
「何故私が逃げなくてはならないのでしょう」
ペッカートは涼しげな顔で静かに佇んでいた。鬼神のような侑人の動きを見たはずだが、恐れなど微塵も感じていないようだ。
むしろ衛兵達が侑人を捕らえられない事を判った上で嗾け、冷静に技量を推し量っていたようにも思えた。
「勇者様のお考えが変わる事はないのでしょうか」
「先の事は判らんけど、少なくともあんたと同じ考えに行き着く事はないだろうね」
挑戦的な侑人の言葉を聞いてもペッカートの表情は特に変わらない。それどころか余裕に満ち溢れているようにも見える。
やがて階段を背にして悠然と構えていたペッカートは、一度ハルモ神に対して深く一礼すると、再び侑人を見つめて呟いた。
「そうですか、では仕方ありませんね」
突然ペッカートの纏う雰囲気が変わった。涼しげな表情は先ほどと同じ様に見えるが、その口元には邪悪な笑みが薄っすらと浮かんでいるようだ。
嫌な予感が全身を駆け巡った侑人は、即座に戦闘準備を整えた。目の前にいるペッカートから感じるプレッシャーは、衛兵達の一団と比べ物にならないほど重苦しい。
先ほどの戦闘で二割程度の魔力を消費してしまったが、ペッカート一人を相手にするならば残りの八割の魔力でも十分に戦えると侑人は楽観的に考えていた。鍛錬を十分に積んだ体術と剣術が衛士達に通用した為、精神的なゆとりが少し持てていたのだ。
しかしその甘い考えはペッカートが放つ異様な空気で即座に否定された。人間が持つ生存本能が、最大級の警戒信号を侑人自身に送り続けている。
「私はハルモ教正教会の司教、ペッカート・ウルティム・ミーレス! ハルモ教の教義を守護する為に、あらゆる害悪を打ち倒さねばならない立場なのです!」
ペッカートが叫んだ瞬間、礼拝堂全体が震えた。
周囲の景色を歪ませるほど放出される魔力に侑人は一瞬だけ言葉を失ったが、自分の帰還を信じている仲間達の存在を思い出し気合を入れなおす。
相対しているペッカートの戦闘能力は間違いなく高く、魔力を隠す術を身に付けている事から推察すると、アンナ並の技量を持っていてもおかしくない。
実戦経験の乏しい侑人では、倒すどころか身を守るのでさえ精一杯の恐れもある。しかしこんな所で無様に負ける訳には行かないのだ。
「私の信じる教義の為に死んで下さい! 教義に反する勇者など私は認めない! 全能なるハルモ神よ――我が正道を害する者に神の鉄槌を与えたまえ――聖光の魔弾!」
「はいそうですかって訳にはいかねえだろ!」
ペッカートの右手から放たれた十数個の光弾が、侑人の周囲に絶え間なく着弾していく。アンナに匹敵するかと思われる程の魔力量を元に、次々と繰り出される魔法の威力は凄まじく、石造りの床を次々に粉砕しながら侑人を祭壇の際まで追い詰めていった。
時には岩壁を出し、時には魔法で能力を底上げした体術で避けながら、侑人は反撃に転ずる瞬間を窺う。しかしペッカートの攻撃は情け容赦とは無縁のものであり、生半可な手段では成せそうにもない。
時々石つぶてで苦し紛れの反撃を試みたが、ペッカートはその場から動かずに全てを光弾で撃ち落していく。その隙に岩壁を作成し防御を整えるのだが、即座に光弾で砕かれるといういたちごっこを繰り返していた。
自身が魔力を生成できないというハンデを抱えてはいるが、今の侑人の魔力量があればペッカートが放つ光弾と同等の威力を持つ魔法を行使する事はできる。しかし地下にある礼拝堂という環境で無作為に魔法を使用すると、魔法同士がぶつかった衝撃で崩落を招く可能性が飛躍的に高まるのだ。
しかも外に出ようにもペッカートの向こう側に階段はあり、無理やりたどり着こうとすると致命的な攻撃が身体中に襲い掛かるのは明白だった。
「くっ! このままでは」
砕け散る無数の石の破片が侑人の体中に襲い掛かり、体力を少しずつ奪っていく。大きな破片に対処する事はできるのだが、細かい破片まで全て避けるのは不可能だ。
常人以上の魔力量を誇り、魔法で底上げした驚異的な運動能力を誇る侑人だったが、明らかに分の悪い戦いを強いられていた。
ルールに縛られた試合ならば、どんなものでも理解できる能力を保持する侑人に間違いなく分がある。しかし今ここで繰り広げられているのは試合ではなく、ルール無用の殺し合いだ。
