第10話:悩める少年
風の月の第七週の一日。
温暖で過ごしやすい風の月も残り二週間程度で終わりを迎え、その次には雨季の季節、水の月が控えている。
ここ数日は雨も降らず穏やかな天候が続いているが、肌で感じる湿度が心なしか上がっているように思え、季節の移ろいを何となく感じさせていた。
今日のホラント家の裏庭では、もはや恒例になっている侑人が薪を割る姿と、これまた恒例になりつつある、クロウの木剣を振る姿が見える。
しかしクロウは心此処に在らずといった感じで、剣の修練に全く身が入っておらず、侑人はそのことに関して少し心配していた。
「さっきから落ち着かないけど何か気になる事でもあるのか?」
「え? ああ、何でもねえよ」
右手に持った木剣をうつろな目で眺めながらクロウはそう答えたが、誰がどう見ても普通の状態ではない。
侑人は薪割り作業を中断させると鉈を薪の束の上に置き、笑顔でクロウを手招きする。
「何があったのか判らんけど、とりあえず休憩にしよう」
「そうだな。ちょっと疲れた……」
木剣をその場で放り投げたクロウは侑人の横まで歩いていき、そのまま地面にあぐらをかきながら深い溜息をつく。
これは少し重症かもしれないなと侑人は考えつつ、どうしたものかと思案を巡らせていたのだが、頭上から明るい声で話し掛けられ思考を中断させた。
「ユート、クロちゃん。今は休憩中かな?」
「クロウが少し頑張りすぎたみたいだから暫くの間は休憩」
声の主はマリアだった。侑人の返事に対してそれなら丁度良かったと答えながら、手に持っていたお盆を薪割りの台にしていた切り株に乗せる。
お盆の上には赤いロレヌの実を乗せた小皿と、湯気が立っているヌハ茶が三つ置かれており、マリアは一つを手に取り両手で包み込みながら微笑を浮かべていた。
「あれ? クロちゃんどうかしたの?」
「へっ? いっいや! 何でもねえよ!」
クロウはかなり動揺している様子だ。かなり怪しいクロウの何でもないという言葉を聞いた侑人とマリアは、思わず顔を見合わせた。
そんな二人の姿を見たクロウは、何かを誤魔化すように慌てて別の会話を振ろうとし、あまりに露骨過ぎる態度をいぶかしんだマリアは、何事かと問い詰めようとしたのだが、雰囲気を察した侑人がマリアの肩に手を置きそれを制した。
「そういえばユートって何歳なんだ?」
「俺の歳? 十九歳になったばかりだよ」
クロウは指折り何かを数えている。指で数える数が一回十二で止まり、続いて十七で止まった。
その後十九まで数えきったクロウは一瞬だけ神妙な顔をしたのだが、わざとらしい咳払いと共に真面目な顔に戻る。
「十二と十七と十九の間に何か関係性でもあるのか?」
「なっ! ななな何でもねえよ!」
せっかく始まった会話を広げようと思い、侑人はクロウの動きで気づいた事を指摘したのだが、どうやら逆効果だったようだ。
クロウは真っ赤な顔になって侑人の指摘を否定し、今の話を打ち切ろうとしたのだが、今度はマリアが何か思いついた顔をしながら手を打った。
「クロちゃんの年が十二歳で、私の年が十七歳だから、私達の年の事じゃないかな?」
「なるほど、そういう事か」
侑人はロレヌの実を口に含みながら、クロウがなぜ年齢を数えた後に神妙な顔をしたのか推察する。
自分が絡む事には鈍感だが他人の機微に関して案外鋭い侑人は、やがて一つの結論を導き出し、クロウの頭に手を置いて優しい穏やかな目で笑いかけた。
「まあ頑張れ。相手はかなり手ごわい」
「何を頑張るってんだよ! そんなんじゃねえよ!」
その後暫くの間、マリアが何か頑張る事でもできたのかとしつこくクロウに問い掛け、クロウは顔を真っ赤にしてそれを否定する光景が繰り広げられる。そんな二人の姿を見ている侑人は笑いを堪えていた。
侑人が何を察しクロウが何を否定していたのか。その事はクロウの名誉の為にも語らないでおく。
