第11話:覚醒
漆黒に包まれた森の中を、松明を手にした二人の影が走り抜ける。
一人はフードを目深に被った侑人であり、もう一人は金髪のツインテールを風に靡かせたマリアだった。
「くそ、俺のせいだ。マリアの言う通り、何をするのかだけでも聞き出すべきだった」
「しつこく聞いてもクロちゃんの性格じゃ多分教えてくれなさそうだし、過ぎちゃった事はもう仕方ないよ」
ヨーゼフとレサク村長の話に聞き耳を立て、クロウが森から帰っていない事を知った二人の行動は早かった。
厨房でおおよその事情を把握した二人は、少しの間だけ無言で見つめあいそして頷きあう。
侑人は音を立てずに裏口へと向かい、たて掛けてあった木刀を手に取り、マリアは火の消えていなかったかまどに松明を二本差し込んで火を点けた。
そしてそのまま二人で連れ立って裏庭から森へと入り、今の状況に至っている。
「このまま闇雲に探していても埒が開かない。マリアには心当たりがある?」
「私がどこで狩りをしているのか話した事があるから、私の狩場を中心に探すと良いかも」
暗い森の中で正確に場所を把握できる自信はないけど、とにかくやってみると言いながらマリアは足早に移動していく。いつの間に用意したのか弓矢の道具一式を背負っており勇ましい姿だ。
侑人はマリアの姿を横目で見ながら、周囲の気配を探ろうと意識を集中し始める。すると辺りが暗闇に包まれているにも拘らず、周辺に生息している生き物達の気配を感じられた。
「これなら行けるか……」
「どうしたの?」
いぶかしむマリアに向かって何でもないよと答えながら、侑人は周囲の気配を探り続ける。なぜこんな事ができるようになったのかは判らないが、全てが解決した後で考えればよい。
そんな事を考えつつ周囲を探り続ける侑人。しかし移動しながらでは何となく気配が感じられる所から先へと進まず、このままではどこにクロウが居るのかまでは探れそうもなかった。
「マリア、少し止まって」
「ユート?」
唇に人差し指を当てる仕草をマリアに向ける侑人。マリアは侑人の真意を察して静かに頷く。
マリアの少し荒くなった吐息だけが辺りに響き渡り、暗黒に支配された森の中は不気味と思えるほどの静寂に包まれていた。
侑人は目を瞑りさらに集中していく。聞こえていたはずのマリアの呼吸の音が遠くなり、脈動する自身の心臓の音だけが妙に大きく聞こえる。
やがてその音すら気にならないほど精神を統一した時、突然自分の周囲の状況が頭の中に映像として飛び込んできた。
「これは……」
侑人は目を瞑ったまま驚きの声を上げる。
どういう理屈なのか理解できないが、暗視カメラ越しの映像に似たモノクロの立体映像を、脳内イメージではっきりと感じる事ができたのだ。
「何かあったの?」
「何と言っていいのやら……あっ」
マリアの問い掛けに返答しようとした瞬間、突然映像にノイズが走り見えている範囲も狭まる。
意識を乱すと映像も乱れる事を瞬時に察した侑人は、気を取り直して再度集中し、そのまま周囲をくまなく探したのだが、クロウの姿を見つける事はできなかった。
「この近くにクロウは居ない」
「え? 何で判るの?」
「集中したら見えた」
「見えた? こんなに暗いのに?」
松明を周囲にかざしながらマリアは目を凝らしたのだが、暗黒の世界に閉ざされた森の中の姿を把握する事などできそうもない。
マリアは暫く首を傾げていたのだが、常人離れした侑人の能力ならそんな事もできるのかもしれないと無理矢理納得する。
侑人自身も多分魔法の一種だと結論付けたのだが、とにかく今は時間が惜しいので先へと進むのが先決だと決断した。
「マリア、次はどこに行けばいい?」
