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病室の光

作者: 葉川 地球

人はみんな、幸せについて考えたことがあると思う。もちろん、個人によって異なる。美味しいものを食べることが幸せ。友達と話している空間が幸せ。趣味に没頭してる時間が幸せ。


これは、僕の人生における幸せの定義についての話。ノンフィクションの実体験。

綺麗って思ったり感じたり、人生の中で美しいものと出会うことは少なからずあると思う。僕はそれが多い。感性が人より優れているのか、それとも世界が好きなのか、果たしてなんなのかわからない。

ただ、そんな大量の綺麗なものを見たり感じたりしてきた僕が、1度だけ、とてつもない幸せを、文字通り目の当たりにした日があった。今思い出すだけでも鳥肌が立つくらいに綺麗で儚くて、言語でこれを表すことは、僕にとって難しすぎる。でも頑張って表してみる。


2019年10月11日。僕はこの日、とある理由で病院に数日入院していた。大きな総合病院。まだ9つだった僕には、より大きく見えていたかもしれない。

院内の散歩を許可され、暇だった僕は、すれ違う人たちはなんでここに来たんだろうなんて思いながら廊下を歩いてた。自分の病室が4階にあったから、そこから見える景色が凄く綺麗だったのを覚えてる。

大きな窓越しに見える雲の形だとか空の風景に見とれていると、廊下にある手すりが付いた柱みたいなのにぶつかった。前見てなかったなって思いつつ立ち上がって歩き始めると、304号室の扉が空いていた。ちょっとチラ見するくらいで見た。一瞬。たった一瞬だった。それなのに、その病室は他の病室と明らかに違うような空間だった。もちろんベッドだとか机の配置だとかは変わらない、他と全く同じ部屋なのに、そこだけ、綺麗だった。綺麗なんて言葉で済ませていいのかなんて何度も迷ったけど、綺麗だった。さっきまで見てた空の風景なんてモノの比じゃなかった。午後4時過ぎの、白い壁に映る暖色の斜陽。涼しい風で靡いてる透けるカーテン。光の暖色と影の寒色が恐ろしいくらいマッチしてる、その病室。そこに1人、ベッドに座って外を眺めている女の子。それを見つけた瞬間、この人がこの空間を創ってるんだって、9歳の自分でもすぐに理解できた。その時は、綺麗とか、美しいとか、そういう言葉は浮かばなかった。何が起きてるのか全く理解できなかった。なんでこんなに見入るんだって、不思議で不思議で仕方なかった。どれほど入口で止まっていたのかわからない。何秒、何十秒、いやもしかしたら数分止まっていたのかもしれない。硬直していた僕に気づいたその人が、驚いたみたいな表情をして、その顔はすぐに笑顔になって、僕を部屋に手招きした。どうやってそこまで歩いたのか、ハッキリ覚えてない。ただその時は、その人に近づきたい思いで他を考える余裕がなかった。

初めて見る、本当に綺麗な人。長めのショートみたいな髪型で、毛先がタコの足みたいにクルクルしていた。顔も綺麗で、声も可愛らしい。何より、喋り方が凄く惹かれた。

「どうしたの?」

初めて聞く、その人の声。どこかで聞いたことがあるような声、涙が出そうだった。9歳の僕は頑張って涙を我慢して、

「き、綺麗」

9歳の自分が、泣くのを我慢して一生懸命捻り出した言葉。今思うと、もう少し何か言えたんじゃないかって思う。

「だよね!今日の空凄く綺麗だよね!」

目を輝かせて僕に言ってきた。確かに、今日の空はいつもより雲の形が凄く幻想的で綺麗。でも、その人を前にすると、全てが低く見える。何にも変えられない美しさ。その人にしかない魅力。それを前にしたら、そりゃ全てが低く見えるはず。

