第五話
男なんて、嫌いだ。
物心ついた時から、店にやってくる男たちは、いつも私を品定めするような目で見ていた。
学校でもそう。数が少ないのをいいことに、自分が選ぶ側だと勘違いしている奴らばかり。
中学の時なんて、最悪だった。
『黒崎さんってさ、いつも一人で本読んでるよな。暗いんじゃね? 俺が話してやろうか?』
思い出しただけで、吐気がする。
あの見下すような視線も、哀れむような声色も、全部。
だから私は、男とは必要最低限しか関わらないと決めていた。
放課後、私は駅前の大型書店にいた。
目的は一冊。ずっと探していた、少しマイナーな作家の文庫本だ。アプリで在庫を確認したら、この店に「残り一冊」と表示されていた。
(あった……!)
逸る気持ちを抑え、目的の棚へ向かうと、確かにその本はあった。
――あった、のだけど。
「……高すぎ」
一番上の棚。私の身長では、どう背伸びしたって届かない。
私が諦めかけた、その時だった。
すっと、私の隣に影が差した。
見ると、私とは違う制服を着た、見知らぬ男の子が立っていた。
私がイラつきと警戒心で固まっていると、彼は何も言わずに、ひょい、と手を伸ばした。
そして、私がずっと見上げていたその本を、いとも簡単に抜き取ったのだ。
「これ、探してました?」
彼は、私に本を差し出しながら、人の好さそうな笑顔を浮かべた。
下心も、恩着せがましさも、何もない。
「……どうも」
ぶっきらぼうにそう言って本を受け取ると、彼はその本の背表紙を見て、ぱあっと顔を輝かせた。
「あ! この本、面白いですよね!」
「……え?」
「この主人公の最後の決断、賛否両論あるみたいですけど、俺はめっちゃ好きです」
――どくん、と心臓が大きく跳ねた。
誰も分かってくれなかった、私だけの宝物のような物語の良さを、この人は、分かってくれる。
気づけば私は、夢中で彼と語り合っていた。
「じゃ、俺、こっちなんで。あ、そうだ。本、詳しそうだし、もしまたどこかで会ったら、おすすめ教えてくださいね」
彼は屈託なくそう言うと、私にひらりと手を振って、雑踏の中へと消えていく。
一人、その場に残されて、私はまだ温かい気がする文庫本を、ぎゅっと胸に抱きしめた。
顔が、熱い。心臓が、さっきからずっと、うるさい。
その数日後。奇跡は、父さんが営む喫茶店で起こった。
カウンターで数学の問題集とにらめっこしていると、カラン、というドアベルの音と共に、聞き覚えのある声がした。
「マスター、どうも。今日、空いてますか?」
見ると、あの時の、男の子だった。
私は気づかないフリを決め込み、問題集に視線を落とす。
まさか、こんな場所で再会するなんて。
「お、雫。またその問題で唸ってるのか? お前、本当に数学できないんだな」
「……うるさい」
デリカシーのない父さんの言葉に、苛立ちが募る。
すると父さんは、何かを思いついたように、彼の方を向いた。
「そうだ、陽太くん! あんた、確か頭良かったよな? うちの娘に、ちょっと勉強教えてやってくれねえか?」
「……ちょっと、父さん!」
私が咎める声などお構いなしに、彼は目を輝かせてこちらを見た。
「え? あ、この前の……! うわ、奇遇だな! ここ、黒崎さんの店だったのか!」
彼は私のことにも気づくと、驚いたように目を丸くした後、嬉しそうに笑った。
その笑顔に、また心臓がうるさくなるのを必死で無視する。
「数学? いいぜ、俺でよければ。得意だし」
「ほら見ろ、雫。よかったじゃないか」
「……勝手に決めないで」
私が低い声で言っても、彼は全く気にする素振りを見せない。
「まあまあ、そう言わずに。赤点取るよりはいいだろ? ほら、隣、失礼しますよっと」
彼は当然のように、私の隣のスツールに腰を下ろした。
その日から、週に数回、彼が店に来て、私に勉強を教えるという奇妙な関係が始まった。
名前は、橘陽太というらしい。
私とは違う高校に通う、同い年。
「黒崎って、本当に頭いいよな。数学以外」
ある日、彼がふとそう言うと、私はカチンときた。
「……どういう意味」
「いや、だって、本のこともそうだし、他の教科も結構できるだろ? なのに、数学だけ壊滅的なの、逆に面白いなって」
その、あまりにも裏表のない物言いに、私は息を呑んだ。
そうだ。彼は、私を馬鹿にしているわけじゃない。
ただ、思ったことを、素直に口にしているだけなんだ。
私が今まで出会ってきた、ねじくれた男たちとは、根本から違う。
その時、私は確信した。
(――運命だ)
本屋での、あの奇跡のような出会い。
そして、この店での、偶然の再会。
全部、この人と出会うために、用意されていたんじゃないか。
そう思わずにはいられなかった。
「……どうした、黒崎? フリーズしてるぞ」
不思議そうに私を覗き込む彼に、私は首を横に振る。
「……なんでもない」
顔が、熱い。
でも、もうこの感情から、逃げることはできない。
男なんて嫌いだと思っていた。
でも、彼――橘陽太だけは。
この人だけは、「特別」なんだと、私の心が叫んでいた。
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