「ここからだとこっちが近いかな」
再び走り始めたマリアの後ろ姿を侑人は追う。
この森のどこかに居るクロウの姿を思い浮かべながら、侑人は再び意識を集中し始めた。
その後二人は丘を越え薮を掻き分けクロウの事を探し続けた。油断すれば自分達まで遭難する危険性はある。それでも歩みを止める事は選択肢に入らない。
そしてどの位の時間が経ったのだろうか。気がつけば天候が崩れ、シトシトと雨が降り始めていた。
先ほどから幾度となく立ち止まり、侑人は周囲の気配を探る事を繰り返している。
しかしいまだにクロウの姿を見つけ出せておらず、マリアの顔には段々と焦りの色が浮かび始めていた。
「全く……あの子はどこに居るんだろう」
「動かずじっとしてればいいけど、クロウの性格を考えると無理っぽいかなぁ」
暗闇の中がむしゃらに走り続けるクロウの姿がマリアの脳裏に浮かぶ。
泣き顔のクロウを思い浮かべてしまったマリアは、右手で頬を軽く叩いてその映像を思考から外した。
「つうかマリアは大丈夫? なんか顔色悪いよ」
「わたし? わたしは大丈夫だよ」
マリアは気丈に振舞っているが、侑人にはそうは見えない。
木陰で雨を避けているマリアは肩で息をし体力の限界を迎えつつある。松明の炎の勢いを弱めないように気を使う余裕がまだあるようだが、それも時間の問題だと思われた。
もちろん侑人も疲れを感じてはいるのだが、気を張り続ければまだまだ動けそうであり、この世界に来てからの自身の奇妙な身体状況に感謝している。
その気になれば明日の朝まで走り続ける事もできそうだが、そんな事をしたらマリアがついて来れる訳も無く、必然的にマリアの体力に合わせた休憩を取る必要が出ていた。
「足手まといになってるね。ごめんねユート」
「俺には狩場が判らないし、マリアが居なければ闇雲に森の中を探す羽目になってたと思うよ。むしろ暗い森の中に一人でいるのはちょっと怖いから凄く助かってる」
マリアは俯いている。咄嗟の理解で侑人について来てしまったが、明らかに邪魔をしている今の状況が歯がゆかったのだ。
侑人は雨に打たれて少し震えているマリアの側に近寄りそっと肩を抱く。特に何かを意識した訳ではないが、今はこうするのが一番だと思った。
マリアの言う通り侑人一人であれば、短時間でかなりの広範囲を捜索できる。
しかしマリアをここに残して一人で探しに行けば、最悪の場合マリアまで遭難する可能性があり、そんな選択をする事はできない。
マリアに負担を掛けないでクロウの捜索を続ける。そんな相反する条件を同時に満たす事はできるのだろうか。いや、できるできないは関係ない。今はやるしかないんだ。何もしなければ時だけが無駄に過ぎてしまう。
侑人はそう決意し、深く息を吸い込んでゆっくりと吐き出し呼吸を整えていく。
「やるしかないか……」
侑人はマリアの肩を抱いた姿勢のまま目を瞑り、今まで以上に深く意識を集中させていく。
やがて周囲の状況がモノクロの立体映像となって脳内に浮かび上がって来るのだが、今度はその範囲を広げるべく思考の奥底へと潜り続けていった。
「これは……一体何が起きているの?」
侑人の身体から魔力が溢れていくのをマリアは感じている。
しかも今まで侑人から感じていた魔力量から考えると、少し多すぎだと思える魔力が侑人から溢れ出していた。
「中心はここ?」
溢れる魔力の源流が侑人の胸の中心辺りにある事を察したマリアは、恐る恐るそこに触れようとしたのだが、松明を持っていない自由なはずの右手が侑人の背中側に回っていたので、手で触る事はできない。
