ウートガルザ・ロキの城
朝日の登るアースガルズ。
ロキが広間へ行くと、
オーディンが呼びつけた。
「ロキ。
お前に招待状が来ている。
ヨトゥンヘイムからだ」
彼の知恵の噂は
王国の外まで広まっていた。
ロキは無言でそれを受け取った。
ウートガルザ・ロキ。
――これはおそらく、招待じゃない。
「城への招待だとさ」
ロキは手紙を読むと
それを指で弾いた。
「ずいぶんと丁寧だ。
余計に信用できない」
ロキは肩をすくめた。
「断れる相手か?」
オーディンは答えない。
それが答えだった。
ロキは鼻で笑う。
「随分と物騒な歓迎だな」
ロキは召使いに言った。
「トールと行くと伝えろ」
二人はヨトゥンヘイムの森の奥、
ウートガルザ・ロキの城へ向かった。
二人がその城の門を叩くと
広間へ通された。
城の主は、静かに座っていた。
痩せた男だった。
だが、その場の誰よりも重く見えた。
人懐こい笑顔を向けながら、
恭しく振る舞う彼に
ロキは不審感を募らせた。
「ようこそ、我が城へ!
よくぞおいでくださいました!
あなたのお噂は、かねがね。
実に興味深い方だと」
目だけ笑わないその男は
一瞬ニヒルな笑みを浮かべた。
ロキは言った。
「……要件はなんだ」
「つれませんねえ。
ぜひ私と勝負をしていただきたいのです」
ロキは言った。
「……我々になんの利益が?」
「おや、勝つ自信がないというので?
あれだけのお噂の方が。
アースガルズも落ちたものだ」
トールが割って入る。
「なんだと貴様!」
ロキは片手で制した。
「落ち着け。
そこまでいうなら受けて立とう」
ウートガルザは嬉々として言った。
「そうこなくては!
ではご紹介いたしましょう!
……あなた方の最初のお相手は
この“ロギ”でございます」
二人はその“ロギ”と呼ばれた男を見た。
彼は痩せていて無表情、
そして口すらも聞かない。
ロキは笑った。
「この男と?
なんの対決だ」
「大食い対決です。
城の者がご用意させていただきました」
テーブルには大量の肉が盛られており、
召使いたちがさらに次々と運び込んでいた。
――なんだ。
こんな男なら楽勝だ。
ロキとロギが食卓につくと
ウートガルザは鐘を鳴らした。
ロキは肉を裂き、食べ始めた。
このくらいの肉、何皿でもいける。
あのような男なぞ、敵じゃない。
そう思いながらロキは
隣のロギを見た。
ロギは、ただ口を動かしていた。
だが皿の上には、何も残らなかった。
骨も、汁も、痕跡すら。
ロキが肉を噛み砕く間に、
ロギはすでにその先を終えていた。
――なんなんだ?
あいつは――
ロキの前に骨と皿が大量に積み上がり、
彼の腹が限界になっても
ロギはまだ食べ続けていた。
ロキはついに手を挙げ、降参した。
ウートガルザは嬉しそうに言った。
「さすがロキ殿!
なかなかの食べっぷりでしたが
やはりうちのロギには敵いませんでしたね」
ロキは吐き捨てた。
「……次はなんだ」
「では次は力試しをいたしましょう」
すると、トールが前に出た。
「ならば俺がやろう」
ウートガルザは絨毯の上にいる猫を指さして言った。
「この猫は非常に重い猫です。
これを持ち上げられたら
あなたの勝ちです」
トールは鼻で笑った。
――猫を持ち上げろだと?
