2 僕の日常
「プシュ」という電子音と共に、視界を覆っていた暗闇が晴れていく。 重たいVRデバイスを外すと、そこには慣れ親しんだ僕の部屋の天井と──
「ユウ!! け、結果は!?」
1つ年上の幼馴染──僕にとっては姉のような存在『エレ』の必死の表情があった。
今日はいよいよリザに挑むだろうとは言ってはいたけれど、ずっと横で待機していたんかい。
「結果……結果、か……」
「お、おい! なんだその顔は……もしかして、ダメだったのか?」
言いづらそうに視線を逸らす僕を見て、エレの顔にパァァッと希望の光が差していく。
性格がすごく悪い。
このゲームは元々エレが持ってきたものだ。自分がどうしても倒せなかった、赤の魔人リザの攻略動画を頼まれていたんだ。
「そ、そうだよな! 流石のユウもあの女には勝てなかったか! あーっはッは! 悪い悪い、さ、対策を練ろうか」
だというのにこの嬉しそうな表情……もったいぶってよかったよ。
エレが何度挑戦しても倒すことが出来なくて、サービス終了が間近に迫ったことでようやく──ダメ元で僕達幼馴染に攻略の糸口を頼んできた、病的な負けず嫌い。
自分が出来なかった事を、一発でクリアされるなどあってはならない事なのだろう。
「──どうした? まだコンティニュー回数は残ってるんだろ? まさか諦め──」
「勝ったよ。はいこれ、録画データ──」
「ああああああああああああああああああああああっ!!」
慟哭が、寮中に響く。
驚く間もなくエレはその場に崩れ落ち、両手で頭を掻き毟る。
おそらくこの展開もどこかで予想していたのだろう。その姿はもはや狂気の域。
僕が必死になって頑張れた理由がこれだ……そう、これなんだよ……!
子供の頃からどんなスポーツでも突き抜けてしまう『天才』エレ。
そんな彼女にあらゆる事で負け続けた僕は、元々持っていた特技を徹底的に磨いた。
だけど滅多に勝つことが出来なくて……この女の得意げな顔は、それはもううっざくて……!!
そんなエレが勝てない相手を見てみたい気持ちもあったけど、本命はこっち──この優越感は……何度味わっても癖になる!!
「まあ? やっぱり結構手強かっ──」
「ああああああああああああああああああああああああっ!!」
「…………いや、エレ」
ただ今回はちょっと異常だな……まあ、それだけどうしようもない相手だったんだろうけど。
いつものお返しに目一杯マウント取ってやろうと考えていたけれど、流石にここまでになったエレにする気にはなれない。
「……うるせえと思ったら、この馬鹿。なんてことになってんだよお前は」
ノックもなしに部屋に現れたのはエレの弟『MO』だ。
相変わらず姉同様、見た目は完璧に整っている。
「オ! ユウ勝ったんだな!」
続いて現れたのは、『ピースケ』
190センチの巨体が入口でつっかえそうになっている。筋トレが趣味の暑苦しい男。
「何とかしてよこれ……」
「ほっとけよもう。それよりどうだったんだ? やっぱ強かったんか?」
「いやうるさくて」
良かったよ、隣の部屋に住んでいるのがこの2人で。じゃなかったらクレームがとんでもない事になっていそうだ。
「強いというより理不尽でさぁ~」
人を騙す事も出来ない単調なAIでもなんとか強敵感を出したかったのかな。
あの馬鹿みたいなステータスと攻撃範囲は完全に調整ミスだと思う。
「──そうだ、あれは明らかな運営のミスなんだ……一つだってクリア報告がないんだぞ? なのに叔母はそんな事も認められずにあんな狂った敵を──」
「ア? でもコイツは勝てたんだろ?」
「ま、まあ人違いだろうな。初見撃破なんて……ふ、馬鹿馬鹿しい」
うーん、この見苦しさがいつ見ても気持ちいい。
こういうのを見ると、このゲームを作ったのがエレ達の──『九條』の血筋であると強く実感してしまう。
あらゆる分野で突出している為か、超エリート意識と選民思想にどっぷり浸かった困った一族。