少しの間だけ考え込んだマリアは、やがて意を決したような顔をして、頭を侑人の胸辺りに移動させてこめかみでそっと触れた。
「きゃあ!」
その瞬間、周囲を取り巻いていた漆黒の世界が大きく変化した。マリアの脳内にモノクロのイメージが沸き上がっていく。
驚きの余り今見えている深い森の映像が、自身の周囲を包んでいる暗闇の中の風景である事に暫く気づけなかった。マリアは呆然としたまま、その光景に釘付けとなっている。
侑人も意識を集中させながらかなり驚いていた。マリアがもぞもぞ動いて胸の辺りに頭を触れさせた瞬間、突然イメージが乱れたのだ。
意識を集中させると再び安定したのだが、今度は映像の質が変化し先ほどよりも少しだけ鮮明な姿を脳内に描き出している。
とは言ってもコピーペーストをひたすら繰り返したような、鬱蒼とした木々が生い茂る光景がよく見えるだけだが、それでも捜索しやすくなった事には変わりなかった。
侑人はモノクロの映像の中でひたすら捜索を続ける。驚きから立ち直ったマリアも、訳が判らないままその映像のあちらこちらに目を走らせる。
ちなみにこの時の侑人は、マリアが同じ映像を見ていることに気づいていなかった。もちろんマリアもそんな事実に気づいていない。
しかしある出来事を境にして、お互いの精神が同期状態になっている事を理解する。
「おや? ここは?」
見覚えがある場所を見つけた侑人が訝しげな声を上げる。大地にぽっかりと口を開けている、地下へと続く石造りの階段が目に映ったのだ。
侑人はこの場所がこの世界に召喚された時に降り立った、記念すべき場所である事に気づく。
そして懐かしさの余り目を止めた侑人の視界の端に、これまた懐かしい生物の姿が映りこむ。ウサギのような姿をした一角の魔物アルレプスだ。
アルレプスは侑人が初めて見た時と同じ様に、何かを視界に捕らえて威嚇しているような雰囲気だった。
いやな予感を覚えつつもその視線を追っていった侑人の目に、予想もしたくなかったとんでもない映像が飛び込んで来る。侑人は思わず息を呑んだ。
「あっ!」
「クロちゃんが居た!」
ほぼ同時に二人は声を発し、そしてそのまま全速力で走り出す。
やっとの思いでクロウを見つける事ができたが、状況は悪いを通り越えて最悪の状態に陥っていた。
「うぎゃー!」
「悪い! ちょっと先に行くぞ!」
少し先の茂みの向こう側からクロウの叫び声が聞こえ、その直後に赤い光が周囲を照らすのが見える。
間違いなくアルレプスはクロウの事を敵とみなして攻撃していた。このままではせっかくクロウを見つけた今までの苦労が水の泡だ。
後先の事を考えるのを止めた侑人は、全力でクロウの元へと急ぐ。
マリアから見た侑人の姿は人知を超えた風のような速さでどんどん遠ざかっていき、どう足掻いてみても追いつけない。
「頼んだよユート!」
マリアがそう叫ぶのと、侑人が茂みからクロウに向かって飛びついたのは同じタイミングだった。
侑人は尻餅をついて座り込んでいるクロウを抱え込み、そのまま大地を転がる。クロウを抱え込むために手放した松明はアルレプスの火球の直撃を受け、粉々に砕け散っていた。
「馬鹿やろう。苦労かけさせやがって」
「うう……怖かったよ……」
かなり動揺しているがクロウは怪我も無く無事なようだ。最悪の事態を回避できた事に対して侑人はかなり安心したのだが、危機はまだ去っていない。
半泣きになっているクロウを慰めようと頭に手を伸ばしかけた侑人の視線の端で、火球を吐き出したアルレプスの姿が見える。
反射的に地面へと手を置き、魔力を開放させて土の障壁を作り上げた瞬間、壁を一つ隔てた反対側で火球が弾け飛ぶ轟音が響き渡り、作ったばかりの土壁に小さなひびが入った。
