表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
ワーカホリック  作者: 茶ノ木蔵人
黒髪の奏でる唄
15/45

第15話:勇者と従者

 皆と力を合わせた侑人がティルト村の危機を救った翌日。

 魔力を行使しすぎたせいなのか、身体的な疲労が極限まで溜まっていた侑人は、目が覚めた後もなかなかベッドから起き上がれず、掛け布団を抱えながらうんうんと唸っていた。

 明け方に一回目が覚めた際に感じていた、全身を襲う痛みは鳴りを潜め、体調的には普段の状態に戻っているように思えたが、倦怠感に包まれた身体がいう事をきかず、なかなか立ち上がれずにいる。

 寝たままで魔力を探ると、どうやら平常時の五割程度は残っているようだ。寝る前の魔力は三割強だった記憶が侑人にはある。

 どうやら寝ている間にアンナが律儀に回復してくれていたようだが、アンナ本人の魔力が大丈夫なのか侑人は心配していた。


 バタン


「いつまで寝ておるんじゃ! ユート、もう昼過ぎじゃぞ」

「はよう……はふぅ……」


 乱暴に音をたてながら扉を開けて登場したのは、付き合いはそこそこ長い癖に直接顔を見たのは昨日が初めてという、どう説明したらよいのか判らない妙な関係に陥っているアンナだった。

 アンナは侑人と違ってかなり元気だ。アンナもマリアを伴って一晩中ティルト村を駆け巡り、所々で強大な魔法をぶっ放していたはずなのに絶好調といった様子を見せている。

 アンナは常に魔力を抑えているので、今の魔力量がどの位か侑人には判断がつかないが、晴れ晴れとした表情から察するに、どうやら心配は杞憂のようだ。


「何じゃその情けない顔は。まあそんな事はどうでもいいか。とにかくよく聞けユート、わらわは新しい事実を発見したぞ!」

「ふぁい?」


 大あくびをしている侑人を横目で見つつ、呆れながら喜ぶという器用な表情をしながら、アンナは侑人の部屋のカーテンを開け放ち窓を全開にする。

 残念な事に晴天の青空とまではいかなかったが、雲の隙間から久々の太陽が顔を覗かせていた。あれほど長く降り続いていた雨はいつの間にかやみ、爽やかな空気が部屋の中に流れ込んでくる。