馬鹿にしやがって。
トールは猫の腹に手をかけた。
だが、猫はびくともしない。
ロキは眉を上げた。
――この対決、何かがおかしい。
トールが猫ごときを持ち上げられぬはずがない。
トールは鼻息を荒げ、
筋肉を盛り上げながら
渾身の力で猫を持ち上げようとする。
だが、猫は持ち上がるどころか
片足ほどしか地から上がらなかった。
トールはついに力尽き、降参した。
「おやおや。
この猫を片足持ち上げるとは。
お見事でした!」
トールは唸った。
「貴様…馬鹿にしてるのか」
ウートガルザは構わず言った。
「次は、飲み比べといきましょう。
この杯を空にできれば、あなたの勝ちです」
ロキは杯を受け取った。
――妙に長い。
見た目より、底が深い。
ロキは一気に傾けた。
酒が喉を通り続ける。
だが——減らない。
――まともにやってられるか。
ロキは杯を傾ける角度を変えた。
わずかに、酒が横へと流れる。
ロキは見えぬ手で掬うように、
それを別の器へと逃がす。
だが次の瞬間、
その器にも同じ酒が満ちていた。
ウートガルザは静かに笑う。
――逃げ場がない。
ロキは杯を下ろした。
「……くだらない細工だ」
ウートガルザはそれを見て笑った。
「降参でしょうね。
では、次は力比べをいたしましょう」
トールは今度こそ、と前に出た。
「では、こちらを」
ウートガルザがそう言うと、
一人の老婆が前に出た。
「……これとやれというのか?」
ウートガルザは言った。
「では降参ということですか?」
トールは黙って老婆の前に立った。
ウートガルザが鐘を鳴らす。
トールは腕を掴み、引いた。
老婆の身体は、わずかに揺れた。
――軽い。
だが、動かない。
老婆は、ただそこに立っていた。
腕を取る。
肩を入れる。
崩すはずの重心が、崩れない。
そして
押しても、引いても、
その位置は変わらない。
次に崩れたのは、トールの方だった。
トールは歯を食いしばり、
ついに手を離した。
ロキは眉を上げた。
――これはさすがにおかしい。
ウートガルザは
わざとらしく拍手をしながら
嬉々として言った。
「これはこれは
大変お疲れ様でございました。
お次は最後のお題になります」
ウートガルザは召使いに
大きな門を運ばせて来た。
「さあ、ロキ殿。
これはぜひ、あなた様にお願いしたい代物です」
ウートガルザは続けた。
「この門を通ることができたら、
あなたの勝ちです」
ロキはその門を見た。
門はわずかに開いている。
ロキは虫の姿に変身した。
門の隙間を通り抜け、
人の姿へ戻り、笑った。
「通ったぞ」
ウートガルザは眉を上げて言った。
「そのままのあなたでなければ
通ったことにはなりません」
ロキは舌打ちをした。
門はまだわずかに開いている。
ロキは門に踏み込んだ。
次の瞬間、
音もなく、門は閉じた。
遅れたのは腕だけだった。
ロキの腕から血が流れる。
「これはこれは…
大切なお客様に、大変失礼いたしました」
ロキは睨みつけて言った。
「このイカサマ野郎が」
ウートガルザは、わずかに目を細めた。
「……やはり、気づきましたか。
招いた甲斐はありましたね」
ウートガルザは続けた。
「ではタネ明かしをいたしましょう」
トールは前に出た。
「なんだと?」
「最初の“ロギ”。
あれは火です。
何物をも食らい尽くす」
ロキは眉を上げた。
「そしてあの猫は
ヨルムンガンド。
世界の重さの蛇です」
トールはミョルニルを握りしめた。
「次の酒杯。
ロキ様もなかなかやりますねえ。
あの酒杯は海と繋がっているのです。
杯がなくなることはないでしょう」
トールは言った。
「あの老婆は何者だ」
「あれは“老い”です。
勝てるはずありません」
ロキが言った。
「あの門はなんだ」
ウートガルザはニヤリとして言った。
「あれは門ではありません。
“定め”です。
変じて逃れることはできても、
本来の姿では越えられない」
ウートガルザは堪えきれず笑った。
「お楽しみいただけたようで」
トールはミョルニルを握りしめた。
「…ふざけやがって!」
トールが飛びかかる瞬間、
ウートガルザは踵を返した。
「では、ここまでにいたしましょう」
その言葉と共に、
城の気配が崩れた。
次の瞬間、大きな風とともに
城も男も消え去った。
残ったのは森の中の二人。
トールは腕を怪我したロキを連れ、
アースガルズへと戻って行った。
近くの海は
大きく波が引いていた。