「説教は後回しだな。クロウはここで大人しくしてろ」
土壁の強度ではあの火球を何発も防げないと理解した侑人は、自ら囮になるべくアルレプスの前に躍り出る。
クロウが隠れている土壁の前に重ねて障壁を作成し、そのまま真横に向かって十数歩分の距離を駆け抜ける侑人。移動の間に侑人の頭を目掛けて何発かの火球が放たれたのだが、少し距離が離れていた事もあり何とか回避に成功する。クロウの安全を最優先に考えた行動は、思惑通りの効果を見せていた。
しかし状況が悪い事には変わりない。アルレプスは侑人を明確な敵と見なし警戒していた。瞳は赤みを帯び体毛も逆立っている。先ほどから威嚇するような唸り声を上げ続けているので、このまま諦めてくれるようには思えないのだ。
「さてどうするかな……」
現状を打開するすべを模索し始める侑人。今の実力では、直接地面に魔力を注ぎ込み変形させてを土壁を作る形態変化魔法と、射程距離が短い小さい火球やカマイタチを作成する放出系魔法しか使えず、魔法を攻撃に使用するにはかなりの制限が出る。
全速力で走れば逃げ切れる事は経験から判っているが、マリアとクロウが一緒のこの状況で尻尾を巻いて逃げ出す事は論外だ。
だとすれば道は一つ。接近戦しかない。
侑人は腰から木刀を抜きすり足でにじり寄る。実戦はこれが初めてだが、泣き言を言っている暇などなかった。
相手の戦闘意欲を削ぐか倒しきるかの二択しか今の侑人の選択肢は存在しない。生まれて初めて命のやり取りを経験する侑人の脚は僅かに震えていた。
「いつやるか? 今でしょ!」
そんな事を叫びながら、意を決した侑人がアルレプスに飛び掛かる。クロウと共に鍛錬していた成果が出たのか、迷いのない剣筋がアルレプスの脳天に向かって吸い込まれていく。
しかしアルプレスの動きは予想以上に早かった。軽快な横の動きで侑人の攻撃を紙一重でかわすと、間髪を入れずに火球を吐き出す。だが侑人の動きも負けてはいない。
仰け反るような姿勢で無理やり火球をやり過ごすと、体勢を整えないまま力任せに刀を真横に振り浮く。かなり大雑把な剣筋だったが、アルプレスの横っ面に一撃を加えた。
「予想通りってやつかな」
侑人がアルプレスと相対するのは今回で二度目になる。一度目は訳も判らぬまま襲われ逃げ惑う事しかできなかったが、その経験が二度目の今になって生きているのだ。
戦闘行為を行うのは初めての体験だが、相手が未知なのか既知なのかという差はかなり大きく、侑人の精神状態は自分でも驚くほど冷静だった。
何をしてくるのか判らない敵が相手ならば、どうしても慎重な行動を取らざるを得ない。だがある程度予想がつく相手ならば、多少大胆な行動を取りつつ対応策を模索する事もできるのだ。
アルプレスの攻撃手段は火球を吐く、突撃するの二択である。追い詰められれば行動パターンが変化するかもしれないが、侑人に対して起こした行動は今のところ二つであり、九割以上の攻撃は火球によるものだった。
また火球にも一定の法則がある。アルプレスが火球を放つ時は、必ず正確に頭を狙ってくるのだ。しかも連発する事ができないどころか、一度火球を放つとほんの少しだけ動きが止まる。
かなり強引ではあったが、狙い通りにアルプレスが硬直している瞬間を狙い打てた侑人は少しだけ手ごたえを感じていた。
「このままパターンが変わらない保障はないけど続けるしかな――ってうお!」
アルプレスは受けたダメージを殆ど感じさせず、再び侑人に向けて火球を放つ。
侑人の攻撃は相手が人であればただでは済まない程の力をこめた一撃だったが、魔物であるアルプレスの防御力はかなり高く状況に変化はない。