「それで新しい事実って何?」

「まあ見ておれ、行くぞ!」


 アンナは侑人に声をかけると魔力を放出しふんわりと宙に浮かぶ。

 いきなり目の前で空を飛ばれた侑人はかなり驚き目を丸くする。今まで全く気づいてなかったが、アンナの背中には少し小さな黒い羽根が生えていた。


「アンナって飛べたのか!」

「今更何を驚いておる。わらわはヴァンパイア族じゃから飛翔(ウォラーレ)を使えるのは当たり前の事じゃぞ。それにこれは単なる準備じゃ。いいから黙ってみておれ」


 アンナそう言い終わると更に魔力を放出し、窓から一直線に飛び去っていく。凄まじい速度で飛んでいるアンナの姿はどんどん小さくなり、やがて視界から消え失せる。

 詳しい説明を受けないまま訳が判らない事態に巻き込まれ、呆気に取られた様子で窓の外を見つめていた侑人の頭の中に、突然アンナの声が響き渡った。


『この通りある程度離れてしまうと、ユートの中に強制的に戻されてしまうのじゃよ。距離的に言えば大体この村の端から端位じゃな』

『確かに新発見だけど……』


 口頭で説明してくれれば理解したのに、わざわざ身体を張って検証して見せたアンナの行動に苦笑しつつ、これではアンナが自由に動けない事に侑人は気づく。

 侑人の身体の中に戻ってしまう度に召喚し直せばとりあえず存在は保てるが、アンナが母国に帰ろうにもこんな状態では気軽に戻れなさそうだ。


『驚くのはまだ早いぞ。発見はもう一つあるのじゃ』


 そんな侑人の考えを気にも留めず、アンナは相変わらず明るい声で話し掛けてくる。

 明るい態度にとりあえず安心しつつも、もう一つの発見とは何かと聞こうとした侑人の目の前でとんでもない事が起きた。


「ただいま戻ったのじゃ!」

「えっ?」


 ベッドに座り込む侑人の目の前に、突如アンナが姿を現す。

 侑人は魔力を使おうとしていなかったし、そもそもアンナの姿をイメージすらしていない。召喚魔法を全く使う気がなかったのに、アンナが勝手に召喚されてしまったのだ。


「どうやらわらわの意思でも自由に出入りできるらしいの。今朝方目が覚めて散歩に行った際にいきなりユートの中に戻されたのには驚いたが、あれこれ試していたら自力で出れる事に気づいたのじゃ。とは言っても出入りにはユートの魔力を使うようじゃが、最初の時とは違い微々たるものらしいの」

「ちなみに何回試した?」


 多分三十回以上じゃと、笑顔で答えるアンナの返答を聞いた侑人は、思わず眉間を押さえて考え込む。

 今感じている身体の倦怠感は昨晩のせいではなく、今朝のアンナの暴走が原因なのかもしれない。体調が良いのに倦怠感が抜けないのは単なる魔法の使い過ぎという事か。侑人はそう考え状況を理解した。


「とまあ、わらわの発見の報告は以上じゃが、何か言いたい事はあるか?」

「出入りは一日五回以下にしてくれ」

「前向きに善処しよう。あ、そうじゃった、ヨーゼフ殿と小娘が下で呼んでいるぞ」

「着替えたら向かうからってちょっと待った。なぜ昨日はマリアを連れ歩いたんだ?」


 その問い掛けを受けたアンナはニヤリと笑う。なかなか良い質問であるぞといった素振りでアンナは頷きつつ、おもむろに口を開く。


「わらわ程ではないが小娘もなかなかの器量じゃ。美少女二人だと華があるじゃろ?」

「それって嘘だよなぁ」

「嘘ではないが真実でもないぞ」

「じゃあ真実とやらをさっさと教えてくれないか」


 侑人は付き合いが悪いのうなどとぶつくさ言いながら、アンナはマリアを引き連れた理由を語る。それはアンナが一流の魔導士だからこそできた芸当だった。

 侑人に半分の魔力を分け与えたアンナは、失った魔力を補う為にマリアが持つ魔力に目を付け、それを利用する事を考え実行に移したのだ。

 アンナが得意とする闇の魔法には相手の魔力を吸収する魔法がある。マリアにそれを説明した上でアンナは魔力を吸い取った。

 マリアが持つ魔力はアンナの半分位あるらしく、マリアの魔力を半分ほど借りる事で昨晩の魔力不足が補えたらしい。


「しかもあの小娘は小賢しい事に、魔力の回復量が凄まじいみたいじゃ。既に昨晩吸い取った分の魔力が回復しておる。この点に関してはわらわ以上じゃな。わらわでは二割程度回復させるのが限界なんじゃよ。とはいっても平常時の半分くらいの魔力が今はあるから安心せい。昨晩こそっと小娘以外にも魔力吸収(スピリトゥス)を使って、少しづつ魔力を吸い取ったからの」


 勝手に他人から魔力を吸い取った。そんな事を聞かされた侑人は頭が痛くなったが、昨晩は非常時で仕方がなかったと自分に言い聞かせる。

 アンナが居なければティルト村は無事では済まなかったはずだ。とにかく今の言葉は聞かなかった事にしようと。


「ったく……まあいいや。とにかく勝手に吸い取ったって事を俺以外に言うなよ」

「そんな事は判っておる。まあそんな事より早く来るのじゃぞ」


 アンナはこの部屋に来た時と同じ様にけたたましい音を立てながら扉を閉め、そのまま一階へ降りていく。

 少し痛む頭を両手で押さえながら何とか立ち上がった侑人は、身支度もそこそこにしてフラフラした足取りで、アンナの後を追うのであった。


「おはようございます」

「遅いぞユート!」

「体調は大丈夫かの?」

「…………」


 昼過ぎなのにおはようございますなどという挨拶をする侑人に対して、三者三様の反応が返ってくる。

 一階に降りた侑人を出迎えたのは、満面の笑みを浮かべるアンナと少し困ったような表情をしたヨーゼフ、そしてこめかみに血管を浮かべ怒りの表情で黙り込んでいるマリアの姿だった。

