第一話
貞操観念逆転世界。
そんなSFみたいな設定が、俺の日常になって早二ヶ月が過ぎた。結論から言えば、まあ、なんとかなっている。
女性の方が力が強く、社会的に優位。痴漢の犯人もストーカーも、その大半が女。最初は面食らったが、要は元の世界の「女の子」みたいに、ちょっとだけ身辺に気を付けていればいい。そう割り切れば、案外普通の高校生活が送れるものだ。
「ん……もう朝か」
カーテンの隙間から差し込む光で目を覚ます。俺――相川陽太はベッドから這い出し、制服に着替える。眠い目をこすりながらリビングのドアを開けた。
「陽太、あんたまたその寝癖!だらしないわよ!」
ソファでニュースを見ていた姉さん――相川朱音が、俺の頭を指差して眉をひそめた。大学生の姉さんは、海外にいる両親に代わり、俺の保護者として口うるさく身の回りの世話を焼いてくる。
「別にいいだろ、これくらい」
「よくない!男子は清潔感が第一なの!変な女に『この子ならいける』って思わせる隙を作っちゃだめ!」
そう言って、姉さんは俺を洗面所に引きずり戻すと、手早く髪を濡らして整えてくれた。
「あんたが鈍感で無頓着すぎるのよ!いい、学校でも曖昧な態度はとっちゃダメ。嫌なことは、ちゃんと嫌って言うの!」
「わかってるって」
このやり取りも、もはや朝の恒例行事。「行ってきます」と手を振り、俺は玄関のドアを開けた。
家を出て、最寄り駅から乗り込んだ電車は、案の定ぎゅうぎゅう詰めの満員電車だった。
「……うお、混んできたな」
女子高生の波に押されながら、俺は吊り革を握る。この世界では男子は希少種らしく、好奇の視線にはだいぶ慣れた。「イケメン観察」くらいのノリだろうと、楽観的に捉えている。
――ピロン。
ポケットのスマホが鳴り、防犯アプリの通知が目に入る。
『××駅構内にて、女子生徒によるしつこい声かけ事案が発生。男子生徒の皆さんは…』
「はいはい、気をつけますよ」
他人事のように呟き、俺はスマホをポケットにしまった。危機感がないと言われればそれまでだが、ビクビクしていても仕方がない。
始業前のざわついた教室。なんとか遅刻は免れたものの、眠気はピークに達していた。俺は自分の席に着くなり、机に突っ伏して小さくあくびをする。
「陽太くん、おはよう。眠そうだね、また夜更かし?」
隣の席から、呆れたような、でもどこか楽しそうな声がした。クラスの学級委員長、天野美月だ。
「ああ、おはよう。ネトゲやってたら、つい止まんなくなっちゃってさ」
俺が顔を上げてへらりと笑うと、美月は「もう。ちゃんと睡眠とらないとダメだよ。授業中、寝ないでよね?」と、まるでお母さんのように言う。
そんな他愛ない会話をしていると、ポケットのスマホが短く震えた。メッセージアプリを開くと、昨夜一緒にネトゲをしていたフレンドからだった。
『昨日のレアドロップ、朝イチで売れたぞ!山分けな!』
その報告に、俺は思わず「お、まじか」と寝ぼけ眼をこすりながらも、嬉しそうな声を漏らしてしまった。
「……楽しそうだね。友達?」
ふと、隣から静かな声がした。
見ると、美月が俺の顔をじっと見つめていた。さっきまでの明るい笑顔は消えている。
「うん。昨日一緒にゲームしてたやつから。レアアイテム売れたって」
「へぇ……。その子って、女の子?」
探るような質問。俺は特に深く考えず、正直に答えた。
「んー、どうだろ。名前とかアバターはそれっぽいけど、ボイチャしたことないからわかんないな」
そう答えた瞬間、彼女の周りの空気が、すっと冷えた気がした。美月は何も言わず、ぷいと顔をそむけて自分の教科書を机の上に並べ始める。
……やばい、何か地雷踏んだか?
明らかに不機嫌になっている。朝からこの気まずい空気はごめんだ。
「あー……でも、学校でこうやって朝イチで話すのって、天野くらいだけどな」
面倒事を避けるため、当たり障りのないフォローを入れる。特別扱いされて嫌な気はしないだろう、という浅はかな計算だ。
すると、教科書を並べる美月の手がぴたりと止まった。ゆっくりとこちらを向いた彼女の表情が、少しだけ和らいでいる。
「……本当?」
「本当本当。委員長が隣だと、なんか色々ちゃんとしてるから安心するし」
思ったことを口にしただけだが、効果はてきめんだったらしい。美月は頬をほんのり赤らめ、嬉しそうに俯いた。
「そっか……。うん、わかった」
機嫌、直ったかな?
そう思ったのも束の間、彼女は顔を上げると、とびっきりの笑顔でこう言ったのだ。
「じゃあ、あんまり私以外の子と連絡、取っちゃだめだよ?朝の挨拶も、私だけにしてほしいな。約束ね」
「ええ……善処します」
俺が曖昧に返事をすると、美月は満足そうに頷いた。そして、自分のカバンから小さなフルーツ味のキャンディを一つ取り出すと、俺の机の上にことりと置いた。
「はい、あげる。眠気覚まし。ちゃんと、約束できそうだから」
ご褒美、ということだろうか。
よくわからないが、お菓子をもらえたのはラッキーだ。俺は「サンキュ」と言ってキャンディを受け取った。
隣で嬉しそうに微笑む彼女の完璧な笑顔。うん、やっぱり女の子は笑顔が一番だ。
最後までお付き合いいただき、本当にありがとうございます!
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第二話は今日の夜出す予定なのでお楽しみに!