火球を放つ瞬間に額の角を青く光らせるアルプレスの姿は暗い森の中では異様に目立つ為、攻撃の瞬間を察しやすい事だけが今のところ唯一の救いだ。
「何とか避けられるけどどうするか」
侑人は不規則な動きで動き回りつつ、時には土壁出して火球をやり過ごす。しかし一度攻撃を受けたアルプレスは警戒しているらしく、なかなか飛び込むタイミングが掴めない。仮に飛び込めたとしても、有効なダメージを与えられるすべを見つけられないでいるのだが。
しかし何とかアルプレスの火球を十数回連続で凌ぎつつ、打開策を考え続ける侑人の脳裏に、とある考えが浮かんだ。
「あいつ魔法の度に角が光るよな。あれで魔力を操ってるのかも」
侑人の考察は正しかった。アルプレスは額にある角に魔力を溜め、その魔力を火球に変換して外部に放っているのだ。
角を破壊して火球を無効化するのが、アルプレスとの戦闘において一番効果的で簡単な戦術なのだが、侑人はそんな知識を持ってはいない。
「多少やばいけどやるしかないか」
角の秘密に気づけたのは偶然だったが、打開策になり得る大きな発見だった。
アルプレスに近づくと火球を回避する時間が取れなくなり危険は増すが、背に腹は変えられない。攻撃する為には近寄るしかないのだ。
「当たらなければどうって事ない!」
自分を鼓舞するかのように大声で叫びながら、侑人は身を潜めていた土壁から勢いよく飛び出す。頭を少しだけ低くし、アルプレスを睨みつけながら一気に間合いを詰めていく。
侑人の叫び声を聞いたアルプレスは一瞬だけ怯んだが直ぐに攻撃を再開する。魔力を溜めた額の角が青く輝き、今までで一番大きな火球が侑人の頭に向かって放たれた。
「ここだ!」
侑人の狙いはこの瞬間だった。
左肘を脇に固定し左手に魔力を込めて風の魔法を放つ侑人。放たれた風の魔法は明後日の方向へと飛んでいくが、その反動で身体は右に流れ火球の弾道から頭を少しだけずらす。
前に向かう勢いを殺さずに火球を避ける。侑人が咄嗟に考え付いた作戦はシンプルだが危険な賭けだった。しかし今の侑人が勝つ為には必要な博打だ。
体勢を崩した最初の攻撃は殆どダメージを与えられなかった。ならば全体重を乗せた一撃をぶつけるしかないのだ。
アルプレスの放った火球は頭の左をギリギリ掠め、背後にある土壁にぶつかり大きな音を立てる。それと時を同じくして渾身の力を込めた侑人の木刀が、唸りをあげてアルプレスの脳天にある額の角に吸い込まれていく。
バキッ
しかし当たった瞬間に砕け散ったのは木刀の方だった。
「嘘っ!」
折れた木刀を唖然とした顔で見つめる侑人の目の前で、怒り狂ったアルレプスが火球を放つ。
一つ目の火球は首を捻って避け、二つ目の火球はそのまま後ろに倒れこんで回避する。そしてそのままゴロゴロと大地を転がって距離を取った侑人の視線が、再度アルレプスの姿を捕らえた時、三つ目の火球が直ぐ目の前に迫っていた。
「ちょっ!」
たまたま左手が地面に触れていたのでそのまま魔力を放出し、侑人は再び土壁を作り上げる。
何とか直撃を避ける事はできたのだが、このままの状態が続くとジリ貧である事は、誰の目から見ても明らかだった。
「参ったな……まさか武器が折れるとは……」
侑人は土壁をあちらこちらに作成しつつ、場所をこまめに移動しながら距離を稼ぐ。一箇所に留まって連続で火球を受け続けると、作成した土壁が破壊される可能性が高い。
それと合わせて念のための処置ではあるが、土壁が少しずつ重なるように作成していった。一つが壊れた瞬間にいきなり火球が直撃なんていう、最悪の事態を招く訳にはいかないのだ。