「さて、そろそろ始めるか。待たせっぱなしってのも悪いから今度は相手するよ」
「うーん」
いつもなら目を輝かせて侑人の提案に乗るはずのクロウの歯切れがなにやら悪い。
アヒルのような口をしながら、眉間に皺を寄せて考え込んでいた。深刻な悩みがありそうだ。
「マリア。少しだけクロウと二人きりにして貰っても良い?」
「え? どうしたのユート」
侑人は男同士の秘密の話があるんだと言いながら微笑んでいる。
マリアは仲間外れにされたようで少しだけ釈然としなかったが、奇妙なクロウの様子に関わる事だろうと一人で納得し、カップを持ったままその場から離れていった。
「さて、これで二人きりだ。内緒にしておいてやるから悩みがあるなら何でも聞くぞ? まあ解決できるかは判らんけどな」
「むー」
クロウは弓がどうとか大人に言ったら反対されるかもとか、口を開けずにブツブツと呟いている。
てっきり思春期特有の悩みだと思っていた侑人は、その姿を見て少しだけ意表をつかれた。しかしクロウが何か悩みを抱えている事は事実であり、できれば解決を手伝ってあげたいと考えていたのだが、侑人の思惑通りに事は進まない。
「やっぱいいや! 心配掛けてごめん!」
「あっ! クロウ!」
勢いよく立ち上がって頭をぺこりと下げて、木剣を拾いつつそのまま走り去るクロウ。クロウの目は澄み切っており、何かの覚悟を決めたように思える。
侑人は大した言葉を掛ける事もできず、小さくなるクロウの後ろ姿を唖然とした顔で見つめる事しかできなかった。
「若いって良いなぁ……」
暫く呆然としたまま固まっていた侑人だが、そのまま空を見上げて小学校から高校までの事を思い返す。
溢れかえるほどの大きな夢を抱えて、現実という壁に考え無しにぶつかって行ける貴重な時期に差し掛かりつつあるクロウの事が、侑人には少しだけ羨ましく思えた。
「あれ? クロちゃんはどうしたの?」
「えーと、何か用事があるからもう帰るってさ」
マリアは珍しい事もあるものねと言いながら、クロウが飲み残したヌハ茶を片付ける。中に入っているヌハ茶の量は全く減っておらず、それを覗き込んで確認したマリアは首を傾げていた。
もはや珍しい事を通り越して異常事態なのではあるまいかとマリアは考え、問い詰めてでも何を悩んでいるのか聞きだした方が良いのではないかと侑人に伝える。しかし侑人の返答はマリアの予想と少し違っていた。
「何かを悩んでいるのは確かだけど、自分一人の力で解決したいっていうクロウの気持ちもよく判るんだ。本当に困っている時にはもちろん助けるけど、一人で頑張ろうと決めたことに対してあれこれ言わない方がいいと思う」
「そうは言っても何か起こった後じゃどうにもならないよ」
「多少無茶な事をするかもしれないけど、今はクロウが決めた事を見守ろうかなって」
「なんで? クロちゃんはまだ子供だよ」
頬を膨らませて抗議するマリアに向かって侑人は涼しげな眼を向けて一言だけ返す。
「それが男の子ってやつさ」
「よく判んない」
プリプリと怒りながら厨房に戻っていくマリア。黙っていたら伝わるものも伝わらないじゃないと、ブツブツ文句を言っているのが聞こえてくる。
マリアが言っている事はもっともなのだが、それでも侑人はクロウの考えを尊重してあげたかった。
「まあ、クロウの手に余る事だったら強制的に助けるけどね……」
手の掛かる弟子が何を案じているのか今は判らないが、手を貸して欲しそうだったら黙って手伝おう。
侑人は先ほどまでのクロウの姿を脳裏に浮かべながら、そんな事を考えているのだった。
その日の夕食後。
食事を終えた後の団欒の時間を利用して、侑人はマリアが調理したポトフによく似たスープの作り方を教えて貰っていた。熱心にメモまで取りながら話を聞く侑人の姿を、マリアとヨーゼフは微笑ましいものを見ているような顔で眺めている。
二人は調理の技術を新たに習得しようとしている、目の前の働き者が努力する姿に感心していたのだが、侑人の考えは少しだけ方向性が違う。