 ヨーゼフはマリアの顔をちらりと見て首を横に振り、アンナはその仕草を見て首を竦めて苦笑いしている。そんな二人の様子を侑人は不思議そうに眺めていたが、立ちっぱなしなのもどうかと思い直し、視線をいつもより一人増えている机に移した。

 どうやらアンナの座る椅子は来客用の物が用意されていたらしく、普段侑人が座っている定位置が空いている。それを確認した侑人は緩慢な動きでその場所へと向かい、どっこらしょとという掛け声つきで、少ししんどそうに座った。


「ユート、どういう事なのか説明してくれない?」

「あー、今まで俺の事を隠してくれたのに台無しにしちゃって、本当ごめん」


 怒りを隠さないマリアの言葉に対し、村人に正体を知られてしまうという今回の事態を招いたのは俺のせいであり、返す言葉が全くないと続けて謝る侑人。

 しかしそんな言葉を聞いたマリアは、下を向いたままプルプルと震えている。どうやら本気でお怒りのご様子だ。


「ホラント家に迷惑が掛からんようにする」

「ちっがーう! 私が聞きたいのはそんな事じゃないの!」


 今後の身の振りはしっかり考えるから安心してくれ。そう言い掛けた侑人の言葉は、マリアの怒りの言葉にかき消される。

 そんな事じゃないと言われても、これ以上の失態はないはずだと首を傾げる侑人に向かって、マリアは真っ赤な顔をして矢継ぎ早に言葉をぶつけた。


「わたしが聞きたいのは、ここにいる魔国のお姫様とどういった経緯で知り合ったのかって事と……事と……」

「事と?」


 怒り心頭なマリアはなにやら非常に言い難そうにしている。何が言いたいのかさっぱり判らない侑人は、大人しくマリアの言葉を待ったのだが、

「倒れている女の子に手を出すなんて見損なったわよ!」

「へっ!? ななな何の事だよ一体!」

 とんでもない誤解を受けている事に気づいてかなり混乱した。

 怒り続けるマリアと混乱し続ける侑人はこの後も会話を続けたのだが、冷静な思考ができなくなっているお互いの話は支離滅裂になり、二人を取り巻く状況は錯綜を極めていく。

 どこまで行っても二人の会話が噛み合わず、このままでは埒が開かないと判断したヨーゼフの取り成しによって事態が若干収束した頃には、十分程の時間が経過していた。


「マリアちょっと待って。何かかなりの誤解がある」

「誤解って何よ……でもそうねぇ、冷静に考えればユートがそんな事するはずないわよね」


 少しの時間が経ちマリアが冷静になってきた事を確認した侑人は、溜息をつきつつ事の発端であると予想される人物の方を向く。

 有力であり唯一の容疑者候補であるアンナは、慌てふためく二人の様子見ながらお腹を抱えて笑っていて、そんな姿を見た侑人は間違いなく彼女が犯人である事を確信した。


「アンナ。この二人にどういう説明をした?」

「わらわは自己紹介しながら事実を端的に述べただけじゃぞ?」


 もったいぶった素振りを見せつつアンナは一度だけ咳払いをし、マリアとヨーゼフに話した内容を侑人に向かって復唱する。


「わらわはクーラント魔国の第一王女、アンジェリーナ・ヴィヘルム・ケトラーじゃ。気を失っておったらユートに手篭めにされてしまい、離れる事ができなくなってしもうた。か弱いわらわがユートの魔の手から逃れられるよう、二人とも協力して欲しいのじゃ……そう言っただけじゃぞ?」

「やっぱ犯人はお前――痛っ!」


 侑人は驚きのあまり勢いよく椅子から立ち上がったが、その拍子に太腿を思いっきり机にぶつけてしまい、あまりの痛さに床の上でゴロゴロ転がっている。

 そんな侑人の姿を見たアンナもケラケラと大笑いしながら床の上で転がり、二人の姿を見ているマリアとヨーゼフは呆然としていた。

 やがて痛みから立ち直った侑人は、いまだに笑い転げ続けるアンナを無視して事の経緯を最初から説明していく。

 侑人の話を聞いた二人は当初、あまりにありえない話に半信半疑な様子だったが、侑人が目の前でアンナを自分の体内に戻して再度召喚してみせると、目を白黒させながらコクコクと頷いた。