僕とピースケと接してきたこの姉弟ですら、最近ようやく『謝罪』を覚えたくらいで、まあ……ミスなんて認める訳がない。
「そんじゃあ見てみようぜ。録画はしてきたんだろ?」
「苦労したよ。でもせっかくだし評判良かったら動画サイトにも上げようと思っててさ。意見も聞かせてよ」
「ほー、いいじゃねェか。ここに差せばいいんだよな」
二人も気になってるのか積極的に手伝ってくれる。
既に二人もこのゲームには挑戦済みで、一足先に脱落したからってのもあるだろう。
「それじゃあ再生するけど──エレはちゃんと参考にするんだよ」
「……ッ!」
「歯ぎしりで返すのは怖いよ……」
ちょっとした冗談も地雷みたい。さっさと再生してしまおう。
♢
1時間ほど経って動画が終わる。
こんな長時間、我ながらよくやったと思う。
「…………」
「…………」
「…………」
そんな僕の勇姿に、みんなの反応が気になって仕方ないのに誰もが言葉を発しない。
「ねー、みんなどうし──」
「ユウ、すまんな。保護者である私と母が、しっかりと倫理観を教えられなかったばっかりに……」
突然の謝罪!? なんで!?
「いや僕2人には心の底から感謝しかしてないよ!? お陰様で、僕はこうしてのびのび育つことが出来ました」
「ゆ、ユウ……ありがとう」
「そうやって甘やかすから倫理バグったまんまなんだけどな。
つかユウ! 人の動きパクんなっつってあったろ! あの加速出すのにどれだけ苦労したか分かってんのか!?」
「あ……それはごめんなさい。つい……」
MOの小柄な体で、足の速さ全国トップクラスの身体の動かし方は正にチビの理想。
どうしても負けたくなかった僕は、特技を使って勝手に借りてしまっていた。
「危険が迫ってない時以外は禁止! いいな!?」
「本当に、すみませんでした!」
それでもこういう許可が出る所はMOも甘いと思う。
「はえー、にしてもユウの特技ってマジで凄かったんだな。しょうもない事にしか使わねェからここまでとは知らんかったわ」
「……ピースケぇ……」
流石は器も身体も大きな男。でもそこはしょうもない事にも使える汎用性も褒めて欲しかった。
「でもさ、なんであんなにお粗末なAIなの? 『九條』が絡んでてあんなの出すと思えないんだけど」
そう、僕が部下を雑に扱えた一番の原因。そもそも誰も人間だとは思えなかったんだよ。
「いや、元々ゲーム用にAIは用意してたらしいぞ。それもとんでもないのが」
エレはそう言って事情を説明してくれる。
はー、VR世界でAI同士を擬似交配させてAIが育てる工程を何世代も繰り返す事で、ほとんど『人間と変わらないAI』を作った、ね。
なるほど……頭がおかしくなりそうだ。
「ちなみに実装されてなかった理由は……?」
「剣と魔法と魔物がいる無法地帯が舞台で、人間の思考だとエログロだらけのとんでもねー事になるんだと。真相は知らね」
「……九條は本当に、人の心を学ぶべきだね」
AIに教えてる場合じゃないだろ図々しいなぁっ!
「──さて、リザの行動パターンも切り札も知れた事だ。私も挑戦しに行ってくるが──ユウは本当にいいのか? アカウントを作り変える事になるが」
「あーもう全然いいよ。それより僕はこの動画アップしに行きたい」
「…………顔にモザイク忘れんなよ」
「大丈夫だって、ありがとね!」
伊達に何年もクラスで孤立してない。
これが嫌われる所なんだろうなってのは、結構分かるもんだから。
──なんて、軽く考えていた僕は本当に馬鹿だったと、数ヶ月経った今なら思う。
この開発者がヤバい事はここで聞いていた筈なのに。
このゲームが世界中から馬鹿にされたまま終わろうとしている屈辱に、耐えられる一族じゃないのに……
『九條』の事を誰より知ってる僕は、ネットの炎上なんかよりこっちを警戒しなきゃいけなかったんだ……




