表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

15/15

第十五話

あれから数日。

プレッシャーは、日増しに強くなる一方だった。

大型コラボの台本は何度も書き直させられ、ダンスレッスンでは振りを間違えてばかり。マネージャーからはため息をつかれ、同期からは心配そうな、でもどこか憐れむような目で見られる。


家に帰っても、待っているのはアンチコメントの巡回と、次の配信への不安だけ。

心が、悲鳴を上げていた。

もう、限界だった。


そんな時、私の頭に浮かぶのは、たった一人のヒーローの顔――いや、名前だけだった。


『ボイスチャット、繋いでみねえ?』


あの日の彼の言葉が、何度も何度も、頭の中で繰り返される。

ダメだ、そんなこと。絶対に、ダメ。

でも、もう、一人でいるのが、耐えられない。

誰かの声が聞きたい。ううん、違う。


「Hiyotaさんの声が、聞きたい……」


ぽつりと、自分でも驚くような本音が、唇からこぼれ落ちた。

そう自覚してしまったら、もう、止まれなかった。


深夜。私は震える指でゲームにログインし、フレンドリストを開く。

彼の名前は、緑色に光っていた。ログインしている。

私は意を決して、彼がいるという辺境のフィールドへと飛んだ。


月明かりだけが照らす、静かな丘の上。

彼は一人、景色を眺めるように、そこに佇んでいた。


私は、彼の少し後ろにそっと立つ。

チャットウィンドウを開き、何度も文字を打っては、消した。

心臓が、痛いくらいに速く脈打っている。

でも、ここで逃げたら、私はきっと、本当に壊れてしまう。


『……Hiyotaさん、こんばんは』


『お、Yukiか。どうしたんだ、こんな時間に』


彼のチャットは、いつもと変わらず穏やかだった。

私は深呼吸を一つすると、この数日間、ずっと考えていた言葉を、打ち込んだ。


『……お願いが、あります』

『この前のこと、ごめんなさい。……ボイスチャットは、できません』

『でも、もし、もしよかったら……』

『Hiyotaさんの声だけを、少しだけ、聞かせてもらえませんか……?』

『私は、話せません。……聞いている、だけ、ですけど……』


それは、ルール違反と自分のプライドの間で考え出した、精一杯のSOSだった。

気持ち悪いと、思われたかもしれない。面倒な奴だと、愛想を尽かされたかもしれない。


数秒の沈黙が、永遠のように感じられた。


『なんだ、そんなことか。おう、いいぜ』


彼の返事は、あまりにも、あっけらかんとしていた。

拍子抜けするくらい、優しいその文字に、視界が滲む。


すぐに、画面の端にボイスチャットの招待通知が表示された。

私は震える指で、その「承認」ボタンをクリックした。

ヘッドセットを、ぎゅっと握りしめる。


『もしもし、聞こえるか? Yuki』


――どくん。

心臓が、大きく跳ねた。

ヘッドセットから聞こえてきたのは、私が想像していたよりも少しだけ低くて、落ち着いた、男の子の声だった。


え、男の人……?

今まで、名前やアバターから、勝手に同性の人だと思い込んでいた。

その事実に、私の頭は真っ白になる。


『あれ? Yuki? 聞こえてっかな?』


「……あ」

思わず、声が漏れた。


しまった、と慌てて口を押さえる。


『おお、なんか声聞こえたような? まあいいや。聞こえてるなら、なんかスタンプでも送ってくれ』


彼の言葉に、私は慌てて、ぺこりとお辞儀をするスタンプを送った。

どうしよう。男の人だったなんて。

でも、不思議と、嫌な感じは少しもしなかった。むしろ……。


「……なんか、安心する、声……」


ぽつりと呟いた独り言は、マイクが拾うことはない。


そこから、二人だけの、不思議な時間が始まった。

彼は、私が何も話さないのを気にするでもなく、一方的に、楽しそうに話をしてくれた。

学校であったくだらない話。最近ハマっている漫画の話。このゲームの思い出話。

彼の話は、取り留めもないけれど、とても優しくて、温かかった。


「……って、わりい、俺ばっか喋ってるな。なんかさ、Yukiが黙って聞いてくれてるって思うと、安心して、つい調子乗っちまうわ」


照れくさそうに笑う彼の声が、ヘッドセットを通して、直接私の心に響く。

私は何も話さない。ただ、彼の声に、耳を澄ませる。

コメントや数字に評価されるための声じゃない。私を値踏みする声でもない。

ただ、私だけのために届けられる、温かい声。

それだけで、張り詰めていた心の糸が、ゆっくりと解けていくのを感じた。


涙が、止まらなかった。

でも、それは、悲しい涙じゃなかった。


しばらくして、彼の話が途切れたタイミングで、私はチャットを打った。


『ありがとう、ございました。……もう、大丈夫です』


『そっか。なら、よかった』


彼の優しい声に送られて、私はボイスチャットを切った。

しん、と静まり返った部屋。

でも、さっきまでの孤独感は、どこにもなかった。

耳の奥に、まだ彼の声が、温かく残っている。


彼の声は、ボロボロだった私の心を優しく包み込む、世界で一番効く、薬になった。


そして、私は、この時、はっきりと自覚してしまったのだ。

Hiyotaさんへのこの気持ちが、ただの憧れや尊敬なんかじゃない、もっとずっと甘くて、どうしようもないくらい特別なものなんだってことを。

最後までお付き合いいただき、本当にありがとうございます!


少しでも「面白いな」「続きが気になるな」と思っていただけたら、ぜひ下の評価ボタン(★★★★★)をポチッと押して応援していただけると、作者がめちゃくちゃ喜びます。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