相手を殺める気のない侑人と、そうでないペッカートでは自ずと戦い方が変わり、覚悟の差がそのまま戦闘能力の差に繋がる。
しかもペッカートと比べると、侑人の実戦経験は圧倒的に不足していた。戦闘開始時の立ち位置の時点で追い詰められていた事に、侑人は気づけもしなかったのだ。
「神の為に死ね! 教義の為に死ね! 私の為に死ねー!」
ペッカートの両目に宿る光は正気の色をなくしており、少しでも油断すれば生還できそうもなかった。
もはや荘厳な雰囲気を醸しだしていた礼拝堂の面影は微塵も残っておらず、神々しかったはずのハルモ神の像は無残にも崩れ落ちている。
敬虔なハルモ教信者のペッカートらしからぬ所業ではあるが、侑人の抹殺のみを目的とした彼に躊躇はない。ペッカートの目には侑人の姿しか映っておらず、己の生死すら問題にしていないのだ。
激しさを増すペッカートの攻撃は、もはや無差別爆撃のような様相を呈している。床を抉り壁を破壊し、時には天井にも光弾が炸裂していた。
「玉砕覚悟で突っ込む訳にもいかんし――うおっ!」
目の前に崩壊した天井の一部が落下し、大小様々な石の破片が侑人に襲い掛かる。慌てて天井を見上げると、今にも崩壊しそうな石の群れが視界に飛び込んできた。
「くそったれ!」
大きめの破片を光の剣で砕きつつ、礼拝堂の崩落を防ぐ為に咄嗟に侑人は魔法を行使する。普段は壁状に作り上げ己を守る盾として使用していた土の魔法を、天井を支える柱として転用したのだ。
しかしこの行為が更なる窮地を招く。
「ぐあっ」
侑人は身体能力を魔法で強化した上で回避行動に集中し、ペッカートの猛攻を凌ぎきっていた。反撃の糸口はいまだ見つかっていないが、無駄な動きを極限まで抑えてその期を伺っていたのだ。
しかし意識が他の事に向けばその分だけ行動が遅れる。侑人が気づいた時には光弾の一つが己の鳩尾に直撃していた。
――しまった。
侑人がそう思った時には全てが遅かった。
ペッカートの強大な魔力が込められた光弾の衝撃は大きく、強制的に身体がくの字に曲げられた侑人の動きは一瞬だけ止まる。脳内に響き渡る警告音を無視して身体が反射的に酸素を求め、焦る気持ちとは裏腹に手足が上手く動かない。
そんな隙をペッカートが見逃す訳はなく、無慈悲な光弾の群れが牙を剥いて無防備な侑人に襲い掛かった。
「がっ……ぐはっ……」
頬や額、胸や腿、上半身から下半身まで分け隔てなく光弾が降り注ぎ、侑人の身体はボロ雑巾のように後ろに吹き飛ばされる。
痛覚以外の感覚が全て麻痺し、自分の身体がどうなっているのかさえ侑人には判らない。もはや侑人が口から出す音に意味はなく、痛みに反応して呻いているだけだ。
床に転がる大小の瓦礫を跳ね飛ばしながら、侑人の身体は地を転がっていく。そして自身の身体五つ分位の距離を移動した後、硬い石の塊にぶつかりその動きを止めた。
礼拝堂は久々の静寂に包まれている。荘厳な気配はもはや無く、いつ崩壊してもおかしくない荒れ果てた炭鉱のような状況だ。
「こんなもんですかね。呆気ない」
攻撃の手を止めたペッカートは冷徹な声で言い放つ。
醜悪な物を見るような蔑んだ視線の先には、祭壇らしきものに半分身体をめり込ませ、力なく座り込む侑人の姿があった。
「神の威光に逆らう者の末路など決まっているのに、愚かな事です」
「…………」
「ご理解は頂けたと思いますけど、勇者様のお考えは変わりましたか」
「…………」
ピクリとも動かない侑人に向かってペッカートは問い掛けるが、ペッカート自身はこのやり取りに重要性など見出していなかった。ハルモ教正教会の司教として、教義に背く存在に教えを説いているという形式を満たしているに過ぎない。
ペッカートにとってはハルモ教が全てであり、教義に背く存在は何者であっても明確な敵なのだ。相手が黒髪の勇者だとしても例外は一切認めない頑なな思考は、もはや狂信者と言っても過言ではない。
「こんな咎人が黒髪の勇者なんて。私は認めません」
「…………」
ペッカートは冷やかな目で侑人を見つめつつ、動向を注意深く観察している。もはや魔力の欠片さえ感じさせない侑人が再び歯向かって来るとは思えないが、相手は仮にも一度は勇者と呼ばれる存在だったのだ。
しかし侑人は微動だにしなかった。最終的にペッカートは、生死の判断までは付かないが、動けない咎人にもはや興味の欠片もないと結論付けた。
