偽装の花嫁
朝のアースガルズ。
トールはベッドから起き上がると、
枕元に手をやる。
——ない。
トールは鼻息荒く、髪を振り乱し
廊を踏み鳴らしながら歩き回った。
ロキを見つけると、言った。
「ロキ、聞け。
俺のミョルニルが盗まれた」
「なんだと?」
ロキはニヤリと笑った。
「笑ってる場合か!どうする」
「巨人の仕業だろうな」
「フレイヤに鷹の羽衣を借りよう。
ヨトゥンヘイムへ行く」
そうしてロキは、
鷹の羽衣をフレイヤに借り、
巨人の国、ヨトゥンヘイムへと向かった。
“……厄介だな
だが、面白くなってきた”
ヨトゥンヘイムに降り立つと、
巨人スリュムが、馬のたてがみを整えていた。
ロキの姿を見ると、
スリュムは口元を歪めた。
「アースガルズは、騒がしいようだな」
ロキはわずかに笑う。
「耳が早いな」
「で、どうした」
ロキは返した。
「ミョルニルを探している」
スリュムは鼻で笑った。
「ああ、あれか。
手の届かぬ場所に隠してやった。
フレイヤを俺の花嫁に寄越せ。
そうすれば返してやる」
ロキは目を細めた。
「槌を返す気があるのか疑わしいな」
スリュムは鼻で笑った。
「嫌なら返さん」
ロキは肩をすくめる。
「……いいだろう」
「ただし、無事に嫁に行けるとは思うなよ」
ロキは踵を返し、
そのまま、空へと舞い上がっていった。
アースガルズに到着すると
トールとロキはフレイヤの元へ行った。
「面白い話を聞いてきた」
「ミョルニルを返してほしければ——」
「お前を花嫁に寄越せ、だとさ」
フレイヤは憤慨して言った。
「私が巨人の妻ですって?」
フレイヤは鋭く睨みつけた。
「ふざけないで」
「お断りよ!」
二人はフレイヤの屋敷から戻ると
トールが言った。
「どうするんだ」
「まあ、聞けよ」
ロキはわずかに笑った。
「お前が花嫁になって
あいつを騙してやろうぜ。」
「なんだと?
そんなことできるか!」
「そんなこと言ってる場合かよ」
「ミョルニルを取り返すんだろ?」
トールは黙り込んだ。
拳を握り、しばらく動かない。
——やがて、低く吐き捨てた。
「……やればいいんだろう」
ロキはニヤリと笑う。
そして——
トールはベールを被った花嫁の装いを纏い、
ロキは侍女に姿を変えた。
二人はヨトゥンヘイムへと向かった。
スリュムは二人を迎えて言った。
「よく来たな、花嫁よ!」
「ずいぶんと待たせてくれたな」
屋敷では、花嫁のために
盛大な祝宴が開かれた。
豪華な料理が運ばれてきた。
花嫁の前に置かれた肉の山が、
次々と消えていく。
巨人たちのざわめきが広がった。
皿は空になり、
骨が積み上がっていく。
それが一度ではなかった。
スリュムは眉をひそめた。
「……女にしては、よく食うな」
侍女は言った。
「フレイヤ様は、あなた様に焦がれ、
八夜の間、何もお召し上がりにならなかったのです」
スリュムは満足げに頷き、
花嫁に顔を寄せた。
——だが、すぐに飛び退く。
「……なんという目だ」
侍女はまた言った。
「フレイヤ様は、巨人の国に恋焦がれ、
八夜の間、一睡もなさらなかったのですよ」
「…そうか」
スリュムの口元が緩んだ。
「花嫁の祝福のために
槌を持ってきて娘の前に置け。
我らを清めてもらうのだ」
そしてミョルニルは
花嫁の手元へと置かれた。
——その瞬間、
花嫁はニヤリと笑った。
次の瞬間、
槌が振り下ろされる。
スリュムの言葉は、最後まで続かなかった。
そのまま巨体が崩れ落ちる。
——遅れて、悲鳴が上がった。
トールは立ち上がり、花嫁衣装を剥ぎ取る。
ミョルニルを掲げ、
一人、また一人。
次々に巨人を床に叩きつけていった。
侍女は、それを笑って見ていた。




