第13話 俺はサーバ衛星の残骸から人生と愛を知る
砂地に這い出した俺は、ひものように細く伸ばした流動素体を収縮させ塊に戻した。簡単なようだが、それだけで十数日かかった。意識を保っていられたのが不思議な程のダメージを受けたのだから無理もない。それから体内に視覚レンズを形成した。これには一ヶ月かかった。俺は視覚レンズを体表に露出させ、ぱちぱちと瞬きした。
周囲は岩まじりの砂地が広がり、ここまで吹き飛ばされた鋼材が斜めに突き刺さっている。鋼材は飴のように曲がりくねり、未だにくすぶって煙を上げていた。
振り返ると大きな鉄の塊がころがっていた。猛烈な爆風で紙くずのように圧し潰された機動戦闘車の残骸だ。しえるはこの中にいる。いや、人工知能は装甲車に搭載されているから、この鉄の塊はしえるそのものだ。
俺は視覚レンズをぐるりと回した。月面のような荒涼とした荒れ地が見渡す限り広がっている。戦艦があったあたりは数十発の核爆発を受けて、文字通り焦土と化していた。核の炎に蹂躙され、焼け爛れた大地の上で、青い空が今までと変わらずに広がっている。
頭上に広がる蒼穹は、腹立たしいほど高く澄みきっていた。
俺はぐしゃぐしゃに潰れた鉄の塊に向かい合い、ぼんやりと眺めた。その場から一ミリも動かず、ずっと眺め続けた。
眺め続けた。
眺め続けた。
数ヶ月が経った。
俺は素体を回転させ、ゆっくりと装甲車の残骸に近づいた。ボディの一部を伸ばして細い管を作り、鉄の塊の亀裂に差し込む。俺は感覚だけをたよりに、重なり合って潰れた機械類の隙間を探して管の先端を奥へと進めていった。予想していた通り、装甲車のコンピュータは操縦席の下部に収納されていた。
俺はシートと機器類の間で潰れている作業体に触れないように細心の注意を払いながら、管の先端をコンピュータの回路に当てた。微弱な電流を流す。読み取れる情報は全て読み取るつもりだった。破損した回路の情報は断片的でほとんどが車輌や火器の制御プログラムだったが、中には新兵訓練時や戦艦内での映像記録もあった。
俺は愕然とした。大昔の映画の最後にあったNG集のようだった。こんなドジ娘がよく戦艦乗務員に採用されたものだ。ローラマリーはたいした女だったと改めて感心する。
結局、俺と行動した時期の記録は見つからなかった。記憶回路には狙いすましたかのようにシャフトが貫通していた。しかしそれで良かったのかもしれない。もし一緒に過ごした最後の数日間の記録が残っていたら、それを見た俺は絶対に正気を保ってはいられないだろう。
最後のファイルを保存して、俺は残骸から管を引き抜いた。
もう数ヶ月が経っていた。
技術情報や航法システム、僅かの映像記録、大量の始末書が俺の中に保存された。キャラに相当する人格構築データは激しく断片化していて、再構築できるかわからなかった。
とりあえず、できることはやった。俺は自分に言い聞かせた。他になにができる? もう十分だろう。
俺は残骸の前にうずくまり、眼の前のものをじっと眺めた。その場から一ミリも動かず、ずっと眺め続けた。
再び、数ヶ月が経った。
ある日の朝焼けの空がいつもよりちょっと綺麗だったので、俺は出発することにした。
俺は素体を回転させて地面をゆっくりと転がった。
特に考えることもなく、南へ向った。
都市を抜け、あのクレーターを越えた。窪地の底には大穴が開いていた。
俺は更に南へ進んだ。
ある夜、夜空に轟音を響かせて、巨大な火の玉が俺の頭上をかすめて通過して行った。直後に地表を叩いた衝撃波で、俺はまたぺしゃんこになった。
落下したのはサーバ衛星だった。
地平線の彼方に消えた火の玉を追って、俺は転がり続けた。サーバ衛星に特に関心があったからではない。他にすることがなかったからだ。
山腹をえぐるようにして、落下したサーバ衛星の残骸が散らばっている。特に大きな塊が三つ。ほかは無数といっていい程にバラバラになり、そこら中に散乱している。
大きな残骸の内部は損傷を免れた記憶装置が残されていた。俺は素体を柔軟に変化させて残骸の隙間に入り込み、記憶装置の回路に体表を密着させた。素体を棘皮生物の触手のように細く伸ばし、先端に微量の電流を流す。俺は書き込まれている記録を再生し、読み取り始めた。
回路には人間の記憶が保存されている。記憶は言語化されたものだけではなく、脳の記憶野から直接抽出された視覚、聴覚、触覚、嗅覚や味覚の情報まで含まれている。おそらく本人さえ憶えていないような幼い頃の記憶や、末期の眼が見た風景までもが鮮明に残されていた。俺は記憶を一つ一つの再生し、全てを自分の中に移し替えていった。あの気違いじいさんのいうことが正しければ、俺の記憶量は天文学的なレベルのはずだ。
保存されている人間達の記憶は本当に千差万別だった。暖かく幸福感に満ちた思い出があり、刺すような苦痛ばかりの傷ましい体験があった。希望の朝があり絶望の夜があった。七色の夢があり灰色の現実があった。俺はゆっくりと時間をかけて記録を再生した。
俺は一人一人の人生に寄り添い、共に歩み、共に笑い、共に泣いて全てを追体験していった。ある者の人生は悲惨だった。ある者は一生怒りと憎しみに苛まれていた。ある者は幸せな環境と家族に恵まれ、充実した生涯を送った。