「最近のユートって何でもありだよね……」

「わしも長い事生きてきて並大抵の事では驚かない自信があったのじゃが、これはさすがのわしでも想像すらできなかったわい……」


 目の前で呆気に取られている二人に向かって、再度召喚されたアンナはいつもの明るい調子で挨拶する。


「些細な行き違いで誤解を招いたようじゃが、そういう訳じゃから宜しく頼むぞ!」

「些細じゃねえだろ」

「ほんとだよね」


 侑人とマリアはアンナをジト目で見つめているが、当の本人は全く気にしていないどころか、満面の笑みを浮かべている。

 それどころかマリアに対して少し挑戦的な眼を向け、悪戯を思いついた悪ガキのような表情をして見せた。


「これで少しは自分の気持ちに気づいたじゃろ?」

「なっ!」


 マリアは耳まで真っ赤に染まった顔で椅子から立ち上がり、ユートのヌクを用意してくると皆に告げ、伏目がちになりながら早足で厨房へと向かう。その姿を見ていたヨーゼフは、何とも言い難い複雑そうな表情をしていた。

 実体を伴ったアンナを新たに加えたホラント家は、いつも以上の騒がしさに包まれている。


「なんて事を言い出すのよアンナは」


 顔どころか上半身まで真っ赤に染まったマリアは、厨房でお湯を沸かしながらブツブツと文句を呟いていた。

 侑人に対して家族としての愛情を感じている自覚はあったが、それ以上の感情を持っているのかマリアにも判っておらず、そもそもなぜあそこで取り乱してしまったのか理解できていない。色恋沙汰に興味を持った事すらなく、どういった精神状態が恋という感情に当たるのかマリアにはよく判らないのだ。

 花も恥らう年頃のマリアだが、男女関係に関する知識は皆無と言い切れるほど乏しく、ヨーゼフが侑人とマリアの関係を心配するのは、現時点では無駄な事だった。

 しかし今後どのような展開が巻き起こるのかは神のみぞ知る事であり、既に怪しい兆候が出始めている可能性も否定できず、そう考えるとヨーゼフの危惧は当たらずしも遠からずという所かもしれない。

 そんなマリアやヨーゼフの葛藤など物理法則の前では何の影響も与えず、火で暖めれば水はいずれお湯に変化するのは当たり前の事であり、マリアの目の前にある鍋の中でも沸騰したお湯ができ上がる。

 侑人のヌクを入れる為に沸かしたお湯だが、ヌクを入れるついでに三人分のヌハ茶も用意し、気を落ち着ける為に少しだけ深呼吸を繰り返して、マリアは三人の元へと戻っていった。


「色々と手を打とうとしたのだが無理そうじゃ。ユートの事はすでに村中の噂になっており、すでに村外まで噂が広がっていると考えた方が良さそうじゃ」

「ですよね……」


 マリアがリビングへとたどり着いたとき、ヨーゼフのそんな言葉が聞こえ、それを聞かされている侑人が少し沈んだ表情をしているのが見えた。

 あれだけの事があったのだから仕方ない事なのかもしれないと考えつつ、マリアは手早く全員に飲み物を配っていく。アンナの好みを聞き忘れたが、さりげなく観察して口をつけない様なら入れなおそうかなとも考えていた。


「遅かれ早かれこうなる事は判っておったから、そんな顔をするでないユート。いつまでもこの家の中に閉じ篭って、人目を避け続ける訳にはいかなかったじゃろうし、今回の件もユートが居なかったら、村は大きな被害を出しておったはずじゃ」