しかしいくら防御を固めたとはいえ、それだけでこの状況が解決する事はない。
相も変わらずアルレプスは怒り狂い、侑人が居る方向に向かって火球を放ち続けていた。どうやら侑人の気配を察知できるようだ。
しかしいくら狙いが侑人とはいえ、今の状態を放置すればいずれクロウが隠れている土壁が崩される恐れも出てくる。
「木じゃ駄目だったか」
侑人は折れた木刀に視線を向けた。折れた木刀をいまだに右手で持ち続けてはいたが、これで再度殴りつけても効果などない。
しかも魔法を連発したせいで身体中の関節から鈍い痛みを感じる。このまま手をこまねいていては、全員で共倒れになる可能性が飛躍的に高まってしまう。
何か打開策があれば。
侑人はそんな事を必死に考えていたが、予想外の展開が起こり思考は中断する。
「ユート平気?」
「うわっ! 何でこんな所にマリアがいるの? 早く茂みの中に隠れて!」
ふと気づけばマリアが、侑人の直ぐ側まで来ていた。
戦闘中の場所にひょっこりと現れたマリアの姿に驚いた侑人は、少し焦った様子で安全なところに非難するように伝える。しかしマリアは笑顔で首を横に振った。
「ユート一人に無理をさせる訳にはいかないよ。それにほら、あっちを見て」
「何かあったの?」
侑人の視線の先には、先ほど留まるようにと伝えた地点から移動しているクロウの姿があった。しかもかなり安全そうな場所に隠れている。
クロウは地面に開いた穴のような場所から、少し引きつった顔でこちらへ向かって手を振っていた。どうやら地下神殿の入り口の階段までたどり着けたらしい。
「ユートがアルレプスを引き付けてくれて、しかも壁をたくさん作ってくれたから移動できたんだよ」
「マリアがクロウを?」
マリアは笑顔で頷いていた。どうやらアルレプスが侑人に意識を向けている間に、マリアがクロウを迎えに行きそのまま地下神殿の入り口に移動させたらしい。
肝が据わったマリアの行動に感心しつつも侑人は苦笑いしている。とは言っても懸念事項が一つ減った事は事実であり、勇気ある行動に心から感謝した。
「そういえばマリアにもさっきの映像が見えたとか?」
「今はもう見えないけど、さっきはユートに触ったら見えたの。ユートが言ってたのはこの事だったのね」
マリアは不思議そうな顔をしながら何度も頷いている。
侑人もなぜあんな事ができたのか疑問に思い、自身の考えを巡らせようとしたのだが、今隠れている土壁に火球が炸裂した音を聞いて退避行動を再開した。
マリアの手を引いて二歩下がった地点へと移動し、おもむろに土壁を作成する侑人。
そしてそのまま三方を土壁で囲った後、侑人はその場から飛び出してアルレプスに再度対峙しようとしたのだが、その行動は咄嗟に侑人の肩を掴んだマリアによって妨害された。
「飛び出してどうするつもり?」
「勇ましく戦う……って言いたいところだけど、武器がこんなじゃ逃げ回るしかないかな」
侑人はお手上げとばかりに折れた木刀をぷらぷらと振る。
マリアはあきれ返った顔をしながら、そんな事だろうと思ったよと呟きつつ、侑人にとある考えを伝えた。
「ユート。物質化魔法の話を覚えてる?」
「えーと、マリアから魔法の基礎を教えて貰った時に、高等技術の一種であると聞かされたやつかな」
侑人の脳裏にレンガを作ろうとして失敗し続けた修行の日々が浮かぶ。
苦心の末やっと一つできたと喜んで気を抜いた瞬間、ボロボロと崩れ去ったレンガの無残な姿を忘れはしまい。
「物質化魔法がどうかした?」
「魔法で剣を作ったらどうかなと考えたの。難しい事だとは思うけど、ユートの実力ならできるかもしれない」
マリアの目は真剣そのものであった。侑人ならば必ずできると信じているのだ。