「ここは穢れてしまいました。咎人と共に封印する事に致しましょう」
そう言い捨てたペッカートは侑人を一瞥すると、視線を階段へと向けゆっくりと歩を進める。
その瞬間を侑人は見逃さなかった。
「ここだ!」
侑人は全身を襲う痛みに耐えながら、冷静に反撃の機会を伺っていたのだ。既に魔力の七割を失っている侑人に残されたチャンスは一度しかない。
意識を失ったフリをしながら魔力の放出を抑え、ペッカートが隙を見せるのを待っていたのだ。止めを刺される可能性も高かったが、危険な博打に賭けるしか手は残されていなかった。
残された魔力の半分を使って痛めつけられた身体を水の魔法で回復させると、続けざまに火の魔法で身体強化を施しペッカートに殴り掛かる。
「まっまさか動けるとは! 全能なるハルモ神よ――我が正道を害する者に神の鉄槌を与えたまえ――聖光の魔弾!」
虚を疲れたペッカートの反応は少し遅れたが、それでも咄嗟に右手に魔力を込め複数の光弾を放つ。しかし焦りのせいか軌道が定まらず、侑人の身体に掠らせるのが精一杯だった。
ペッカートが放った光弾を全てかわした侑人は、ペッカートが続けざまに魔法詠唱の姿勢を取る間に距離を詰める。魔法を行使しすぎた身体は既に限界を越えており、全身に凄まじい疲労感が襲っているがそれどころではない。
確証はないが侑人の中で一つの考えがあった。明らかに分の悪い賭けだが、正解であれば戦局をひっくり返す可能性を秘めた大きな一手だ。
これまでの戦いでペッカートは光弾を放つ以外の攻撃を仕掛けて来なかった。侑人が石つぶてを飛ばした時もその場から動かず、全て光弾で撃ち落していたのだ。
しかもペッカートの服装は華美な装飾が施された、ハルモ教正教会の司教服である。激しい動作を行う事には向いていないはずだ。
これらから推察される可能性は一つ。
ペッカートは体術を得意とせず、膨大な魔力に頼った戦いしかできないという事になる。
もはや戦術とは呼べず玉砕覚悟の特攻でしかなかったが、侑人は全ての魔力を放出しこの一瞬に賭けた。
「うおぉー!」
侑人は先ほどアンナが見せた暗黒魔法の障壁をイメージし、そのままペッカートに向かって突撃していく。魔力を限界まで搾り出したせいか身体中の関節が悲鳴を上げ、意識が飛びそうになるが、侑人はそれでも止まらなかった。
「させません! 全能なるハルモ神よ――我が正道を害する者に神の鉄槌を与えたまえ――聖光の魔弾最大出力!」
一瞬だけ早く詠唱を終わらせたペッカートの放つ複数の光弾が暗黒の障壁に炸裂し、表面が鈍い音を立ててひび割れていく。必死な形相で放ったペッカートの光弾は凄まじい威力を秘め、数秒しか障壁の効果が持ちそうにない。
パキッ
小さな音を立てて障壁が崩れ去る。しかしそれが破られる寸前に、侑人はペッカート目前に迫る事ができた。全てはこの一瞬の為の布石だったのだ。
全ての思いを込めた拳が唸りをあげ、唖然とするペッカートに襲い掛かる。
「この馬鹿野郎!」
侑人は叫びながら、硬く握り締めた右の拳を全力で叩きつける。メキッという感触と重い衝撃が右腕に襲い掛かるが、形振り構わずそのまま振りぬいた。
「ぐあ!」
ペッカートの身体は後方へと向かって勢いよく吹き飛び、半壊している石造りの扉へと激突しつつ階段まで転がり動きを止めた。
侑人の推察が正しかったのか、ペッカートは微動だにしなかった。
「何とか……なったのか……」
全身の力が抜けた侑人は、その場に膝をつきつつそう呟く。もはや視界は白く霞んでおり力が全く入らない。礼拝堂が崩壊していく音を聞きながら、侑人は意識を徐々に手放していく。
このまま倒れる訳にはいかない。自分を待っている人達がいるのだ。
そんな事を考えて侑人は自分を鼓舞するが、両脚は大地に立つ事を頑なに拒否し、身体が前に進まない。
それでも最後の力を振り絞りながら侑人は右手を伸ばす。するとその手を温かい何かが包み込んだ。
「ユート! しっかりして!」
「マ……リア……」
侑人はその言葉を発した瞬間に意識を完全に手放す。
自分を励ます心地よい声をどこか遠くで聞きながら、侑人は満面の笑みを浮かべて静かに眠っていた。
2014/2/10:改訂
2014/5/25:魔法名追加