「そうだよユート。ユートの行動は凄く立派だったよ」


 自分の行動にもっと誇りを持った方が良いと、笑いながら侑人に語りかけるヨーゼフ。その言葉を聞いたマリアもしきりに頷いている。

 これに対してはアンナも異論などないらしく、胸の前で腕を組みながらもっともらしく頷いた後、マリアが用意してくれたヌハ茶に口をつけ、満足そうな笑みを浮かべた。


「とにかく数日の内には、セビルナ王国中に噂は広まるとわしは考えておる。下手をすれば数週間の内にはハルモ教法王庁教圏国家群どころか、マグナマテル全域に噂が広まるとも考えられる」

「まず間違いなく広がるじゃろうな」


 ヨーゼフは自身の予想を侑人に伝え、アンナも肯定の意味合いを持つ相槌を打っている。

 ハルモ教の元神官と一国の姫君という、一般の人達よりも遥かに高い教養を持つ二人の意見には非常に説得力があった。

 侑人はその他の可能性を色々と考えてみたが、最終的には二人の意見が一番現実的だということに納得し、自身が置かれている現状を理解する。


「それでのぅ、ユートには少し覚悟をしていてもらいたいのじゃが」

「国やハルモ教会が、俺に何かしてくるって事ですよね?」


 自分の言いたい事を即座に言い当てた侑人の洞察力に関心しつつも、この後どういった出来事が起こるのかまでヨーゼフに予測できるはずもない。

 とりあえず何も言わずに深く頷く事で、侑人の問いかけに対する返答の代わりとする。

 その後四人は今後の展開についてあれこれと色々な意見を交し合い、最終的な結論として状況がこれ以上悪化する事はないし、遅かれ早かれ何かの接触がそのうちあるだろうからそれまでは様子を見ると決めた。

 前向きなのか後ろ向きなのかよく判らない結論だが、こちらから黒髪の勇者はここに居ますよと喧伝しても良い事などなさそうだ。ついでにもはや隠れて生活しても無駄な足掻きになるので、侑人が姿を隠して生活するのは止めることにした。

 ちなみに会話している最中に何件かの来客があったが、後日改めて侑人自身が対応する事を約束し、他の村人達にもそれを伝えてもらった為、現在は来客も無く落ち着いた雰囲気になっている。

 そんな雰囲気の中、ヨーゼフがアンナに向かってある質問をした。クーラント魔国の姫君であるアンナを、いまいち信用仕切れていないヨーゼフは疑念を持っていたのだ。


「アンジェリーナ様は、クーラント魔国の姫君で間違いないのですかな?」

「いかにもわらわはクーラント魔国の第一王女じゃ。じゃがヨーゼフ殿はユートの恩人と聞き及んでおる。ユートの恩人であるならわらわの恩人でもあるし、わらわの事はアンナと呼び捨てで良い」


 かしこまった態度のヨーゼフに相対しても、アンナは気さくな態度を崩さない。気後れという言葉は、アンナの辞書には書かれていない様である。

 しかし気さくな態度を取っていても威厳を感じさせない訳ではなく、一国の姫として帝王学を叩き込まれたアンナの育ちの良さがにじみ出ていた。


「それはそうと、正直わらわも今の状況には困っておる。元神官であられるヨーゼフ殿の知恵をお借りしたい。この通りじゃ」

「頭をお上げ下さいアンナ殿」


 殊勝なアンナの姿を見たヨーゼフは態度を軟化させる。クーラント魔国の姫君という事でかなり警戒していたが、悪い人物には思えない。

 ヨーゼフは少しだけ考え込んだ後一度だけ小さく頷き、自身が知るハルモ教の事についてアンナに語り始める。その話の中には今回の二人が融合してしまった状況を解決できるようなものは何もなかったが、アンナはヨーゼフに対して丁寧にお礼を言いつつ、自身が今置かれている境遇に関する全ての情報をヨーゼフに伝えた。

 今まで見せていたおちゃらけた態度とは程遠い、アンナの本質を垣間見たヨーゼフは、アンナの事を信用してもよいのではないかと考え始めている。

 しかし一つだけ絶対に聞いておかなければならない大事な事があり、この返答次第で自分の態度をはっきりさせようと決意し、おもむろに口を開いた。


「ではアンナ殿に一つだけ質問があるのじゃが宜しいかな?」

「どういった内容かの?」


 ヨーゼフは少しだけ間を置く。

 アンナを見つめる目が少しだけ鋭くなっているが、アンナはそんなヨーゼフの目を正面から受け止め、目を逸らす事をしなかった。


「アンナ殿が黒髪の勇者の調査をする為にハルモ教正教会に進入したという件は先ほどお聞きしましたが、もし黒髪の勇者を発見していたらどうするおつもりだったのか……それを正直に話して欲しいのですじゃ」