「空ってさ、なんでこんなに綺麗なんだろうね!雲の形もみんな違うから見てて飽きないんだ!私は空見てるのが好きだよ!」

その人が綺麗だとか儚い以前に、共感出来たのが凄く嬉しかった。

それから、ずっと話してた。綺麗な水色っぽい空の色が、赤く染まるくらいは話してた。

その日以来、僕は散歩の許可が降り次第その人に会いに行ってた。相手もも親に内緒で話していたっぽく、その秘密裏みたいな行動が、ちょっと楽しかったのを覚えてる。


数日経って、僕は退院した。普通は、退院出来たことを喜ぶと思うが、僕は全く違った。僕はその人と話してるうちに、その空間ごと好きになった。白い部屋に暖色の斜陽。涼しい風で靡く透けるカーテン。幻想的で綺麗な空模様。そしてその人。

もう一度入院したいななんて思ったりもした。病院の入口付近には、ちょっとした広場みたいなものがあって、そこのベンチから304号室を見ていた。たまにその人が僕に気づいて手を振ってくれる。あの時の、気づいてくれるかな、みたいな気持ちはワクワクした。


(今日は見えないな)

なんて思ってると、その人が病院の入口から出てきた。両親も同行していて、ニコって笑って小さく僕に手を振ってくれた。この時に初めて気づいた。僕は、彼女のことが大好きなんだ。


次の日に、僕は意味もなく昨日のベンチに座っていると、その人が後ろから「わっ!」って驚かしてきた。

僕は、その人と連絡もしていないのに会えたことの喜びと驚き、そしてシンプルに驚かしてきたことに対してびっくりして複雑な感情だった。

「上からの景色も綺麗だったけど、ここも綺麗だよね〜」

そんな話をして、一緒に辺りを散歩することになった。

「もう秋だね〜。私は寒くもないし暑くもない秋が1番好き。」

落ち葉を踏んで歩いていた。もう僕は、今しかないと思った。

「あのさ、ずっと言いたかったことがあるんだけど、」

「ん?どうしたの?」

「初めて見た時から、ずっと好きでした。僕と付き合ってください。」

言ってしまった。振られたらどうしよう。焦燥感に駆られて落ち着くことなんて出来なかった。

「やっと...言ってくれた。待ってたよ。その言葉。」

「え、」

「私も好きだよ!大好き!愛してる!!」

既に心拍数なんて上がり切ってるのに、さらに激しくなって、死にそうだった。

変わった。僕の人生は確かに変わった。


長期的な休校だったから、毎日あのベンチに座って、どちらかが来たら散歩する。そんな生活がルーティンになっていた。

ある日、彼女が言った。

「今日家来る?」

「え!行きたい!」

突然過ぎたけど、行くという判断は間違っていなかったと思う。


家に着くと、彼女の自室に案内された。そこは右側の壁に小学生が出入り出来るくらいの大きさの窓が1つ、勉強机みたいな勉強机、ベッド、おもちゃ箱。そして白い木製の椅子が1つ。入ってすぐに見えたのはこれらだった。本当はもっとあったと思う。女子の部屋なんて初めて入るから、どこに視線を向けたらいいのかわからなかった。

「ちょっと待ってて!」

彼女が奥の部屋にドテドテと走って行った。その間に部屋に入った。しばらく座禅を組むみたいに座ってると、走ってくる音がだんだんと近づいてきた。彼女の手には大きなギターが握られていた。

「今から弾いてあげるよ」

威張ったような可愛らしい言い方、彼女はニヤニヤしていた。

さっきの白い椅子に深緑色のクッションを置いて、演奏が始まった。彼女の後ろの大きな窓、そこから差し込む暖色の斜陽。そしてやっぱり風で靡く透けない白いカーテン。慣れた手つき、でもどこかぎこちない。それでも音色はしっかりしていた。優しくて温かい、昼寝の子守唄みたいな演奏だった。鳥の鳴き声も演奏のひとつみたいに聴こえた。