元の世界より数段不便な世界なはずなのに、マリアの調理時間は短く料理が手早くでき上がってくるので不思議に思っていたのだ。
時間短縮に何か秘密でもあるのではないかと侑人は考え、その他の仕事に応用できるのではないかという期待をしている。この努力を勉強に生かせば浪人などしなかったはずなのだが。
「今日も平和だったねぇ……」
「そうじゃなぁ……」
しかしそんなマリアとヨーゼフの言葉とは裏腹に、事態は突如一変する。
まさにいつも通りとしかいいようのない、のどかな時間が流れていたホラント家に、火急の用を伴った突然の来客が訪れたのだ。
まったりとしていた侑人は慌てて二階の自室へと戻ろうとしたのだが、その行動は間に合わなかった。
玄関へと出迎えたヨーゼフがたどり着く前に玄関扉はは乱暴な音と共に開かれ、その音を聞いた侑人は咄嗟に厨房へと駆け込み息を殺す。
遅れて厨房へとやって来たマリアが手渡してくれたターバンとフードを身に付けながら、何事が起こったのかを確認する為に耳を済ませてヨーゼフ達の会話に聞き耳を立てた。
「ヨーゼフさん! クロウは来ていませんか?」
「おお、レサク村長じゃったか。そんなに慌ててどうしたのじゃ?」
来客の正体はティルト村の村長である、レサク・ヤカブだった。
厨房に隠れているので姿を確認する事はできないが、言葉の感じから察するとかなり慌てている雰囲気だ。どうやらクロウ絡みの事らしい。
「最近ここによくお邪魔させてもらっているようですから、もしかしてと思ったのですが、やはり居ませんでしたか……」
「お、おい。ちょっと待つがよい。何があったのか聞かせては貰えんか?」
クロウがここに居ない事を聞かされたレサク村長は、そのままホラント家を後にしようとしたのだが、尋常ではない様子を察したヨーゼフが引きとめ、何があったのかを聞き出そうとする。
レサク村長は何やら呟きながら悩んでいた様子だったが、やがて何があったのかをヨーゼフに話す事を決め状況の説明を始めた。
「クロウがまだ家に戻ってきてないのです。多分森に入ったんだと思います」
「なぜそんな事が判るのじゃ?」
ヨーゼフの疑問に対してレサク村長が語った内容は次の通りだった。
ここ数日の間クロウの祖母の体調が思わしくなく、レサク村長も病に臥す母の為に精の付くものを食べさせようと、森へ狩に行ったり市場へ買い出しに赴いたりしたのだが、最近の不猟が響いてなかなか思うようには行かなかったようだ。
その事に対してクロウがかなり心配し、俺も狩に行くと言い出したのだが、まだ子供であるという事を理由に駄目だと言いきかせたらしい。
今日は村の会合があったので昼過ぎからそちらの方に顔を出し、予想以上に長引いた会議に閉口しながら先ほど帰宅したところ、クロウが帰ってこない事を家族から聞かされ、玄関先に置いてあった弓矢が消えていた事から、クロウが祖母の為に森に入ったまま戻ってこないのではないかと予想を立てたが、ひょっとするとホラント家にお邪魔しているかもしれないと思い、慌てて駆けつけたとの事である。
「そういう訳ですから私はこれから森へと探しにいきます。ご迷惑をお掛けしました」
「早まるでない。こういう時は手分けして探した方が良い。一人で森に行って万が一の事があったら話しにならん」
「いや、しかし……」
「今更水臭いぞ村長。わしはこの通り老骨の身じゃが、人探しくらいできるわい」
ヨーゼフは笑いながら胸の辺りを叩き、その姿を見たレサク村長にも笑みが戻る。
そんなレサク村長の姿を見たヨーゼフは、森の中で迷っているクロウを探すならば数が多い方が良いだろうと考え、部屋の中に居るマリアに人を集めを手伝って貰おうしたのだが、
「マリア、ちょっと来てくれんか。マリア? マリア?」
ヨーゼフの言葉は、誰も居ないホラント家に響き渡るだけだった。
2014/2/10:改訂