「なるほどのぅ……」


 その言葉を聞いたアンナは、今までの気さくな雰囲気から一転して真面目な表情になる。

 そして少しだけ目を瞑り考え込んだ様子を見せたが、直ぐに目を開けてヨーゼフの目を真っ直ぐに見つめた。

 先ほどまでとは違い、今のアンナの姿は一国の姫君に相応しい雰囲気を纏っている。


「黒髪の勇者をもし発見できた場合、我が国の障害となるようならば、しかるべき処置を取り最悪の場合は排除する。そういった意見が魔国内で数多くあるのは事実じゃ」


 アンナの言葉を受け、辺りは緊張感に包まれる。


「わらわがハルモ教正教会に進入すると決まった時、父上からは自己判断で黒髪の勇者を排除しても構わないとも言われておった」


 その言葉を聞いたヨーゼフはかつてないほどの真剣な表情になり、マリアに至ってはアンナの顔を思いっきり睨みつけている。

 しかしそんな二人の態度の変化など何も気にせず、アンナは終始淡々とした様子を崩そうとしない。


「じゃが、わらわの本当の目的はそんなものではない」


 マリアとヨーゼフの緊張感はピークに達し、二人の唾を飲み込む音が響く。

 アンナはそんな二人の雰囲気を尻目に、少し間を空けて大きな声で周囲にこう宣言した。


「わらわは黒髪の勇者がどんな者なのか、この目で確かめたかっただけなのじゃ!」

「「…………」」


 あまりにも馬鹿らしく思えるアンナの真の目的を聞いてしまったマリアとヨーゼフは、絶句している。

 アンナの目的を前もって聞いていた侑人は、予想通りの反応だななどと思いつつ、苦笑いしながら二人を見つめていた。

 ホラント家は何ともいえない雰囲気に包まれつつ、四者四様の思惑によって静寂を保っている。

 アンナは自分の目的を語った事に満足し、マリアとヨーゼフは呆気に取られたせいで思考が止まり、そして侑人は悪戯好きのアンナの片棒を担がされた事に対する若干の後ろめたさから沈黙を守っていた。

 暫くこの空気が続くかと思われたが、ヨーゼフより先に立ち直ったマリアが、状況を打開すべく行動を開始する。

 目の前に置いてあったヌハ茶を手に取り、ゆっくりとそれに口を付け、精神を落ち着かせていくマリア。その後一連の動作を逆回しにして、机の上にヌハ茶を戻したマリアの目には、少しどころかかなり呆れた色が浮かんでいた。


「えーと、アンナは黒髪の勇者に会った後の事は、何も考えていなかったのね」

「これだから考えの浅い小娘は困るのじゃ。相手がどんな者か判らないうちに、あれこれ考えても上手く行くはずがないのじゃ」


 そんなマリアの言葉を聞いたアンナは、不機嫌そうにヌハ茶を飲みながら答える。

 アンナの挑発するような物言いに、マリアも負けじと言い返すのだが、既に建設的な意見の交換とは言えない状況に陥っていた。


「小娘って! アンナは私より一歳年下でしょ!」

「思慮深いわらわを小娘と同じだと思わないで欲しいんじゃがのぅ」

「思慮深いって……アンナの行動は考え無しっていうのよ!」

「考え無しとは何じゃ考え無しとは! 戦場ではその場の一瞬の判断が、生死を分けるんじゃぞ!」

「何も考えずに突っ走れば戦場でも死にかけるでしょうね!」

「わらわはいつも考えておる!」


 侑人の目の前で美少女同士の喧嘩が始まり、どうやって止めたら良いのか思いつかない侑人はオロオロしながらヨーゼフに視線を向ける。

 視線を向けられたヨーゼフは首を竦める事しかできず、止める事を諦めた二人の男達の前で、美少女同士の争いはどんどんヒートアップしていった。

 それから数刻後、お互いに一歩も引かない激しい攻防を繰り広げた二人は、気力を使い果たし机に突っ伏している。

 素直で温和だが基本的に活発な性格をしているマリアと、快活でサバサバしつつ物事をはっきりと言うアンナの性格はある意味似た者同士であり、負けず嫌いである事に関して完全に一致していた二人の少女の言い争いは、引き分けと言う形で幕を引いた。