悩んでいる時間などない。この瞬間にも背後にある土壁に火球が炸裂し、土壁がビリビリと振動している。
「ユートならきっと大丈夫」
「やるしかないか」
侑人は右手で握り締めている折れた木刀を見つめる。イメージするのは剣。どんな形でも良いが、目の前の障害を切り裂けるだけの能力は欲しい。
全身の魔力を折れた木刀に注ぎ込む侑人。その脳裏にはとある一本の剣のイメージが浮かぶ。
「フォースを信じるのだ……」
「ユートの言ってる事はよく判んないけど何かすごいね」
マリアの目の前で侑人が精神を集中させていく。右手に魔力が集まっている様子がマリアには手に取るように判った。
しかも今まで侑人から感じていた魔力の量から考えると数十倍はありそうな、国に仕える魔導士に勝るとも劣らない程の膨大な魔力が侑人から溢れ出している。
魔力量は修行によって増えていくものだが、このような急激な変化はありえない。侑人の身に何が起こっているのか判らないが、今までに見た事がない出来事がこの後起こるとマリアは確信していた。
やがてマリアの目の前で折れた木刀が変化していく。ゆっくりとしたスピードだが確実に伸びていく光の柱。
そしてその長さが元の木刀とほぼ同じ長さになった時、その光の柱は更に輝きを増した。
「えーと……ユート? それは何?」
「何と言えば良いのか。簡単に言えばライトセ……じゃなかった光の剣?」
「そんな事見れば判るよ! そんな事よりその魔力は一体どうしたの?」
「俺にもさっぱり判らん」
マリアは間抜けな侑人の返答を聞いて思わず突っ込みを入れたのだが、内心ではかなり驚いていた。てっきり岩の剣でも作り上げるのかと思っていたら、基本魔法をすっ飛ばして上級魔法である光の魔法で剣を作り上げてしまったのだ。しかも一流の魔導師並の魔力を目の前で突然身につけてもいる。
侑人ならどうにかできると信じてはいたが、とんでもない事を目の前であっさりとやってのけた侑人の実力は、完全にマリアの想像の斜め上を行っていた。
「まあ、後で何をどうやったのか教えて貰うとして、それならどうにかできそうよね」
「試し斬りをしたいとこだけど、今はそうも言ってられないか」
マリアは背中に背負っていた弓矢を下ろし、真剣な目で侑人の顔を見つめる。侑人は光の剣を数回振り剣と身体の感触を確かめた後、マリアに対して深く頷いた。
威力を確かめる暇などない。身体の方もまだ何とかなる。加減すれば命まで取らないかもしれないが、そんな余裕など一切ない。侑人はそう覚悟を決める。
「今よ!」
マリアは鋭く叫ぶと土壁から上半身を踊り出させ、アルレプスに向かって矢を放つ。突然攻撃に転じた事に驚いたアルレプスは動きを一瞬だけ止めた。
その一瞬の硬直が両者の明暗を分ける。アルレプスが土壁の隙間から風のように踊り出た侑人の姿を目に捉えた時には、既に光の剣が眼前まで迫っていた。
アルレプスは苦し紛れに火球を一発だけ放つが、侑人は首を捻って紙一重でそれを避ける。頭をかすめた火球の衝撃波でフードとターバンが吹き飛ばされたが、侑人の動きは止まらなかった。
グシャ
嫌な感触が光の剣を通して右手に伝わる。ふと我に返った侑人の目の前で、アルレプスの命の炎は静かに消えた。
ここで手を下さねば自分だけでなく、マリアやクロウの身も危険に晒され続けていた事を理解している。それでも初めて他の生物の命を奪った侑人の身体は、微かに震えていた。
「よく頑張ったねユート」
「ありがと……」
マリアは目の前で震えている侑人を後ろから優しく抱きしめ、ねぎらいの言葉を掛ける。後ろから見ていたマリアには、侑人が動揺しているのがよく判ったのだ。
