第三話
喫茶店からの帰り道。すっかり暗くなった夜道を歩き、自宅のドアを開ける。リビングのソファでは、スマホをいじっていた姉さんが、じろりとこちらを睨んだ。
「陽太、おかえり。ずいぶん遅かったじゃない」
「ただいま。友達と勉強してたら、つい」
「変な女に絡まれなかったでしょうね? あんた、そういうの鈍いんだから」
「大丈夫だって。ただの勉強会だよ」
やれやれと肩をすくめ、俺は小言を背中で受け流しながら自室へ直行する。制服を脱いで楽なスウェットに着替えていると、リビングから姉さんの声が飛んできた。
「ご飯できてるわよ! さっさと食べちゃいなさい!」
食後、俺は自室に戻ると、お決まりのコースでPCデスクの前に座った。
PCを起動し、いつものMMORPGにログインする。キャラクター名は『Hiyota』。特に捻りもない安直な名前だ。
フレンドリストを開くと、朝にメッセージをくれたフレンド――『Yuki』がログインしているのを確認できた。
『おつー。昨日はサンキュな!』
チャットを送ると、すぐに返事が来た。
『Hiyotaさん、お疲れ様です! こちらこそ!』
Yukiとはこのゲームを始めた初期からの付き合いだ。アバターは銀髪ロングのヒーラーで、いつも俺のタンク役を完璧にサポートしてくれる。俺たちは挨拶もそこそこに、いつものように二人で高難度ダンジョンへと潜っていった。
一時間ほどの攻略を終え、街の広場で戦利品を整理しながら雑談する。息の合ったプレイの後の一息は、格別だ。
ふと、俺は前々から考えていたことを口にした。
『なあ、Yuki。このクラン、もう少し人増やさない? 二人だけだと、イベントとかキツイ時あるしさ』
俺たちが作ったクラン『月の揺りかご』は、結成以来ずっと二人きりだった。それでも特に不便はなかったが、最近実装された大規模レイドは、さすがに二人ではどうにもならない。
軽い気持ちでの提案だった。しかし、その瞬間、Yukiのチャットがぴたりと止んだ。
回線落ちでもしたのか?そう思った直後。
チャット欄が、恐ろしい速さで無機質な文字列に埋め尽くされていく。
『どうしてですか』
『今のままじゃだめなんですか』
『私が弱いからですか』
『他の人が必要なんですか』
『Hiyotaさんの隣は私だけじゃ不満なんですか』
『二人だけのほうが楽しいじゃないですか』
『いらないですよね他の人なんて』
感情が一切感じられない、平坦な文字の羅列。俺は背筋に冷たいものが走るのを感じた。
(やばい、なんか地雷踏んだ!)
俺は慌ててキーボードを叩く。
『いや! ちがうちがう! そういうわけじゃないって!』
『Yukiと二人でやるのが一番楽しいのは当たり前じゃん! ただ、ほら、たまには大規模なレイドとかもやってみたくてさ!』
『でもまあ、Yukiが嫌ならいいや! 今のままが一番だよな!』
必死のフォロー。しばらくの沈黙が、やけに長く感じられる。
やがて、ぽつりと返事が来た。
『……ほんとですか? 私と二人で満足してくれますか?』
『ほんとほんと! マジで!』
『……なら、いいです。これからも二人で頑張りましょうね』
さっきまでの無機質な文章が嘘のように、普段通りの丁寧な口調に戻っていた。
俺は全身の力が抜けるのを感じながら、大きく息を吐く。
「あぶねえ……」
その後、何事もなかったかのように一時間ほど狩りをして、解散の時間になった。
『すみません、私、そろそろ落ちますね。この後、用事があるので』
『おう、おつー。またな』
腕を伸ばして大きく欠伸をする。
「いつもこのくらいの時間だよな。一体、こんな夜中から何してんだろ……?」
そう呟いた瞬間、自室のドアがバンッ!と開いた。
「陽太! あんた、いつまでゲームやってるの! さっさとお風呂入って寝なさい!」
「うわっ、はいはい!」
仁王立ちする姉さんに、俺は慌ててPCをシャットダウンし、部屋を飛び出した。
薄暗い部屋。PCモニターの光だけが、少女の顔を照らしている。壁は防音仕様。デスクには、高性能なコンデンサーマイクとオーディオインターフェースが鎮座していた。
彼女――Yukiは、ヘッドセットを外し、ふぅ、と満足げなため息をつく。
「……楽しかった」
画面には、Hiyotaとのチャットログが残っている。うっとりとそれを眺め、彼女は小さく呟いた。
「いつかはボイスチャットも、してみたいなあ……」
でも、とすぐに思い直す。こういうゲームでいきなり中の人の情報を持ち出すのは、マナー違反。みんなゲームの中のキャラクターとして楽しんでいるのだから、それを壊すようなことはしちゃいけない。
「でも、Hiyotaさんからなら……もし誘ってくれたら……」
そこまで考えて、彼女は自分の甘い期待にぞっとしたように、ぶんぶんと首を横に振った。
「ううん、無理無理無理! もし断られたり、気まずい空気になったりしたら、私、もう二度とこの世界にログインできないもん……!」
気を取り直すように一つ咳払いをすると、彼女は再び画面に向き合った。
「それにしても、Hiyotaさん……びっくりした。急に他の人を増やすなんて言うから……」
独り言を呟き、少し眉をひそめる。
「でも、わかってくれてよかった。この『月の揺りかご』は、私とHiyotaさんだけの聖域なんだから……誰にも、邪魔させない」
うっとりと、恍惚の表情を浮かべた彼女は、はっとして時計を確認した。
「まずいまずい、もうこんな時間!」
少女は手早くリップを塗りなおし、別のモニターに表示された美しい銀髪のLive2Dモデルを操作する。
配信ソフトの「配信開始」ボタンをクリックした。
「こんしら~! みんな、待たせちゃったかな? あなたの夜を照らすお月様、道雪しらべだよ~!」
マイクに乗った甘く透き通る声と共に、コメント欄が凄まじい勢いで流れ始め、高額のスーパーチャット通知がけたたましく鳴り響く。
チャンネル登録者数70万人。今をときめく超人気VTuber、道雪しらべは、満面の笑みでリスナーたちに語りかけるのだった。
最後までお付き合いいただき、本当にありがとうございます!
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ヒロインは出そろいました。上手くいけば八時ぐらいにもう一話出します!お楽しみに!