演奏が終わると、分かりやすいドヤ顔でやり切ってやったぜ感を醸し出していた。思わず拍手をした。間隔が1秒くらいの、少し遅めの拍手。音は大きめにしといた。曲の感想を言うと、彼女は目をつぶって大きく頷いていた。満足そうだった。今思い出すと、この日のために練習していたのかなって思う。変わらない可愛さが、また脳みそに消えないタトゥーとして焼き付いた。


それから数日、またあのベンチで座って待とうとしていると、今日は彼女の方が先に座っていた。歩み寄っていくと、寝ていた。これはチャンスと思い、仕返しをすることにした。

「わ!」と驚かすと、

「ぅええっへえええい!!!」

と叫んで跳ね起きた。

「びっくりしたあ〜。(笑)

これはやられたわ。(笑)」

「恩返ししないと」

「いや恩じゃないでしょ!」


またいつもみたいに散歩していると

「今日は散歩ルート変えてみようよ!」

彼女がそう言った。確かに毎日同じ景色じゃ味気ないなって思って、いいよと言った。


信号待ち。歩行者信号が青になり、歩き出そうとした瞬間、自分の靴紐が解けてることに気づいた。

「どうしたのー?先もう行ってるよー?」

「わかったー!行ってていいよー!」

急いで靴紐を結んで行こうとした。

結び終わって、顔を上げた。歩行者信号はまだ青。よし余裕だなって思ってると突然、彼女が消えた。それと同時に、聞いたことがない轟音が響く。彼女が轢かれた。何が起きてるのか、理解できなかった。理解したくなかった。髪がひらっと揺らいでそのまま重力で下にへたる。彼女の下から何かの液体みたいな物がだんだんと広がっていった。右腕もどこにあるかわからない、どこからどこまでが右腕なのかくらいぐっちゃぐちゃだった。状況が理解出来そうでしたくなかった。不思議と涙は出なかった。呆然としていると救急車が走ってきた。時間を感じなかった。



そこからどうなったのかは覚えてない。その人が今生きてるのか、もう死んじゃったのかはわからない。その人がどこの病院に行ったのかはわからない。あの総合病院だったのかもしれない。今思うと、まだ会いに行けたのかもしれない。


それからの人生というもの、とにかく大変だった。周りの騒動もそう。ただそれ以上に自分の精神が、自分でもわかるくらいに変わった。

幸せとは、こういう空間。そう言われてるようなあの304号室。幸せの定義。幸せの天井。人生における最も幸福な空間。

そしてそれらを一瞬にして奪われた言葉に表せない喪失感。言葉に無理やり表すと、これより先にこれを超える幸せはもう訪れないという絶望、あの人にもう会えないという絶望、あの時に何も出来なかった自分に対しての嫌悪感。

人生最大の変えられない幸せと、それに相当する絶望。まだ幼い時にそれら2つを体験したその後の人生は、とにかく辛い。例えるなら、綺麗で儚いハッピーな展開ばっかりだっのに、いきなりバッドエンドになって終わった映画のエンドロールみたいな、理解できない喪失感が今の人生。


この先の人生何を生きがいに生きていくのか、幸せのピークを目の当たりにした今、なんだったら幸せになれるのか。そんなことを考えてもう6年経った。この6年間は、本当はあの人と過ごしたかった。本当に、短い間だった。出会って2週間あったかわからないくらいの短すぎる期間だった。でもその短時間で、その後の人生の価値観だとかモノの見方、感性も大きく変わった。空を見て、雲を眺めて、綺麗だなって思うその感性は今も変わらない。

大きな絶望を感じたから、ちっぽけな絶望なら心に傷すら与えない。ただ、問題は幸せは感じなくなったこと。普通の人なら、人生を賭けても感じることが出来ない幸せを9歳で既に味わったその人生は、二度と埋まらない風穴が空き続けてる状態。


僕は、彼女の生き方、喋り方、感じ方、性格を全て真似した。それが、彼女を思い続けれることだと思う。

ほぼありえないけど、もしこの文章を見てたら、またあのベンチで会いたい。また一緒に散歩しよ。次は散歩ルート変えないで行こう。

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