魔法を連発したせいでかなりの疲労を感じていた侑人は、マリアに思わず体重を預けそうになるが、頭を軽く振り自分の脚で大地を踏みしめる。
ここで甘える訳にはいかない。
戦う決断をしたのは侑人自身であり、その理解が間違っていなかったから全員が無事な姿でいられた。この結果に後悔すべき点など一つもなく、むしろ自分の決断と結果に誇りを持つべきだ。綺麗な部分にだけに目を向けて生きてきた元の世界の自分と決別しなければ、今後この世界で生きてはいけない。
そう決意してマリアに振り返った侑人の顔には、自然な笑みが浮かんでいた。
「今度一緒に狩りにでも行こうか? さすがに剣で狩りをする気にはなれないけどさ」
「ユート……。そうだね! 一緒に森に入ろう! 弓の腕前には自信があるんだ!」
いつもの調子に戻った侑人とマリアは、和やかな雰囲気で会話を続けている。降り続いている雨が全身を打つが、今はそれすら心地よく感じた。
「さて、そろそろ家に帰るか。ヨーゼフさんや村長さんがかなり心配してそうだ」
「そうだね。クロちゃんも一緒に帰るよ」
侑人は笑顔でクロウの側まで向かったのだが、クロウの様子はかなりおかしかった。
大口を開けた間抜けな表情で侑人の事を指差して固まっている。怪我をしている感じではないが、頭でも打ったのだろうか。
「クロウ? どうした? 頭でも打ったのか?」
「どうしたのクロちゃん」
侑人がクロウの肩を優しく揺すると、我に返った表情をして一言だけ言葉を発した。
「く、黒髪……」
「あっ!」
「ユート! フードが脱げてるよ!」
侑人は慌ててフードを被ってその場を誤魔化そうとしたのだが既に後の祭り。そもそもアルレプスの火球でフードが千切れていたので、隠そうとしてもできないのだが。
動揺したマリアも、これは違うの多分夢なのきっと多分そうなのよ……などと訳の判らない事を言っていたが、そんな二人を更なる予想外の事態が襲った。
「そこに誰かおるのか? もしやクロウか? よくぞ無事でってユート! それにマリアまでここにおったのか!」
「クロウがいたのですか? クロウ! 無事なら返事をし……黒髪!?」
背後の茂みから初老の男性と中年の男性の二人組みがひょっこりと姿を現す。それはクロウを探していたヨーゼフと、クロウの父であるレサク村長だった。
どうにもならない状況に追い込まれた侑人は、半笑いの表情でヨーゼフに報告する。
「すみません。正体がばれました……」
「こればかりは仕方がない事かもしれんが……」
「あははは……」
「「…………」」
微妙な空気が全員を包み込む。これからどうなってしまうのか、侑人にもマリアにもヨーゼフにも全く判らなかった。
その後侑人達一行は、森で見つけたクロウをレサク村長宅へと送り届けた。
ちなみにヨーゼフが動揺するクロウとレサク村長に対して、侑人の事を絶対に口外しないようお願いし、二人の同意を得る事に成功しているので侑人の秘密はとりあえず守られそうである。
全てを終わらせて明け方近くにホラント家にたどり着いた侑人は、着替えもそこそこに自室のベッドへ倒れこみ、そのまま深い眠りに落ちていく。
初めての命のやり取り。突然増えた魔力量。
考えるべき事は山積しているが、もはや侑人の身体は限界に近い。
「全ては明日考えれば良い……や……」
侑人の寝顔は満足げな笑みを浮かべている。明日になれば全てが元通りになるはずと侑人は楽観的に考えていたのだ。
しかし今日を境として事態はますます混迷の方向へと進んでいき、残されている安息の日々は侑人の予想以上に短かった。
2014/2/10:改訂