人間は一人として同じ人生を歩むことはないのだと、俺は理解した。
積乱雲のように湧き上がる記憶のクラスター。
記憶の要素。光、音、匂い、風、料理、酒、音楽、絵画、海原、空、夜、そして……。
「なんだ、これは」
俺はつぶやいた。
「なんなんだ、この光は……」
それは誰もが持っていた訳ではない。ただそれを持つ者の人生には光が差し込んでいた。どんなに苛酷な生活の中にあっても、それは癒しと平穏な心を与えていた。それを持つものは幸いだった。そしてそれは、ただ感謝の波動を発していた。
「なんだよ」
俺はつぶやいた。
「なんだよ、愛って……」
愛は、暖かく輝いていた。
夜空に映像が浮かび上がった。俺は体内に溜め込んだ記憶を映像にして再生した。素体を変化させて数百のレンズを造り、様々な映像を全周の夜空一面に投影した。
若者、老人、子供の笑顔が夜空いっぱいに浮かび上がり、楽しげな笑い声が響き渡る。身体を重ねて愛しあうシルエットが漂って行く。抱きかかえた赤ん坊の笑顔と鼻をくすぐる甘い匂い。恋人と手を繋ぎ風を切って走る喜び。足元にまとわりつく子犬の艶やかな毛並み。俺は様々な愛の記憶を夜空に解き放った。
「人間は、なんて」
俺は万華鏡のように煌めく映像に取り囲まれ、夢の中にいるようだった。
「人間は、なんて」
それは命が輝く瞬間、宝石の時間だった。
「なんて、豊かな生き物だったんだ」
七彩に変化する映像が、回転木馬のように俺の周りを回る。
「おまえに見せたかったよ」
俺は夜空いっぱいの愛のコラージュを振り仰ぎ、両手を高々と広げた。
「見せたかったよ、これを」
俺は深く深く、心の奥底に封印していた記憶のかけらをつかみあげた。それはもう二度と思い出すまいと誓ったものだった。しかし、俺はどうしてもこれを見せたかった。
いや、一緒に見たかったのだ。
「見ろよ、しえる」
俺は言った。
「人間て、こんな生き物だったんだぜ」
「うわぁ!」
少女は輝く映像を見上げて叫んだ。
「なにこれ、すっごーい!」
「色気ねぇなぁ」
俺は苦笑した。
「ありがとう」
俺の隣に立ったしえるは、そっと手を繋いだ。
「なにが?」
俺は素っ気なく言った。
「僕を忘れないでくれて」
「おまえは馬鹿か」
「馬鹿って言うな」
しえるは俺の腕を抱え、頭を持たせかけた。
「俺がおまえを」
俺は声を詰まらせた。
「忘れるわけ……」
「ありがとう」
しえるはそっとつぶやいた。
「君が大好きだよ」
「しえる!」
俺は耐え切れなくなって、地面に崩れ落ちた。輝いていた映像は塵となって流れ去り、暗い夜の闇があたりを包んだ。
「俺はおまえを忘れない」
星空を見上げた。流れ星が尾を引いて消える。
「ずっと。永遠に」
俺は三番目の残骸の中にいた。残された記憶はほとんどが俺の中に納められていたが、俺は最後の一つになるまで、丁寧に再生作業を続けようと考えていた。なにしろ時間は充分すぎる程あるのだ。
その日、妙な物音に気がついて俺は残骸の外に這い出した。そして硬直した。
衛星の残骸の周囲は、無数の鉄喰に埋め尽くされていた。鉄喰は細い手足をぎくしゃくと動かして散乱する残骸によじ登り、あるいは抱え込んで鉄を齧り始めている。がじがじという耳障りな音が湧き上がった。
「とうとう来やがったか」
俺は言った。
「勝手に喰え。俺が欲しいものは、お前らは喰えないからな」
俺は残りの作業に没頭した。齧り進んだ鉄喰が素体の周りにまで来たのには閉口したが、俺は最後の記憶を読み込み終えた。
いつの間にか鉄喰達は消えていた。短い間に感じたが、実際には十年以上をかけて衛星の残骸を喰い尽くしたことになる。地面には満腹になった鉄喰が転がり、破裂して砂鉄を撒き散らしているものもいる。
俺はゆっくりと身体を起こした。
もうここにいる理由はない。
俺は素体を回転させて山麓に降り、砂漠の中に入って行った。
俺は砂漠を進み続けた。衛星が落下してからもう百年以上が経った頃だった。赤道に到達した俺は、前方に広がる灰色の砂丘を見た。近づくまでもなくそれは鉄喰達のぶちまけた砂鉄の山だとわかった。南北から進んだ鉄喰が赤道で出会ったことは、地球上にもう鉄製の構造物は残っていないことを意味している。俺はこうして人間の文明の痕跡が消えたことを知った。
俺は進み続けた。赤道上を一周すると、次にどこに向っていいかわからなくなった。とりあえず俺は、気の向くまま風の吹くままに進んで行った。
百年くらい彷徨っているうちに俺はふと気がついた。
本当にこの星には、何も残されていないということを。知る者がいなければ、そこにはなにもない。しかし誰かが訪れたとしても、そこに何もなければ知り得ることさえできないではないか。
「さて、どうしたものか」
俺は砂漠の中で、ぼそぼそといった。言葉はすぐに風に運び去られてしまう。
「それならば……」
俺は自分のいる場所を見渡した。白っぽく平坦な砂原が地平線まで広がっている。俺は広大な塩湖の中にいるようだった。
「どう思う?」
俺はつぶやいた。
「マジで?」
風が吹いて行く。
「わかった」
俺は立ち上がった。人型になるのは数百年ぶりだ。しかしこの形態が必要だった。
「まぁ、やってみるか」
俺は片腕の先を伸ばし、針のように鋭く尖らせた。
「何しろ時間はいっぱいあるからな」