「さて、今度はアンナ殿の事じゃが」

「確かに何か対策を練らないとまずそうですね」


 巻き込まれても良い事などないと判断した侑人とヨーゼフは、二人の気が済むまで完全に放置する事を選択し、部屋が静かになるのをひたすら待った。

 そして思惑通りの目的を達成したのを確認した後、二人で今後のアンナの事について話し合っている。君子危うきに近寄らずといったやつだ。


「俺自身の希望としては、アンナには目立たず大人しくして貰いたいんです。魔国とハルモ教の関係もあるので」

「わしもそれには同感なのじゃが、アンナ殿の性格を考えると、いつまでも閉じ篭っている訳にはいかないと思うがの」


 ヨーゼフの言葉で先ほどの惨状を思い出した侑人は思わず苦笑する。マリア以上のお転婆であるアンナが、大人しく引き篭もっている姿など想像できない。


「ではどうしたら良いと考えてます?」


 侑人の質問を受けてヨーゼフはしばし考える。そしてある事を思いついたヨーゼフは侑人にその考えを伝えた。


「いっその事、いまの状況を利用してしまったらどうかの?」

「今の状況を利用する?」


 ヨーゼフが侑人に語った内容を要約すれば以下の意味合いになる。

 侑人が黒髪の勇者であるという噂をもう止める事はできないので、逆に侑人が黒髪の勇者であるという噂を利用して、アンナの立場を黒髪の勇者が召喚する従者として確立してしまえば人目についても問題が無くなるのではないか。

 しかも人知を超えた存在である黒髪の勇者ならば、召喚魔法が使えても人々は不思議には思わないはずであり、黒髪の勇者の噂の中にアンナの事も混ぜてしまえば目立たなくなる。後はアンナがクーラント魔国の姫君だという事だけを上手く隠せば良いので、一番危険が少ないように思えるがどうであろうか――と。

 ヨーゼフの考えを聞いた侑人は一理あると納得し、机に突っ伏したままのアンナに問い掛ける。


「俺の従者って事になるけど、アンナはそれで良い?」

「わらわは別に構わぬ。自由に動けるならそれ位は気にしないぞ。それにわらわの顔を知るものはこの国におらんはずじゃ。だから何の問題もなく良い案だとおもうぞ」


 机に伏せたまま顔を上げる事もせず、侑人に向かって力なく手を振るアンナ。

 アンナは王族のプライドと自由に動ける事を天秤に掛け、迷いもせず後者を選択したのである。

 そしてこの日から数えて二週間後には、ハルモ教法王庁教圏国家群全域の隅々まで黒髪の勇者の噂は駆け巡り、ヨーゼフの思惑通り侑人の事と合わせてアンナの噂も広まっていった。

 小坂侑人は黒髪の勇者ユート・コサカとして、クーラント魔国の第一王女、アンジェリーナ・ヴィヘルム・ケトラーは、黒髪の勇者が召喚する従者のアンナとして、各々の立場をハルモ教法王庁教圏国家群全域で確立する事となる。


「何かは起こるとは思うが、暫くの間くらいは平穏に生活できるとよいの」

「確かにそうですよね……」


 既に冷めてしまったヌハ茶とヌクを二人同時に傾けながら、ヨーゼフと侑人がしみじみと語り合う。

 しかし二人のささやかな願いが叶ったのは本当に短い期間だけであり、既に予想もつかない方向へと運命の歯車は回り始めていた。

2014/2/10:改訂

2014/5/25:魔法名追加

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
このランキングタグは表示できません。
ランキングタグに使用できない文字列が含まれるため、非表示にしています。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